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天空の刻印師  作者: 夏坂ひなた(旧:二条 遙)
番外編 呪われた名刀
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第89話

この章はフィオスの視点による話です。番外編と銘打っていますが、次章の序文に相当するイメージで書いているので、本編にかなり食い込んだ内容になりそうです。


 革のブーツの乾いた音が室内へとひびきわたる。明かりの灯っていない室内が耳の感覚を鋭くさせて、足音をより強く感じさせる。


 吹きすさぶ朔風さくふうが窓を揺らすある日の夜。宮殿の地下の回廊を私は歩いている。銀色の手燭てしょくを携えて。


 蝋燭ろうそくの小さな灯火ともしびは、わずか数歩先までの空間しか灯さない。人気ひとけのない夜の廊下は辺りから退廃的な香りを発生させて、心の奥底にひそむ不安を掻き立てようとする。


 暖炉の熱が届かない廊下は寒い。厚手のロングコートで全身を覆わないと凍えてしまうほどに。


 だが陽のあたらない私の国では――いや、この世界ではこれが常識なのだ。


 空の上にある世界は、暖かい場所だった。私たちがユートピアを想像するとしたら、あのような世界をイメージするのではないだろうか。


 イリスでは民が飢えることもないし、突然発生する嵐に悩まされることもない。


 私たちが住む世界とは、まさに天と地ほどの差があると言っていい。


 長い廊下の終端に白い扉が姿をあらわす。金糸で艶やかに装飾された扉が静かにたたずんでいる。


 冷たいドアノブに手を伸ばして扉を押し開ける。部屋ふたつ分の広さの室内にも人気はない。


 暗黒の空間の足下を幾多もの蝋燭が照らしている。うっすら紫がかった灯火たちは大きな円を描いて、神秘的な情景を私の目に映し出す。


 神秘的な円の手前から吐息がかすかに聞こえてくる。手燭で照らし出すと、黒のローブで身を包んだ男がうずくまっていた。


「できそうか」


 声をかけると男――配下のアリシダが身じろぎせずに返す。


「いいえ。フィオス様が持ち帰られた術法書に従って術を試みていますが、人間の召喚はできそうにありません」

「そうか」


 アリシダの思わしくない報告にわずかながら消沈する。


 私はエレオノーラから立ち去るときに、召喚術の術法書を持ち出した。エレオノーラのセラフィーナ王女がユウマ殿を召喚したときに使用していた術法書だ。


 異世界の人間には未知なる知識と不思議な力が備わっている。それらを私たちの計画に利用することはできないか。


 アリシダは若年ながら俊才といわれる有能な刻印師だ。召喚術は専門外だが、彼ならば人間の召喚まで成功させてくれるだろう。


 そう願っていたのだが、私の浅はかな目論見はあっさりと否定されたようだ。


 室内の灯りに手をつける。アリシダは床に立てている蝋燭の火を吹き消した。


 円状に立てられた蝋燭の中央には、巨大な刻印が描かれている。白のチョークで直接床に描かれているのだろう。


「フィオス様。失礼を承知で伺いますが、異世界から本当に人間が召喚されたのですか? 僕にはとても信じられません」

「そう思うかもしれないが、本当だ」


 私が一言で返すと、アリシダは幼さの残る白い顔をわずかにゆがめた。


「そんな、バカなことが……」

「人間を召喚したのは、上の世界で刻印術の天才といわれるエレオノーラのセラフィーナ王女だ。前代未聞だが、彼女だからこそ成せた秘技だったのかもしれない」

「僕は、アラゾン人ごときに遅れをとっているということなのか。……くそっ」


 アリシダが白い手で床を強く叩いた。


「フィオス様。イーファ様はなぜ亡くなられてしまったのですかっ。召喚術の天才であらせられたイーファ様なら、人間の召喚などいともたやすくできたはずです」

「そうだな」


 彼女はアラゾン人に捕まって殺されたと、叔父上から聞かされた。


 彼女は召喚術のみならず刻印術のすべてに精通した才女だった。仕方のなかったこととはいえ、惜しいことをした。


「残念だが、彼女は死んだ。それはもはや変わることはない」

「し、しかしっ」

「だが彼女は犬死にしたわけではない。われらに一条の光を差してくれたのだ」


 彼女には天穹印について調べさせていた。その調査結果は叔父上の腹心を経由して受け取っている。


 私の言葉に、アリシダは悲痛な表情でうなずいた。


「はい。おっしゃる通りです」


 彼はまだ若い。その素直な感情が少しうらやましいと思う。


「きみにはこの間から人間の召喚に挑戦してもらっているが、それはもう止めてくれ。私たちの作戦には直接的に関係のないことだからな」

「は。フィオス様がそうおっしゃるのならば」

「私はそろそろ上の世界に戻る。きみにも私の作戦に協力してもらうぞ」

「願ってもないことです」


 アリシダが右手をにぎりしめる。


「憎っくきアラゾン人たちに殺されてしまったイーファ様の無念を晴らすためにも、やつらを根絶やしにしてやりましょう」

「たのむぞ――」


 そのとき、閉めたはずの扉がバタンと押し開けられた。


「フィオス様! 探しましたっ」


 血相を変えて部屋に飛び込んできたのは、腹心のサリファだった。彼女は私の下へと駆け寄って腕をつかむ。


「フィオス様っ。あの報告は、あの報告はっ、本当なのですかっ!?」


 サリファはイーファと同じく黒髪がきれいな女の子だ。王国に仕えているが、歳はまだ十六歳になったばかりだ。


 アリシダと同じく顔立ちにはまだ幼さが残るが、最近はめっきり大人っぽくなったと思う。だが――。


「グレンフェル様の陪臣が、こそこそと話しているのを、聞いてしまいましたっ。フィオス様っ! お姉様は、お姉様は……死んでしまったのですか!?」


 彼女は、亡くなったイーファの実の妹だ。


 彼女の顔は蒼白で、血が通っていないのではと心配になってしまうほどだった。花のような白い肌が今は病的にすら感じる。


 こうなってしまうだろうとわかっていたから、彼女にだけは隠していたのだが、人間の口に蓋をすることはできないようだ。


 取り乱す彼女に私は言った。


「残念だが、その通りだ。イーファは、アラゾン人たちに捕縛され、そして殺されたのだ」


 サリファはつぶらな目を大きく見開く。一瞬、息をつまらせて、力のなくなってしまった手を私からはなした。


「そんな、そんな……」


 サリファは絶望的な表情でわずかに後ずさりする。優しい姉を心から慕っていた彼女にとって、死をも凌ぐ激痛であるに違いない。


「お姉様が……あたしの、お姉様がっ」


 足の力を失った彼女がぺたんと床に尻を落とす。大粒の涙を流して、やがて泣きくずれてしまった。


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