第54話
「待ちなさい」
梟のような幻妖が前肢をあげて飛びかかろうとしたときに、静寂の闇から透き通るような女性の声が聞こえてきた。
幻妖はビクっと反応して声がした方向へとふり向き、不気味な鳴き声を止める。そして俺たちに尻を向けて、律儀にお座りした。
な、なんだ……?
奥の暗がりからあらわれたのは、純白を身に包んだ女だった。白のローブを着て、頭につけているのは王冠なのだろうか? 花嫁のかぶるヴェールみたいものがついた白い冠をかぶっている。
すごく神秘的な人だ。雰囲気でいえば司祭とか白魔道師っぽいのだろうか。いや白魔道師は違うな。魔道師っぽくないからだ。
うろ覚えだが、タロットの女帝だか女の司祭もこんな感じだった気がする。
司祭っぽい人が手を差し出して梟の幻妖の頭を撫でる。すると幻妖が気持ちよさそうにじゃれはじめた。
「ごめんなさい。怪我はなかったですか」
その人はおっとりとした、すごく落ち着いた口調で言ってくれた。男が想像する、清楚で優しい大人の女性を体現すると、こんな感じになるんじゃないだろうか。
「すごい。幻妖を手なずけてる」
セラフィもぽかんと口を開けて驚いている。こいつを驚かすっていうことは相当珍しいんだな。
彼女が白い表情を少しだけやわらげて言った。
「この子はアムラウというんです。見た目は怖いけど、とても素直で優しい子なんですよ」
そんな風にはとても見えませんが。
幻妖は本当に興奮が冷めてしまったのか、充血していた目が元の銀色に戻っていた。
この人、マジで幻妖を手なずけているぞ。それがどれだけすごいことなのかは俺だって理解できる。凶悪な幻妖は巨獣や猛禽と等しいからだ。
「あの、あなたは……?」
「ああ、ごめんなさい」
司祭の人が背を正して、俺の顔をまっすぐに見やった。
「わたしはイーファと申します。イーファ・アドマンティアです」
* * *
近くに公園があるみたいなので、お言葉に甘えて案内してもらった。もうかれこれ一時間以上も歩いていたから、少し休みたかったのだ。
森の暗い道を少し歩くと、公園はすぐに姿をあらわした。
木の屋根にベンチとテーブルを拵えただけのひっそりとした公園だった。まわりの木々をきれいに伐採しただけだから、公園というより広場といった方が正しいかもしれない。
「この公園は客舎から近いので、気分転換をしたいときによく利用するんです」
イーファさんが表情のとぼしい顔でつぶやく。
客舎ということは、俺たちと同じく外から来た旅行者なのだろうか。見た感じでは、いいとこ育ちの司祭様という感じだが。
奥のベンチに腰かけるイーファさんは、落ち着いた人なのか表情に変化がない。無表情というか、感情が面に出ていないのだ。どこかつかみどころのない人だ。
受け入れられているのか、それとも内心では面倒なやつらだと思われているのか。表情がないから判断できない。
まずは自己紹介をしてイーファさんのことを聞き出してみたいが、気安く話しかけても平気だろうか。
――そんなことを無言でいっぱい思案しているのに、となりに座っているセラフィは空気を読まずに身を乗り出して、
「ねえねえ! さっきの子って、召喚術で召喚したの!?」
しかも最初の質問がそれかよ。あと興奮してテーブルをがたがた揺らすな。
イーファさんはさっそく引いているのか、身体を少しだけ後ろに引いた。騒がしい子で本当に申し訳ありません。
「あなたも刻印術を習っているの?」
「うん!」
なんというか、無邪気というのはたまに罪なんじゃないかと思う。セラフィを見てると。邪気がないから裁判にもかけられないしな。
俺がフォローした方がよさそうだ。
「こいつは、刻印術ではちょっと名の知れたやつなんです」
「あら、そうなの?」
「実は俺たちは、エレオノーラからやってきた特使なんです。けど、その……こいつは王女の――」
「王女……!?」
イーファさんが目を丸くして驚く。表情はあんまり変わってないけど、目が少しだけ見開かれて……いるかは微妙なところだ。
しかし王女というのはかなり意外だったようだ。
「それでは、あなた様はもしや、王女のイサベル・セラフィーナ様?」
「うん!」
セラフィは空気を読まずにVサインをしている。さすがに呑気すぎるだろ。
「お前な、気さくなのはいいけど、少しは王女の自覚をもてよな」
「そんなのいいじゃん別に。それで、さっきのって召喚術なの!?」
俺の忠告なんて聞いちゃいねえ。
イーファさんはしばらく言葉をなくしていたけど、十秒くらい待ってから気持ちの整理がついたのか、こわばった肩を降ろした。
「セラフィーナ王女が自由奔放なお方だというのは、風の便りで聞いていましたが、噂通りのお方ですね」
「すごいでしょ!」
いや褒めてないから。というか、こいつの変態性は世界的に有名だったのか。
「そのような高貴なお方とは露知らず、先ほどは大変失礼いたしました」
イーファさんが背を正して慇懃に礼をしてくれる。こんなやつに礼なんてしなくていいのにな。
「セラフィーナ様のおっしゃられるとおりです。あの子は召喚術で呼び出したのです」
「すごい! 召喚術なんてどこで習ったの? エレオノーラだと召喚術はあまり使われないけど、イザードだと盛んなの?」
「え、ええ。神使術ほどではありませんが、イザードではよく使われますね」
お国柄というか、刻印術にも各国で流行みたいなものがあるんだな。エレオノーラだと幻妖は忌み嫌われていたけど、イザードでは違うのだろうか。
イーファさんが、わずかに、数ミリだけ口もとをゆるめて、
「エレオノーラは神使術と化生術がすごく進歩しているそうですね。化生術については専門外ですので、どんな術なのか、とても興味があります」
「そうなの? 化生術だったらあたし、五十種類くらい知ってるよ!」
「そうですか。それでしたら今度ぜひ拝見させていただきたいです」
「ほんと!? じゃあ今度――」
……だんだん話についていけなくなってきたな。
刻印術ガールズトークだもんな。神使術初心者の俺ではついていけなくて当然か。
それにしても、刻印術について話をしているセラフィはすごく生き生きしている。さっきのつくり笑いとは違う、心の底から嬉しがっているときの笑顔だ。
その笑顔を引き出せなかった俺としては、なかなか複雑な心境ではあるが、刻印術が本当に好きなんだな。
こいつはゲテモノ好きで、王女の自覚なんてまったくないはた迷惑なやつだけど、セラフィのこういう顔を見るのは、嫌いじゃないかな。
せっかく盛り上がってるところを邪魔したら悪いから、俺は隅っこの方で寝ていよう。椅子がちょうどベンチみたいに細長いし。
そんなわけで、二人に気づかれないようにそっと移動して、そこの椅子にごろんと寝っ転がった。




