第25話
黒いハンカチに包んだプレヴラを持って、俺は後宮に向かった。
王宮は大まかに外廷、内廷、後宮という三つのエリアに分かれている。
外廷というのは王宮の外側にあるエリアで、国王陛下と官吏たちが政務を執ったり朝議をする場だ。
内廷は生活エリアで、陛下と側近たちが寝泊まりする場となっている。
官吏たちは原則として内廷に入れないが、禁衛師団だけは例外で、シャロも内廷の一室を借りて住んでいたりする。
そして後宮は、王女のセラフィと女性の召し使い、すなわちメイドさんたちが住まう神聖なエリアである。
後宮というと、女のどろどろした戦いが繰り広げられがちだけど、跡取りがセラフィしかいないアリス宮殿の後宮は実に平和で、なんというか女だらけのうはうはハーレムエリアなのだ。
男の後宮への出入りは、原則として禁止されている――のだが! エレオノーラの法律にそのことが書かれていないから、俺が後宮に入っても法律的には問題ないのだっ。
そうしないと、後宮で事故が起きたときに柔軟な対処ができないのだと、シャロが前に偉そうに語っていた。
とはいえ、俺が気安く後宮に潜入したら、きっとメイドさんたちから嫌われてしまうっ。それは絶対に嫌だ!
そんなわけで、内廷と後宮の連絡口で神算鬼謀をめぐらせているのだが、さて。この難攻不落の堅城、いかなる策をもって攻めればよいか。孔明よ、其方によい策はないか。
玄徳様。正門を護る女官たちは屈強な兵をたくわえ、殿の進軍を今か今かと待ちかまえております。よって宮殿を迂回し、手薄な裏門を攻めるが上策かと存じます。
よろしい。では趙雲よ、汝に五百の兵を授ける。用兵をもちいて後宮の裏門を攻め、女官の下着を数枚せしめて参れ。
は。この趙子龍、身命を賭して後宮の女官どもを撃破してご覧に入れましょう。
「あ、あのっ」
俺の脳内で趙雲が単騎駆けを決行しているところで、後ろから不意に声をかけられた。
俺の後ろで不安そうな顔を向けているのは、メイドのアビーさんだった。アビーさんは今日も麗しのメイド服姿で、俺の乾いた心を癒してくれる。
「ア、アンドゥさま、どうかされたのですか。その、後宮に、何かご用なのでしょうか」
両手を合わせてもじもじしている仕草とか、マジでたまらないです。お願いだ、俺に毎朝味噌汁をつくってくれ。
なんて妄想してる場合ではない。俺はアビーさんに会いたかったんだ。
昨日のプレヴラの騒動の後、街で目撃したメイドさんは、間違いなくアビーさんだった。
プレヴラのせいで、王宮と街が騒ぎになっていたときに、この人は俺たちに隠れて何を見ていたのだろうか。
それと、あの路地裏からどうやって姿をくらましたのか。これは、アビーさんを押し倒してでも聞き出さなければならない。
「アビーさん」
「は、はい」
「その、きみにいくつか聞きたいことがあるから、仕事中で悪いんだけど――」
アビーさんが突然、「ひゃい!?」と妙な産声をあげて小さく飛びあがった。
アビーさんは明らかに動揺している体で、
「はっ、はい。あの、今からちょうど休憩時間になりますので、それで、よろしければ」
押し倒す必要性は、小さじ一杯ほどもなかったか。
後宮にはやはり入れないので、内廷の空き部屋を探してアビーさんを案内した。
カーテンで光を遮られている室内には、テーブルやベッドなどの家具が置かれている。
こんな暗い場所でアビーさんとテーブルをはさんでいると、主人に隠れて召し使いと浮気している使用人みたいだ。
こういうシーン、母さんが見ているお昼のドラマで見たことあるぞ。そして、浮気がいつかばれて、血みどろの嫌な展開に――。
「あのっ」
くだらないことを考えている場合じゃない。
「それで、あのっ、はは話と、いうのは」
アビーさんはものすごく赤面して、肩をびくびくふるえさせている。か細い声も切れ切れだ。
小犬みたいに愛らしい目も、すでに涙で潤んでいるし。いたいけな子を尋問しなくちゃいけないなんて、つらいなあ。
「正直に答えてほしいんだけど、昨日の騒動があったときに、アビーさんはどこにいたんだ?」
アビーさんは、肩をがっくりと落としてうつむいている。だけど、口は固く閉ざしたままで、両手を膝に乗せて押し黙っている。
「あの、アビーさん?」
下からのぞきこむようにして、アビーさんを見やる。
アビーさんはテーブルの一点を見つめている。俺と目を合わせてくれない。
顔は真っ赤で、うすい唇がひくひくとふるえてるし!
ま、まずい。こういうときは、どうすればいいんだっ。
相手が男だったら、「お前がやったんだろ!」とテーブルを激しく叩いて、警察の取調べみたいに尋問してやるんだけどな。
しかし俺は、昨日のあの騒動の前に、地下牢でアビーさんを目撃してしまった。
アビーさんは、きっと内通者ではない。でも、そいつに関わる情報をつかんでいるはずなんだ。
シャロも目撃していたから、早かれ遅かれシャロが気づくはずだ。そうなれば、もっとつらい尋問を受けるんじゃないか。
どうすれば、アビーさんを助けて、さらに内通者を無事に見つけることができる? 俺は、なんて聞き出せばいいんだ。
「あの、さ。プレヴラの脱獄騒動の前に、アビーさんは地下牢にいたよな。あのときは何をしてたのかな?」
アビーさんは答えない。
「俺もここの牢屋に入れられたことあるから、あのフロアには見覚えがあるんだけど、その、非常に言いにくいんだけど、あそこのフロアにはプレヴラがいたはずだよな」
アビーさんの肩がわずかに動いた。
「わかった。なら、質問を変えよう。あのときに怪しい動きをしているやつを見たりしなかった? プレヴラを出したやつも、時間的にちょうどあそこにいたはずなんだけ――」
がたっと音がして、アビーさんが急に立ち上がった。目にたくさんの涙をためて。
「わ、わたしは何も知りません! 怪しい人の顔なんて見ていませんっ!」
いや、ちょっと待ってくれ。そんなはずはないじゃないか。あのとき、内通者も地下牢にいたはずなんだから。
「いや、でもアビーさん」
「わたしは、わたしは犯人ではありません! すみません!」
「ちょ、ちょっと――」
俺が立ち上がるよりも早く、アビーさんは部屋を飛び出してしまった。きっと涙を流しながら。
やべえ。やっちまったよっ。俺、完全に嫌われちまったよぅ。
途方に暮れていると、廊下を歩いているセラフィと目が合った。チマチョゴリみたいな、今日もわけのわからない服を着て、
「アンドゥ何してるの?」
疑惑と怒りと軽蔑のすべてを含めた目を向けてくるが、ちょっと待てっ。
「さっき、アビーが泣きながら走っていったけど、こんな暗いところで何してたの? ねえ」
言い方が過去形に切り替わってるぞ。頼むから、三分間だけ言い訳させる時間をくれよ。