第111話
ロギスさんは俺たちを警戒することなく、悠然と牢獄を後にする。
ぐるぐる巻きにされたロープのようなものが、腰に取り付けられている。あれは、鞭かな。SMプレイで使うそれに似ているが。
ロギスさんの後を俺とセラフィがついていく。
俺たちのまわりには見張りのおっさんたちがいて、物々しい顔つきで街中を闊歩している。
俺たちはまだスパイの容疑者だから、見張りのおっさんたちに警戒されているわけだけど、こんな軍の一小隊みたいな感じで街のど真ん中を歩いていたら注目されまくるじゃないか。
商店街を行き交う人たちは、物々しい軍隊じみた一団の出現に目を剥いている。
ふらりと食材を買いに来たおばちゃん。昼間からほろ酔い気味のおっさんも、きれいに着飾っているお姉さんも俺たちを見て、「なんだ、あいつら」という顔をしている。注がれる視線がとにかく痛い。
牢屋から出られたのは嬉しいけど、これは公開処刑みたいで居心地悪いぞ。
エレオノーラから人目を忍んでやってきたのに、これまでの苦労が台無しだ。
「ねえねえ、アンドゥ」
セラフィが俺のシャツの裾を何度か引っ張る。
「なんだよ」
「あたしたち、どこに向かってるの?」
「さあな。ロギスさんの主っていう人のところじゃないのか?」
行き先は俺が聞きたいくらいだ。
ロギスさんが歩きながら振り返って、
「街の役所へはすぐに着きますから、ご安心ください」
男子中学生のような笑顔で言う。この人、よく見るとけっこう童顔だ。
並んで初めて気づいたけど、背は俺より低い。百六十センチもなさそうだから、シャロなんかよりも背は低いのかもしれない。
「あの、ロギスさん」
「はい。なんでございましょう」
雰囲気は将校っぽいから近づきがたいけど、この人はわりと気さくだ。
「ロギスさんは、帝国の情報機関というところではたらいているんですよね」
「はい。先ほど、そう名乗りました」
「あの、正直に聞いてしまうんですが、帝国の情報機関ってなんですか?」
「まことに申し訳ございませんが――」
言いながらロギスさんが目を細める。そっと目くばせして、
「ここは人目がありますゆえ、お答えできません」
さっきの気さくな雰囲気を一変させて言った。この人プロだ。
情報機関なんていう名前なんだから、きっとあちらの諜報機関的な組織と同じ感じなんだろうな。ロギスさんのダーク系の服装もなんだか隠密っぽいし。
諜報ということは、この人こそが正真正銘のスパイだということか。
スパイ容疑のかかった俺たちを、正真正銘のスパイが護送する。この状況はものすごい違和感があるぞ。
「じゃあ、あなたの主人に会ったら話してくれるの?」
セラフィの物怖じしない問いに、ロギスさんが「え、ええ」と少し怯んだ様子で、
「もちろんでございます。セラフィーナ王女殿下」
そう言葉をつなげる。
「私の主は、この絶好な機会をぜひエレオノーラとの国交へ役立てたいと考えております。ですので、セラフィーナ様もどうか、我が国へいらした真意を包み隠さずにお教えください」
「ふーん」
エレオノーラとの国交へ役立てる、ねえ。
うまい言い方だけど、要は王女のこいつを利用したいだけなんだろ。人質みたいな感じにして、エレオノーラとの外交で使うとか、そんな思惑なんだろうな。
そうでなければ、スパイ容疑のかかっている俺たちをこんなにあっさり解放しないもんな。
車が三台くらい並走できそうな石畳の街道を歩いて、ヨーロッパの庭園みたいな場所に到着した。
道の終点にたたずむのは、噴水のある大きな泉。まわりは色とりどりの花の咲く野原が広がっている。
噴水の向こうに白亜の宮殿が聳えている。雲のような色が泉の水面に映し出されていて、とてもきれいだ。いや芸術的だ。
敵地の施設を褒めてどうする。あんな宮殿、アリス宮殿のそれとは比較にならないじゃないか。アリス宮殿の方が五十倍は偉大で荘厳だぜ。
「あちらがこの街の官府でございます」
ロギスさんが穏やかに紹介する。
「あなた方はこの街の役人だったんですか?」
「いいえ。私は帝国情報機関に勤める者ですから、定まった職場はございません。今日はあなた方の迎えに上がるという任務を仰せつかったので、あちらの官府を利用しているにすぎません」
帝国のスパイだから常にいろんな場所へ移動してるんだな。
「それは大変ですね」
「あなた様は我々のような仕事がお嫌いですか?」
「ええ。どちらかと言えば好きではないですね」
この人の営業スマイルに遠慮する必要はないな。割とはっきり言ってもロギスさんは眉尻ひとつ動かさなかった。
「私は、国内のあらゆる地域に行けるこの仕事がとても好きなんですがね」
「そうですか」
「そういえば、あなた様のお名前をまだ伺っていませんでした。お名前をお聞かせ願えますか?」
ロギスさんの口調は丁寧だが、どうも業務的で引っかかるんだよな。悪い人ではないのかもしれないけど、つい警戒してしまう。
「アン――ユウマです」
「ユウマ殿ですか。よいお名前ですね」
「はあ」
この人の言葉をいちいち気にする俺は病んでいるのだろうか。
泉を左に迂回してビルゴスの街の官府へ向かう。官府は間近で見るとかなり大きい。あちらの体育館より大きいかもしれない。
見張りのおっさんたちに別れを告げて、白亜の建築物に足を踏み入れる。ロビーはどこぞの高級ホテルのように広い。
高い天井に煌めくシャンデリア。高級感あふれる絨毯やインテリア。名前の知らない偉人をかたどった石像。
壁や柱にも天使――いや、こちらの世界だから天空の神や神使の彫刻なんだろうな。凄腕の彫刻師がつくったと思われる細かい装飾が施されている。
帝国の官府、恐るべし。
「すごーい」
セラフィもロビーの荘厳さに圧倒されている。宮殿暮らしのこいつを圧倒させるのだから、このロビーのセンスは相当なものなんだろうな。
「この官府は十年の歳月を経て完成されました。ですので、壁の装飾やインテリアはかなりこだわったものになっております」
「そうみたいですね」
「間諜の私からすれば、たかが役所に贅を凝らす理由や合理性が導き出せませんがね」
冷たく言い放つロギスさんにセラフィが首をかしげる。
「ここ、嫌いなの?」
「いえ。そんなことはございません。帝国の人間として誇りに思いますよ」
そう思ってる感じには見えないけどな。
官府の無駄に豪勢なロビーの階段から二階へ上がる。廊下の階段をさらに上がって五階へ移動する。
廊下や階段にも絨毯が敷かれていて、なるほど。ロギスさんの気持ちがわかる気がする。
この官府は役所というよりホテルだ。住民の政務を司る場所ではなくて、官吏が快適に過ごせることにばかり重点が置かれているんだろうな。
廊下や階段の踊り場には、そこかしこに壺や何かの像が置かれているし。こんなもの、役所には必要ないだろう。
五階のホテルのフロアみたいな廊下を歩く。その一室の扉をロギスさんがノックする。
「だれ?」
「オズワルド様。ロギスです。セラフィーナ王女殿下をお連れしました」
「そう。お入りなさい」
むむ。扉の向こうから、オカマっぽい声が聞こえてきたぞ。しゃがれた声を無駄に艶やかにしているような、特徴的でおぞましい声だ。
ロギスさんが「失礼します」と断って扉を開ける。部屋は豪華なホテルみたいな、これもかなり無駄に煌めいている場所だった。
シルクの布に金粉をまぶしたような壁紙。部屋の至る場所へ置かれているアンティークな品々。そして絨毯を装飾する金糸の具合といい、役所の一室をここまで豪勢にする必要があるのかよ!?
いや、部屋の内装などにいちいち突っ込みを入れいてる場合じゃない。部屋の奥の椅子に腰かけている、ものすごい変人に俺は完全に虚を突かれてしまった。
ぱっと見の印象は、ピエロ。鮮やかな紅い髪に、白粉を塗りたくった、気持ち悪い顔。眉や目元にはペンキで塗ったようなメイクがしてある。
ばっちりメイクしてるけど、歳は完全におっさんだ。アラフォー、いやアラフィフか?
顔だけでも気持ち悪いのに、男性用のネグリジェみたいなものを着てるし。しかも、色が、めっちゃ金色だよ。
すげえ。よくわかんねえけど、ものすげえインパクトだ。
「ロギス、ご苦労だったわね」
どこぞの劇場かサーカス団にいるような人が、すっくと立ちあがる。若干割れている白い顎を上げて、俺たちを舐めまわすように見出した。