第3話
そのときの俺は、好きな女の子に「実はわたし男なの」と、宣告された痛い男と同じ顔をしていたんじゃないかと思う。
今いる部屋がどこぞの王室だというのはうすうす気づいていたから、セラフィが実は王女なんじゃないかという予想もしていなかったわけではないけど。
予想していた不意打ちを食らった気分だな。いや、この場合はバックアタックか。
セラフィの頭には、中世ファンタジー系のロールプレイングゲームの王女がつけているような、金の髪飾りが乗っかっている。着ているのは薄いピンク色のワンピースで、やはり中世ヨーロッパの貴族が身につけていそうな感じだ。
たしかに王女っぽい感じだなと思っていると、
「きみのお名前は?」
可愛い声で問いかけられた。
床にお尻をつけて、開いた膝をぴったりと閉じている姿は、まさにいいとこ育ちのお嬢様。
ああ、王女様かあ。
「俺の名は、えっと安藤悠真。おっと間違い。ユウマ・アンドウ」
「ユーマ・アンドゥ? 変わった名前だね」
「いやアンドゥじゃなくてアンドウだよ。ユウマ・アン――」
「アンドゥ、アンドゥ? あはは、変な名前!」
よくわからないが受けてるぞ、俺の名前。
セラフィは呆然とする俺を尻目に、げらげらと笑い転げている。淑やかさがなくなると途端に不細工になるな。
それはさておき、俺はふたつ目の重大なことに気づいた。
エレオノーラって、どの辺にある国だ?
イントネーション的にはヨーロッパのどこかにある国っぽいのだが、そんな名前の国が世界地図に載っていただろうか。いや、載っているわけがない。
「おい」
セラフィの首根っこをつかんで――いや、スカートの裾を軽く引っ張って、ヨーロッパの国なのか聞いてみた。
「ヨーロッパ?」
セラフィが「にほん?」のときみたいな顔をする。お前はヨーロッパも知らないのかよ。
「うーんと、ヨーロッパっていうのも新しい大陸なのかな? あたしは聞いたことないけど」
「だから、その新しい大陸っていうのはなんなんだよ。新大陸って十七世紀のアメリカか? それとも、紀元前にあったというアトランティスのことじゃないよな?」
「アメリカ? アトランティス? やだもうさっきから何言ってるの? そんな早口で捲し立てられても全然わかんないってー」
セラフィは井戸端会議中のおばちゃんのような仕草で俺の反論を否定する。
「俺はお前の言っていることがわからん」
「ええっ、どうして? この辺で有名な大陸って、エリノール大陸と、帝国のあるクラティア大陸しかないもん。東の方にいったら、知らない大陸があるかもしれないけど」
エリノール? クラティア大陸?
「えっ、アンドゥ知らないの? エリノールはエレオノーラがある大陸だよ。イリスで知らない人はいないと思うんだけど」
「いりす?」
「あの、アンドゥ?」
能天気でお気楽そうなセラフィが、あからさまに顔をしかめてしまった。どうやら相当ありえない発言をしているらしい。
けど、聞けば聞くほどわからなくなってくる。イリスってどこだ? 俺は今、地球上のどの辺にいるんだ?
沈黙して気まずい空気が流れる。部屋の外から、どたどたとだれかの駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「セラフィーナ様っ!」
金の麗しい装飾の施された扉が乱暴に押し開けられる。そこから謎の男たちがぞろぞろと入室してきた。
「な、なんだっ!?」
口からついありきたりな言葉が漏れる。変な格好をしたおっさんたちがいきなり乱入してきたのだから、仕方ないけれど。
おっさんたちはインナーシャツの上から、白いエプロンのような服を纏っている。服の表面にはセフィロトの樹のような模様が描かれていて、ロールプレイングゲームの神殿騎士みたいな格好だ。
けれど髪の色は、黒――じゃなくて、金や銀など実に様々だった。青や薄いピンク色の髪の人までいる。
おっさんたちは戸口の前にたむろして、「だれだ貴様は!」とか、「姫様のお命を狙う狼藉者か!?」と叫びながら、腰から伸びている柄に手をあてている。あれって剣じゃないのかっ。
密室殺人事件を起こした犯人(俺)と、それを追ってきた警察官みたいに対峙していると、おっさんたちの間から髪の長い女があらわれた。
「セラフィーナ様。今度は何をされたのですか」
きれいな女だった。可愛いけど少し子供っぽいセラフィとは対照的で、年上のきれいなお姉さんのような美人だ。
髪は腰まで届く長さで、色は橙色に近いブロンドだ。前髪も後ろ髪と同じくらいに長くて、胸にかかる長い髪を額の真ん中で分けている。
背はきっと百六十センチくらい。着ているのはセラフィと同じくパーティドレスのようなものだが、丈の長いスカートの両端に大胆なスリットが入っている。こういう衣装も、なかなか。
理系のきれいなお姉さんがコスプレしてますという感じだが、左手に剣持ってるよ。
今日のコスプレは戦士系がメインなのか。
でも剣はゲームでよく見かける、真っ直ぐで両刃の剣じゃない。鞘がゆるやかに曲がっている。日本刀みたいだ。
「あちゃあ、ばれちゃったか」
セラフィが悪びれた様子もなく舌を出している。一方のお姉さんは、甚だ迷惑そうな顔をしてるな。
「今しがた、雷鳴のような轟音がセラフィーナ様のお部屋から聞こえたので、何事かと思って馳せ参じたのですが。まさかと思いますが、幻妖の召喚を本当にお試しになられたのですか?」
「そうだよっ」
おいおい、そんな簡単に言い切っちゃって平気なのかよ。
それと、さっきから幻妖というキーワードが頻出しているような気がするけど、それはなんなんだ? しかも召喚って。
まさか、それで召喚されたのが俺だ、とは言わないよな。
ネガティブな予想をしている俺を、セラフィが空気を読まずに指して、
「シャロにも紹介するねっ。こちらがついに召喚された幻妖のアンドゥさん!」
待て待てえっ! だから俺は、幻妖とかいう化け物の類じゃねえっつうのっ。人間ですって最初に宣言しただろ!
ほれ言ろ。お前の語弊を招く言い方のせいで、お姉さんと後ろのおっさん方がものすごく怖い顔をしてるじゃないか。どうするんだよ。
汗ばむ手から、紙のざらざらとした感触が伝わってくる。そっと見下ろしてみると、床に風呂敷みたいな紙が敷いてあった。
紙面には二重の大きな正円が描かれていて、その中にはアルファベットのAやHを適当に曲げてくっつけたような、奇怪な模様がたくさん描かれている。
これは、魔法陣か何かなのかな。それにしてはえらく原始的で、あまりかっこよくない模様だが。
ものすごく嫌な予感がする。シナプスの少ない脳をフル回転させて、今まで見聞した情報を整理してみよう。
この似非魔法陣は、おそらくセラフィが描いたものだろう。その上に突如あらわれた、俺。
セラフィは開口一番で「幻妖なの?」としきりに聞いてきた。そしてさらに、シャロさんの「幻妖を召喚しましたか?」という質問。
ああ、なるほど。俺はあいつの魔法で召喚されたのか。ロールプレイングゲームの召喚獣みたいに。
いや待て。それ本当か? そんなことを鵜呑みにしたら、俺は日本から超常的瞬間移動をしてきたことになってしまうんだぞ。
最近はそういったライトノベルが人気だから、実際に体験してしまう可能性も完全には否定しきれないのかもしれないけど。
いやでも、まさか、そんな……。
俺も異世界に召喚されてしまったのか?




