第47話
イザード王国は南東のディオスクラという大陸にある国で、規模は大体オランダやスイスくらいの大きさであるらしい。
対してエレオノーラの国土は、フランスやスペインくらいに大きいので、イザードは辺境の弱小国という感じなのだろうか。
だが、どうやらこのディオスクラ大陸というのが曲者らしい。
この大陸は大小様々な国家が乱立している替わりに、巨大な連合を結成しているみたいで、その力はエレオノーラを凌ぐと言われているようなのだ。
きっとEUみたいな感じなのだろう。
話は逸れるが、エレオノーラの東にはクラティア帝国というエレオノーラよりも大きい国があるらしい。帝国というと悪いイメージがつきやすいが、イリスの場合はどうなのだろうか。
イザードは連合の力を背景に結婚話を吹っかけてきたようだ。だからセラフィは乗り気じゃないようだ。
しかし外交を反故にするわけにもいかないので、朝の打ち合わせの結果、エレオノーラからイザードに使節団を派遣することにしたらしい。
縁談の返答はひとまず先送りにして、今回はあくまで国家間の友好を深めるために派遣するみたいだが、使節団にはセラフィが同行するので、さあどうしたことかとシャロや官吏たちが不安を募らせているのだ。
けどこんな、肩透かしを食らわせる気で満々な使節団を派遣しても平気なのだろうか。入国して早々に捕まったりしないだろうな。
それをセラフィのいない廊下で問い詰めてみると、シャロが渋々という感じで言った。
「仕方ないだろう。セラフィーナ様を連れてこなければ、強硬手段に及ぶと仄めかしてきたのだから」
よくわからないが、話が急にきな臭くなったぞ。
「強硬手段ってなんだよ。イザードはエレオノーラと戦争したいのか?」
「まあ、端的に言ってしまえば、そういうことになる」
シャロがさらりと怖い言葉をつなげたが、マジかよ。
今回の外交は華やかな縁談なんだろ。それなのに、なんで急に戦争が話にあがるんだ。
シャロが廊下をきょろきょろと見まわす。そして、だれもいない空き部屋に手招きしてきたのでついていく。
「貴様はエレオノーラに来て間もないから、イリスの情勢なんてわからないだろうが、此度の外交は縁談なんて名ばかりだ。イザードの真の目的はエレオノーラへの侵略だ」
「侵略って、マジか」
「本当だ。彼らはセラフィーナ様を人質にして、こちらの弱みをにぎろうとしているのだ」
シャロから矢継ぎ早に説明されたが、人質って正気なのか。それでは金目当ての誘拐犯となんら変わりないじゃないか。
今回の話は王族同士の麗しい結婚話なんだと思っていたのに、話の裏にそんな狡猾な罠が仕掛けられているなんて、とても信じられないぞ。
「侵略って、さすがに大げさなんじゃないか? いくらなんでも、そこまでは考えてないだろう」
「甘いな。縁談も外交手段のひとつなのだから、何かしらの政治的な意図が含まれていると考えるべきだ」
何気なく言い返したら、偉そうに語られてしまった。
「イザードは前々からこちらの領土を狙っている。目的が戦争ではないとしても、彼らが領土の拡大を謀っているとみて間違いないだろう」
とんでもない裏話を聞かされてしまったが、お陰で状況をかなり整理することができた。
「つまり、セラフィが無事に帰国するまで一瞬たりとも気が抜けないということだな?」
「そういうことだ。セラフィーナ様のご希望で貴様も使節団のメンバーに入っているのだから、今日みたいな失態はくれぐれも犯すなよ」
俺もやっぱり入っているのかよ。嫌な予感はひしひしと感じていたが。
変態奇行王女のまわりは、今日もトラブルに見舞われているようだ。
* * *
俺の鬱然とした気持ちを余所に、渡航の準備は着々と進められた。
使節団の件は、イザードから無事に承諾してもらえたようだ。あんなやる気のない返答でよくオーケーしたなと思ったが、使節団の筆頭にセラフィの名前があったから、それで先方も満足したのだろう。
イリスで諸外国に渡航するときは、大型の飛行船をつかうらしい。
船はゲームで見かけるような飛空挺みたいな船で、戦艦並みの超巨大な船にプロペラがついたものすごいやつだった。
さっき港まで行って見てきたけど、博物館に展示されている空母みたいなサイズはまさに圧巻だった。
あれに乗って大空を飛行するのか思うと、否が応にもテンションが上がってきちまうぜ。
空の世界っていいな。あちらにはないファンタジーなもので溢れているから、何を見ても新鮮だ。
しかし、俺も食料の買い出しやらその他もろもろの準備に追われて、出発日まで忙しかった。だから、気づいたときには当初の鬱々した気持ちなんてどこかに消えていた。
* * *
その他の雑多な準備を終えて、イザード渡航の前夜。
なんとなく寝つけないので、今は裏庭の池を眺めている。池と言ってもオリンピックで見るような、競泳用のプールみたいに大きな池だが。
寝れなかったり、気分が優れないときは、この池を眺めていつも気分を落ち着かせている。ゆるやかな水面を眺めていると、心がだんだんと落ち着いてくるのだ。
すぐそこの水中に亀みたいな生き物がのんびりと泳いでいる。暗くて色は判別できないけど、手のひらくらいの大きさしかない小亀だった。
亀は泳ぐというより、ぷかぷかと水面の流れにまかせて漂流しているような感じだった。まるでプールの中にいるみたいで気持ちよさそうだ。
亀のまわりには、熱帯魚みたいに色鮮やかな魚たちがたくさん泳いでいる。こちらは群れを形成して整然と遊泳している。水槽で眺めたらもっときれいに見えるかもしれない。
「何してるの?」
後ろから突然声をかけられたので、だれかと思ってふり返ると、そこにセラフィが立っていた。
セラフィはどこから仕入れてきたのか、法被みたいなまたわけわからない寝巻きを着ている。
「また変なもん着てるな。陛下が見たら悲しむぞ」
「えへへ。可愛いでしょ」
セラフィはとなりまで来て、くるりと一回転する。ミニスカートみたいな裾がふわりと浮き上がって、白い太ももが大胆不敵に姿をあらわす。
「これはねえ、グルバラ族っていう人たちの民族衣装なの。可愛いからいつもこれ着て寝てるんだよ」
それは大層寝にくいだろうな。
セラフィは俺のとなりに着て三角座りする。にこにこと笑顔をふりまいて、足をばたばたさせている。
「今宵は随分と上機嫌ですね。セラフィーナ王女殿下」
「なーにその呼び方? くすぐったいからやめてよ」
気障ったらしく言ってみたら、ウフフと笑われてしまった。
「明日から他国に行くから、呼び方の予行練習でもしておこうと思ってな」
「やっぱり、そういう呼び方じゃないとだめなのかな? あたしはこの前教えてもらった、オッス! マリオット! って言ってみたいんだけど」
「いや、さすがにそれはまずいんじゃないか?」
自分で教えておいて否定するのもなんだが。
「まあ、あれかな。マリオにあえて茸でもわたして、その急成長っぷりを拝むのもありだけどな」
なんて発言をしたものだから、セラフィがすかさず俺の腕をつかんで、
「なにそれなにそれ!? マリオット王子って茸をわたしたら身体が大きくなるの!?」
みごとなキラーパスをアシストしてしまった。
「マリオット王子って茸をわたすと大きくなるんだ。すごーいっ」
どうやらセラフィに妙な誤認識を植えつけてしまったみたいだ。それと、茸をわたすと大きくなるは、まったく別の何かを連想してしまうからやめてくれ。
セラフィを放っておくと、マリオに何かしらの粗相をはたらきそうで怖いな。
今回の渡航は命がけになるんだから、今のうちに口止めしておいた方がいいか。
俺はとなりではしゃぐセラフィを制して言った。
「いいか、セラフィ。今回の渡航では、マリオにくれぐれも粗相をはたらくなよ」
「ええー、いいじゃん。よっ、マリオって、開口一番に言ってみようよぅ」
セラフィが散々と駄々をこねてくるが、だめなものはだめだぞ。マジでイザードと戦争になっちまったらシャレにならないんだからな。
「こっちの方が絶対面白いのに……」
頭ごなしに否定すると、今度は金魚みたいな膨れっ面で拗ねやがった。人質にされるかもしれないっていうのに、呑気なやつだ。
シャロや官吏たちは、セラフィにすべてを伝えてないんだろうな。相手の国が自分の身柄を欲してるって知ったら、怖くて渡航どころじゃなくなっちまうからな。
セラフィはしばらくむすっとして、池の方を見ていたけど、
「でも、こういうの久しぶりだね」
機嫌をなおしてにこっと笑った。
「外で二人で会話するのがか?」
「うん! だって、アンドゥ最近アビーと遊んでばっかで、あたしに全然かまってくれないんだもん」
そんなことはないだろ。
「そうか? お前とも頻繁に遊んでると思うけどな」
「そうかなあ。でもあたし、まだアンドゥと大人のおままごと一回もやったことないし」
あれやりたいのかよ。あんなのただの変態プレイじゃないか。
「あれは準備が大変なだけで、やってみると大して面白くないぞ」
「ええー、あたしも大人のおままごとやってみたいー。アビーの味噌汁呑んでみたいー!」
……何かがずれている気がするが、突っ込まないぞ。疲れるからな。
セラフィとしゃべっていたら、池の前ですっかり長居してしまった。夜の見回りに気づかれると色々と面倒だ。
「じゃあ明日も早いことだし、そろそろ寝るか」
「はーい」
俺が面倒くさそうに立ち上がると、セラフィも後につづいてきた。
イザードへの渡航は、いよいよ明日だ。どうなることやら。