第62話
イーファさんと合流して、近くのカフェでひと休みしていくことになった。
カフェはレンガ造りの壁がみごとな、街でも有名な店だった。店内に入ると、アンティークなカウンターや椅子がシックでモダンな雰囲気をかもし出して、高級感を前面に押し出している。
カウンターで紅茶――こちらでは正式名称をツァイというらしい――を注文して席につく。俺は手前の席を選んで、奥にはイーファさんとセラフィが座っている。
セラフィはイーファさんのことがかなり大好きなようだ。昨日の夜に会ってちょっと話しただけなのに。
「昨日は突然に驚かせてしまってすみませんでした。客舎にはすぐに帰れましたか?」
「うん。イーファに道を教えてもらったから五分で帰れたよ」
嘘つくな。あれから一時間以上もがっつりと彷徨っていただろ。
でもそんな横槍を入れるとイーファさんに気を遣わせてしまうのでだまっておこう。
それにしても、セラフィと会話してるイーファさんも心なしか嬉しそうだ。一人旅だから寂しかったりするのかな。
イーファさんが白い頬を少しゆるませて、
「さっき、そこの通りに可愛い雑貨屋さんがあったんです」
「ほんと!?」
「買うつもりはなかったんですけど、花柄の可愛いペンダントがあったので、つい買ってしまいました」
「そうなのっ? 見せて見せて!」
「待っててください。ええと、たしか鞄に――」
なんていうか、普通にガールズトークだな。男は入りづらいよな。こういうの。
イーファさんが買ったペンダントを見てセラフィが喜んでいるけど、女の人は好きだよな。こういう何気ないトーク。たしかに花柄の可愛いペンダントだけど。
「ほらほら、アンドゥも見て! 可愛いでしょ」
ああ、はいはい。
絡みづらいから俺は静かにしていよう。適当にうなずいたら、セラフィとイーファさんはガールズトークを再開させた。
こんなことならアビーさんも連れてくればよかったな。イザードに来てからも真面目に仕事してばっかりだもんな。
アビーさんと優雅なティータイムを過ごすのはいいかもしれない。麗しのメイド服姿で、アビーさんが俺のために淹れてくれた紅茶を飲んで、そして最後にはご褒美が……。
これはいいアイデアだ。今度アビーさんにお願いしてみよう。
それから四十分くらい経ったのだろうか。ふたりの会話が途切れたところでテーブルの上に置かれていたものが目についた。
古めかしい表紙の、いかにも紙臭そうなハードカバー。イーファさんが持っていた術法書だ。
「そういえばイーファさん。本も買ったんですか?」
それとなく詮索してみると、イーファさんがカップを置いてうなずいた。
「ええ。買ったのではなくて、王立図書館で借りたのですが」
「王立図書館?」
「知りませんか? 街の外れにある図書館なのですが、世界最古の図書館で、圧倒的な蔵書量を誇ることで世界的に有名なんですよ」
そんなすごい施設があるのか。
「世界中の文献が収められているそうですから、近隣諸国の人はもちろん、帝国出身の学者やエレオノーラの知識人もイザードの図書館に足しげく通うそうです。せっかくですから、ユウマさんも一度行かれてみたらどうですか?」
では気が向いたら行ってみましょう。
「その図書館で何を調べてたの?」
セラフィがつづけて聞くと、イーファさんの表情がわずかに動いた。ほんの少し、長い睫毛がぴくりと動いただけだが。
「刻印術について、調べたいことがあったので」
「そうなんだ。召喚術のことを調べてるの?」
「いえ。天穹印について書かれた文献を探していたのです」
天穹印だって!? 思いがけないキーワードに俺はがばっと立ち上がってしまった。
セラフィも嫌な記憶を思い出したのか、俺に不安そうな顔を向けてくる。
イーファさんは事情を知らないので、俺がどうして立ち上がったのか、わからないという感じで、
「あの、おかしなことを言いましたか……?」
「あ、いえ、そんなことはないんですけど」
この前うちの天穹印が国際テロリストに狙われたので――とは口が裂けても言えない。
まわりの客の視線が痛々しいので、とりあえず席につこう。お騒がせしてすみませんでした。
しかし、あからさまに挙動不審だったから、正面から注がれるイーファさんの視線が包丁みたいで痛々しい。セラフィも急に押し黙っちゃうし。
ここからどうにかして態勢を立て直さなければいけないのだが、イーファさんはどうして天穹印を調べているのだろうか。
もしや、フィオスの関係者? なんてことはないよな……?
でも、もし本当にそうだとしたら、大変なことになるぞ。
どうする? 実はフィオスの仲間なんですかと聞いても平気なのか?
だが俺が虎視眈々とうかがっているのを察知したのか、イーファさんは姿勢を正して決然と俺に向き直った。
「天穹印は大陸の要であるのと同時に、最高位の術法器具であります。ですから、天穹印を研究する術師や学者は少なくありません。かくいうわたしも、そのひとりです」
それで調べているのか。
天穹印なんて言葉が出てきたから、とっさにフィオスを連想してしまった。あいつの凶悪な記憶がまだ鮮明に残っているから。
「イーファさんは天穹印を調べるためにイザードに来たんですか?」
「はい。イザードの王立図書館でしたら、刻印術に関連する文献も豊富に取り揃えられていると思いまして、帝国から船を乗り継いできたのです」
帝国……? エレオノーラよりも大きい国のことか。名前は忘れたけど。
「ではイーファさんは帝国の方なんですね?」
「はい。わたしは帝国に仕える術師で、普段は宮殿で刻印術の研究をしております。先月から天穹印の研究を担当しておりますので、外遊の許可を得てイザードまで足を運んできたのです」
そうだったのか。只者じゃないとは思っていたけど、帝国の人だったなんて。
まさかの告白に、俺もセラフィも度肝を抜かれてしまった。余計な詮索をして、申し訳ありませんでした。
* * *
夕刻ごろに客舎に戻ると、館内がずいぶんと騒がしくなっていた。どうやらシャロたちが昼食パーティから戻ってきたようだ。
「あ、お帰りなさいませ」
一階のロビーでアビーさんが出迎えてくれた。いつものミニスカフリルメイドのお姿で。
これがほんとの、お帰りなさいませ。……ああ、メイド服はやはりミニの方がいい。
「ど、どうしたのですか? ご主人さま。そんなに見つめられると、その……」
スカートの短い裾をおさえている姿とか、マジでたまらないです。ああもう、アビーさんに勝てる人なんて、やっぱりどこにもいないぜ。
そんなもどかしい俺の姿を、シャロが白々しい目つきで見ていた。物陰から、秋葉のオタクを軽蔑するようなジト目で、偉そうにまた腕組みなんかして。
いつもなら、「この隠れメルヘンチストがっ」と言ってやりたいところだが、パーティの件があるのでそれははばかれる。
俺は今でも自分が悪いと思っていないが、セラフィが謝れというから、仕方なくだな。その、謝って……ああくそっ。
ごちゃごちゃ考えるのが面倒になってきたので、シャロの前に堂々と立ってやった。
「頭、冷やしてきたぜ」
俺が正面からにらむと、シャロも細長い炯眼でにらみ返してきた。
お前も色々と言いたいことがあるんだろうけど、それは俺もいっしょだ。だからこの辺で水に流してくれ。
俺の心の悲鳴が届いたのか、シャロがついに折れてくれた。
「セイリオスのメンバーが目撃されたそうだ」
なにっ?
シャロが親指で後ろの部屋を指したので、黙ってそれについていく。フィオスの件となれば話は別だ。
人気がないことを確認すると、シャロは音を立てないように椅子を引いて座った。
「貴様が帰った後、討伐隊のミルドレッド殿がお見えになって、われらにだけこっそりと教えてくれたのだ。貴様にも念のために伝えておく」
討伐隊というのは、フィオスを追っている人たちだったな。
「あの人たちも結局イザードに入国したのか」
「そうだ。どうやらセイリオスの一団がバラクロフに逃げ込んだようでな、イザードの王師と連携して、彼らの行方をさがしているそうだ。無益な混乱を避けるために、イザード王にはまだ知らせていないが、いいか? くれぐれも他言するなよ」
言われなくても。
「セラフィやアビーさんにも言わない方がいいんだろ?」
「そうだな。セラフィーナ様はとくにお昼の会合で疲れておいでだから、余計な心労を重ねさせてはいけない。だからその、セラフィーナ様のケアは、たのむぞ」
それも、言われなくてもだ。一応元気にはなったけど、それも空元気かもしれないからな。
しかし、セイリオスの一団か。嫌な予感がする。
街で見かけた黒コートの男は、その一団のメンバーだったのだろうか。
それを迷いながら切り出してみると、
「なんだと!? 貴様、それはどういうことだ。くわしく聞かせろ」
シャロがくわっと目を見開いて食いついてきた。
もとより伝えるつもりだったので、街での目撃情報をありのままに伝えた。といっても、後ろ姿を見た、としか伝えられなかったが。
けどシャロは真剣な様子で、
「全身黒ずくめの服装とピンク色の髪か。それだけでセイリオスのメンバーと断定するのはむずかしいが、たしかに怪しいな」
「だろ? 絶対怪しいぜ」
「貴様の単なる思い過ごしである可能性は高い。だが、警戒するに越したことはないか。……よし、警備をもっと強化させよう」
その台詞、数日前にもどこかで聞いたことがあるような気がするぞ。
「ということで、今日の夜番はたのんだぞ」
シャロはさらりと面倒を押しつけて、人気のない部屋を出ていった。