第72話
城に備蓄している食糧の残りがなくなってしまったため、今日の午後にいよいよ買い出しに行くらしい。
キボンヌの指揮のもと王師から数人を選抜して、街まで食料を調達しに行くのだが、道中でセイリオスの連中に狙われる可能性があるので、王師の人たちが調達部隊に選ばれたようだ。
それ以外にも盗賊に襲われたり、または凶悪な幻妖に遭遇する場合もあるので、実は本格的に武装しないと道中で全滅する危険性があるようだ。日本と違ってこちらの世界は治安がよくないのだ。
買い出し部隊の人たちを乗せた車が城門から出ていく様子を二階の窓から眺めていた。王師の方々、たのむぞ。
食料が尽きて飢え死にすることだけは本当に勘弁してくれ。
こんなときに便利な四次元ポケットでもあれば、そこから「食料尽きない君」などのご都合主義満載なハイテクマシンをとり出して、問題の抜本的な対策を講じてくれるのだが、そんな便利グッズは当然ながら城中にはいない。
いや、待てよ。ひょっとしたら刻印術で食べ物をつくれたりするんじゃないか?
刻印術は炎を出したり、擬似生物までもつくり出せてしまう術法だ。生物だってつくれるのだから、白米やパンだってつくり出せるのではないか。
そうすれば、わざわざリスクを犯して食料を調達しなくて済む。そして俺のとなりには、刻印術をきわめたセラフィがいる。
そうだ。きっとそうに違いない。そうと決まれば善は急げだ。
「なあセラフィ」
「なあに?」
セラフィは寝不足なのか、眠たそうに目のあたりをこすっている。
「刻印術で食べ物をつくることはできないのか?」
何気なく切り出してみると、セラフィは口に手をあてながら欠伸して、
「たぶんないと思うけど」
ろくに考えもしないで返答した。今日はずいぶんとテンション低いな。
「ほんとにないのか? 実はあるけど、お前が知らないだけなんじゃないのか」
「うーん。そうかもしれないけど」
絶対そうだぜ。間違いない。
「じゃあ、いっしょに探してみる?」
「おう」
セラフィはあまり乗り気じゃないが、俺もすぐには引き下がれないので、セラフィの部屋で術法書を囲むことにした。単純に暇だったのだという事実と向き合ってはいけない。
セラフィの部屋は二階の、俺の部屋の実に三倍くらいありそうなだだっ広い部屋だった。一泊したら数百万円は奪われそうな超高級スイートルームだ。
鏡のようなタイル張りの床には絨毯が敷かれて、部屋の真ん中にあるのは本革のソファと、大理石っぽい石でつくられた超高そうな長テーブル。向こうの窓にかかってるカシミヤみたいなカーテンには、優雅なドレープが入っている。
寝室には天蓋のついたベッドがあって、そのさらに向こうにあるのは、あれは水槽なのか? 壁と一体化したような超巨大な水槽が設置されていて、透明な水の中には見たことのない魚がたくさん泳いでいた。
もうなんというか、あまりに豪華すぎて言葉が出ないな。
何気にマリオの部屋と近いのが、偶然を装った策略めいているが、それを除けば声をあげて喜びたくなるようなゴージャスな部屋だ。
俺やイーファさんが借りている部屋も、一般市民じゃ泊まれなそうな部屋だが、そんなことを忘れてしまうくらい、セラフィの部屋はすごかった。
「何してるの? 早く入ってよ」
けどセラフィは特別に気にしていないのか、寝起きみたいな低いテンションのまま俺を手招きする。そして鞄に入れていた術法書を探して、大理石のテーブルに広げた。
「ご飯を具現化する術法だよね。目次見たらわかるかな」
そう言ってセラフィが巻末のページをめくって、目次の一行一行を人差し指で辿りながら目的の術を探していく。目次は例のロシア文字で書かれているから、何が書かれているのか、俺にはよくわからない。
「どうだ。見つかりそうか?」
「うーん。どうかな。水を具現化する術だったら、あるんだけど」
水分の補給も生きていく上ではとても重要だが、エネルギーを摂取できないと最終的には飢えてしまうぞ。
「あ。召喚術で毛虫みたいな幻妖をいっぱい召喚する術だったらあるんだけど」
「言っておくが、そいつらを食料にする線はなしだからな」
「ええっ。どうして? 毛虫はおいしいし、しかも栄養価高いんだよ?」
栄養があってもなくてもだめだろ。虫系は基本的に。
「じゃあさ。蛇の顔が二十個くらいついてる子は?」
「却下」
「ええっ。じゃあさじゃあさ、蛙の足が三十個くらいついてる子は?」
「却下だ」
爬虫類とか両生類だってだめに決まってるだろ。というか、なんで頭や足の数がねずみ算式に増えていくんだ?
「それじゃあどんな子だったら満足してくれるの? アンドゥってば、わがままだよ」
ゲテモノ系を頭ごなしに拒絶したらわがままになるのか。それはまた斬新な発想だな。おそらく日本人のほぼ全員が、俺の意見に同意してくれると思うが。
その後も駄々をこねるセラフィの尻を精神的にたたいて捜索させたが、
「だめ。食べ物を具現化する術なんてやっぱりないよ」
セラフィがついに探すのに飽きて、術法書をテーブルに放り出した。
われながらなかなか鋭いところに目をつけたと思ったが、そんな都合のいい術はなかったか。ためしに術法書のページをパラパラとめくってみたが、イリス公用語の文面は翻訳できそうになかった。
用件は済んだので、そろそろお暇しようかと思ったけど、どうせ部屋に帰っても暇だし、対面で三角座りしているこいつも暇そうにしているので、もう少ししゃべってから帰ろう。
「そういえば、あれからマリオに変なことはされていないか?」
思い切って聞いてみると、セラフィはソファに身体をうずめながら、気まずそうな顔で言った。
「廊下に出ると妙な視線を感じるけど、禁衛師士の人が守ってくれてるから、今のところは平気」
そうなのだ。貴賓館の襲撃以来、セラフィには禁衛師団が護衛につくようになったので、今も部屋の外が厳重に警備されているのだ。
シャロなんかとなりの部屋を選んで宿泊するくらいだからな。用心するに越したことはないが、徹底してるよな。
マリオもさすがに早まった行動はとらないと思うが、一歩道を踏み外したらストーカーになりかねないからな。注意はしておかないといけないな。
城の中にも危ないやつがいるのか。これでは心の休まる場がないな。困ったものだ。
* * *
それからシャロやマリオの話題に花が咲いてしまい、結局夕方近くまで話し込んでしまった。セラフィも独りで暇をもて余していたみたいなので、話し相手が欲しかったようだ。
「でね、考えごとをしながら王宮の廊下を歩いてたら――」
すると後ろから不意にノックする音が聞こえてきた。
「セラフィーナさま。ご主人さま。いらっしゃいますか」
扉の向こうから聞こえてくる、このか細くて艶かしい声はアビーさんだ。どうしたのだろうか。
扉を開けると、門番の禁衛師士の人に囲まれてアビーさんが立っていた。
「どうした?」
「あの、食料の調達に行かれていた方が帰ってこられました」
おお、それは一大事だ。ありがとう、アビーさん。
城門で荷物のチェックをしているみたいなので、セラフィとアビーさんをつれて見に行くことにした。
南側の門でチェックしているようなので、イザードの警備兵の人にたのんで、城門の上まで案内してもらった。壁の隙間から真下をのぞきこむと、城門の前がちょうど見えるのだ。
城門の前には、二台の車と五台の荷台がたむろしている。警備兵の人曰く、車は人が乗車するためのもので、買い込んだ食糧は荷台に積まれているらしい。
車のまわりを七、八人の兵士たちが囲んでいる。危険の伴う決死の買い出しだから、みんな頭に鉄兜をかぶって、身体にも鎖帷子をつけている。真上から見下ろしているので顔までは判別できない。
荷台にはレジャーシートみたいな布がかぶさっている。その中に異物が混入されていないか、キボンヌと腹心の官吏たちが布を捲って中を物色している。キボンヌは頭が禿げあがっているからすぐに判別できだ。
「ギボンズさんが直接チェックしてるんだね」
セラフィの顔が俺のすぐとなりにあるので、吐息が耳にかかってくる。生々しいのでかなり緊張するが、そんなことを言ったら確実に嫌われるのでやめておこう。
それにしても、あの荷台の中にセイリオスの連中が隠れていたりしないだろうか。
それから十分くらい経った頃に荷台が動きはじめた。城門を通過しているから、キボンヌ式セキュリティスキャンではウィルスは検知されなかったのだろう。
「問題はなかったみたいですね。買い出しに行かれていたみなさんも無事なようですし」
セラフィの反対側にいるアビーさんがほっと胸を撫で下ろしたので、俺も城門から視線をはずした。とくに問題はなさそうだったから、まあ平気だろう。