第107話
セラフィに言われた通りに早朝から宿を後にした。
セラフィは昼まで街を散策しようと言ったが、それには賛同できなかった。
クリスタロスまで十日もかかるということがわかっちまったのだから、俺たちにのんびりしている時間はない。
「あーあ。おいしいごはんを食べたかったのにい」
朝から続く曇り空の下。セラフィが俺の背中にしがみつきながらごちる。
「しょうがないだろ。今は急がないといけないんだから」
「そうだけどさあ」
「クリスタロスに行けば、うまいもんなんてたくさんあるだろ。それまで我慢しろよ」
「ふーんだ。アンドゥのけちっ!」
なんとでも言え。お前に文句を言われても痛くもかゆくもない。
それに、ストイックな俺って、ちょっとかっこいいかも。いや、だいぶかっこいいんじゃないか。
最近の俺はストイックで、言動もなんかシリアスなライトノベルの主人公みたいだ。俺もやれば意外とできる子なのかもしれないな。
「ふ、ふふ。ふふふ」
「アンドゥ、なんで笑ってるの?」
クリスタロスへ行くためには、いくつもの街を経由しなければならない。
帝国の街の規模や特色なんて知らないから、地図で見た有名そうな街で適当に宿をとるだけだ。それ以外の方法は思いつかない。
セラフィはあんなやつだから、俺の無計画な旅に大した文句も言わずについてきてくれる。自分では旅の計画が立てられないだけなんだろうが。
アゴラを出発して六日ほどが経った。時間がかかっていることを除けば、空の旅は順調そのものだった。
「今日の目標は、ここだな」
七日目の朝。俺は飛び立つ前に地図を広げて、今日の目標の街を指した。ビルゴスという名前の街だ。
「ふーん。今日はここに行くんだあ」
セラフィがとなりから地図を覗き込んでくる。
「この街まで行ければ、帝国の首都はかなり近くなるぜ」
「そうなの?」
「よく見てみろよ。帝国の首都はここなんだぜ」
言いながら人差し指を右へ少しずらす。セラフィが「ああっ!」と声を上げた。
「ほんとだ。こんなに近いんだっ」
「この距離だったら、昼夜を徹して飛べば二日もかからないだろう。帝国の首都が見えてきたんだぜっ」
「そうだよねっ。アンドゥすごい!」
セラフィが小学生みたいな顔でその場を跳ねる。ふふっ、もっと褒めるがいいっ。
「時間はけっこうかかったけど、帝国の首都にもうじき着くんだね」
「ああ。シャロとか大人の力を借りずにな」
「そうだよね。なんか、嬉しいかもっ」
セラフィが両手を抱きしめるように言った。
「首都に着いたら何をするのか、そろそろ考えないとな」
「そうだね」
シトリを飛ばして街を後にする。天候もおおむね良好だ。
帝国の首都が近づくにつれて、セイリオスとは異なる疑問が心の底から沸き起こってくる。
皇帝ってどんなやつだ?
皇帝というと、なんだか偉そうで、民に重税を課して、世界征服を企みながら裏で悪魔と取引をしていそうな、悪の首魁っぽいイメージしか沸いてこないのだが。
あちらの世界に皇帝なんていないし、生の皇帝なんかも見たことがないから、俺の安っぽいイメージの原型なんてゲームのリソースでしかないけども。
後ろで呑気に果物をかじっているやつだったら、皇帝のことを知っているのだろうか。
「なあセラフィ。皇帝ってどんなやつか知ってるか?」
「こうてい?」
後ろから聞こえてくる棒読みな返答から察するに、こいつは何も知らないんだな。
「こうていってなに?」
「皇帝は帝国の一番偉いやつだよ。お前の国で言うお父様と同じ立場の人」
「ああっ、王様のことなんだ。帝国にも王様っているんだね」
王様ではなくて皇帝なんだが。指摘したらいろいろと聞き返されて面倒になりそうだから、黙っておこう。
「帝国の王様がどうかしたの?」
「いや、どんなやつなのかなって、思って」
「うーん。どうなんだろうね。お父様とか、イザードの王様とかと、おんなじ感じ?」
そういえばイザード王なんていう痛いやつもいたな。テレンサとかいうどこぞの軍事評論家みたいな名前だったのと、おっさんなのに超使えない印象しかないが。
帝国は小国のイザードよりもはるかに大きい国だ。そんな国の王様、じゃなくて皇帝となると、テレンサの五百倍くらいうざいやつになるのか?
――朕がイザード国王のテレンサじゃ。
テレンサの傲岸な国王然とした白髪頭が脳裏に浮かぶ。あんな疲れるやつの相手をするのは、もう嫌だ。
無人島でシトリの翼を休めつつ先を急ぐ。昼を過ぎて陽が落ちはじめた頃に、アゴラの街のように巨大な島が見えてきた。
あれがビルゴスの街だな。
島の両端から長い壁のようなものが一直線に伸びている。ヨーロッパの城を囲んでいそうな城壁に見えるが。
街へ近づくにつれてその正体が明らかになる。城壁は古めかしい煉瓦でつくられた由緒正しい感じで、あちらの世界の万里の長城に似ている。
長い年月を感じさせる壁の表面は砂埃で汚れている。至るところが崩れていて、巨大なハンマーで打ち続けたら壊せそうな気がする。
弓矢を放つための窓や左右の大きく張り出した塔が、いい感じの雰囲気を出している。ヨーロッパ風の城って、かっこよくて憧れるなあ。
「ビルゴスの街は城塞都市なんだな」
「じょうさいとし?」
セラフィの首をかしげる姿が目に浮かぶ。
「城壁に囲まれた都市ってこと。ほら、あそこ。煉瓦の壁で街の中が見えないだろ」
俺が向こうの城壁を指してやると、セラフィが俺の肩に手をついて身を乗り出した。
胸が、背中にめっちゃ当たってるぞ。大して育ってはいないから、当てられてもあんまり興奮しないが。
「あっ、ほんとだ。なにあれ!?」
「だから城壁だよ。外敵の侵入を阻止するための防壁なんだよ」
「そうなんだ。すごーい」
「イザードの城も城壁で囲まれてたんだけどな。あんな感じで」
「そうだっけ?」
あのときは城壁をのんびり眺めている暇なんてなかったから、覚えていないのは無理もない。
ずんずんと近づいてくる城壁を眺めながら、ふと思う。空を飛ぶのが一般的であるこの世界で、城塞を築く意味ってあるのだろうか。
城壁の真ん中には凱旋門みたいな扉がぽっかりと口を開いているけど、あんな扉をわざわざくぐらなくても師獣で飛び越えられるよな。
だけど、俺みたいな不法侵入者から守るために、櫓に見張りのおっさんたちがいるな。素直に門から入った方がよさそうだ。
門から数メートルはなれた場所でシトリを降ろす。門の前はがらんとしている。通行人の姿はない。
門の左右にロングスピアっぽい武器を持つおっさんたちがいる。木の長い柄の先端が夕陽を反射させている。
「それじゃあ、当初の目的の通りに今日はこの街で宿をとるぞ」
「うんっ」
シトリの手綱をとって門へと近づく。門番のおっさんたちに会釈をしつつ、今晩の夕飯について思いをめぐらす――。
「待て!」
じゃきん! と擬音が発せられそうな感じで、左右のおっさんたちに槍を交差させられてしまった。
「えっ。なんですか」
「お前たち、街の人間じゃないな。旅券を検めさせていただこう」
旅券? なんだそれ。
この街は無償で入れないのか?
となりのセラフィもきょとんと首をかしげている。
「旅券ってなんですか?」
聞き返してみると、門番のおっさんたちは顔面蒼白になって、互いの顔を見比べ出した。
やばい。この世界の常識にそぐわないことを口走ってしまったのか?
左のおっさんがこくりとうなずく。右のおっさんが槍を引いて俺の手をつかんだ。
「な、なんですかっ」
「お前たちだな。最近になって我が国を嗅ぎまわっているというエレオノーラの者たちは」
帝国を嗅ぎまわっている!? なんだ、その情報は。そんなの初めて聞いたぞっ。
「旅券を持っていないのが怪しい。詰所で詳しい話を聞かせてもらうぞっ」
旅券というのは、きっとパスポートのことだな。他国へ入るためには身元を証明しなければいけないのか。
旅券を持っていないのは事実だけど、それだけでスパイの容疑をかけるなんてあんまりだ。俺たちは断じてスパイなんかじゃないっ!
「ま、待てよっ」
「だめだっ。いいから来い!」
おっさんがにぎる力を強める。手首がものすごい力で圧迫されるっ。
「痛え!」
「アンドゥ!」
抵抗しようと思ったが、暴れたらスパイの容疑を認めたことになってしまうっ。
帝国の首都へ着くまで騒ぎを起こしてはいけない。仕方なく抵抗を諦めることにした。