第81話
幻妖たちは外から窓を突き破って、次々と城内へと侵入してくる。
イザードの王師や警備兵たちが剣をたずさえて応戦しているが、浮き足立っているのは明らかだった。どの人も腰が引けていて、幻妖とまともに戦えていないのだ。
だれも予測しえない異常事態なのだから、うろたえてしまうのは仕方ない。だが、このまま統率がとれずに押し込まれたら俺たちはみんな全滅してしまうんだ。
正面の階段から三階まで一気に駆けあがる。王の間はこの先の分厚い扉の奥にある。
「シャロっ!」
閉め切られた扉を押し開けると、正面奥の玉座に座っているテレンサの姿が見えた。テレンサはものすごくやつれた顔で俺の方を見ている。
学校の多目的ホールくらいの広さの部屋には、イザードの官吏たちが四、五人。そしてエクレシアを持つシャロの姿があった。幻妖にはまだ入られていないようだ。
官吏たちは髪の白い文官ばかりで、きっとこの国の重鎮たちなのだというのがわかる。
それ以前に、この人たちはうろおぼえだが見覚えがあるぞ。この前にシャロといっしょに天穹印のことを奏上したときに、脇であざ笑っていた連中じゃないか。
あのときは散々とばかにされたが、今はその余裕も見る影がない。外の様子にすっかり怯えきって、俺やシャロのことなんて目を向ける暇すらないようだ。
俺はイザードの文官たちを無視してシャロのもとへ向かう。シャロは不機嫌そうな顔で目を逸らしている。
「貴様、どうしてここに来た。しかもセラフィーナ様までお連れして」
「仕方ないだろ。幻妖が城内に入り込んでるんだから。下にいさせたらむしろ危険になる」
「それはそうだが……」
「お前こそ、なんでここに来たんだ。しかも昨日の傷が塞がったばかりなんだぞ」
俺が果敢に反論すると、シャロは顔を背けて窓を見やった。
「昨日の傷ならば問題ない。それに、わたしがここに来た理由なんて、わざわざ教えなくてもわかるだろう?」
「外の幻妖たちを呼んだのがグレンフェルで、あいつがイザード王の命を狙っているからだと言いたいのか?」
そう言い切ると、玉座にいるテレンサがびくっと反応した。肉眼でもはっきりと見てとれるほどにがくがくとふるえて、唇なんて真っ青になっている。
そして、ふるえながら右手を差し出して、
「た! たのむっ。金ならいくらでも出す。じゃから、たた、助けてくれ!」
テレンサの顔色は絶望感で染まっていた。世界最後の日を迎えたような、逃れようのない壮絶な表情だった。
俺はこの人のことが嫌いだし、この人もきっとそうなんだろうけど、今は気持ちが痛いほどわかる。
何度も命を狙われているんだ。藁にもすがりたい想いなんだろう。
グレンフェルは王の間へと侵入してくるはずだ。シャロと協力してやつの猛攻を阻止しなければ。
それにしても、グレンフェルはどうやって城内へと侵入してくるのだろうか。
防備が薄くなっているとはいえ、城門は堅く閉じられているし、王師だってまだ城内にたくさんいるんだぞ。
それなのに、どんな方法で突撃してくるのか? そう思っていた矢先だ。
「あ! アンドゥあれ!」
セラフィが突然に甲高い声をあげて、窓の向こうを指した。俺とシャロ、そしてテレンサと他の官吏たちが一斉に空をふり仰いだ。
王の間の側面についている、壁のような窓ガラスの向こう側に、異形の群れが無数に飛来している。
だが目を凝らしてみると、幻妖の上に人がまたがっているのが見えた。ひと昔のシミュレーションゲームで見かけた航空騎兵みたいに、剣や槍を持った騎兵が幻妖に騎乗していたのだ。
漆黒の鴉のような鷲に騎乗している男が、桜色の目立つ髪を悠然となびかせている。一目でわかる。あいつがグレンフェルだ。
今日は右手に巨大な両手剣をもっている。
そうか。幻妖を召喚したのは、空から城内へと侵入するためだったのか。
それだけでも十二分に驚きだったが、グレンフェルの後ろに座っている人を見て、俺は言葉を失ってしまった。
いや、目の錯覚なのではないかと思った。
グレンフェルの後ろにいる女性。その人の姿は、全身を白で覆い尽くした、司祭然とした姿だった。シルクのようなつやつやした生地が、上空から注がれる日の光を反射している。
けれど、いつも頭につけているヴェールを今日はかぶっていなかった。替わりに頭からなびいているのは、日本人形のような黒くて長い髪。
「そんな。……イーファが、どうして」
セラフィの手が、俺の手を力いっぱいににぎりしめる。
イーファさんとグレンフェルを乗せた黒い鷲が、上空をゆるやかに滑空する。空中で身体の向きを変えて、王の間を正面にとらえて、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。
「くるぞ!」
シャロの叫び声が発せられた直後に、王の間の窓ガラスが木っ端微塵に吹き飛ばされた。耳を劈く轟音を立てて。まるで巨大な砲弾に撃ち貫かれたように。
俺はとっさにセラフィに抱きついて、割れる窓ガラスの衝撃からセラフィをかばった。背中にガラスの破片が容赦なく突き刺さる。
そして衝撃が和らいだ頃に、少し苦しそうにしているセラフィを離して、俺は王の間へとふり返った。
「また会ったな。異世界から来た少年よ」
そこには、絶望的な光景が広がっていた。
ガラスの破片が飛び散っている絨毯の上に、グレンフェルがたたずんでいた。
玉座で失神しているテレンサとの距離は、おそらく十メートルもない。あいつの足だったら、一、二秒で詰められてしまう。
そして、
「イーファ、さん……なのか」
普段から表情の変化に乏しいイーファさんだが、今日のそれはいつにも増して冷たい。床に届きそうなほどに長い黒髪が、開け放たれた窓から吹きつける風になびいていた。




