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天空の刻印師  作者: 夏坂ひなた(旧:二条 遙)
深淵からの使者
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第84話

「やめて!」


 後ろから突然セラフィの悲鳴が聞こえた。瞬間、アムラウの動きが止まった。


「お願いだから、もう……もうやめて!」


 セラフィは壁の近くで手をついて、泣いていた。大粒の涙を頬に伝わせて。


「どうして。どうして……こんなこと、するの? イーファは、アンドゥと仲良しだった、のに」


 セラフィのむせび泣く声は、全然大きくない。それなのに、王の間にいる人全員がはっきりと聴きとれるくらいに明瞭だった。


 向こうで戦っているシャロとグレンフェルだって、手を止めてこっちを見ていた。


「それは……」


 イーファさんは言いよどみ、逡巡するように後ずさりする。さっきまでずっと無表情だったけど、今は困り果てた顔をしている。


 こんなにうろたえるイーファさんを見るのは初めてだ。


 セラフィはそれからもイーファさんに訴えかけようとしていたけど、涙が止まらないのか、その場に泣き崩れてしまう。こんなに泣きじゃくる姿を見るのは初めてかもしれない。


 やっぱり、こんな無意味な――いや、悲しさが募るだけの争いなんてしてはだめだ。


「イーファさん。たのむから、もうやめてくれ」


 俺が悲しみを押し殺してふり返ると、イーファさんも俺に顔を向けてきた。


「こんな戦いをして一体だれが得するんだ。だれも得なんてしないだろ。せっかく仲良くなれたのに、互いの立場が違うからって、こんな戦いをしなくちゃいけないのかよ」


 本当は傷つけたくなんてないんだ。イーファさんだって、そう思っているはずなんだ。


「俺は、あんたらの立場とか、あんたらのいる国がどんな状況下に置かれているのかなんて、全然わからない。けど、こんな身を引き裂くような想いをしなければならないのかよ。もっと、他に方法があってもいいんじゃないのか」


 ずっと前から、ひとつ考えていることがある。


 天穹印の間でフィオスと対峙してから、フィオスやイーファさんは、何かとてつもなく壮大な理由があって行動を起こしているんだと思っていた。


 それが自分たちの国のためだというのは、今さっき知ったばかりだが。


 そして自分たちの国を救うために、天空の世界であるイリスの世界を破壊しなければならないという判断に至ったのにも、きっと何か大きな理由があったのだろう。


 でも、それならどうして破壊しなければならないのかと思うんだ。


 イリスを破壊しなくても、自分たちの国を救う方法はあるんじゃないか? いや、絶対にあるはずだ。


 世の中に解決できない問題なんてない。そして、双方が傷つかない、もっと平和的で最良な解決策があるはずなんだ。


「お黙りなさい!」


 イーファさんは顔を険しくして赫怒した。


「何も知らない愚か者が、軽はずみなことを言うものではありません!」


 イーファさんはローブに包まれた身体を小刻みにふるわせている。こんな表情になるのを初めて見た。


「あなたはわたしたちの国を知らないから、そのようなことが言えるのです。わたしたちの国を見れば、自分の言っていることの愚かさを、身をもって痛感するはずです」

「じゃあ、今から奈落に降りてこいって言うのか!? そんなの無茶だっ」


 イーファさんの怒りに俺もつられてしまう。


「あんたたちは自分たちの国ばかりが辛いって思っているみたいだけど、だったら、あんたたちに破壊される国はどうなるんだよ。フィオスなんて、エレオノーラを大陸ごと沈めようとしていたんだぞ!? あんたたちの一方的な被害妄想のせいで、何百万人っていう人が犠牲になってもいいのかよ。そんなの勝手すぎるぜ!」


 いい加減に耐え切れなくなってしまった。


 女性に向かって怒鳴り散らすなんて、俺は最低な男だが、こればかりは聞き捨てならない。


 自分たちが辛いから他のやつらを傷つけるなんて、そんなことは絶対に間違っている。


 俺の猛反撃にイーファさんは唇をわなわなとふるわせていたが、しばらくして左の人さし指で俺を指した。


「アムラウ! その愚か者を食いちぎりなさい!」


 苛烈な命令の直後、おとなしくなっていた二匹のアムラウが息をふき返して、俺に襲いかかってきた。


「アンドゥ!」


 アムラウたちが金切り声みたいな鳴き声を発して、俺に飛びかかる。


 なんとしても迎撃しなければならないが、剣がないからどうすることもできない。


 それでも素手で押しのけてみるが、アムラウたちの力が凄絶だから少しも相殺できない。


 あいつらの嘴や前肢で腹や腕を切られて、知らないうちに全身傷だらけになっている。こうなったら、もう自棄やけで炎の刻印術を使うしかない。


 そう思っていたら、


「イーファ! やめて! もうお願いだから!」


 気づいたらセラフィがイーファさんの右手をつかんでいた。


「セラフィーナ、様。手をお放し――」

「嫌だ! イーファがやめるまで離さない!」


 セラフィは涙で顔を腫らしながら、それでも必死にイーファさんを止めようとすがりついている。イーファさんは困り果てながらも、あいつをふりほどこうともがいていた。


「いい加減に――」


 やがてイーファさんが切れたのか、セラフィを強い力で突き放した。セラフィは突き飛ばされてその場に尻餅をつく。


 怒りで肩をふるわせるイーファさんが、右手の水晶を左手に持ち返る。空いた右手で腰のあたりをまさぐり、とり出したのは柄のない匕首ひしゅ


「やめろっ!」


 俺は全身全霊の力で二匹のアムラウを押し返した。そのままタックルする勢いでセラフィの前に滑り込み、イーファさんとの間に割り込む。


 目をくわっと見開いたイーファさんが、匕首を冷然とふり降ろす。その包丁のように研ぎ澄まされた刃が俺の頬を斬りつけ、血がぶしゅっと音を立てて流れる。


 それを間近で見たイーファさんの顔色が蒼白に変わる。鉄分の含んだ血の臭いを感じてしまったからなのか。


 イーファさんは手にしていた匕首を落として、その場に昏睡してしまった。

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