第101話
犀の幻妖が一心不乱に突進してくるっ! ラグビーの選手のように身体を大きく下げて。
「アンドゥ!」
トラックの突進にも匹敵するあいつの体当たりの迫力は、言語に絶する。全身の神経を張り巡らしていないと避けられないっ。
突進する度にあいつは木を薙ぎ倒していく。巨体と力にまかせて、無計画に。
手つかずの自然があいつに壊されちまうっ。そんなことを考えている間にあいつがまた突進――くっ、怖すぎるぜっ、こんなの!
しっかりしろっ。こっちの世界に来て、名だたる強敵と対峙してきたんじゃないか。こんなところで弱腰になってどうする!?
帝国へ行けばセイリオスの強敵どもと戦わなくちゃいけないんだ。だから、こんなところでつまずいているわけにはいかない。
腰を落として剣をにぎりなおす。恐れずに正面から敵を見据える。
シャロから教えてもらった剣術の基礎を思い出せ。
「きゃっ!」
となりからセラフィの悲鳴が聞こえる。犀の幻妖がまっすぐに突進してきた。
――落ち着いて相手の挙動を見定めろ。さすれば反撃の糸口をつかむことができる。
あいつの攻撃は突進だけだ。その他の攻撃パターンは存在しない。
突進をかわすのは簡単だ。正面から向かってくるのを横へ跳べばいいだけだから。タイミングと移動する場所さえ間違えなければダメージを受けることはない。
紙一重の距離でかわすのは危険だ。あいつが突進の最中に急旋回してくるかもしれないから。
よし、これなら反撃できる。反撃のタイミングは、突進をかわしてあいつが木に激突した直後!
「やあっ!」
剣を逆手に持ち替える。柄の頭を左手で支えて、剣先をあいつの尻へ突き刺すっ!
あいつが天を仰いでものすごい雄たけびを発する。いや、これは雄たけびじゃない。痛みで絶叫しているんだ。
剣を引き抜いて飛び蹴りを食わらせた。あいつがさらに驚いて後退する。紅玉のような瞳の色が弱くなっていた。
「アンドゥ、待って!」
剣をかまえる俺の手をセラフィがつかむ。こんな怖いやつと対峙してる最中なのに、勇敢な女だよ。
犀の幻妖とまた正面から対峙する。だけど今のあいつから戦意は感じられない。
俺たちには勝てないと判断したのか?
あいつがその巨体をゆっくりと翻す。おやつを諦めた子どものようにとぼとぼと去っていった。
「アンドゥすごい! あの子を倒しちゃった!」
セラフィがきゃんきゃんと飛び跳ねる。途端に緊張から解放されて、足の力が急になくなった。
「倒してなんかいないだろ。あいつを撃退させただけだ」
「それでもすごいよ! だってあの子、こーんなに、大きかったんだよ!」
セラフィがつま先立ちになって両手を目いっぱいに広げる。だから近所のがきみたいな仕草はやめろって。
「あいつの攻撃は単調だったからな。シャロの稽古のお陰だ」
あいつと稽古していたときは、ありがたみなんてこれっぽっちも感じなかったけどな。あいつに好き勝手に叩かれて、さらに怒られてばっかりだったから。
だけど、実戦で稽古の成果がこんなに感じられるなんて、思いもしなかった。認めたくないが、あいつはやっぱり超優秀な女なんだ。
「アビーから聞いたよ。シャロと毎日、剣の稽古をしてたんでしょ」
セラフィがとなりに座り込む。
「シャロのこと、あんなに嫌いだったのに、アンドゥは風邪でも引いちゃったのかなって、アビーが言ってた。でも、そうじゃないんだよね」
「ああ」
お前が単身で帝国へ行くことを決意したのと同じだ。俺だって何かがしたいんだ。
「俺だって、あんな悲劇はもうごめんだ。あれを止めるだめだったら、シャロにだって頭を下げてやるさ」
あいつとは気が合わない、とか、そんなレベルの低い事柄に執着している場合ではない。俺は強くならなければいけないんだ。
「アンドゥは、強いんだね」
セラフィが俺に寄り添う。その感触に胸がどきっと跳ね上がったとき、
「なんだ!?」
猛獣の雄たけびがまた聞こえてきた。
「うそっ。また!?」
「いや、違うっ。さっきのやつじゃない」
今度の雄たけびは虎やライオンのようなものだ。獲物を激しく追い回しているときに発しそうな感じだが。
「向こうから聞こえてくる?」
「そうだな」
セラフィが指した背後の森の奥。猛獣たちはそこにいるに違いない。
「嫌な予感がするんだが、そっちにものすげえたくさんいるんじゃないか?」
「うん。あたしも、そう思う」
セラフィが青い顔で俺を見てくる。俺も顔面蒼白になっているんだろうけども。
猛獣たちはきっと何体もいる。そいつらに見つかったら、終わりだっ。
「とりあえず、様子だけ見てみよう」
「う、うん」
セラフィの手を左手でつかんで、右手の剣を持ち直す。
茂みを抜けると原っぱのような場所に出た。ところどころに無骨な岩がある荒々しさが異世界っぽさを醸し出している。
その草原を走り回るたくさんの影があった。影はふたつの集団に分かれている。
後ろから追い回している影たちの集団は、やっぱり猛獣たちの集団だ。黄色と赤紫色の斑模様の虎たちは、幻妖だ。一目でわかる。
もう片方の集団は、ぼろのような外套を羽織った旅人!? しかもふたりいるぞっ。
「ああっ! だれかが襲われてる!」
セラフィが俺の手をぎゅっとつかんだ。
旅人のひとりは走りながら、幻妖たちに何かを飛ばしている。遠目ではよくわからないが、岩石のようなものを飛ばしているぞ。
「アンドゥ、早く助けなきゃ!」
「あ、ああっ」
人が襲われているんじゃ、見過ごせないぜっ。
「セラフィ。風の刻印はあるか? 剣じゃ攻撃が届かないっ」
「うん。待って。すぐに出すから」
セラフィが鞄を漁る。俺はバンダナを頭につけて黒髪を隠した。
風の刻印を記した紙を受け取って、俺は広場に躍り出た。
「いくぞ! よけろよっ!」
旅人たちに大喝して、風の刻印を空高く投げ飛ばす。天空で刻印が消失し、数多の白刃が幻妖たちに降り注ぐ。集中豪雨のように。
幻妖たちが真空の刃に悶える。十体くらいは優にいそうだが、これで戦意を大幅に削ることができるだろう。
「だいじょうぶですか!?」
ふたりの旅人は走るのをやめていた。俺の刻印術――正式にはセラフィが描いた刻印なのだが、発動した刻印術のすさまじさに絶句しているみたいだった。