第16話
「セラフィーナ様あっ!」
天穹印の間から戻ると、王宮の通路の向こうからシャーロットの声が聞こえてきた。
「シャロの声だ。どうしたんだろ」
セラフィは俺の顔を見て首をかしげる。俺に意見を求められても、あいつの考えなんてわからないぞ。
通路を抜けて、宮殿の地下何階なのかはわからないが、地下牢のあった階層のさらに下のフロアだろうと思われる場所でシャーロットの姿が見えた。
やつの右手に書物はなく、替わりにスパダという刀を腰に差している。鞘は薄い青紫色だ。
「シャロぉ」
セラフィが手をふると、シャーロットは踵を返してすっ飛んできた。
「やはり天穹印の間にいらしたのですか。お姿が見えないので心配しました」
「ごめんね。それで、どうしたの? あたしのことを探してたみたいだけど」
セラフィが問うと、シャーロットは伏し目がちに一瞬だけ俺の方を見た。
「いえ、特に何もないのですが、その、妙なことをされておられないかと、気が気でなかったので」
それはどういう意味だ。その岩石みたいな頭、俺の剣でかち割ってやろうか。
しかしセラフィは、シャーロットの意図に気づかずに能天気な顔で、
「やだもう、シャロってば心配しすぎだよ。あたしにはアンドゥがついてるんだから、全然心配ないってー」
頬に手をあてて、井戸端会議中のおばちゃんみたいな仕草をしている。シャロは「そうですか」と煮え湯を呑まされたような顔をしてるな。
シャロは俺のしてやったりな視線をあからさまにスルーしてセラフィに言った。
「これからどちらにお出でになられるのですか?」
「うーんと、どうしようかな。お腹が空いてきたから、街に降りてご飯でも食べようかな」
姫なのに街で飯を食べるのか? 宮廷の料理人がつくっている豪華なエレオノーラ料理を食うんじゃないのか。
しかしシャロは意に介さず、
「そうですか。街でもそろそろお昼をとる時間になりますので、おいしい料理を出す店があるかもしれませんね」
まるで世間話をしているときみたいに相槌を打ってるし。
セラフィが外で飯を食うのは、もう日常の一部と化してるんだな。王女なのに変わってるよな。
それにしても、もう十二時になっていたのか。天穹印の間でずいぶん長い間のんびりしてたんだなあ。
シャロは胸に手をあてて、
「街に降りられるのならば、わたしもお供いたします」
お前もついてくんのかよ。
セラフィも「ええっ!?」と驚いて、遠慮するように手を向けた。
「シャロはついてこなくていいよ。お仕事忙しいんでしょ? それなのに邪魔したら悪いもん」
「仕事の方ならば問題ありません。今日の分は既に片づけてありますので」
シャロは凛とした表情で言い放つ。よく見ると男装の麗人みたいな顔をしているな。
シャロは俺の間抜けな顔を見やって、「それに」と言い及ぶ。
「エレオノーラの治安がいくら行き届いているとはいえ、街の裏には無頼の輩が身を潜め、また外からは幻妖が忽然と姿を現すやもしれません。故に有事に備え、腕の立つ者をセラフィーナ様のお側につけておかなければ危険かと存じます」
有事に備えて腕の立つ者をねえ。ずいぶんと真面目でご立派な考えで――。
「ちょっと待て。俺じゃあ力不足だって言いたいのか」
「そうだ」
この女あ。言わせておけば調子に乗りやがって。
しかしシャロは思いの他真剣だった。
「貴様は昨日来たばかりだから、事の重大さを理解できないのかもしれんが、セラフィーナ様はわが国にとって大変貴重なお方なのだ。護衛だって、わたしと貴様だけでは全然足りない。本来ならば、禁衛師団が総出でセラフィーナ様をお守りせねばならんのだ」
総出でというのは言い過ぎだと思うが。
「セラフィは王女だから、この国にとって大事な存在なのはわかるけど」
「いいや、貴様はわかっていない。なら聞くが、貴様の不注意でセラフィーナ様の御身に万一のことが起きてしまったら、貴様はどうなるか、わかるか?」
なにっ?
「セラフィーナ様は、今は亡きアンジェリーナ様が残された、わが国でただおひとりの正統な王位継承者であらせられるのだ。そのような大変高貴なお方に、仮にも万一のことが起きてしまった場合、貴様は責任をとることができるのかと聞いているのだ」
ものすごく重たい話題をふられているが、シャロの言い分はおそらく間違っていない。
国王陛下には養子がおらず、実子もセラフィしかいない。よって王位を継承できる人間は、当然ながらセラフィしかいない。
そしてこれは未確認だが、陛下には正妃がいない。前にアンジェリーナ様という正妃がいて、その人がきっとセラフィの母さんだったのだろうが、その人はセラフィが小さいときに病気で亡くなってしまった。
陛下はアンジェリーナ様への純愛を貫いているのか、それともまったく別の理由からなのか、新しい妃を娶っていない。側室がいるのかどうかはわからないけど、シャロの口ぶりだとセラフィ以外に子どもはいないのだろう。
よってセラフィ以外の嫡子ができることは、現状ではまずありえない。
そんな薄皮一枚の状況下でセラフィにもしものことがあったら、この国の未来はどうなってしまうのか。
シャロの言うとおり、俺はものすごく重大かつ危険なポジションを呑気に拝領してしまったのかもしれない。
うわっ、やべえ。額からまた変な汗が出てきた。セラフィに粗相をはたらいたら、マジで俺の首が飛ぶぞ。
死刑とか命に関わる問題は、もう勘弁してくれ。
「やっと理解できたようだな」
シャロがわざとらしく肩をすくめる。
あっさりと言いくるめられてしまったのは癪に障るが、もしものことが起きて首が飛ぶのはこの俺だ。ならばつまらない意地は捨てて、責任を共有できるやつをひとりでも多くつくっておいた方がいい。
階段の上り口の前で、眉尻を上げてにらみ合う俺とシャロの間で、セラフィがひとり困り果てていた。
「もう、ふたりとも仲良くしてよぅ」
セラフィとシャロを連れて階段を上がっていると、地下三階の地下牢に差しかかった。
地下のフロアは、地上のフロアに比べて明かりが少なくて暗いが、地下三階のこのフロアは特に暗い気がする。昨日牢屋に入れられたから、余計にそう思うのかもしれないけど。
階段の上り口からフロアをそっとのぞきこんでみると、湿気のある生ぬるい風がフロアの中を滞留している。どんよりと黒い負のオーラが支配していて、ここにいるだけで内臓の上のあたりが気持ち悪くなってくる。
自称暗殺者のプレヴラは、まだ牢屋の中に入ってるんだろうな、ということを他人ごとのように考えていると、フロアの奥に看守らしからぬ人影を見つけた。
黒のドレスに純白のエプロンをつけているあのメイドさんは、王宮の召し使いの女だ。髪は赤茶色で、中途半端な長さの髪を左右の耳の上で括っている。
髪をツインテールにしている人ってアビーさん以外にもいるんだな。
いや、あれってもしかしてアビーさんじゃないのか?
こんなところで何してるんだ。
「おーい、アビーさん」
思い切って声をかけると、アビーさんはマンガのキャラクターみたいに飛び上がった。
「ア、アンドゥさま」
うん、びくびくしている姿も、なかなか。
「貴様、こんなところで何をしている」
シャロが般若のお面ような顔(言いすぎた)で詰問すると、アビーさんは「ひゃっ!」と可愛い悲鳴をあげた。
「な、なんでもありません。申しわけありません!」
いや、いくらなんでも驚きすぎだろ。
シャロは年ごろの女子とは思えない、悪魔すら目で射殺せるほどの逸材だからな。そんなやつににらまれたら、だれだって縮こまっちまうよな。
「むっ。貴様、何か文句でもあるのか?」
「別に」
こいつはどうやら読心術まで心得ているらしい。
シャロがアビーさんに向き直って言った。
「召し使いが、なぜ看守の許可もなく地下牢をうろついている。理由が話せぬと申すなら、その旨を官吏に申し立てるが、よいか?」
まるで時代劇の台本みたいな台詞だ。こういう台詞を噛まずにさらりと言えてしまうのだから、シャロには女優の才能があるのかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えている場合ではない。放っておいたら、今度はアビーさんが牢屋に入れられてしまう。
セラフィも俺と同じことを考えているのか、「まあまあ」とシャロをなだめた。
「アビーはきっとだれかに頼まれただけだから、そんな怒らないで」
「は。セラフィーナ様がそうおっしゃるのならば」
セラフィって、意外と空気を読めるんだな。官吏や他の召し使いにも欠かさずに挨拶してたし。
まわりの迷惑なんておかまいなしに、自分のやりたいことだけをやっているのかと思っていたけど、意外とそうでもないのがなんだか不思議だ。
セラフィがアビーさんに笑顔を向けて、
「だれに頼まれたの?」
「は、はい。あの、法吏のレックスさまから、その、命を受けまして」
それでもアビーさんはびくびくしながらこたえた。
アビーさんのことは少し気になるけど、いつまでも地下牢でたむろしているのも微妙だったので、ほどなくして俺たちは地下牢を後にした。