第23話
「ベネット殿、ベネット殿! 返事をしてください。べネット殿っ!」
フィオスの足もとで倒れ伏しているベネットさんの身体から、血がどくどくと流れ出ている。
シャロが何度もベネットさんの肩を揺するが、べネットさんはぴくりとも反応しない。
宮殿から衛士が駆けつけてきて、べネットさんに止血作業を施してから宮殿へと連れ帰っていった。
「いやあ、よかったですねえ。プレヴラを早期発見することができて。発見が遅れていたら、もっと深刻な事態になっていましたよ」
同僚を剣で刺したのに、フィオスは能天気なことを言っている。
むしろ、しんみりしている俺たちに首をかしげて、
「おや、どうしたのですか、皆様。急に静かになって。脱獄者を無事に捕まえることができたんですから、もっと喜びましょうよ」
何が、喜びましょうよ、だ。
「他に方法はなかったのかよ」
怒りを抑えて尋ねると、フィオスは「ふ」と、鼻で笑って、
「憑依したプレヴラを外へ出すには、憑依者を殺害するか、瀕死にするしか方法はありません。むしろ、殺さなかったことを褒めていただきたいくらいですがね」
なんで怒るんですかっていう顔をするな。
「フィオス殿の言うとおりだ」
後ろで押し黙っていたシャロが言った。普段の落ち着いた感じで。
「残念ながら、プレヴラの憑依を許してしまったのは、我々の落ち度だ。やつを止めてくれたフィオス殿に非はない」
「だ、だけどよ」
「わたしも、幻妖を倒してから少し油断していた。プレヴラの脱獄は予知できなかったが、幻妖があらわれたときに気づいていればよかった」
シャロの悔しそうな言葉が胸に突き刺さる。あいつに止めを刺せなかった俺にも非があるのだ。
それにしても、今ひとつ理解できないことがある。
「プレヴラは、なんで牢屋に入れられてたんだ? あいつは、アストラル体――いや、幽霊か。幽霊なのに、お前らは牢屋に入れてたのか?」
シャロが面倒くさそうにため息をつく。フィオスが左手の瓶を俺に向けて、
「プレヴラは、この状態で牢屋に入れられていたのです」
ガラスごしに瓶の中を見せてくれた。
胃薬の入ったガラス瓶みたいな容器の中に、スーパーボール大の黒くて汚いボールが入っている。
表面がつるつるしたボールのまん中に大きな目玉があって、気まずそうに目を逸らしている。
この意味不明な一つ目野郎は、プレヴラだ。
さっきは着ぐるみみたいに大きかったのに、今は踏み潰せるくらいに小さいぞ。どうなってるんだ、こいつの身体は。
「この容器は闇の封緘と言いまして、邪悪な精神体やアストラル体を、強力な印で封じ込める力をもっている術法器具なのです」
「術法器具?」
「術法器具というのは、刻印術で特殊な力を付加させた道具です。他にも種類がたくさんあるのですが、その説明は関係ないので省きましょう」
刻印術は、そんなものまでつくりだせるのか。
「この闇の封緘は、対象をその力ごと封じ込める力をもっていまして、この中に入れられてしまったものは力を根こそぎ奪われた挙句に、中へと閉じ込められてしまいます。アストラル系の幻妖にとって、天敵といえる代物なのです」
「つまり、プレヴラみたいな悪霊を捕まえる道具っていうことだよな?」
「はい。そんなところです」
フィオスは微笑しながら、瓶を袖口にしまった。
「プレヴラは何日か前に、王宮の近くに突然あらわれました。そして、あろうことか、国王陛下に襲いかかったのです。
そのときにシャーロット殿が宝物庫から闇の封緘を探し出して、プレヴラを中に閉じ込めたのです」
そんなことがあったのか。
「じゃあ、どうしてプレヴラを牢屋に入れておく必要があったんだ? その瓶に入れておけば、プレヴラは外に出られないんだろ」
「ええ。闇の封緘に強力な印がかけられていますから、内側からこじ開けるのは不可能です。しかし、外からだと簡単に開いてしまうんですよ」
どういうことだ? 意味がよくわからないぞ。
「だれかが蓋を軽くひねれば、封印が解けちまうのか?」
「そうです。ですので、何者かが誤って開けないように、闇の封緘ごとプレヴラを牢屋に入れておいたのです」
それで幽霊を牢屋に入れるという、わけのわからない状況になっていたのか。
でも、待てよ。やばい事実に気づいてしまったぞ。
「今までの話を総合すると、プレヴラは自力で脱獄できないことになるが、おかしくないか? なら、こいつはどうやって脱獄してきたんだ?」
「つまり、王宮の内外に、プレヴラの脱獄を幇助した人間がいるということだ」
シャロの冷たい宣告に、背筋にぞくりと鳥肌が立った。
「別の犯罪者が、どこかにいるっていうのかよ」
「残念ながら、そういうことだ。しかも、王宮に厳重な警備が敷かれていたことを考慮すると、内部の人間の犯行である可能性がきわめて高い」
王宮の中に凶悪犯が潜り込んでるっていうのか!?
「いや、外からだれかが侵入したっていう線も考えられるだろ。ほら、泥棒とか。こっちの世界にだって、泥棒や盗賊はいるんだろ」
「外部の人間の仕業というのも、現時点では否定できないがな。だが、王宮の厳重な警備をかいくぐって侵入するのは至難の業だ。
それにプレヴラを地下牢に閉じ込めておいたのは、何日か前のことだ。そのことは、当然ながら国民に告知していない」
「ということは――」
「牢を開けたのが、仮に外部の人間だったとしても、内部の人間が共謀しなければ、プレヴラの脱獄はあり得ないということだ。
王宮の中に逆臣がいるなんて、わたしも信じられんがな」
後ろで腕組みをしているシャロが、悔しそうにつぶやいた。
* * *
幻妖の襲来から内通者の可能性まで出てきてしまって、セラフィと呑気に遊んでいる場合ではなくなってしまった。
セラフィもシャロに説得されて、今日は外で遊ぶのを諦めたようだ。というか、ベネットさんのあの姿を見て、すっかり元気をなくしてしまったようだった。
俺も宮殿に戻るようにとシャロに口うるさく言われたが、すぐに戻る気分にはなれなかった。頭が混乱してどうにも落ち着かないのだ。
仕方ない、その辺を少しぶらぶらしてこよう。そう思って街をぼうっとながめていると、建物の間に人影らしきものを発見した。
最初は見間違えだと思った。頭がかなり混乱してぼけっとしてたから。だが気をとりなおしてよく目を凝らしてみると、やっぱりそこに人がいたのだ。
その人はメイドの格好をしていた。建物の間――正確にいうとパン屋と民家の間の、細い路地裏につづいていそうな場所に、普段は王宮の中にいるはずのメイドさんが顔だけを出して俺たちの方を見ていたのだ。
背はおそらくセラフィと同じくらいだ。髪は赤くてリボンで括っている。少し離れているからよく見えないが、顔は――。
「アンドゥ?」
気づいたら俺はセラフィを無視して走っていた。メイドさんはすぐに俺に気づいて建物の陰に隠れた。
「ちょっとアンドゥどこに行くの!?」
セラフィが声をあげて俺を追ってくるが、今は説明している場合じゃない。
メイドさんのいた場所に着いて、建物の間から裏道に目を向ける。メイドさんが穿いているヒールみたいな靴ではそんなに速く走れるはずはないから、すぐに追いつけるはずだ。
そう思っていたのだが。
「もうアンドゥってば、どうしたの? いきなり走って」
セラフィがすぐに追いついて俺の手首をつかむ。だが俺は無視して裏道に目を凝らしてみる。
脇道のない真っ直ぐな道の向こうにメイドの人の姿はない。
裏道に足を踏み入れて建物の隙間をのぞいてみるが、あるのは汚いゴミ箱とか粗大ゴミばかりで、メイドの人はおろか人っ子ひとりいない。
おかしい。さっきは目が合ったはずなのに、俺の見間違いだったのだろうか。
「アンドゥ、アンドゥってばっ」
そこでようやく後ろにセラフィがいることに気づいた。セラフィは眉根を寄せて、不審者を見るような目で俺を見ている。
「どうしたの? いきなりこんなところに来て。アンドゥ変だよ」
変人のお前には言われたくないけどな。でもまあ、さっきの行動は不審だったろうな。
不意にズボンの裾を引っ張られたので見下ろすと、ミニチュアダックスフンドみたいな小犬がズボンの裾を銜えていた。
なんだ、こいつは。どこから出て来たんだ?
小犬は耳が兎みたいに長くて、毛色は赤みのかかった茶色だった。日本やヨーロッパでは微妙に見かけない犬種だ。
そして何が珍しいのか、その小犬はズボンを銜えたまま俺の顔をずっと見上げている。
「なあに、この子」
セラフィも小犬に気づいてその場にしゃがみ込む。すると小犬はびくっと反応して俺からはなれた。そして逃げるように建物の陰に隠れてしまった。
「なんだったんだろ、あの子」
セラフィは首をかしげながら、小犬のいなくなった路地裏をじっとながめていた。




