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第六話 - 罠と破滅

 天気は快晴。風が気持ち良い。

朝日の下の大通りを、レインはゆったりとしたペースで歩いている。


 脇に抱えた小さなたるが、かたかたと揺れる。


『広いのに全然人がいないスラ』


 レインは視線だけで左右を確認する。


 どこまでも続く高壁。いるのは百メートル間隔で突っ立っている騎士だけだ。

見張りの役割なのだろうが、門ではなく壁を見張るというのはいささか暇そうに思える。


 というか、敷地が広すぎて門が見えないのだが。


「ここは貴族様が住んでる地区だからな。馬車が通れるように広く作ってるんだろう」


『さすがだぁりん、頭良いスラ!』


 嬉しそうにがたがたと樽が鳴る。


「分かったから少し静かにしてろ。樽と会話する危ない男だと思われるだろうが」


 なるべく目立たないように、わざわざスララを隠して来たのだ。

くだらないことで人目を引きたくはなかった。


「でも、だぁりんは黙ってても危ない男だと思われてるスラ!」


 その意見に反論の余地はなかった。

子供の無邪気さは特に残酷だと思う。スララを子供と言って良いのかは怪しかったが。


「そこらへんに捨てていくぞ」


『だぁりんは優しいからそんなことしないスラ~』


 レインは周囲をさっと確認し、樽を地面に転がした。


『はわっ!?』


「…………」


『まっ、まさか……でも、そんな……』


 狼狽うろたえだしたスララのことを無視して、レインは服を脱ぎ始める。


 そして、白昼堂々と裸になる。

 幾多の戦闘を経験しながら、レインの体には傷一つ付いていない。

それはすべての戦いを余裕で勝ち抜いてきた証――というわけではなく、スライム・ポゼッションによる再構成の恩恵だ。


『だぁり~ん!! 置いてっちゃ嫌スラ~!!』


「うるせェんだよ、お前は」


 レインは樽のふたを裸足で蹴破る。

ずるずるとスララが溶けた状態で流れて出てくる。


「ふぇ~ん、ふぇ……ふぁっ!?」


「あん?」


「だぁりん、はだかんぼスラ!」


 驚き顔で更に指まで差されてしまうと、さすがのレインも恥ずかしくなってくる。


「いっつも風呂で見てるだろうが」


「見てないスラ! 昨日と一昨日は、ミラナと一緒だったスラ!」


 いちいち面倒なやつだ。レインはがりがりと頭をむしる。


「良いか、スララ。俺の体より面白いものが、今目の前にあるだろ」


 レインが顎で指し示すと、スララの首がにゅいとそちらの方を向く。


「川……?」


 人工的に切り開かれた地面の溝を、音もなく水が流れている。


 スララはぱたぱたと駆け寄ると、じいと水面を覗き込む。


「水路だ。バーナム水路。ご丁寧に貴族様の屋敷の中まで繋がってる……これがどういうことだか分かるか?」


「スララ達のおうちにも欲しいスラ~。そしたら井戸まで行かなくて良いスラ~」


 確かに、東区の外れにあるレイン達の家には水道が通っていない。毎朝水を汲みに行くのがスララの日課である。

 が、今はそんなことはどうでも良い。


「こっから行けば見張りと遭遇せずに入れるってことだ。普通なら人が通れるスペースもないだろうし、息も続かんだろうが……俺らなら関係ねェ」


「ぷぇー! だぁりん天才スラ! 十年に一人の逸材スラ~!」


「どっから覚えてきたんだ、そんな言葉」


 何故かあまり褒められている気がしないのは、大抵の場合そのクラスの逸材が十年以内にぽんぽんと現れるからだと思う。


「んじゃ、さっさと行くぞ。このままの格好でいたらしょっぴかれるからな」


「うぃ~!」


「スライム・ポゼッション!」


 青い光を纏い、変身は完了。

 脱ぎ散らかした衣服をいそいそと樽に詰めてから、レインは水路の中へと飛び込んだ。

 

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 水面からそっと頭を出して、周囲の状況を確認する。


 草木が生い茂っていて、森のような庭だ。薄暗い。朝日の光が葉っぱのとばりに遮られている。


 すぐ傍には、巨大な赤レンガの屋敷が建っている。リゴール公爵の邸宅だ。

二階建ての豪著な造りだが、レインの目にはモンスターの巣食う魔境のように映ってしまう。


 ずるずると水汲み場から体を引き出してから、人間の形に再構成する。

どうせすぐに形を変えてしまうのだが、気分の問題だ。


(どこから入るスラ?)


(上だな)


 近場には裏口のドアも見えている。が、ヴィンセントが言うには、ルナン少年は二階の角部屋に捕らわれているという話だ。ショートカットしてしまうのが得策だろう。


 レインはにゅるにゅると腕を伸ばして、ガラスのはまった窓に、硬化した指先で拳大の穴を開ける。盗賊ならばきっと喉から手が出るほど欲しい技術だ。


 そのまま空いた穴に手を突っ込み、花のように大きく開く。


 硬化を解いた指先がぴたりとくっつく。体の形と密度を調整すると、伸びた腕がぐんぐんと縮んで胴体を持ち上げ、そのまますっぽりと穴の中に溶けた体が飛び込んだ。


 にゅる、と鎌首をもたげて周囲を見る。


 どうやら寝室のようだ。人の気配はない。


 レインは溶けた体のまま、ずるずると部屋の外に出る。


「あっ――むぐっ」


「んぐっ――!」


 視線も送らずに左右に控えていた騎士達の首に腕を回して口を塞ぎ、そのまま硬化した。

騎士達は振り解こうと必死にもがいたが、すぐに気絶した。


 動かなくなった二つの図体を部屋に引き摺り込んでから、レインは腕を組む。


「――待たれてたか?」


 大貴族の邸宅だ。警備の騎士がいること自体はおかしくない。

 が、重装備の騎士達がレイン達の侵入経路を挟んで待機しているというのは、少しばかりできすぎている気がした。ましてや、普段なら警戒もしないであろうルートである。


(だぁりん?)


「いや……行くか。時間がねェ」


 気絶した二人を縛っておこうかと考えて、すぐにその考えを捨てる。

 短期決戦だ。レインは溶けた体から人の形になると、足音を消しながら廊下を走り抜ける。

 

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


「むっ――ぐっ……」


 七人目を締め落とした。


 レインが駆け抜けてきた廊下の床には、横たわった騎士の体がぽつぽつと転がっている。

全員が気絶している。


 十秒に一度は敵に遭遇した。その度にレインは極めて冷静に、かつ作業的に敵の意識を刈り取った。


「ここか」


 廊下の突き当たり。最後のドアを躊躇ちゅうちょなく開けた。


 家具はない。空き部屋だ。

 大窓の下に、一メートルほどの宝箱が佇んでいる。人が隠せるとすればあそこしかない。


「いるか、ルナン少年! お前を助けに来た!」


 宝箱ががたがたと揺れる。当たりだ。

 レインは笑みを浮かべ、足早に駆け寄った。


 宝箱の蓋には頑丈そうな鍵穴が付いている。一応開くか試してみる。

やはり鍵が掛かっている。


 蓋に手を掛けたまま、どうするべきか悩む。力任せには……いかないだろう。


「そこまでです、クロフォード様」


 部屋の外から、知っている声が聞こえた。

 レインは一瞬停止した思考を無理やりに働かせ、さっと入口の方へ振り向いた。


 入って来たのは黒い礼服を着込んだ執事然とした男。

 依頼者、バレック・ヴィンセント。


「――どういうことだ」


 自然と語気が強くなる。どう考えてもヴィンセントがここに現れるはずがないのだ。


 今までの依頼の話が、すべて真実であるなら。


「ふふ……なに、聞けば簡単な話ですよ」


 レインの視線に殺気が籠る。


 ヴィンセントは薄く笑いながら、ゆっくりと近付いてくる。足音がしていない。


「寄るな」


 背後の宝箱を庇って一歩前に進み出る。右手を尖らせ硬化。即席の刃物を作る。


 顔色も変えずにヴィンセントは歩みを進めて来る。


「私がお仕えしているのはエージェ子爵ではなく、リゴール公爵なのです」


「……そうかい」


 つまりは、たばかられた。

 どこからか……恐らく、すべてだ。すべてはレインを嵌める為の罠だったに違いない。


 ヴィンセントは眼鏡の奥でぎらりと目を光らせ、舌なめずりをした。

 そして、床を蹴り、拳を構えて飛び掛かって来た。


「ヒハッ――!」


 不気味に、なんとも不快にヴィンセントは笑う。


 だが、その拳が届くことはない。


 腕の長さを伸ばす必要もなかった。飛び込んで来たヴィンセントの喉元に右手の刃を突き付けるだけで、レインは相手の動きを簡単に封じることができた。


 ヴィンセントは顔を伏せ、両手を上げる。


「人の身で、寄生魔の宿主(パラサイト・ホスト)に勝てると思ったか?」


「……まさか。寄生魔の宿主(パラサイト・ホスト)は圧倒的強者です。普通の人間ではかないませんよ」


 ヴィンセントは背中を震わせて、「ヒヒッ」と笑った。


 レインはヴィンセントの意図をはかりかねる。


「今の一瞬で私を殺せば良かったものを」


 ヴィンセントが呟くと同時に、レインの体が揺れる。


 両の脹脛ふくらはぎがすっぱりと切断された。

 おのずとレインの体は床に落ちようとして――背後から伸びた腕に支えられ、阻止された。レインの脇下を抱えた腕は紫色をしていた。

 不意を突かれた一瞬の内に、首にがしゃりと何かが嵌められる。


 ああ、何故気付かなかったのか。


 依頼自体が嘘偽りなら、レインが背後に守っていたこの宝箱はなんだ。がたがたと揺れていた、敵がわざわざこの場に用意したこいつは一体なんだ。レインの足を切断し、今もなお体を引っ掴んでいるこいつは――


 決まっている。


「ミミックと申します。私の寄生魔パラサイトですよ。少々珍しい種族ですから、気付かないのも無理はありませんが」


 レインの体が床に投げ捨てられる。何故だか力が入らない。

自分の首に繋がったものを見て、愕然とする。


 黄金の、錠。


封印錠シール・ロックと言いましてね。これまた珍しい大魔道士様の遺産です。これでもう貴方の変身能力は失われたわけです」


 その効果を、今更説明されるまでもなくレインは熟知している。

 その絶望的なまでの強力さを。


「お聞きしていた通り、本当に甘いお方だ。有利な状況に胡坐をかき、敵に慈悲を与えるなど……心底、戦いを舐めていらっしゃる」


「……返す言葉もないな」


 耳が痛い。ヴィンセントのげんが正しいことは、レインが今床に力なく横たわっていることが証明している。


「だからこそ、わざわざポゼッションせずにお迎えしたのですがね」


 ヴィンセントは嬉しそうに目を細めながら、レインの横にひざまずいた。


「部下がお世話になったことですし。同じ方法で眠って頂きましょう」


 錠が嵌ったレインの首に、ヴィンセントの細い指が食い込んだ。


「――――」


 首を磨り潰されるような激痛。声も出せない。

 呼吸困難ではなく、外傷性ショックをもってレインの意識は立ち消えた。

 

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「ぐっ……」


 苦痛に身じろぐ。首裏でがちゃりと鎖が動く。硬い石の上に座らされている。


(だぁりん!!)


 スララの声に触発されて、レインは重たくなった瞼をこじ開けた。


 暗い牢獄。

 壁に繋がれた封印錠シール・ロック

 脹脛ふくらはぎから欠損した両足。

 鉄格子の向こうに、スライムの足が詰められた二つの瓶がこれ見よがしに転がされている。


 レインの体は未だにスライムのままだ。にも関わらず、痛みや苦しみを感じるのはひどく違和感がある。


「やられちまったな……」


 後悔の念を込めて呟く。状況は絶望的だ。


(あの人、だぁりんを裏切ったスラ……?)


「いや、最初から敵だったんだ。俺が騙されただけ、だ」


 敵の術中にまんまとはまった。敵はレインのことを完全に調べ上げていたのだ。


(なんでスララ達を……?)


 スララの疑問はもっともだ。レイン達にはヴィンセントとの接点も、リゴール公爵との接点もない。


「恐らく、だが」


 レインは前置きしてから、考え得る中で一番ありえる可能性を選び出す。


「ローザを……ドラゴンを狙ってるんだと思う」


 レインに危害を加えるのが望みなら、何もわざわざ牢に捕えておく必要なんてない。そもそも奴らとの接点すらも見つからないのだが。


 つまりは別の目的。レインが持っている資産……その中でも大貴族が欲しがりそうなものと言えば、寄生魔パラサイトしかない。それも、レインの下には武勇の誉れ高いドラゴンがいる。


(スララじゃなくて?)


「俺達を人質に飼い慣らそうって作戦じゃねェか」


(スララじゃなくて?)


「うるせェ、黙ってろ」


 こんな状況下でくだらない対抗意識を燃やされても困る。


 脱出――は、忌々しい封印錠シール・ロックのせいで不可能だ。こいつが首にくっついてる限り、レインの体はポゼッション前よりも弱いぐらいだ。普通の鎖なら硬化して打ち砕くものを。


 成す術はない。


 ならば、その後はどうなるか。リゴール公の部下がクロフォードの屋敷に出向き、レイン達の命と引き換えにミラナかローザを説得し、懐柔。便利屋に依頼できない寄生魔パラサイトの使用法――。


「あいつら、ドラゴンの力でまた戦争する気か」


 停戦になっているシブリア戦争を再開するのか。かの好戦的なリゴール公なら十分にありえる話だ。

 レインにその行いを非難する権利はない。が――


「なぁ、スララ」


(……なぁに?)


「姉さんが死んでから自棄やけになって、ローザを連れて戦場に行ったのは紛れもなく俺自身だ」


 サンドラの信念に背き、レインは人殺しの道具としてローザを使ってきた。


 だが、それでも。


「それでも、もう、あいつをこれ以上擦り減らしたくねェ」


(……うん)


「ローザを逃がそう」


 牢獄の中で、鎖に繋がれながら言う台詞ではなかった。レインは既に自分の身は諦めている。


「ポゼッションを解けば、お前は逃げられるはずだ。ローザ達に伝えて、一緒に外国にでも逃げろ」


(ダメッ――!!)


 強い思念がびりびりとレインの頭に響いた。


(スララは逃げない! それに、解いちゃったら、だぁりんの足が――!!)


封印錠シール・ロックがなけりゃ、再構成できるんだがな……」


 言っても仕方がないことだ。現実問題として、レインの首にはその嫌な重さが主張している。


 また、これがあるからこそ、ヴィンセントはレインのことを放置している。ポゼッションを解くことはできまいとタカを括っている。


「なぁ、頼むよ。スララ」


 レインは自分の頬に手を当てる。


 硬い硬い手応え。


(いや……嫌だよ、だぁりん……)


「俺はもう、周りで仲間が傷付くのが嫌なんだ」


(スララは、だぁりんが傷付くのが嫌ぁ……)


 レインの体が意志に反してがたがたと震える。スララとうまく心が通っていないせいだ。


「ローザは勿論だが、ミラナにも危害が及ぶかもしれねェ。……いや、やっぱり俺のことは伝えちゃダメだな。あいつは恐いもの知らずだから、返って反発しそうだ。理由は伏せてくれ」


(うぅ……)


「頼むよ、スララ。間に合わなくなる」


 体の震えが、止まった。


「ありがとう」


 レインは牢屋の中を見回し、隅に追いやられていた汚い毛布を見つけた。

先がなくなった足で挟んで引き寄せた。それを手で細く引き千切り、即席の包帯を作る。

巻くだけで病気になりそうな色をしている。


 その中の一本を拾い上げ、口に詰めた。ショックで舌を噛み切らないように。

苦く、しょっぱく、吐き戻したい味がする。


(やるぞ)


 淡い白色の光がレインの体を包む。

 目の前にスララの小さな体が現れ、レインの体は肉の色に戻る。


 両足に焼けるような痛みが走り、体が跳ねる。血がどくどくと溢れている。


 スララが涙目で包帯を掴んだが、それを奪ってレインは鉄格子の方を指す。


 行け。


 スララは見るに耐えない悲しい顔になって、レインに背を向けて歩き出した。


 レインは応急処置を開始する。とは言え、傷口を縛って延命する以上のことはできないのだが……。

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