第57話
かくして両国の顔合わせがここに実現した。
イザード王のテレンサの正面にはセラフィが座り、そのとなりにシャロが座っている。シャロはガチガチに緊張しているのか、座るときに足のつま先を椅子に盛大にあてて、「も申しわけ、ありません!」と声を裏返していた。
他の官吏たちも、そろって仏像みたいな顔をしてるし。最初からこんな調子でだいじょうぶなのか?
でも対面に座っているイザードの官吏たちも同じみたいだ。他国の人間と会合するのが初めてなのか、顔の筋肉が硬直するほど緊張していた。
そんな、関西の芸人もびっくりするような静寂を切り裂く軍事評論家がここにひとり。
「セラフィーナ王女にエレオノーラの者たちよ。よくぞ参られた。朕がイザード国王のテレンサである」
何がよくぞ、だ。あんたが半ば強引に呼び出したんだろうが。わざとらしく手なんかぱんぱんたたいて、憎たらしいことこの上ない。
「両国の発展のため、此度の外交は是が非でも有意義なものにしたいと思っている。しかし、それにしても――」
言いながら、野郎はエロい顔でセラフィを見やって、
「噂には聞いておったが、なかなか可愛いお姫様じゃのお」
開始三十秒ではやくもエロ親父モード全開かよ。
セラフィはというと、早速引いているな。あいつは顔にすぐ出るから、わかりやすいんだよ。
「花も恥じらう絶世の美女と聞いておったが、想像以上じゃのお。息子の妃にするのはもったいない。朕の愛妾にしたいくらいじゃ。わっはっはっは」
おい! さっきから何を言ってくれちゃってるんだよこのエロじじい! 調子に乗るのも大概にしやがれ。
いい加減に堪えきれなくなったので、隅っこの席から鬨の声をあげてやろうかと思ったら、
「陛下。僭越ながら申し上げますが、王太子殿下との縁談についてはひとまず見合わせているはずです。セラフィーナ様も困惑しておられますから、お戯れはどうかおやめください」
シャロが淡々とした丁寧語で切り返した。
シャロはテレンサにむかついて緊張がほぐれたみたいだ。顔には出していないけど、まわりを包んでいる不機嫌オーラがはっきりと視認できるくらいに放出されていた。
それにテレンサが気づいたのか、気づいてないのかわからないが、
「そんなことはわかっておる。まったく、冗談の通じないやつじゃ」
聞き分けの悪い頑固じじいみたいな台詞を吐いて拗ねやがった。ざまあ見ろ。
それからは至って真面目な会合だった。最初はお互いに緊張して、相手の顔色をうかがいながら話を切り出していたけど、それも時間が経つにつれて徐々に和らいでいった。
会合っていうから、どんなことをするのか少し期待していたけど、蓋を開けてみればただの話し合いでしかなかった。
イメージとしては、夜のニュースで放送される日米首脳会談なんかに参加している感じなのだろうか。またはどこかの政党の党首会談とか、国連安保理の会議とか。
単刀直入にいえば、国同士のお堅い会談でしかなかったのだ。
議題にのぼるのも、両国の政治の話とか、諸外国の情勢とか、そんなものばかり。今年の麦の収穫高なんて真面目に議論されても、もう欠伸しか出てこない。
セラフィもテーブルの下で指をこそこそ動かして、かなり暇そうにしているな。そして対面にいるテレンサも……あんたは議論に参加しないとだめだろ。
そして、両どなりにいるマリオとルイージはというと……うわぁ。
マリオのやつ、セラフィをずっと凝視してるよ。林檎みたいな顔で。あれは、セラフィに一目惚れしちまった感じだな。
マリオがこんな絵に描いたような不細工だったとはな。背が高くて容姿端麗で、しかも文武両道というのは、さすがに盛りすぎだろうと思っていたけど。
俺と同い年のはずなのに、中年親父みたいな体型なんだもんな。ぽっちゃりとデブの間を彷徨っているあたりが神がかっていて、もはや絶句するしかない。
人を見た目で判断するのは断じてよくないが、これで文武両道は絶対にありえないな。さっきから政治の話をしているのに、全然食いついてこないし。
これは酷い。
セラフィがマリオの視線に気づいた。肩をびくっと反応させて、顔が蒼白になってる。
油断して犬のフンを踏んづけてしまったときの顔だ。
すかさず目を逸らして、テーブルの淵を必死に見つめているけど、そんなことをしてもマリオの熱烈な視線からは逃れられないぞ。
変わり者のセラフィでも、あれはさすがにきついのか。正月の赤だるまみたいなやつに真正面から視姦されてるんだもんな。
他人ごとのように眺めていると、セラフィが俺に気づいて、ものすごく意味ありげな視線を送ってきた。そんな泣く寸前みたいな顔をされても、俺はどうしたらいいんだ。
今度は俺がすかさず目を逸らす番だけど、あいつの視線が右側の頬にぐさぐさと突き刺さってくるから、かなり気まずい。
堪えろ。堪えるんだセラフィ。
「お、おお、お……」
五分くらい経ってから、イザード側から奇妙な呻き声が聞こえてきた。「であるからして――」と弁舌していたシャロの言葉も同時にぴたりと止まった。
突如として気持ち悪い呻き声を発しはじめたのは、一体どこのどいつだ? だいたい察しはつくが、声のしている方を確認してみた。
声を発しているのは、やっぱりマリオかよ。あいつは完熟トマトみたいなおもしろい顔で、タラコ唇をひくひくさせている。
そして、なんの前触れもなくいきなり、がたっと立ち上がった。
「マ、マリオット王太子、殿下。いかが、なさいましたか?」
驚きのあまりにシャロの声が裏返る。メイクばっちりのキメ顔が引きつって、顔が蒼白になっている。
「マリオット。ど、どうした、のじゃ?」
テレンサも唖然としてマリオを見上げている。この人でも想定できない動きをしていたのか。
けれどマリオは、みんなの注目を集めていることすら気づいていないようで、ぽっちゃり体型をプルプルとふるわせて、もう頭のてっぺんから噴火するんじゃないかという様子で、セラフィだけをじっと見つめていた。
「け、けけ、けけ……」
け、けけ……?
マリオのうっすら開いた口から、奇妙な声が漏れる。
「貴公に、けけ、け、けけ結婚を、申し込むっ!」
高らかに宣言して、セラフィをびしっと指さした。
えーと、これは、つまり、その……。
はあっ!?
* * *
「アンドゥのバカ! どうして助けてくれなかったの!?」
マリオの突如とした爆弾発言がきっかけで、今日の会合は急遽閉会となった。そして今は、セラフィと貴賓館の裏の人気のないところにいる。
「いや、その、邪魔したら悪いかなと思って」
「もう! マリオさんにじっと見つめられて、すごくつらかったんだからっ」
あれはきついだろうな。
「俺だって、心の中では助けてやりたいと思ってたんだぞ」
「嘘ばっか。助けてくれる気なんてなかったくせに」
そう言われると返す言葉がない。
「どうせだったら、可愛い幻妖を召喚して、マリオさんの気持ちを逸らしてくれたらよかったのに」
いやいや、そんなことできるわけないだろ。技術的にも、場の雰囲気的にもよ。
それにしても、まさかあんな公式な場で公開プロポーズしてくるなんて。なんという神経をしているんだか。
しかもマリオは一回ふられているんだぞ。それなのに、まわりを気にする余裕すらなくなるんだから、セラフィに相当惚れちまったんだな。
セラフィは、まあ見た目は悪くないから、マリオの気持ちはわからなくもない。……いやだから、何を考えているんだ俺は。
「どうしたの? さっきからじろじろ見て」
セラフィがいつになく剣呑な目つきでにらんでくる。こいつの怒った顔はかなり可愛いが、そんな気の利いたギャグで返したら手痛くビンタされそうだから、やめておこう。
「そんなことより、これからどうするんだよ。マリオに正式に結婚を申し込まれちまったんだぞ」
「う、うん」
するとセラフィは、失恋した直後みたいに落胆して、
「どうしたらいいんだろ」
その場にへたり込んでしまった。
マリオ自身をキャラクターとして受け入れられないのは当然だけど、これはそんな単純な話じゃない。今回の縁談は政治的にも色々とやばいんだ。
だから前に断ったのに、話を蒸し返されたら厄介なことになるぞ。
テレンサリーのあの酷いキャラを見た後だと、ものすごく心配になってくる。あの野郎、調子に乗って「やっぱり結婚するのじゃ」とか言ってこないだろうな?
いやむしろ、「朕の愛妾にしてやろう」なんて根も葉もないことを言い出すかもしれない。
「とりあえず、シャロがなんとかしてくれるだろうから、だいじょうぶだろ。前にも断ってるんだから、マリオの気持ちはとりあえず無視するという方向で」
「うん」
今回の渡航は、何かしらのハプニングが起こると思っていたけど、恋愛方面のハプニングが起こるなんて想像していなかった。
もっとこう、権謀術数というか、人質とかだまし合いなど、政治的できな臭いものを想定していたのだが。
これはすんなり帰国できないぞ。