第64話
これは間違いなくセラフィに内密な話なので、空気を読んで場所を変えることにした。
セラフィはお手洗いに行っているから、廊下でばったり遭遇する可能性がある。なので戸口の陰から様子をうかがって、セラフィの姿が見えないことを確認した。
廊下を少し歩くと喫煙所っぽいスペースがあったので、ここで話を聞いてみることにしよう。
「えっと、話ってなんです?」
向こうから話してくる気配がないので、仕方なく切り出してみると、マリオは小太り体型を丸めて、内気な中学生みたいに指をちょんちょんさせた。
「その、セセ、セラ、フィーナ、王女のことで、その……」
まず声量が小さすぎてよく聞きとれないのだが。
相手国の側近をつかまえて恋愛相談かよ。こっちは昨日からあんたの話題で持ちきりだったっていうのに。
「あの、き、昨日から、セラフィーナ、王女の近くにいたので、その……教えていただきたくて」
セラフィに近づくためのアドバイスをしてほしいんだな。
それで昨日は柱の陰から俺たちのことを見ていたのか。目的がストーキングじゃなかったのはよかったが。
両国の首脳が集まる場で公開プロポーズをしておいて、今さら引っ込み思案かよ。
しかも俺に恋愛相談をされたところで、いいアイデアや打開策なんて出てこないぞ。俺は今までに彼女ができたこともない典型的な非リア充だからな。
俺が言いよどんでいると、マリオは思いつめたような顔をあげて、
「なんでもいいんですっ。セラフィーナ王女のことを、僕に、おお教えて、ほしいのですっ!」
わかった。わかったからあんまり顔を近づけないでくれ。
マリオの顔は、すごく必死だった。初対面だからとか、相手の国のお姫様だからとか、そんなことはもうおかまいなし。セラフィに少しでも近づきたい一心で俺にすがりついてくるのだ。
諸外国の関係なんて配慮する余裕すらないんだろうな。
でも今回の縁談は正式に破棄されているわけだから、マリオがいくらがんばったところでセラフィと結婚することはできないのだ。
「しかし、お言葉ですが、マリオット王太子殿下。今回の縁談は見合わせておりますので、私めにご相談なされても、縁談をお進めになるのは非常に難しいと思われますが」
かなりぎこちない敬語だったが、遠まわしに諌めてみると、マリオは有明海苔みたいな極太眉毛をくもらせて、
「それは、わかっています。でも、セセ、セラフィーナ、王女を見たときから、僕の心は、もう、王女に……首ったけで」
とてもお心苦しい告白をされてしまった。
マジかよ。あいつはただの変態で、しかもゲテモノ好きの偏食家だぞ。
しかもこの人、言っていることは純情そのものだが、仕草が乙女チックだから見ていて相当気持ち悪いのだが。
「昨日、パパに、怒られちゃったから」
パパって。
「その、セラ、セラフィーナ王女のことは、諦めるしかないんだけど」
それが現実というものだ。
「でも、忘れようとすればするほど、セラフィーナ王女への想いが、強くなって、胸が、苦しくて……ああ、もうだめだ! こんなのはもう耐えられない!」
……すげえ。
マリオは館内に響き渡りそうな奇声を発して、床にふんぞり返っている。こんなの、どうやって処理したらいいんだよ。
まさかここまで壮絶に惚れていたなんて。セラフィはそんなに魅力あふれる女だったのか?
「と、とりあえず、身体を起こしになって」
マリオの様子があまりにひどいので、仕方なく手を差し出す。
床でわんわんと慟哭したら、気分が少しおさまってきたのか、マリオはゆっくりと顔をあげて、
「すみません」
大きな赤ん坊みたいな手で俺の手をつかむ。顔がものすごく腫れあがっているが、どれだけ一途なんだよ。
「あの、名前を聞いてなかったので、その、お名前を」
「安――ええと、ユウマです。ユウマ」
「ユウマさんですか。かっこいい、名前ですね」
そこは褒めなくていいよ。
昨日の件があったから、適当に嘘でもついてだましてやろうかと思っていたけど、マリオの泣き叫んでいる姿を見ていたらだんだんと可哀相になってしまった。
マリオがまさかこんなに純情なやつだったなんて思っていなかったからな。
両国との関係もあるけど、好きな子に想いを届けたいという気持ちはわかる。もてない男子として。
面倒ではあるが、相談くらいは受けてやるか。
「あのですね。セラフィは、その――」
「セ、セラフィって! 王女のことを、ああ愛称で、呼んでるんですか!?」
しまった。
「いや、これはその、あいつがそう呼べと言ったから、それで――」
「王女のことを、あいつだなんて……ああ。王女にこんな、親しい人がすでにいたなんて。……いやまさか!? セラフィーナ王女とユウマさんは、すでにこここ、恋、人、同士、ということでは――」
こいつ……。見ているうちにだんだん腹が立ってきたな。
軽く蹴飛ばしてみると、マリオは派手に横転して傍にあった壷にぶつかった。
「な! 何をするんですかっ、いきなり!」
「いや、なんかイラっとしたんで」
「す、すみませんすみません!」
マリオは身体をいちいち上下させて、サラリーマンみたいに頭をぺこぺこ下げる。なんか面倒なやつだな。
真面目に心配したら腹が立ってきたので、また路線を変更して、これからは適当に相手してやることにしよう。
「セラフィは、そういうなよなよした態度は好きじゃないから、いついかなるときでも毅然としていなければいけませんぞ」
「はっ、そ、そうだったのか。ささっそく、メモをとらなければっ」
マリオが尻のポケットから羊皮紙みたいな紙を出して、ペンですらすらとメモをとる。
どうせなら変なことでも吹き込んでしまおうか。
「他には、どんな、ものが」
「ええと、そうだな。毛虫とか好きだぞ、あいつ」
「け、毛虫、ですか」
マリオが目をひん剥いて驚くけど、嘘はついていないぞ。この前も数匹を食わされたからな。
「では、セラフィーナ王女は、その、虫を採取するのが、趣味だと」
「うーん、そういうわけでもないけど、好きか嫌いかって言ったら、好きの部類に入るんじゃないか?」
「王女は、虫を採取するのが、好き……と」
さっきの言葉をそのままメモしているな。なるほど。
「あとセラフィは、プレゼントに弱いんだよな。しかも宝石とかジュエリーにはとくに目がないぞ」
「ほほ、宝石! それはいい。さささっそく、配下に命じて、イザードでしか採れない、貴重な、宝石を――」
「いや待った。あいつは宝石に本当にうるさいから、安いものをあげたら逆効果だ」
「ええっ、じゃあ、どどどうすればっ!?」
お、いい反応だ。俺もキボンヌに習って、ゴマ擦りでもしてみようかな。
「ええ。ですから、私めがセラフィーナ王女の好みに合う、最高級の宝石を厳選してご用意いたします」
「おおっ! それはいいっ。ユウマさんが選んでくれたものだったら、セラフィーナ、王女が喜ぶことは間違いない!」
「ですが、王太子殿下。王女の心をつかむには、それ相応の宝石でなければいけません。ですので、その、非常に高額になってしまうのですが、あの代金の方を――」
「ほう、いくらになるのだ?」
口調が急に強くなったが、気のせいだよな。
「ええと、しめて百万ルビア(日本円でおよそ一億円)になります」
「そのうち貴様はいくらをぼったくるつもりなのだ?」
「私めがぼったくるのは、そのうちの九千八百万円――」
あれ、途中から会話がおかしくなっているぞ。
目の前にいるマリオはしゃべっていなかった。俺の方を見て、なぜか唇を青くしている。
なら、さっきの声はだれが……?
とてつもない殺気を含んだ暗黒闘気のようなものが後方から発せられているので、嫌な予感をしつつ俺は後ろをふり返ってみた。
白亜の廊下には、背丈の異なる二頭の鬼が立っていた。最近は鬼の事情も変わってきて、そこにいるのは両方とも女の鬼なのだ。
まさに鬼の形相でにらむ、セラフィとシャロ。あたりを包むすさまじい妖気で、俺の全身の体毛が弥立ちまくりの、顔文字で表現するとまさにガクブルの――。
「昨日から少しも反省していなかったようだな」
シャロの手には、いつの間にか用意されていた妖刀エクレシアが鋭く研ぎ澄まされた刃を光らせていた。