第90話
数日後の風の弱い日。刀鍛冶のフレッドに呼ばれて私は城内の工房へと向かった。
工房では数人の鍛冶職人たちが黙々と作業している。熱しられた鋼にハンマーを打ちつけて、長剣の刃を熱心に打ち鍛えている。
工房ではたらく鍛冶職人たちは、みな王宮の専属の職人たちだ。国内の腕利きの職人たちからさらに腕のいい者たちが選ばれて、王宮ではたらくことを許可される。
王侯貴族のつかう剣や刃は、ほとんどがここでつくられる。私の剣も例外ではない。
刀鍛冶のフレッドはここで工房長を務めている。かなりの老齢だが、鍛冶技術においてスビア随一と賞賛されて久しい。
私が向かうと、フレッドは工房の奥で煙草を吹かしていた。
「やあ、フレッド」
声をかけると、フレッドは煙管の火皿から灰を落とした。
「ああ、フィオス様。ご足労いただき、ありがとうございます」
「気にするな。ディナードの修復は終わったのか?」
「ほっほ。完全に仕上がっておりますぞ。この通りです」
フレッドはのっそりと起き上がって、後ろの壁に立てかけた剣の一本に手を伸ばす。以前にあずけていたディナードだ。
黒塗りの鞘は銀の装飾を静かに引き立たせる。鐺や下げ緒を飾り立てる銀色の飾りが優美な光を放っていた。
「仕上がりはご自分の目でお確かめください」
フレッドから差し出されたディナードを鞘ごと受け取る。
鯉口からゆっくりと引き抜くと、漆黒の刀身が私の前に姿をあらわす。傷ひとつついていない表面は、まるで黒曜石のようにきれいだ。
「素晴らしい。みごとな仕上がりだ。修復する前よりも輝いている」
嬉々と刃を振り上げると、フレッドは煙管を手にとって微笑んだ。
「ほっほ。フィオス様は相変わらず言葉がうまいですな。そんな煽てにはもう乗せられませんぞ」
「煽てとは心外だな。私は本心から言っているのに、あなたは信じてくれないのか」
「そう言われて何度だまされたことか、わかりませんからな。老人をからかうのはやめなされ」
フレッドは苦笑いして煙草をまた吹かした。
「ディナードにかけられている術の方も問題ないかな?」
「そちらはまったく問題ございません。術が封じ込められているのは、柄頭に埋め込まれている宝石ですからな。修復の必要はありますまい」
柄頭に目を向けると、サファイアのような蒼い宝石が埋め込まれている。フレッドの言う通り傷はついていなかった。
「折れてしまったときはもう治らないと思っていたが、こんなにきれいに修復してくれるとは思わなかった。ありがとう」
「スビアの希少な黒金で磨いた貴重な剣ですからな。大事につかいなされ。それから――」
私がディナードをしまうと、フレッドはもう一本の剣を差し出してきた。
「こちらのナマクラも一応磨いておきましたぞ」
わたされた剣は、エレオノーラでユウマ殿から借りた曲刀だ。名前はスパダといったはずだ。
ユウマ殿の剣もディナードほどではないが、刃がかなり傷ついていた。それをそのまま返すのは忍びない。
フレッドは、この剣がイリスでつかわれている剣だと一目でわかったみたいだが、私が頼むと嫌な顔をしながら修復してくれた。
フレッドは腰を重そうに落として顔をしかめた。
「あなた様に頼まれれば、私めが断ることなどできませんが、アラゾン人がつくったナマクラをつかうのだけはやめなされ。高貴な血が汚れますぞ」
「わかっている。この剣は私が使うわけじゃない。だから、あなたは何も心配しなくていい」
「左様でございますか」
フレッドは煙管を口からはなして息を吐いた。
彼の後ろの壁には、他にもたくさんの剣が立てかけられている。幅の広い長剣に異国の曲刀。両手剣に短剣など、実に様々だ。
その中で一際異彩を放っている剣があった。
その剣――いや刀は、禍々しい何かを鞘の中から放っていた。鞘も刀の柄も少しも目立っていないのに、凄まじい怨念と殺意が発せられて、私の心に襲いかかってくる。
よほど凶悪な怨霊に取り憑かれてしまったのか。気になって私は尋ねた。
「フレッド。その刀はなんだ?」
「ああ、気付かれましたか。この刀は、妖刀スファギですじゃ」
「スファギ!?」
私の口から思わず奇声が漏れてしまった。
その名前は私も聞いたことがある。スファギは、伝説の名工と謳われているグラーツ・ベーゼがつくり出した伝説的な刀だ。
ベーゼは数世紀前に存命していたとされる人物だが、剣を志す者ならばだれもが知っている。彼は剣に術法をかける技術を生み出した人で、その技術は今も鍛冶技術の礎となっている。
彼がつくり出した刀は非常に有名で、このスファギの他にもエクレシアやアーシェルといった数々の名刀が存在する。
それらは切れ味もさることながら、装飾やデザインまで秀逸で、その価値は刀一本で一国を買うことができると評価されるほどだ。
しかし、このスファギだけは例外だと言われている。
「その剣、見せてくれないか」
「およしなされ。呪われますぞ」
私はスファギを奪って、鞘から刀身を引き抜いてみる。
眼前にあらわれたのは真紅の刃だ。血のような強い色が私の目を焼きつける。
スファギは呪われた刀なのだという。彼女は自らの意思を持ち、人間を飽きるまで斬りつけるのだ。
「なぜ、こんなものがうちの城にあるんだ」
「その剣は、隣国からの献上品として差し出されたそうです。ですが、人を惨殺する凶悪な呪いがかけられているので、その呪いを解いてほしいとフィオス様のお父上から命じられたのです」
そんな経緯で拝むことができるなんて、なんという偶然だろうか。
「しかし、私は剣を打つことしか能のない人間ですので、どうやって此奴の呪いを解いたらよいものか、ほとほと困り果てているところです」
そう言ってフレッドは肩を竦めた。
スファギは呪われた刀だ。しかしベーゼの遺作であり、あのエクレシアの姉妹刀だ。切れ味は折り紙つきだ。
「フレッド。この剣も私がもらっていっていいか?」
「フィオス様」
フレッドが煙管を置いて嘆息する。
「上の世界があるせいで、われわれゲルフ人は劣悪な環境で生活することを強いられました。身勝手なアラゾン人たちはたしかに憎い。その想いはきっと他の国や民族も同じです。……しかし、そんな状況でもわれわれは知恵を振りしぼってうまくやってきたではないですか」
その声は悲痛を帯びていた。
「あなた様が命を落とすことになれば、この国の民たちはみな悲しみます。どうか、アラゾン人たちへの報復などは、もうお止めくだされ」
彼は私たちの考えに反対している。現状に甘んじて静かな世生を過ごしたいと思っているのだろう。
私は、新しい世界をつくるために行動を起こさなければならない。巨大な目標を完遂させるためには、少しの犠牲を厭ってはいけないのだ。
「すまないが、フレッド。それはできない」
「こんなにお願いしても、聞き入れていただけませんか」
「私たちは新しい未来に向かって歩いている。父上や兄上のように王宮で惰眠を貪っているわけにはいかない。それが王家の務めなのだ」
ゲルフ人の誇りにかけて、アラゾン人たちの暴挙を許すわけにはいかない。その道のりが長く険しいものだったとしてもだ。
フレッドは私の顔をしばし眺めて苦笑した。
「あなた様の意思はとてもお堅いようですね。感服いたしました」
「ああ。すまないな」
「ですが、ひとつ私にお約束ください。必ずご生還していただくことです。でなければ、多くの国民が悲しみます。私もそのひとりじゃ」
「わかった。約束しよう」
私はフレッドに別れを告げて、工房を後にした。