第69話
アビーさんといい雰囲気で会話していると、セラフィがどこからともなくやってきた。
というのは嘘で、廊下の向こうから走ってきたのだ、風の子みたいに。両手を広げてびゅんびゅん言っていそうな感じで。
「アンドゥこんなところにいたの!?」
俺の姿を両目のレーダーで捉えると、すかさず急接近して俺の左手首をつかんでくる。
昨日はあやうく焼死体になりかけたっていうのに、異常に高いテンションは相変わらずかよ。
「どうしたんだよ」
「いいから来て」
「来てって、どこに――」
「いいから早く!」
問答無用かよ。それと、あんま手首を引っ張らないでくれ。腱鞘炎になるから。
今日はアビーさんとずっと会話していたかったのに、やれやれ。王女様の側近も楽じゃないな。
仕方なく席を立ってやったが、こいつはそれでも満足できないのか、今度はアビーさんを見つけて手を伸ばしやがった。
「アビーも! いっしょに来て」
「わたしも、ですか……きゃ!」
まるで押し入り強盗だな。相手の意思とか意見は基本的に無視なんだな。
アビーさんも嫌と言えない性格だから(そこがいいのだが)、俺と同じ手口でセラフィにあっさりと拉致されてしまった。獰猛な肉食動物に捕獲された小動物みたいに。
「お、おい、セラフィ」
アビーさんまで生贄にされるのは忍びないので、セラフィの後ろを走りながら聞いた。
「強引に連れていくのはいいけど、どこに行くつもりなんだ」
「イーファがいたの」
イーファさんが? それはどういうことだ。
「イーファもお城に避難してたの」
一回で理解しろと言いたげな感じでセラフィが言葉をつづける。
ああ、それで俺を呼んだのか――と相槌を打ってやりたいが、お前には相手に内容を理解してもらおうという配慮が足りていないんだ。そんな端的な回答だけで正確に理解できるわけないだろ。
イーファさんがなんでこの城にいるのかすごく気になるが、それをこいつに聞いても明白な答えは得られないので、無駄な口を止めておとなしくついていくことにしよう。無意味な問答をつづけてもエネルギーを浪費するだけだしな。
セラフィが向かっているのは、どうやら城の奥にある客室のフロアだ。昨日からそこの一室を借りて寝泊りしているのだが、客室のどこかの部屋にイーファさんがいるのか。
白と黒のモダンなタイル張りの廊下を駆け抜けると、客室が集まるフロアにたどり着く。そこはホテルのように個室の扉が廊下にならんでいる。
中世ヨーロッパ風のシックな廊下と相まって、格式の高いホテルのような雰囲気をかもし出していた。
イザードがいくらディオなんとか大陸の末端の国であるとはいえ、この城は国王の居城なのだから、その内装が質素であるはずはない。
しかも現国王は、自慢のためなら情報漏洩も顧みない間抜けな王様だ。あの人の辞書には、質素とか倹約という言葉は載っていないのだろう。
そんなどうでもいいことを考えていると、セラフィが右側の壁につながっている扉のドアノブをひねる。ノックくらいしろよ。
けどセラフィの脳内にノックという言葉が載っていなかったのか、無断でばたんと押し開けて、
「アンドゥをつれてきたよ!」
無遠慮に室内にあがりこみやがった。
アンティークなテーブルや椅子が置かれている十畳ほどの広さの部屋に、タロットの女教皇然とした人がたたずんでいる。純白のローブに身をつつみ、背筋を伸ばして姿勢よく座っているあの人は、たしかにイーファさんだ。
イーファさんのぴったり閉じられた太ももの上には、刻印術の分厚いハードカバーが乗っかっている。この前に図書館から借りたと言っていた本だろうか。
イーファさんも俺の顔を見ると、微笑むような感じで、でもやっぱりほとんど無表情に近い顔で、
「こんにちは、ユウマさん」
慎ましやかに言ってくれた。
無遠慮なセラフィの勢いにつられて俺とアビーさんも入室してしまったが、顔だけ見て帰るのも感じ悪いから、少し時間をつぶしてから帰ろう。
アビーさんもどうしたらいいのかわからないのか、俺に判断を仰ぐように顔を向けてきたが、俺が浅くうなずくとアビーさんも神妙な顔つきで部屋に入った。
「あの、どうしてイーファさんが、こんなところにいるんですか」
「はい。わたしは帝国の人間ですから、こちらに避難するようにとイザードの方から仰せつかったのです」
聞いてみると、イーファさんが実に明白な回答を一言で教えてくれた。
イーファさんはどうやら帝国――正確にはクラティア帝国という名らしい――の中でもかなり位の高い人なのだそうだ。なんでも帝国術法師という、名前からして大変偉そうなジョブに就いているらしい。
なのでイザードでかなり優遇されているみたいで、以前に宿泊していた客舎もイザードの高官が用意した場所だったらしい。俺たちの泊まっていた客舎とは別の場所だったみたいだが。
そんなときに昨日の騒動が起きたものだから、イーファさんはイザードの官吏たちに手厚く保護されて、この城に案内されたらしい。
経緯から順を追って説明されれば、なるほど。充分に納得できるが、それならそうと先に言ってくれよな。セラフィさんよ。
「そんなこといいじゃん別に!」
セラフィはその辺にいる蟻みたいに俺を一蹴して、イーファさんの腕をつかんできゃっきゃと飛び跳ねている。ああもう、だから室内で騒ぐなって。
イーファさんは迷惑がらずにセラフィの頭を撫でて、
「ごめんなさい、ユウマさん。隠すつもりはなかったのですが、驚かせてしまうと思ったので、なんとなく切り出しづらかったのです」
いえいえ。イーファさんが謝る必要は小さじ一杯ほどもございません。
それにしても、会うたびにイーファさんには驚かされるな。謎の幻妖使いからはじまって、天穹印を研究する術師。そして今日は帝国術法師だ。ランクも右肩上がりに急上昇中だ。
このランクアップの早さだと、次に会ったときには賢者か大魔道にクラスチェンジしていてもおかしくないが、どうだろうか。
イーファさんの容貌は司祭風だから、成るならハイプリーストかアークビショップが適任だが、アークビショップの和訳ってなんだ? だれか教えてくれ。
「あのっ、このお方は……」
俺のとなりで人見知りしそうな顔で不安がっているのはアビーさんだった。イーファさんと対面するのは初めてだから、ひとりで置いてけぼりを食らっていたのか。
「イーファさんとは、ええと一昨日かな。セラフィと道に迷ってたときに知り合ったんだよ」
「はあ」
気の抜けた返事から察するに、アビーさんはまだ状況をつかめていないらしい。心なしか俺の影に隠れて、イーファさんを怖がっているみたいだ。
一方のイーファさんは、琥珀色の神秘的な瞳でアビーさんを正視して、
「あなたは、人間ではありませんね」
「ひゃっ!」
アビーさんが妙な産声をあげて大きく仰け反る。
いや、なんでわかったんだ。これには俺も驚いてしまった。
「どうして、わかるんですか」
「相手が人であるか、または幻妖であるかは、香りでわかるのです。明かりに照らされない、下の世界で生まれた幻妖には陰の香りが漂います。それはこちらの世界に棲みついても完全になくなることはありません」
よくわからない解説だが、ええと、これは……。
俺の後ろにいるアビーさんも俺の肩をつかんだまま、呆然としているのだろう。視界に入っていないからわからないが。
さっきまではしゃいでいたセラフィも、ぽかんと口を開けたまま固まっている。口を開けていると、頭の悪い子どもに見えてならないが。
急に沈黙したのが耐えられなかったのか、イーファさんが「ごめんなさい」とすぐに口を切った。
「幻妖は特別な匂いをまとっているので、その匂いで判断することができるのです。わたしは数多くの幻妖と接してきましたから、幻妖が放つわずかな匂いも嗅ぎとってしまうのです」
そういう理由でしたか。しかし、エレオノーラの官吏たちが見抜けなかったアビーさんの変装を一目で見破ってしまうなんて。
俺も沈黙するのが嫌だったので、何か言葉を返さないといけないが、こういうときにかぎってちょうどいい言葉が頭に浮かばない。
「イーファってやっぱりすごい!」
でも数秒後にセラフィが飛びついてくれたお陰で、気まずい雰囲気を変えることができた。その行為がとっさの機転だったのかどうかはわからなかったけど。
イーファさんが次に昇格するジョブは、幻妖マスターで決まりだな。




