第19話
蛇の幻妖たちが唸り声をあげて襲いかかってくる。
シャロは正面からの突撃を横に飛んでかわし、彼らと距離をとる。間合いを測っているのだろうか。
幻妖たちは数と体格の差にものを言わせて、しつこく突撃してくる。けどシャロはプロの闘牛士だったのかと錯覚させるほどの軽やかな動きで、やつらの攻撃を少ない動作ですべてかわしている。
すげえ。よくわからないけど、この時点でなんかすげえ。
シャロの動きは優雅だった。バレエの踊りみたいに軽やかなステップを踏んでいて、そしてとにかく無駄がないんだ。
幻妖たちの単調な突撃のルートを読んで、なおかつ次に向かってくるであろう幻妖の動きまで計算に入れて、移動する場所を選んでいるのだ。
すげえ。マジですげえよ。
「すごいでしょ、シャロ」
俺のとなりでセラフィがくすりと笑った。
「シャロはね、何百人っていう人たちが参加する国の武術大会で、何度も優勝してるんだよ。剣の腕だって、レベルの高い禁衛師団で一番なんだから」
朝もそんなことを言ってたな。あのときは悪い冗談くらいにしか思わなかったけど、マジだったのか。
「でも、これでシャロがすごいってわかったでしょ? あとは、シャロがアンドゥに心を開いてくれたらなあ。二人が仲良くなってくれたら、きっとすごいことが起きると思うんだけどな」
何を期待してるんだ、このゲテモノ好きの偏食家は。言っておくが、あいつと和解しても一円の儲けにもならないぞ。
なんて考えているうちに、幻妖の一匹がシャロの右斜め後ろを目がけて猛然と迫ってきた。
「ああっ、シャロ!」
思わず声をあげてしまった。けど、あの位置とあのスピードじゃあ、いくらシャロでも、よけられない!
シャロもかわすのをあきらめたのか、幻妖に身体を向けてわずかに腰を落とす。左の肩を後ろに引いて、右手で剣の柄を触っているぞ。
幻妖の巨体がシャロに激突するっ!
「は!」
かけ声とともにシャロが抜刀――瞬きをするくらいのわずかな間に、幾重もの剣閃が幻妖の身体を突き抜ける。
まさに一瞬の出来事だった。
マンガで動きが速すぎると、残像っぽく描写するのがあると思うけど、まさにあんな感じだった。あまりに速すぎて、シャロの腕と剣の動きが全く見えない。
斬撃を浴びた幻妖はぴたりと制止して、首をきょろきょろと動かしていた。
けれど、シャロが剣を鞘に収めるのと同時に、幻妖の身体に無数の斬り傷が浮かびあがって、全身から鮮血を噴き出して絶命した。
すげえ。ただただ絶句するばかりだ。
しかし、シャロは一匹の幻妖をたおしても表情ひとつ変えずに、剣を鞘ごと抜いて、
「まずは一匹」
ゴミを片づけるように吐き捨てた。
つづけて突進してくる二匹目の幻妖を目がけて、シャロも正面から突撃する。ぶつかる寸前に、シャロは右に避けるのと同時に抜刀し、幻妖の身体を容赦なく斬り刻む。
間髪入れずに、三体目の背後に回り込んで背中を滅多斬りにする。シャロが剣を鞘に収めると、二体の幻妖は「ぎゃっ!」と絶叫して、地面に倒れた。
目にも留まらぬ早業というのは、こういう技をさすのだろうか。あんな熊みたいな化け物どもが、こんな一瞬で倒されてしまうなんて。
これまでシャロには散々悪態をついてきたけど、極力逆らわない方がいいな。
けれどシャロのお陰で、街の被害を最小限に食い止められそうだ。
「残るは――」
シャロが鋭い目つきでにらむと、残る一体の幻妖は恐れをなしたのか、翼を広げて逃げてしまった。くっ、あいつで最後なのに、むざむざと逃がしてしまうのか。
シャロがいくら最強でも、剣で上空の敵を斬ることはできない。
ここであの蛇野郎を逃がしたら、別の日にまた仲間を呼んで帰ってくるんじゃないか?
「アンドゥこれ!」
セラフィが俺の背中を小突いて、何かを差し出してきた。何かと思って目を落とすと、一枚の紙切れだった。
紙面に描かれている原始的な魔法陣は、炎の刻印! セラフィ、お前はなんて気が利くやつなんだっ。
俺は紙をくしゃくしゃっと丸めて空へ放り投げる。来いよ、炎の神使。
何日か前にやったロールプレイングゲームの、二つの炎が敵を包んで爆発させるエクスプロージョンという魔法をイメージして、上空の紙に念を送る。
目を瞑り、手を胸の前に合わせて、身体から迸るエネルギーを刻印に込めるんだっ。
「なにっ!?」
横からシャロの声が聞こえる。術が成功したのか。
頭上の紙切れがふっと消滅。直後、蛇の幻妖のまわりに二つの巨大な炎が出現する。
幻妖の巨体を丸々と呑み込んでしまうほどの強大な業火だ。あいつが逃れることはできない。
炎は幻妖のまわりを旋回しながら、ゆっくりと融合するように接触する。対空ミサイルが爆発したような激しい音を発して、炎は幻妖を包んで爆発した。
この前もそうだったけど、すごい破壊力だ。あの巨体をたった一撃で粉々にしちまうんだから、刻印術の力は相当なものなんだろうな。
この力を軍事転用なんてされたら、イリスの世界はどうなってしまうのか。柄にもないことを考えてしまった。
「アンドゥやったあ!」
ひそかに危惧する俺の手をセラフィが無邪気にとった。
だけど、勝利の余韻に浸っているのも束の間だった。
「大変ですシャーロット殿!」
セフィロトエプロンを羽織った禁衛師士のおっさんが、大声で叫びながらやってきた。
「いかがなされましたか、ベネット殿」
シャロは服についた埃を手で払いながら、静かに聞き返す。
一方のおっさんは、全速力で走ってきたのか、シャロの前に着くと膝に手をついて、粗い呼吸を落ち着かせていた。
そして、必死そうな様子をうかがわせる赤い顔を上げた。
「プ、プレヴラが、脱獄しました!」
「なんだって!?」
あいつ、本当に脱獄したのか。
プレヴラって、あいつだろ? 王宮の地下牢で処刑だのなんだのと俺を散々と虚仮にしくさった、まだ記憶に新しい陰険、陰湿、陰鬱の三拍子を揃えた自称暗殺者だ。
暗殺稼業に身を置く人間が野放しにされるなんて、かなりやばいんじゃないか? 罪のない人たちに危害をくわえなければいいが。
シャロも事態の深刻さを即座に把握して、禁衛師士のベネットさんに向かって言った。
「プレヴラを早く捕まえないと大変なことになります。師団長にご連絡は?」
「報告済みです。王宮では、禁衛師団と衛士たちが総出でプレヴラの捜索にあたっております」
禁衛師団の間で素早い業務報告が行われているようだ。さすがは王宮のエリート集団だ。
「プレヴラは、シャーロット殿のお命を狙っております。ここは危険ですので、セラフィーナ様をお守りしつつ、王宮へ一刻も早くお戻りを、とのことです」
プレヴラの狙いはシャロだったのか。シャロって、特定のだれかに命を狙われるほどの有名人だったのか。
プレヴラが仮に名うての暗殺者だったとして、シャロはあいつに負けるのだろうか。
さっきのチート級の強さを見せられた後だと、シャロが負けるシーンはとても想像できない。
シャロがセラフィに状況を説明すると、セラフィはすぐに納得して、
「さっきの幻妖を呼んだのって、やっぱりプレヴラだったんだね」
「ええ、おそらくは」
俺のとなりでよくわからない会話をしているぞ。
プレヴラがなんで幻妖を呼んだことになるんだ? この世界では、暗殺者は幻妖を呼び出す力を持っているのか。
「なんで、さっきの幻妖を呼んだのがプレヴラだってわかるんだ?」
セラフィが間の抜けた顔で俺を見上げた。
「えっ、だってプレヴラは幻妖を呼ぶ力を持ってるんだもん。だからシャロが牢屋に閉じ込めて封印してたんだよ」
牢屋に閉じ込めて封印する?
「牢屋に閉じ込めるのはわかるけど、その後どうして封印する必要があるんだ? 暗殺者の場合は力を封印する必要があるのか?」
なんかもう疑問符だらけだ。俺の肩にシャロが手を置いて、
「プレヴラは暗殺者ではない」
ため息をついてから言った。
「暗殺者じゃない?」
「貴様がどこでその情報を仕入れたのかは知らんが、プレヴラは、あやつはそもそも人間ではない」
「人間ではない?」
「そうだ、あやつは――」
そう言いかけて、シャロがはっと後ろをふり返る。俺も並々ならぬ殺気を感じて、屋根の上の空を見上げた。