第52話
俺たちを乗せた車は殺気の迸る王師の間をすり抜けて、今日から寝泊りする客舎へと向かった。客舎というのはホテルのことだ。
客舎は城の近く――街の小高い丘をのぼった先にあるらしい。
このバラクロフという街はどうやらイザードの首都にあたるらしく、堅牢な城壁に囲まれた中世ヨーロッパ風な城塞都市のようだ。見た目重視のエレオノーラの王宮よりも防御力は高そうだが、規模と無駄な豪華さはエレオノーラの圧勝だな。
あの王宮の広さと豪華さは異常だからな。住人なんておそらく百人もいないのに、シアトルの駐車場みたいに広いからな。
あんなにだだっ広い土地を使用して宮殿を建造する必要があるのか? いいや、ないだろう。
俺が設計者だったら、あそこに月極駐車場でもつくって月額一万円で貸与するけどな。百人の契約がとれれば、毎月百万円の小遣いが俺の財布に入る計算になる。
これはいいアイデアだ。俺の脳内ハードディスクに記憶させておこう。
規模はともかく、城壁に囲まれた街って好きだな。いかにも中世っぽいし、防壁に囲まれていると軍事拠点みたいで男心を過分にくすぐるのだ。
なんていうことをアビーさんと談笑していると、客舎に到着したようだ。
客舎は丁寧に手入れされた森の中にたたずんでいて、縦に長い塔のような形をしていた。円錐の屋根に大きな旗がはためいていて、自国の国章を無駄に主張している。
室内もまたトレビアンな感じだった。だだっ広いロビーには金メッキの鎧が飾ってあって、他にも絵画やアンティークな装飾品がここぞとばかりに置いてある。
身分の高い人たちは、どうして絵や骨董品を飾りたがるのだろうか。こんなもの、一回見たらすぐに飽きるのに。
こんな無駄なものを飾るんじゃなくて、もっと有用性のある、たとえばUFOキャッチャーなどを置いてみたらどうだろうか。
そうすれば、お出でなさった来賓のお子様方の心をがっちりとつかんで、その親との交渉もかねての手筈通りに運ぶと思うぞ。
うちの変態奇行王女殿下なんか、ゲームセンターの機械なんて見たらきっと奇声を発して興奮するぜ。そうすれば婚約だろうがコンニャクだろうが、もうイチコロよ。
いや、敵国の側に立ってどうするんだ。さっきのコンニャクも何気に寒かったし。
今日は着いたばかりで長旅の疲れがあるので、イザード王との会見は明日に行われるらしい。なので各自に割り当てられた部屋に案内されて、そこでのんびりと休むことになった。
インドア派の俺としては悪くない配慮だ。わけのわからない館内案内などをされるよりよほどいい。
俺の部屋は二階の部屋だった。どうやら身分の高い人間ほど上の階に案内される仕組みらしく、セラフィは案の定最上階のすばらしい景色が拝める部屋に案内されていた。
シャロが上から三番目の階の部屋に案内されていたのは非常に気に入らないが、二階はメイドさんたちも大勢割りふられているのでよしとしよう。
夕飯は一階のレストランのようなフロアで食べて、風呂に入ったらもう就寝するように告げられてしまった。まだ夜の八時すぎなんだから、寝られるわけないだろ。
だから部屋にこもってこそこそと夜更かしすることを決め込んでいるが、遊ぶものが何ひとつとしてないからすごい暇だ。明かりがあるから本は読めるけど、術法書なんて読んでいても面白くはないし。
仕方ないからベッドでごろごろしていると、いきなり扉をコンコンとノックされた。
「アンドゥ、起きてる?」
扉の奥から聞こえてくるのは、セラフィの声だ。どうしたんだ、こんな時間に。
不審に思いながら扉を開けると、ピンク色のネグリジェみたいなものを着たセラフィがたたずんでいた。
「どうした、こんな時間に」
「うん、ちょっと……」
なんだかすごく元気がない。花でたとえると、栄養が足りなくてしぼんでいるつぼみみたいな感じだ。
面倒な接待を今まで散々と受けさせられて、心身ともに疲弊しきってるのだろうか。セラフィがこんなに打ちひしがれているのは初めて見るな。
とりあえず部屋に案内してみたが、セラフィはベッドの端に腰を下ろしたまま口を堅く閉ざしている。ものすごい落ち込み様だ。
でも気持ちはわかる。俺だったら初日で即刻ダウンしてるだろうからな。
「水でも飲むか?」
さりげなく気を利かせてみるが、セラフィからの返答はない。仕方ないのでテーブルに置かれたポットの水を注いで、セラフィにわたしてやった。
ベッドでとなりに座るのはAV男優みたいでやらしいので、そこの椅子を引っ張り出して座ろう。そして何食わぬ顔でコップの水を愛飲していると、
「もう嫌だ」
セラフィが突然重い口を開いた。
「今回の渡航がか?」
「うん」
まるで、残念な通知表でもわたされてしまった中二みたいな顔でセラフィはつぶやくが、いきなり何かを思い出したように、
「ねえアンドゥいっしょに帰ろ! あたしもう嫌だ!」
コップの水をこぼしそうな勢いで泣きついてきた。
「帰ろって、今日来たばっかじゃんか」
「だってだって! ここの人たちって、おべっか使ってばっかりで、全然面白くないんだもん。あたし、ああいうの嫌だ! だから王宮に帰りたいの」
そんなことを涙ながらに訴えられても、俺はなんて返答すればいいんだ。
「あのなあ。今回の渡航は、国家間の友好とか、周辺諸国との関係とか、政治的な事柄が色々と密接に関係しているんだ。帰りたい気持ちはわかるけど、じゃあ帰ろっかっていうわけにはいかないんだよ」
セラフィのわがままをゆるすわけにはいかないので仕方なく反論すると、セラフィは顔を赤くして、目からあふれだしそうなほどの涙を溜めて言った。
「そんなのわかってるもん。それなのに、ここの人たちはあたしの前でにこにこして、悪いことなんて考えてませんっていう顔ですり寄ってくるの。……あたしたちは悪いことしてないのに、あの人たちはどうして悪いことを考えるの? そんなことするんだったら、あたしなんていなくてもいいのに」
イザードの連中の思惑に気づいていたのか。
しかし、だからといってエレオノーラにとんぼ帰りするわけにはいかないわけで。
でも、なあ……。
近侍という立場上、俺はセラフィをなんとか説得しなければいけないが、無理強いするのもなんだか酷な気がしてきた。
だってセラフィはまだ十四歳の女の子なんだ。十四歳といえば、中二か中三ぐらいの年齢じゃないか。
日本でいえば、部活で汗を流しているくらいの年齢だ。それなのに国家の命運を背負わされて、他国との嫌な接待を受けさせられて、すごく可哀想なんじゃないか?
セラフィは俺の対面に座って、今にもわんわんと泣き出しそうだった。俺の平凡な脳みそでは妙案なんて思いつかないけど、なんとかして元気づけてあげられないかな。
けど、十分くらいねばったけど、だめだ。俺の低脳じゃ何も思いつかねえ。
甲斐性なしのだめ亭主並みのだめだめっぷりだぜ。
セラフィすまない。俺はもうだめだ。頭から湯気が出そうだったので、窓でも開けてちょっと涼もう。
外はもう真っ暗だ。当たり前だが。でもこの辺は街灯が少ないから、なんだか田舎の夜みたいに真っ暗だ。
上がりすぎた頭の熱を冷ますには、ちょうどいいかもしれない。
「ちょっくら外でも歩いてくるか」
「外……?」
そこにセラフィが食いついてきた。
「夜に外を出歩くの?」
「ああ。頭がもやもやしてるから、ちょっと気分転換に散歩でもしてこようかと思うが」
「でも、夜道は危ないから歩いちゃだめだよって、お父様が言ってたよ」
そんな大げさな。ちょっとくらいいいじゃんか。
セラフィは不機嫌そうに俺を見ていたけど、そのうちに窓の方を見て、
「そういえば、夜に外に出たことってあんまりないかも」
何気なくつぶやいた。
セラフィは夜に出歩いたりしないだろうな。普通の王女は夜更かしなんてしないんだろうし。
ということは、セラフィ的には至極キボンヌな提案なんじゃないのか? キボンヌといっても、イザードの大臣のことではないが。
セラフィは案の定表情を一変させて、
「なにそれ!? すっごく面白そう! ふたりでお忍びで行くんでしょ。うん、行く! 今すぐ行こ!」
わかったわかった。だから今しばらく落ち着け。
とりあえず、いつものセラフィに戻ってくれたか。さっきの落胆し切った様子を見たときは、どうなることかと不安だったが。
セラフィに夜道を歩かせるのは危険な気だが、これも元気づけるためだ。いたし方ない。