表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/119

第100話

 視界のはるか彼方まで広がる雲の海に、小鳥のさえずりが聞こえてくる。


 俺はどうしてか、またどんな方法を使ったのか、雲海の上に立っている。


 雲の上に立つのはとても不思議な感覚だ。地面を踏みしめているような感覚がまったくない。


 分厚い綿に乗っかっているような気分かもしれない。


 右を向いても、雲。左を向いても、雲。果てしなく広がる雲の世界は非現実的すぎて圧巻だ。感想がひとつも出てこない。


 俺はどんな刻印術を使ったのだろうか。昨夜の記憶がまったくないのだが。


 いや、これは夢だ。耳元から不自然に聞こえてくる鳥の鳴き声で気がついた。


 目を開けて空を見上げる。緑の天井の隙間から暖かい光が差し込んでいる。


「いつの間に寝てたんだ」


 セラフィを先に寝かせたけど、俺はすぐに寝られなかった。寝込みをだれに襲われるのか、かなり怖かったから。


 俺にブラックコーヒーでも飲ませてくれと思いながら、まわりに目を光らせていたはずなんだけどな。焚き火に何度か枯れ木を入れた後の記憶がない。


 そういえばセラフィは!?


 急いであたりを見回す。セラフィの背中らしきものがシトリのそばで丸まっている。


 あまりに面白い光景に俺は吹き出してしまった。


 鷲のようなシトリの腹に収まっている姿は、まるでひなだ。収まり具合が完璧すぎるのか、親鳥と雛そのものに見えてならない。


 スマートフォンで思いっきり写真撮りてえ!


 心行くまで笑って、ふうと息を吐く。


 ここはエレオノーラの宮殿じゃないんだ。シャロみたいな護衛はいないし、アビーさんのように細々と世話してくれる人もいない。


 呑気に遊んでいる場合じゃねえ。気持ちを切り替えていかないとな。


「なんか肩がいてえ」


 変な寝相だったからか、右の肩と背中に違和感がある。腕をまわせないほどじゃないけど、肩を動かすたびに妙な抵抗力を感じる。


 森の外の景色が見てみたい。セラフィから少し離れてもだいじょうぶだろう。


 森の外に、さっき見た夢のような光景が広がっていた。


 浮遊している島の真下から向こうまで広がっている、白い海。雲海は何度も見てるから、いまさら感想を述べる必要なんてないんだけど、荘厳だな。


 天空の世界って、やっぱりすげえ。超あり得なくて超ファンタジーな光景に浮かれてしまうのは不可抗力だ。


 冬だから寒いけど、今日もいい天気だ。単身でこっちの世界を旅するなんて、なんかゲームみたいだ。


 そう思うと、今の状況は面白いのかもしれない。暗いことばっかり考えてないで、前向きに行こう!


 セラフィが起きるのを待って、身支度を簡単に済ませる。別の島を早く探したいが、セラフィがこの島を探検しようと言って聞かない。


「アンドゥ見て見てっ。あんなところにおっきな果物があるよっ!」

「はいはい」


 俺の前をセラフィが張り切って歩いている。右手に木の枝を持って、腕をぶんぶんと振りながら。


「ほらあそこ! ちっちゃい小鳥さんがいるっ」


 ちっちゃい小鳥さんって、小さいという言葉の意味が重複してるぞ。小鳥に小さいという言葉をつける必要性は――。


「アンドゥも見てっ。あそこ!」


 腕を強く引かれたので仕方なく眺めてみる。鳥なんてたくさんいるから、どの鳥を指しているのか全然わからない。


「おお。いっぱいいるな」

「アンドゥ、ちゃんと見てる?」

「見てるって。あれだろ?」


 俺が適当に森の向こうを指すと、セラフィがぶすっと頬を膨らませた。


「アンドゥ、全然ちゃんと見てないじゃん。あたしが見てた小鳥さんはもういないもん」


 そんなことを言われたって知らねえよ。


「急に言われたんだから、仕方ねえだろ。それならもっと早く言ってくれよ」

「早く言ったって、どうせ見ないでしょ」

「そうだな」


 セラフィが「もうっ」と怖くない顔で怒る。俺を無視して森の小道をずんずんと歩いていく。


 いつもながら思うが、お前は朝からテンションが高いよな。俺は夜型の人間なのだから、朝はテンションが低いのだ。


「あんまり遠くまで行くなよ」

「ふんだ。アンドゥなんて、もう知らないもんっ」


 子どもっぽい理由で怒るなって。一応危険な旅の道中なんだぞ。


 だけど、この無人島は呆れ返るほど平和だ。老人しか住んでいない過疎地の手入れされていない森のようだ。


 道と呼べるか微妙な木の隙間を歩いていく。森には巨大な岩がそびえていたり、こけや茸が生えている。


 木の幹を栗鼠りすみたいな小動物が駆け上がる。ムクドリみたいな鳥が木のそばの地面をしきりに突いている。


 聞こえてくるのは鳥や動物の鳴き声と、草木のざわめきだけ。都会の喧騒を忘れさせてくれる、自然に囲まれた場所がこっちの世界にもあったんだ。


 ここはまさに動物の楽園だ。人に汚されていない緑の聖域。


 人も建物もないから、こんな島に来ても意味ないだろと思っていたけど、そんなことはなかったかもな。


「気に入った?」


 セラフィが立ち止まっていた。前屈みになって俺を見上げてくる。


「ああ。こういう場所も悪くないんじゃないか?」

「でしょ! アンドゥなら、絶対にそう言ってくれると思ってたんだあ」


 嘘つけ。お前が個人的に森を探検したかっただけだろ。


「それなのに、アンドゥって本当に素直じゃないよね。あたしに嫌々ついてきてますみたいな顔してるんだもん。どうして素直になれないの?」


 ほっとけ。現代人、とりわけ俺くらいの年齢の男子はこれが標準なんだよ。


 お前みたいに素直すぎたら、学校でいじめの対象になるしな。


「俺くらいの男は、だいたいこんなもんなんだよ」

「そう? 宮殿のみんなは素直に言ってくれるけど」

「それはお前に気を遣ってるからだろ。こっちの世界でも素直な男なんて、きっとマリオくらい――」


 猛獣の雄たけびのようなものが森に木霊する。たくさんの小鳥が森から一斉に飛び立つ。翼を忙しく動かしながら。


「なんだ!?」


 さっきまで平和そのものだったのに、雰囲気が一変したぞ。戦場に紛れ込んだような緊迫感に呼吸が苦しくなる。


「おっかない熊とかが、出たのかな」


 セラフィも縮こまって肩をふるわせる。いつも能天気なこいつがびびるのは珍しい。


 それと、こっちの世界にも熊っているんだな。


 猛獣の雄たけびはわりと近くから聞こえてくる! いや、すぐそこにいるんじゃないか!?


 木の根を埋め尽くす雑草を掻き分けて、何かがやってくる。そいつは巨体をのっそりと動かして、一歩ずつ、そして確実に俺たちへ近づいてくるっ。


 幻妖と対峙するときに感じる、あの嫌な気が前方から発せられている。俺はセラフィを下がらせて、同時に剣を抜いた。


 雑草の茂みからあらわれたのは、さいのような幻妖だった。あちらの世界の乗用車くらいの巨体を俺たちに向けている。


 目は赤紫色で、深緑色の体毛に覆われている。意外と大人しそうな雰囲気だが、辺りを包む負のオーラが俺に緊張感を与えていた。


 ――相手が幻妖であるかは、香りでわかるのです。


 イーファさんが言ってたな。そんなことを。


 あのときは、この人はなんでそんなことを言うんだと驚いちまったけど、今ならわかるかもしれない。


 犀の幻妖が突如雄たけびを発する! 天を仰いだ瞳は真っ赤で、辺りを包む気がさらに禍々しくなる。


「よけろっ!」

「きゃっ!」


 セラフィの胸を強く押し出す――同時に犀の幻妖が俺に突進してきたっ!


「くっ!」


 間一髪。横に飛んで直撃だけは回避することができた。けれど、あいつの角が俺の右手に当たり、剣を危うく落としそうになった。


「アンドゥ!」


 あいつは正面の木に激突する。太い幹をものともせずに木を根っこから押し倒す。巨大な木が轟音とともに倒されてしまったっ。


「っつう。なかなかやるじゃねえか」


 ものすごい破壊力だ。さっきの突進にはきっとダンプカーくらいの力があるんだろうな。


 そんなものを食らったら、俺は一撃で死亡確定だ。足のふるえが少しずつ大きくなる。


 あいつが身体の向きをのっそりと変える。突進以外の鈍い動きから、あいつの余裕が感じられて、怖さというか気味悪さを倍増させる。


「けっ。来るなら来やがれっ!」


 あいつがまた顔を上げて怒号のような雄たけびを発した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ