第二話 - 焼け跡に咲く二輪の花
気が付けば、燃え盛る村の中にいた。
これが自分の住む村であれば感慨も沸いたのだろう。
が、あいにくとレインはこの村に来たのは初めてで、名前すらも知らなかった。
だから、火を放つのも苦ではなかった。
めらめらと燃え盛る家の前で、レインはかかしのように立ち尽くしている。
炙り出された騎士達が、家からぞろぞろと飛び出してきた。青色の甲冑。シブリアの兵士だ。
先頭の男がレインを指差して大口を開ける。
「ドラゴンの宿主だ!」
――ドラゴン?
レインは疑問に思い、自分の掌を確認する。
人間の手でもなく、スライムの手でもない。
岩のようにごつごつとした赤鱗の硬い皮膚。
四本の指先からは、サーベルのような長爪が勇ましく生えている。
見紛うことなきドラゴンの手だ。
手だけではない。顔面を除いた全身は鎧のように鱗に覆われ、背中からは体よりも大きな翼が生えていて、銀髪の頭からは二本の白い角が生えている。
まさしくドラゴンの憑依した姿だ。しかし、レインの巨体と死人のような表情を合わせてみれば、赤色のデビルかオーガのように見えなくもない。
「囲め! 囲めぇっ!!」
騎士達はレインを取り囲み始める。その数は十人。いずれも決死の表情だ。
人間の身で寄生魔の宿主に敵うわけがない。それも、最強種と誉れ高いドラゴンであればなおさらだ。真っ向から衝突すれば、その損害比率は一対千とも一対万とも言われている。
要は勝負にすらならない。
騎士達はそのことを理解しながら、レインの前に立ちはだかる。
正面の騎士が剣を抜き、切っ先を差し向けた。
「突撃ぃッッ――!!」
全方位からの大咆哮。がちゃがちゃと騒がしい鎧の音が同時に近付いてくる。
レインはその場から動かず、正面の騎士の行動だけを見ている。
踏み込んできて、大きく上段に剣を振りかぶった。
隙だ。
技術はいらない。レインは蠅を払うようにその場で腕を振るった。
「がっ――あぁ……」
まるでバターのような手応えだった。鋭利な爪は鋼鉄の胸当てごと、あっさりと騎士の命を刈り取った。
「貴様ぁッ!!」
怒号と共に飛び込んで来た騎士も、一秒で死んだ。
一薙ぎだった。
ここはもはや戦場ですらない。ただの処刑場だった。
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「うっ……ぐっ……」
胸が苦しい。もがきながら身を起こそうとして、それすらも困難だと気付く。
――金縛りか?
「だぁり~ん、ご飯できたスラ~」
胸の上で声がする。飛び跳ねている。
何が起きているかは大体分かったが、レインは薄目を開けて一応確認する。
拳二つ分ほどの距離にスララの青色の顔があった。紫水晶のあどけない瞳がきらきらと輝いている。
「起きないということは……すなわちっ……目覚めのキスをおおギャフンッッ!?」
べちゃっ、と塗れ雑巾を叩き付けたような音。間一髪だった。
「おはよう、スララ」
拳を掲げながらのレインの挨拶はちゃんとスララに届いただろうか。その体は壁に張り付いて水たまりのように溶けてしまっているが。
スララは身をよじって床の上にぼとりと落ちると、むくむくと少女の形に戻った。
「ひどいスラ! 家庭内暴力スラ!」
「どこで覚えたんだ、そんな言葉」
肩を回す。ぼきぼきと骨が乾いた音を立てる。
それにしても嫌な夢を見た。気になって、自分の掌を見つめる。
ごつごつとした人間の男の手だ。
なのに、今でも鮮明に思い出せる。鉄ごと肉を断ち斬ったあの感触を。
「……だぁりん?」
「……いや、何でもない。飯にするか」
「はぁい。今日はだぁりんの大好きなシチュー! おいしいおいしいシチュースラ~!」
くるくると回りながら、スララは食堂に駆けていく。元気なやつだ。
くだらないことは忘れてしまおう。レインの今の生活には、すべて無用な話だ。
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食堂は存外に広い。五メートル四方の空間に、長方形の大テーブルがあって周りに椅子が十個も並んでいる。奥には広い調理場がくっついている。
ふと、レインの視界に幻影が沸いた。
食事の時間はいつも賑やかだった。五人と五匹。寄生魔と宿主達が席を埋めて、わいわいと騒ぎ立てて食べている。ケンカも多かった。メニューや当番の割り当てで揉めたことも、一度や二度では済まない。
それでも、幸せな時間だったと思う。
幻影が立ち消える。
現実に戻る。
今食堂にいるのはレインとスララだけ。食事当番はいつもスララである。
火にかけた鍋を木さじでかき回していたスララが、ぱっと振り返る。席で待つレインの下へちょこちょことやって来る。
「もうすぐできるスラ!」
「おう」
「……だぁりん、寂しい?」
完全に不意を突かれた。思わず口ごもってしまう。アホな癖に変なところで鋭いやつだ。
「んなことねェよ」
レインはスララの頭をわしわしと撫でてやる。スララは「ひゃわわ」と声を上げて喜ぶ。全身がぷるぷると震えている。
ふと、しゃんしゃんしゃん、と高い鈴の音が鳴った。玄関ドアに付けてある外国土産の音だ。
「出て来る。お前は飯作ってろ」
「うぃー」
なんとなくスララの両のほっぺをむにむにと伸ばしてから、レインは玄関に足を運ぶ。
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とんでもないやつが待っていた。
「や、昨日振り。でっかい家に住んでんのねぇ。さすがはお金持ちだ」
旧知の間柄のようにレインに人懐こい笑みを向けてくるのは、盗賊少女の小さな方。ミラナだった。
相変わらず粗末な男装に小さな体を包んでいるが、バンダナはやめて豊かな長髪をポニーテールに結い上げている。おかげで昨夜より多少は女らしく見えた。
「別に、ここは俺の家じゃない」
「表に看板が出てたもんね。便利屋クロフォードだって。昨日出会ったのもお店の仕事だったってわけだ」
ミラナの翠石の視線が、じっと窺うようにレインを見上げる。その表情から感情は読み取れない。
だが、ミラナがレインをわざわざ訪ねてくる理由といえば――、
「……復讐にでも来たのか?」
「まっさかぁ。ほら、今日はナイフも持ってないでしょ」
ミラナは言いながら、腰を捻ってベルトを見せ付けてくる。確かに腰に付けてはいない。他の場所に隠している可能性は捨てきれないが。
だがまぁ、仮に武器を持っていたとしても特に警戒する必要もない。レインが目の前の少女に負ける可能性など万に一つもありえないだろう。
レインは肩の力を抜いて、細い溜息をつく。
付き合ってやるか。
「じゃあ、何の用だ」
「うん。あたしってば、昨日初めてモンスターを見たのよ」
何の話だ、とレインは思う。
「まぁ、貧民街にはいねェだろうな」
「うん。気になったから、近所の物知り爺さん叩き起こして、寄生魔についてちょっとだけ教わったわ」
「可哀想な話だ」
レインは顔も知らない爺さんに同情する。良い迷惑だっただろう。
ミラナはずいと不機嫌になった顔をレインに近付けて、
「爺さんのことは良いの! そこであたしは一つの結論に達したの! 聞いてっ!」
「お、おう」
あまりの迫力にレインはたじろぐ。凄く唾が飛んで来たが、文句を言うこともできなかった。
ミラナは大きく息を吸い込んで、
「寄生魔の宿主は、儲かるっ!!」
指を立てて、世紀の大発見のようにミラナは叫んだ。興奮に見開かれた目がきらきらと輝いている。もし尻尾があればぶんぶんと振っていたことだろう。
レインは目の前にあるミラナの顔を、人差し指でぐいと押し返す。
そして、真実を伝えるか少しだけ迷う。ミラナは真剣な表情でレインのことを見上げている。
「――まぁ、儲かるけど」
結局、素直に伝えてやった。元よりレインは嘘が嫌いなのだ。
「やっぱり! 決まりね!」
ミラナはにっこり笑って、レインの横をすり抜けようとする。
レインは腕を伸ばしてそれを妨げる。
「何が決まったんだ」
「あたし、寄生魔の宿主になるわ。色々教えてよ」
何を言いだすかと思えば、そういうことか。
「バカを言え。宿主になりたくてもモンスターがいなきゃ……」
レインの言葉を聞いて、ミラナはオーガの首を取ったように得意げな笑みを浮かべる。
「いるんでしょ? ここに。相棒のいないドラゴンが」
「……耳聡いな」
一体どこでその情報を手に入れたのか……いや、街に出れば誰もが知っている話か。
クロフォード家に古くから伝わる赤薔薇のドラゴンの存在。
そして、つい二年前に亡くなった最強のドラゴンの宿主のことも。
「勿体ないじゃない。せっかく最強のドラゴンがいるのに、家で引き籠らせてるだけなんてさ。あたしにちょうだいよ」
混じりっ気のないその図々しさに、レインは呆れ返る。
「その価値を知って言うのか?」
昨日恵んでやった金貨とは到底比べ物にならない。というか、値段など付けられない。幾千幾万の軍にも匹敵するドラゴンの価値は天よりも高いのだ。
が、
「別に知らないけど。でも、宝の持ち腐れよ。何ならここで働くからさ」
「だが――」
「お願いっ! ちゃんと仕事するから。何でもするから。あたし、貧民街の皆を養ってあげたいの」
ミラナは小さな両手でレインの手を握ってきた。
柔らかな感触に交じって、所々固くなった皮の感触がある。今まで苦労して生き抜いてきた証だろう。
「断られたらまた盗賊に戻るわ。いくらお金を貰ってもいつかは尽きるもの。生きる為には仕方がないもの」
その言い様はずるい、とレインは思う。
ミラナの頼みは、レインからしてみればとんだ迷惑でしかない。一から素人に寄生魔のことを教えて、しかも相棒としてドラゴンを差し出せと言うのだ。一体どんなバカが首を縦に振るというのか。
しかし、同時に思う。縋り付くこの小さな手を振り払って、少女に向かって「勝手に盗賊に戻れ」などと誰が言えるだろうか。
レインは腹を決めた。
レインはバカだった。
「仕方な――」
「だぁりんが女子と手を繋ぎ合って見つめ合ってるスラ~! 浮気スラ~!!」
面倒事が、もう一つ。レインはミラナの手を振り払い、髪をがりがりとかき毟った。
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咄嗟にレインの口から出た言葉は、「とりあえず飯にしよう」だった。満場一致でその意見は受け入れられた。
「はい、だぁりん」
テーブルの上に、シチューの大皿がごとりと置かれる。零れんばかりの大盛りだ。
「はい、えーと……スーパーシーフさん?」
「……ミラナでお願い。後、そのことは忘れて」
対面に座っているミラナの目の前にも、ごとりと皿が置かれる。こちらは並盛り。
「あんたが作ったの?」
「そうスラ! スララのシチューはだぁりんがいつも褒めてくれるスラ!」
「へぇ~。おいしそう……ね?」
ミラナは怪訝な視線をシチューに送る。何の変哲もないシチューである。
見た目は。
「スララはお水~。おいしいお水~」
スララはスープ用のカップを樽に突っ込んで、朝に汲んで来た水をなみなみに注ぐ。
ミラナの来襲で朝食が遅れ、かなり腹も減っている。レインはスララの着席を待たずに、木のさじでシチューをがっつりと掬って口の中へ運ぶ。
もぐもぐと咀嚼。
――うん、いつも通りの味だ。
様子を窺っていたミラナもレインの反応を見て安心したのか、にんまりと頬を緩めてシチューを口に運ぶ。
たちまち顔のパーツが中央に寄る。そして困り顔で舌を出す。
「しょっぱいよー! なんか味付けおかしくない?」
スララは目をぱちぱちと瞬かせて、
「いつも通りスラ。だぁりんは普通に食べてるスラ?」
二人の視線がレインに向く。
レインはこほんと咳払いをする。
「重大発表がある」
「ごくり」
スララのアテレコである。スライムに唾は出ない。
「実は、お前の料理は……大抵どこか味がおかしい」
「スラァ――!?」
「今まで伝えられなかったことを許してくれ」
「はわ、はわ、はわわ……」
衝撃の事実に全身をぷるぷると震わすスララ。見ている分には面白い。
「あんた、味見とかしないの?」
「うぅ~……スララはお水しか飲めないスラ~……味見できないスラぁ……」
しょんぼりと俯くスララ。だからこそ、レインも取り立てて指摘しなかったのだが。
自分が食べないのにわざわざレインの分を作ってくれるだけでも、十分にありがたいのだ。
が、ミラナは思い決めたように大きく頷いた。
「あたしがあんたに料理を教えよう!」
「スラ?」
「その代わり、あんたは寄生魔についてあたしに教えるのよ!」
「スラ~?」
スララはまだ状況が飲み込めない様子で、レインの方に視線で助けを求めてくる。
そういえば、ミラナのことを説明していなかった。
「今日からうちで働くらしいぞ、こいつ」
スララの目が、ぱちぱちと瞬く。そして、ミラナの顔をじっと見る。
穴でも開くのではないかと言うぐらいに見つめている。
「な、なによ?」
ミラナの表情が不安げに曇る。
「な」
「な?」
ぐっとスララは力を溜めて、
「仲間スラ~~ッッ!!」
爛々と目を輝かせながら、天井に向かって叫び上げた。
ミラナは驚き固まっている。スララは椅子から勢い良く立ち上がると、ミラナに駆け寄った。
両腕をぶんぶんと振り回して飛び跳ねながら、
「スララはね~、スララって言うスラ! こう見えてもスライムスラ!」
「え、ええ……知ってるけど」
なんとも頭の悪い自己紹介だった。ほとんどスラしか言っていない上に、新情報が何一つ出てこない。
というか、「こう見えても」ってなんだ。
「なんかもっと他にねェのか?」
「後は~後は~、暗黒の森出身スラ! ミラナは?」
「バーナム北区の……貧民街スラ」
ミラナはなかなか空気を読める子であるらしい。そしてチャレンジャーだった。
羞恥で顔は真っ赤になっているが、スララの方は「スラムスラー! スラムスラー!」と喜んでいるの
でその目論みは成功したと言えるだろう。
ちなみに、スライムと貧民街には何の関連性もない。
「ほらもう、分かったから! まだ食事中! 席に戻りな!」
ミラナは赤い顔で吼える。完全に照れ隠しである。
が、スララはその場で首を傾げる。
「しょっぱくて食べられないって言ってたスラ?」
「そこまでは言ってないわよ。残したら勿体ないでしょうが」
ミラナは「しっしっ」とスララを追い払ってから、がつがつとシチューを食らい始める。体の大きさの割になかなかの食いっぷりだ。
「お水ちょうだい!」
「はぁい」
スララは新しいコップを出して、鼻歌を歌いながら樽の水を汲む。
ミラナはそれを受け取ってから、レインの方を怪訝な目で見る。
「なにぼーっとしてんの。食べないの?」
「ん……食べるさ。好物だからな」
すっかり止まっていた食事の手を動かし始める。
まぁ、確かにしょっぱい。ミラナの指導によって改善の余地はあるのだろうか。
「はい、だぁりんのお水」
「おう」
受け取った手でそのままぐびりと飲む。
そして、コップを掲げたまま二人の様子を盗み見る。
味に文句をつけていた割にはなんとも豪快に、夢中で食べ進めているミラナ。
両手で水の入ったコップを大事そうに抱えながら、ミラナの方に笑顔を送るスララ。
三人で食事を取るのは当然初めてなのだが、何故かレインにはとても懐かしく感じられた。
ついついニヤついてしまう顔を二人に見られたくなくて、レインはそのままもう一度水を飲んで表情を誤魔化した。
多分、幸せと言っても差し支えがない時間だった。