第50話
空の旅は大きな問題に見舞われることもなく、わりと順風満帆だった。
途中で中継地点と思わしき場所で休息をとったりしながら、ときにセラフィと海賊ごっこなる遊びを新開発しながら、だらだらとした旅路をさらにぐだぐだなものにしていた。
半分くらい来たところで、イザードの外交官だという連中に出くわして、歓迎会と称した飲み会に参加させられたときは心が折れそうだったけど。
イリスでも酒宴は頻繁に行われるらしい。
日本のサラリーマンみたいな接待なんてしたくないので、隅っこでアビーさんと遊んでいたら、シャロがすかさずやってきて、
「貴様もこれからお世話になるのだから、挨拶くらいしておけ」
ピシャリと言われてしまった。
酒宴のときは、俺やアビーさんなど、政治的に不要な人たちは端の席に座らされて、国賓のセラフィは席のど真ん中に座らされていた。
名無しの近侍と大国エレオノーラの王女なんだから、待遇に差が出るのは当たり前だが、こんなにわかりやすいと思わず言葉を失ってしまう。
イザードの官吏たちは、酒宴の開始とほぼ同時に立ち上がって、ぞろぞろとセラフィに挨拶していた。「本日はお日柄もよく」みたいなことを言って、ゴマを擦りながら。
アニメでしか見られないようなゴマ擦りを生で見られるとは思わなかったな。
対するセラフィも、その辺が意外と真面目なのか、嫌な顔をしないで律儀に相手していた。「ねえねえ!」と手首をつかんでくるあの無邪気さはどこにも感じられない。
身分が高いのも大変なんだな。
* * *
面倒なイベントを間に挟みながらイザードに向かっていると、三つ目の中継地点に入ったころだろうか。エレオノーラの軍隊とばったり出くわした。
軍隊といっても、十人そこらの寡兵なので、これから戦争をはじめますという感じではなかったが。
「あれは、きっとフィオスの討伐隊だ」
甲板からながめている俺のとなりで、シャロが凛とした顔で言い放つ。
「討伐隊?」
「そうだ。彼らが乗っているウァラクを見てみろ。あれは王師がつかうものだ」
ウァラクというのは飛竜のタイプの師獣のことだ。討伐隊の師獣はたしかにあんな感じだったな。
「フィオスが近くに潜伏しているのかもしれん。貴様もついてこい」
「おう」
言われなくても。
討伐隊の隊長はミルドレッドさんという、わりと年齢いってそうな感じの無骨なおっさんだった。フィオスについて切り出すと、
「フィオスではありませんが、彼の一派と思われる一団がこのあたりに逃げ込んだという情報をキャッチしたのです」
コントラバスみたいな太い声で教えてくれた。
「一団、というのは?」
「ええ。それがフィオスは単独で動いているのではなく、志を共にする者たちと組織立って行動しているようなのです」
「なんですとっ!?」
シャロが大げさに声を立てる。
知らなかったのか。フィオスに仲間がいることを。
俺は、天穹印の間で耳打ちするように教えられたから、知っている。そのときに勧誘されたなんて、口が裂けても言えないが。
「彼らの組織は、セイリオスという名前なのだそうです。規模、拠点などはまだわかっておりません」
「しかし、このあたりに潜伏しているとのことですが」
「そのようです。斥候が目撃したのは、十名足らずの少数らしいので、組織の一派だろうと思われます」
組織の一派、か。嫌な言葉だな。
「ここから先はイザードの空域です。彼らの狙いがイザードなのかどうかはわかりませんが、これから何が起きるか予測できませんので、くれぐれもご用心を。シャーロット殿」
最後にそう言われて、ミルドレッドのおっさんと別れた。
* * *
「セイリオスなどという、不届きな組織が存在していたとはな」
その日の夕方、シャロが渋い顔つきで夕日を眺めている。俺も人ひとり分はなれた位置で頬杖をついて、なんとなく空を見ている。
寝耳に水というのだろうか。馬鹿みたいに安全だった旅にいきなり翳が差したので、なんとなく不安になってしまう。
フィオスの一派は俺たちを襲ってこないだろうな。
ミルドレッドさんは、「やつらの狙いはセラフィーナ様ではないでしょう」と言っていたけど、ろくに武装していないこの船を襲われたらイチコロだぞ。空の上で防衛なんてできるのか?
シャロもきっと同じようなことを考えているのだろう。さっきから船内に戻らないで空ばっか見ている。
「そんな怖い顔をして監視しなくてもいいんじゃないのか?」
仕方なく言ってやると、シャロは顔の向きを変えずに、
「たわけが。反逆者の情報をキャッチしたのだから、用心するのは当たり前だ」
俺の気遣いをみごとに切り捨てやがった。
でもシャロの気持ちはわかる。俺もフィオスの怖さは嫌というほど痛感してるからな。
あいつが逃亡してから、まだ一度も発見されていないみたいだけど、どこに潜んでいるのだろうか。また性懲りもなく天穹印の破壊でも企てているのだろうか?
あいつは何をしでかすかわからない男だから、なんの前触れもなくあらわれて、「セラフィーナ王女のお命を頂戴します」なんて言ってきそうで怖いんだよ。
そんな話をすると、シャロはなおのこと眉をひそめて、
「やはり、警備をもっと強化しなければならんな」
フィオスらの襲撃に備えるみたいだが、ご苦労なことた。俺は空を見ているのが飽きてきたから、部屋に戻って寝てるからな。
そう思って部屋に戻ろうとすると、後ろから肩をがしっとつかまれてしまった。
「待て。今日から貴様も夜番に入れ」
「俺も監視しないといけないのかよ」
「当たり前だ。貴様はセラフィーナ様の世話役兼ボディガードなのだろう? 有事の際は身を挺して護衛しろと言われているのだから、貴様も今日から警備を手伝え」
面倒なところにメスを入れてきやがった。
俺が露骨に嫌そうにしていると、シャロはため息をもらした。
「別に、寝ずの番を毎日しろと言っているのではない。警備の数を増やすから、貴様も少しは協力しろと言っているだけだ。……言っておくが、われわれは毎日警備しているんだからな」
「わかったよ。あんたらといっしょに警備すればいいんだろ」
仕方なくうなずくと、シャロはまた夕空に視線を戻した。
「しかしセイリオスとは、ずいぶんと思い上がった名前をつけたものだ」
「やつらの名前が気になるのか?」
「まあな」
シャロがこほんと咳払いする。
「セイリオスとは、古代イリス語で、光り輝く者という意味だ。今まで脚光を浴びていなかった者たちが、自分たちの成功を祈念して、この言葉をよくつかうのだ」
「自分たちの成功ねえ。そんなにサクセスして毛根でも強くしたいのか?」
「毛根だかなんだか知らんが、そやつらには何かしらの叶えたい願いがあるということだ」
俺の微妙なボケをさらりと流しやがった。
でも、成功か。フィオスの成功とは、なんなのだろうか。
天穹印の間で剣を交えたとき、あいつは色々と語っていた。イリスで革命を起こして、この世界をつくり変えるような発言をしていたが、あれは本心だったのだろうか。
しかし、世界をつくり変えるために、大陸の中枢である天穹印を破壊して大陸を沈める。その上に新しい世界を築き上げる。フィオスの発言と行動はかなり暴力的だが一貫している。
ではなんでフィオスはそんなことを望んでいるのだろうか。あいつは革命を起こして、イリスの王にでもなりたいのだろうか。
「まあとりあえず――」
俺が長いこと沈黙したので、シャロが見かねて言った。
「セラフィーナ様のお命を平然と狙う輩だ。いつ何時に船を襲撃しにくるかわからん。今日からさっそく夜番に入ってもらうから、しっかり警備するんだぞ」
俺が忘れたふりをしていたのを見抜いていたようだ。




