波止場の冒険者たち
昔、昔、小さな港町の波止場に、一人の旅人が現れました。
旅人は、見たこともない格好をしていて、聞いたこともない言葉を使っていました。
港町の人たちは、遠くから来たのであろう旅人への対応に戸惑っていました。
表情や指差し、身振り手振りでしか、やり取りできなかったからです。
そんな時、旅人の頭の上に、光の冠が現れ、旅人は港町の人たちと話すことができるようになりました。
旅人は悪い人ではありませんでした。
太陽が二回登れば、街を出ると言う事でしたので、港町の人たちは、この不思議な旅人を歓迎することにしました。
さらに、エルフの女王さまがやってきて、旅人は皆を助けるために来たと話しました。
実は、港町の近くの森に怖い魔物が出ていて、皆、困っていたのです。
旅人は、歓迎してくれたお礼にと、次の日の朝早くに、魔物を懲らしめに出かけていきました。
港町の騎士さまでも手を焼く魔物相手に、大丈夫だろうかと皆は心配しました。
やがて太陽が水平線に入ろうとした頃に、旅人は無事に帰ってきました。
その後ろからは懲らしめられた魔物が現れて、もう悪さはしないと皆に謝り、反省していました。
港町の人たちは大喜び。
旅人を胴上げして、お祭りを開きました。
お祭りは二日も続き、皆、飲めや歌えの大騒ぎで、旅人も笑顔でした。
そして、次の朝、つまり旅人が来て三日目の朝。皆が目が覚めた頃、旅人はもう帰らなくてはならないと告げました。
人々は、まだ町にいてほしいと願いました。
でも、神さまからの約束で、旅人は遠くの故郷へ戻らなくてはいけないと、エルフの女王さまは悲しそうに言いました。
旅人は皆に見送られながら旅立ちました。
魔物は森に帰り、二度と悪さをすることはありませんでした。
それから、この港町の波止場には時々、光の冠を被った旅人たちが現れるようになりました。
旅人たちは困っている人々を助けてくれて、エルフの女王さまが作った冒険家たちのギルドと共に迷宮へ潜って宝物を探し、時に人々を困らせる魔物や悪い人たちを懲らしめてくれるのです。
この光の冠を頭に付けた旅人たちは、港町の波止場に現れるため、いつしか、波止場の冒険者と呼ばれるようになりましたとさ。
✩
「めでたし、めでたし」
馬車の中、ラナリースそう締めくくった。
彼女の周りには乗り合い客の子どもたちが座っていて、目を輝かせていた。
暇で落ち着かない様子だった子どもたちのために、よく知られている絵本の内容を諳んじてみたのだ。
ラナリースの落ち着いていて、透き通る声も相まって、子どもたちだけでなく、他の乗客たちもすっかり耳を傾けてしまっていた。
「お姉ちゃん、波止場の冒険者にあった事あるの?」
「まだないなぁ。会ってみたいとは思うけどね」
「そっかぁ」
ラナリースと子どもたちがそんなふうに話していると、親の一人が合間を読んで、口を開いた。
「これから向かうシーゲートに着けば、会えるかもしれないわね。あそこは、最初に波止場の冒険者さんが現れた場所だから」
「そうなんだぁ」
子どもたちが会えるかなぁとはしゃぎだす中、ラナリースに別の大人が話しかけてきた。
「お嬢さん、ありがとう。もしかして、冒険者さんかい?」
「はい。と言っても、登録したてなので、まだ何もできていません。なので、シーゲートの遺跡探索に混ぜてもらおうかと思っています」
「そうなのかい。じゃあ、応援させてもらうよ。新しい冒険者さん」
「ありがとうございます」
それからしばらくして、馬車はシーゲートの町に到着した。
潮の香りを感じながら馬車から降りたラナリースは、乗客たちと別れ、一人、地図を頼りに町へと足を踏み出した。
シーゲートは、大昔からある港町で、その風景は何百年も前からほとんど変わっていないと言う。
白い壁の建物たちの屋根はそれぞれ色が違い、灯台と共に、港へ戻って来る船たちの目印になっている。
町も活気づいていて、お昼を少し過ぎたばかりの通りは、行き交う人々でいっぱいだった。
ラナリースは荷物をしっかり持ちながら、話で聞くか、本で知るしかなかった、憧れの町の様子に半ば浮かれつつ、目的地へと特に迷うことなく向かうことができた。
大きな通りの先、大広場があり、その一画に、その建物はあった。
周囲の建物のなかでも一際大きい、石造りの二階建て。
オレンジ色の広い屋根は、この町でもよく目立つため、目印になるほどと聞いていた。
確かに、途中から、あの屋根かなと踏んで来たので、ラナリースは感心しながら、圧倒されていた。
もっと大きな建物や、立派な屋敷を見たことがあるが、それらとはまた違う、立派な雰囲気がある。
看板に描かれた冒険者ギルドの文字とマークが目に飛び込んでくる。
ラナリースの目的地である、冒険者ギルド会館であった。
唾を飲み込み、一度深呼吸してから、ラナリースは重厚そうな木製のドアを開いた。
思っていたより軽く開いたドアの先から、独特の木の香りがして、魔法灯の光を感じた。
フロアには、木製の受付場所に座る職員以外はおらず、とても静かだ。
もう少し入ったところには待合用の椅子が並んでいて、まるで大きな街の役所のようだと思いながら、ラナリースはギルド会館へと入った。
すると、受付にいた若い女性職員がフロアにでてきて、声をかけてきた。
金色の髪で、綺麗な顔立ちをしている。
ラナリースより少し年上のようで、優しそうな雰囲気を纏っていた。
「こんにちは、冒険者ギルドへようこそ。本日は如何なさいましたか?」
「こんにちは。冒険者ギルド・ランドシア公爵領の支部から来ました、スタート冒険者のラナリース・シアといいます」
ラナリースが身の上を明かすと、受付の女性は笑顔を深め、頷いた。
「お話は伺っております。どうぞ、こちらへ」
案内された窓口で、女性職員がそのままの流れで手続きを行ってくれた。
一度も止まることなく書類に必要事項を記入し、ラナリースが提示した冒険者証の写しを取るまでに二分もかからなかった。
それから、軽い注意事項の説明があったが、公爵領支部で聞いたものと変わらなかった。
「お待たせいたしました。これでラナリースさんは、当会館の冒険者として登録されました」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いいたしますっ」
これで、心置きなく活動ができる。
ラナリースは更新された冒険者証のドッグタグを胸に抱きしめ、うずうずする体を抑えながら、掲示板へと向かった。
そこで、すぐに目についた依頼を見つけると、手に取って先ほどの職員のいる窓口にとんぼ返りした。
「この依頼を受けさせてくださいっ」
「薬草採取ですね……差し出がましいようですが、本日は休まれては如何でしょうか。この依頼は、特に急ぎではありませんし、長旅でお疲れでしょう」
彼女の言う通り、ラナリースが選んだ依頼は、急用なものではなく、期日も指定はなかった。
依頼は、ポーションや流行りの風邪に効く薬の材料となる薬草数種類を、森で集めてかてほしいというものだった。
「少し前は、流行りの風邪が広がりかけておりましたが、今は完全に落ち着いていますので、ご無理をなさらなくても……」
「いえ、風邪薬やポーションはいくらあってもいいですから。それに、この辺りの地理も少し知りたいので」
ラナリースが本心からそう言うと、受付の女性は「わかりました」と頷いて、依頼の受理手続きを行ってくれた。
「薬草についてはご存知ですか?」
「はい。書いてあるものであれば問題ありません」
「では、夕方までに戻ってきてくださいね。日が沈む頃に門が閉まってしまいますので。それと、この薬草たちは森の入口あたりにも生えておりますから、そちらで採取なされても問題ありません。また、森に入っても構いませんが、決して、赤い紐がくくりつけられた場所から奥へ入ってはいけませんよ? 魔物や猛獣が出ますからね」
途中から、何だか心配性のお姉さんのような雰囲気と喋り方になった受付の女性を安心させるように、ラナリースは頷き返した。
「わかりました。あ、地図はどこに売っていますか?」
「あちらの購買でご購入いただけます。このあたりでしたら、百エイルですね」
「え、そんなに安いんですか?」
百エイルは、一般的には市場の丸パン一つか、駄菓子が十個買える金額だ。
地図は、町の簡単な観光案内なら無料のものも多いが、町の外の、それも魔物や猛獣が生息する地域のものは、細かい地形や特徴を記載しているため、安くても千エイルはするのだ。
「森の入口付近までであれば、危険度も低いため、組合員割引で百エイルになります。また地図以外でも割引となる商品がございます」
「そうだったんですね」
覚えておこうと思いながら、購買で地図を購入し、ラナリースは早速出かける事にした。
「それでは、行ってまいりますっ」
「はい、お気をつけて。森の入口付近の採取で大丈夫ですからね!」
「はーいっ」
受付の女性の声を聞きながら、ラナリースはギルド会館を飛び出した。
憧れの世界へ、一歩踏み出した予感と共に。
☆
「ふぅ……」
任されていた書類仕事を終えたシンシアは、背伸びをした後、一時間ほど前に出かけた、ラナリースの事を思い出した。
久しぶりに町へ新しくやってきた駆け出し冒険者は、見るからに危うげな雰囲気の、まだ幼さが残る綺麗な赤髪の少女。
普段着らしいシャツ上に、防御機能も備えたベストと、駆け出し冒険者が愛用する厚手のカーゴパンツに、あまり汚れのないハーフブーツ、武器は量産品らしきショートソードと、見事なまでの初心者冒険者の出で立ちだった。
立ち居振る舞いや話し方、ランドシア公爵領の支部から届けられた手紙の内容から、何か訳ありなのだろうと察せだが、特に踏み込んだり、指摘したりすることはない。
彼女くらいの年頃なら、一般市民であれ貴族であれ、男女問わず冒険者に憧れ、半ば家出のような形でこの界隈に飛び込んで来る者も少なくないからだ。
推薦状が発行されているので、知的な方面は優秀なのだろう。
薬草についても、中途半端な知識を持っているのではなく、確かな知見を持った者独特の雰囲気があった。
ただ、やはり世間知らずのような空気と、明らかに旅慣れしていない様子だったため、自己責任の世界であるとはいえ、心配ではあった。
だが、彼女が請けた依頼の地域は、シーゲート周辺でも安全な場所だ。
森の中に入れば、魔物や猛獣と出くわす危険性があるが、そうならないように目印を施してある。
危険度が上がる場所の少し手前の木々にいくつか結ばれている、赤い紐はよく目立つ。さらに見逃しにくいように、一本の木に上下二つ着けられている。
その先に進めば、強力な魔物や猛獣がでてくるという警告だ。
極稀に森の入口付近に現れることがあるが、森から離れれば追いかけて来ないので、気付ければ大丈夫だ。
それに幸い、流行りの風邪の騒動の影響で、冒険者が森に大量に入ったため、魔物や猛獣たちは人間を恐れるようになり、赤い紐の辺りまでは全く現れなくなっている。
今なら、町の人間でも、森に入りさえしなければ安全に薬草を採取できると言われるくらいだ。
だから、ラナリースの依頼を受け付けたのだが、心配は尽きなかった。
(大丈夫……きっと彼女は、危ないことはしない)
今日出会ったばかりだったが、ラナリースとの会話である程度その人となりを観察した結果を元に、大丈夫だろうと信じることにした。
時計を見れば、すでに三時をすぎている。
もう直、冒険者たちが戻って来る。
その時、ラナリースも薬草を大量に袋に詰めて戻って来るだろうから、初依頼達成を祝ってあげよう。
シンシアは、ラナリースの嬉しがる顔を想像して、頬を緩ませる。
(それに……)
少し頰が温かくなるのを自覚しながら、これから来る怒涛の仕事に向けて気合を入れている時だった。
町中に、大型の魔物出現の鐘が鳴り響いた。
さらに、ギルド入口のドアが勢いよく開かれ、冒険者の青年アイザックが息も絶え絶えに飛び込んできた。
シンシアや同僚たちはすぐさま気持ちを切り替え、鬼気迫る冒険者に駆け寄った。
アイザックは手渡された水を煽ると、息を整えるのも惜しいと言わんばかりに喋りだした。
「ワイバーンが出たっ。それも薬草の森の辺りだっ!」
その報を聞いたシンシアの背に恐ろしいまでの怖気が走った。
「街道で、帰っている途中に見かけた。俺や仲間は、完全に補足される前に走って逃げてきた。……町には、来てないが、森のあたりに向かうのが見えた……っはぁはぁ……仲間と手分けして、町の衛兵や役所に伝えた。俺はギルドに……っ!」
「ありがとうございます。さぁ、こちらへ」
男性職員のウィルが肩を貸して、アイザックを椅子へ座らせるのを他所に、シンシアは怖気で震える手を握りしめ、アイザックに声をかけた。
「あの、森の近くで、駆け出し冒険者の、赤髪の女の子を見ませんでしたか?」
「いや……み、はぁ、見てない……まさか、あそこに行った奴がいるのか?!」
アイザックは立ち上がろうとしたが、すぐに椅子に座り込んでしまった。
「ワイバーンなんて……本来はシーゲートの周りにはいねぇ……魔物も森の奥に入らなきゃ出ない、ほぼ安全だ……だが、今は……」
多少呼吸がましになってきたアイザックが、辛そうに顔を歪めた。
「シンシアの嬢ちゃん、その新人、あんたが受け持ったんだな……だとしてもあんたは悪くねぇ……」
「アイザックさん、それって」
「駆け出し冒険者じゃあ、森に逃げ込もうが、街道を走ろうが、一緒だ……わかってるだろ……ワイバーンにやられるか、他の魔物か猛獣にやられるかだ」
アイザックの言葉に、シンシアも、周囲の職員たちも顔を伏せた。
しかし、アイザックはそこで止まらなかった。
「……レイモンドの旦那とファンの嬢ちゃんは?」
シンシアは、顔を上げた。他の職員たちも同じだったが、その悲痛な表情は消えない。
「お二人共、まだ戻られておりません」
「リズの姐御は……長期遠征、おやっさんは出張中か」
「はい……」
「…………なら、あいつだけだな」
アイザックの声が、入口に向けられた。
その意味を察したシンシアが振り返ったが、半開きのドアが閉じるところだった。
「情けねぇ話だが……今はそうは言ってられねぇ……」
苦笑いを浮かべると、アイザックは目を閉じて椅子に背を預けた。
職員たちもそれぞれの仕事にかかりながらも、その表情に希望が現れていた。
(お願い、ラナリースさんを……)
シンシアは切に願いながら、自分の仕事に戻るのだった。
☆
(どうして、こんな事にっ)
ラナリースは木々の合間を縫って森の中を駆けながら、身を隠せる場所を探していた。
しかし、そんな場所はなく、何度も赤い紐が見えては引き返し、別の場所を探すと言う行動を繰り返していた。
「ぐぉぉぉっ!」
「またっ!」
空気と森の木々を震わせる、独特の響きを持つ唸り声に、竦みそうな足を無理やり動かして枝葉の多い場所に移動する。
木々の隙間からそっと空を見上げると、大きな影が森のすぐ上を通り過ぎるところだった。
声をもらさないようにしながら息を潜めていると、その場の危機は去ったが、大きな気配は未だ森の上を旋回しているようであった。
(なんでシーゲートにいるの? もっと東か南の方に生息しているはずでしょ?)
三十分ほど前、ラナリースはシンシアの忠告を守って森の入口付近で薬草採取を順調に行っていた。
だが、突然、空から聞こえてきた未知の唸り声と巨大な影に激しい身の危険を感じ、咄嗟に森の中へ飛び込んだ。
そして、つい先程まで自分が薬草採取をしていた場所に落下してきた存在がワイバーンで、自分が獲物として認定された事を理解し、それからずっと逃げ隠れしているのだ。
(他の魔物や猛獣が出てこなくて助かっているけど、偶然、鉢合わせたらどうなるかわからない……)
武器のショートソードの柄に手を添えるが、いざ引き抜いて戦うとなると、難しいだろうとラナリースは冷静に自己分析する。
剣の訓練は冒険者登録してから始めたため、まだまだ身についていない。
猛獣や魔物相手となると、一分も持たないだろう。
後は魔法を使っての迎撃だが、人間を上回る身体を持つ 魔物と実際に相対していつも通りのパフォーマンスが出せるかはわからない。
また、その上位に君臨する竜種に、今の自分の魔法が通用するとも思えなかった。
(後、二時間もすれば日が暮れる。そうなったら、ワイバーンも諦めないかな)
そう考えた時、お腹が鳴った。
それは、小さな音だったが、ワイバーンの旋回する飛行音や気配の変化から、ラナリースは見つかった事を察して駆け出す。
だが、ワイバーンから見られている気配は途切れない。
(完全に見つかった!)
恐怖する心を抑えながらラナリースは諦めずに走り続ける。
(私は、お母さまとお父様に……)
風の初級魔法ウインドを発動させようとするが、上手く魔力をコントロールできない。
まるで、転んだ時に口に入った砂を噛んだ時のような不快な感覚に、顔が歪むのを自覚する。
(このままじゃ……)
焦りと恐怖で足がもつれそうになる。体力も限界が近づいてきていた。
もし転んでしまえば、そこで終わりだ。立ち上がる前にワイバーンが降下してくる。
さらに、進行方向の木に赤い紐が見えた。
一箇所だけでなく、ぐるりと周りの木々に着けられており、さながら袋小路のようだった。
「こうなったら、あの先に逃げるしか……」
だが、そうなれば、今よりも厳しい状況になるのは明白だ。
体力の限界を迎えようとしている今、あの先に飛び込めば、きっと明日の朝日は拝めない。
そんな僅かな迷いを抱いたせいか、ラナリースは木の根に足を引っ掛けてしまった。
咄嗟に受け身を取ることはできたが、ワイバーンの咆哮が一際大きく聞こえ、周囲がさらに暗くなった事で、自分の命運を悟った。
(どうしてこうなったんだろう……私は、まだ、何もしていないのに……心躍る冒険もしていない、波止場の冒険者にも会えていない)
そう思いながら、剣を引き抜けたのは、まだ諦めたくないと言う本心が体を突き動かしたからか。
上半身を起こしながら振り返ると、ワイバーンが枝葉を折りながら、巨大な鳥のような足で踏みつけようとしてくる所だった。
悲鳴をあげるでもなく、涙を流すでもなく。
ラナリースはショートソードを突き出す。
きっと、剣は粉々に砕け散る。自分もその時に逝く。
ならばせめて、最後は苦しくありませんように。
「ああああああっ!!」
雄叫びと共に、ラナリース十五年の人生が終わりを迎える、その時だった。
ワイバーンが轟音と衝撃、疾風を残して、姿を消した。
かと思うと、地響きとワイバーンの咆哮がこれまで走ってきた方角から聞こえてきた。
一瞬、何が起きたのかわからず、死の直前に夢でも見ているのだろうかと考えたが、また聞こえてきた咆哮が鼓膜と体を震わせ、現実だと強く認識させられた。
「何が、起きたの?」
幸い、腰は抜けておらず、すぐに立ち上がることができたため、咆哮が聞こえた方へ駆け出した。
必死に逃げてきたせいで帰り道が分からなかったが、幸いにも赤い紐が括りつけられた場所は通らなかった。
やがて、つい少し前まで薬草を採取していた森の入口が見えてきた。
そして、怒り狂い咆哮するワイバーンと、白装束の人物が目に飛び込んできた。
「グルォォォッ!」
ワイバーンの口から火の粉が飛び散り、巨体の周囲に幾つもの魔法陣が出現する。
ドラゴン種は総じて頭が良い。ドラゴン種の中で一番弱いとされるワイバーンだが、その知能は人間を凌駕し、魔法を行使することができる。
昔に読んだ本の内容を思い出しながら、ラナリースは白装束の人物へ叫んだ。
「危ない!」
その瞬間、ワイバーンの視線がこちらへ向くのを感じた。
直後、白装束の人物が動きを見せると、いきなりワイバーンが土と薬草を僅かに撒き散らし、重い音を立てて倒れた。
何が起きたのか最初は分からなかったが、すぐに状況を理解した。
白装束の人物が、ワイバーンを転ばせたのだ。
(ワイバーンを、一撃で倒したの?)
ワイバーンは、軍隊や、上位の冒険者が徒党を組んで相手するような存在だ。
たった一人で倒すだなんて、最高位冒険者か勇者でしかありえない。
否、一つ、例外がある。
ラナリースの視線が、白装束の人物の頭上に向けられる。
焦り恐れなどが消えたため、ようやくその存在が目に入ってきた。
黒髪の上に浮かび、淡く輝く青と白の冠は、どんな魔法でも再現できない。
それを頭上に戴くのは、かの存在たちのみである。
衝撃の連続に半ば放心していると、白装束の人物が振り返ってきた。
斜陽に照らされる大人びた顔立ちは、彫りの少ない、自分と同じ年頃に見える、少年のものだった。
「怪我はありませんか?」
「……へ?」
少年から問いかけられた事に気が付き、自分でも間の抜けた声が口から漏れた。
「え、えぇ、おかげさまで?」
自分でもおかしく思うような返事をしてしまいながら、他に言葉が出なかったため、そのまま通すことにした。
少年はラナリースの返答に表情を緩めると、ワイバーンへと向き直った。
「ぐるる」
後ろ姿しか見えない少年から、ワイバーンのモノマネらしき声が聞こえたかと思うと、
「ぐるぅ」
何と倒れたワイバーンから唸り声がした。
まだ完全に倒されていないとラナリースは警戒した。
「ぐる?」
「ぐるぅ」
「がぅ」
「がうぅぅ」
少年の声にワイバーンが返事をしている。
ワイバーンは人語を理解すると聞くが、人間がワイバーンの言語(?)をしゃべると言う話は聞いたことがない。
それにワイバーンは何やら少年に対して恐れを抱いているように見えた。
しばらく見守っていると、ワイバーンの体が突然、地面に吸い込まれるように縮んだ。
そして、少年が草むらにしゃがみこんで、何かを抱えて立ち上がり、ラナリースに振り返った。
「よし、帰りましょう」
「え?」
彼の腕の中の存在に気を取られてしまい、また返事が曖昧になった。
しかし少年はラナリースに笑いかけて、
「シーゲートからいらっしゃったのでしょう?」
「はい」
「自分もシーゲート所属なので、一緒に戻りましょう。シンシアさんも心配していましたから」
「シンシアさん?」
「金色の髪の、受付担当の方です」
言われて、ラナリースは、自分の手続きを担当してくれた女性を思い出した。
✩
帰り道、ラナリースは半ば夢現のような気持ちだった。
何度か自分の頬を引っ張って、夢ではないことを確認しても、ふわふわとしている足取りで、気がつけばシーゲートのギルド会館のドアを、少年が開くところだった。
開かれたドアの向こうから、いくつもの視線を感じた。
その中に、見知った受付担当シンシアの姿を見つけた。
「戻りました」
少年は言いながらシンシアの机まで歩いていく。
ラナリースもその後をついていくと、シンシアの安堵した顔が出迎えた。
「お帰りなさい。ワイバーンは……まあ」
シンシアの目線が少年の腕の中に吸い込まれると、周囲の職員も各々驚きをあらわにしていた。
無理もない。
何せ、少年の腕には、魔法で小さくなったワイバーンが抱えられているのだから。
「シンシアさん、色々報告があるんですが、シャインさんはまだ」
「えぇ、戻られておりません」
「わかりました。では、この後にギルドリーダーへ連絡をつないでいただけますか?」
「かしこまりました」
シンシアが頷くと、少年は踵を返して、
「それでは、また」
ラナリースにそう言って会館の奥へと向かっていった。
彼の腕の中を見た冒険者たちが驚く様子を見つめていると、
「ラナリースさん」
シンシアの呼ぶ声がした。
振り返ると、シンシアが優しげに微笑んでいて、
「あ」
ようやく、自分は生きて戻る事ができたのだと、実感できた。
「あの、これを」
次々と溢れ出る感情を覚えながら、腰に提げていたいくつかの袋をカウンターに出す。
受け取ったシンシアが開くと、種類ごとに分けられた薬草たちが顔を覗かせた。
「種類も揃っていて、ダース単位でまとめてくださっていますね」
「そのほうが、扱いやすいと思いまして」
「お気遣いありがとうございます。たくさん採取されましたね」
シンシアが依頼票に完了の判子を押した。
「依頼の完了、確認いたしました。お疲れ様です」
そう言われて、ラナリースはようやく、息を深く吐くことができた気がした。
「無事に戻られて、よかった」
見れば、シンシアが慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
ラナリースは少しぼやける目を袖で拭い、はっきりと見えたシンシアに、笑ってみせた。
「はい!」
こうして、ラナリースの最初の依頼は完了した。
生き残れたこと、初仕事を完遂できたこと、達成の報酬がもらえたことなど、様々な感動が体を駆け巡る中、しばらく会館のベンチで休んでいると、ざわめきが聞こえてきた。
見れば、助けてくれた少年がワイバーンを抱えたまま、ホールへと戻ってきていた。
彼はシンシアに何か伝えると、周囲を見渡して、
「皆様、ギルドリーダーより伝言です。ただいまから、ギルドリーダーが戻られるまで、このワイバーンを当会館の預かりとします。もし見かけても、手は出さないように、とのことです。破った場合は、正義の神アストライア様、グランドマスターの名のもとに雷が落ちます」
「雷?」
思わず小さな声が出たラナリースだったが、少年の話は続く。
「また、他にワイバーンがいないかの調査もこれから始めるとのことです。青冒険者以上の方は観測隊に参加できますので、後日、依頼票を確認の上、職員にご相談を、わからないことがあればギルドリーダー宛に伝言をお願いいたします。以上です」
少年が言い終わると、会館内が小さくだがざわめき出した。
その様子をぼうっと見ていると、いつの間にか、少年とシンシアが近くに立っていた。
慌てて立ち上がろうとするラナリースに、少年はそのままでと言ってくれた。
「お体の具合はいかがですか?」
「大分、落ち着きました」
「それは何より」
少年は小さく笑うと、腕の中で大人しくしているワイバーンの頭を撫でた。
「貴女は襲われた身ですが、このワイバーンに対して、何か処遇を望みますか?」
「え?」
言われて、改めてワイバーンを見る。
魔法で小さくなっても、その厳つい顔や、明かりを反射する体に、鉤爪のついた羽は、恐ろしいワイバーンだ。
正直、森を追い回され、挙げ句に命の危機を強く感じさせられただけに、文句はある。
だが、少年の手の中でおとなしくし、まな板の上の鯉さながらのワイバーンをどうにかしようと言う感情は、なぜだか浮かばなかった。
「いえ。もう誰も襲わないのであれば」
「わかりました」
少年はラナリースの返答に微笑み、ワイバーンを抱き直した。
ワイバーンは、怯えた様子はなかったが、されるがままになっていた。
「こいつはもう貴女はもちろん、誰も襲いません。後日、ギルドリーダーが戻った後、本部で保護されるでしょう。一応、近隣ではこいつの他にワイバーンは見かけていないらしいですし、自分も他に見ておりませんので、町の外に出られても問題ないでしょう」
「あの、森の前での薬草採取も大丈夫ですか?」
「あの辺りは、こいつも現れましたし、もうしばらく魔物たちも出てこないと思います。森の中も目印の奥に行かなければ安全でしょう」
そう言われて、ラナリースは肩の力が抜けた。
「ラナリースさん」
シンシアがラナリースの手を握ってきた。
「貴女が無事で本当によかった」
「私も、無事に戻って」
そこまで言いかけて、ラナリースは、少年にまだキチンと助けてくれたことへの礼を言えてないことに気がついた。
めまぐるしい状況だったとは言え、かなり失礼なことをしたと深く恥じながら、少年へと向き直った。
「あの、遅くなりましたが、助けていただき、ありがとうございます。
ラナリース・シアです」
胸に手を当ててお辞儀をする。
頭を上げる時に、少年の頭上に輝くそれが見えた。
それは、この世界で、彼や彼女らだけが戴く、神使の証。
少年は頷くと、ラナリース同様に胸に手を当ててお辞儀をした。
「ヒロユキです」
ヒロユキ。
独特の響きを持つ名前を胸に刻みながら、ラナリースはたずねずにはいられなかった。
「つかぬことをお伺いいたしますが、ヒロユキ様は、波止場の冒険者様ですか?」
「えぇ。自分は波止場の冒険者ですが、様付けはしなくてもいいですよ」
やはり、とラナリースは目を輝かせた。
初めて、波止場の冒険者と出会えた。
絵本や歌に出てくる、正義の神使。
憧れの存在が、自分を助けてくれて、目の前にいる。
ラナリースは、童心を思い出さずにはいられなかった。
その時、ヒロユキの体が、薄っすらと輝き出した。
「時間ですね」
時間。
それを聞いただけで、ラナリースは何が彼に起ころうとはしているのかを理解した。
波止場の冒険者たちは、この世界にいられる時間が決まっていて、いつそれが訪れるかを理解できる。
どうやら、ヒロユキの滞在時間は、もう限界のようだ。
「あの、そのワイバーン、私が預かります」
「え?」
ヒロユキとシンシアが驚きの表情を浮かべた。
ラナリース自身も、咄嗟にそんな言葉が出たことに驚いたが、体はすでに動いていて、戸惑いがちなヒロユキからワイバーンを受け取っていた。
ワイバーンは想像していたよりも軽く、ラナリースの腕の中でもおとなしくしていた。
もう、ラナリースは、ワイバーンへの恐怖はなかった。
その時、シンシアをふと見て、ラナリースはあることに気がついた。
「それでは、自分はこのあたりで失礼します」
「……はい」
ラナリースは短く答えて、一歩下がり、シンシアに目配せした。
するとシンシアは僅かに微笑んで、ヒロユキに声をかけた。
「何から何まで、ありがとうございました」
「……いえ」
ヒロユキがダンスを誘うように手を差し出すと、シンシアもすかさず自分の手を重ねる。
二人の表情は穏やかだ。
「ワイン送ったから、飲んどいてくれないかな」
「うん、わかった」
見つめあい、近くにいたラナリースにしか聞こえない声で言い合った後、白装束の波止場の冒険者は消えた。
✩
それから、二週間が過ぎた。
あれからラナリースは薬草採取をしながら、町や周辺の地理を覚え、図書館でさらに知識を得るべく本を読むという毎日を送っている。
ワイバーンは会館で預かるとなっていたが、ラナリースの傍から離れようとしないため、会館の最高責任者のギルドリーダーが戻るまで、ラナリースの一時的な相棒となった。
ヒロユキから何か言われているのか、ワイバーンは逃げもせず、暴れもせず、ラナリースの傍にい続け、たまに散歩しろと袖を引っ張るくらいだった。
なお、ワイバーンの食費はギルド会館が持ってくれた。
シンシアは泣かなかったが、ラナリースはその悲しげな目が忘れられなかった。
もしあの時、ワイバーンが現れず、自分が危険に晒されていなければ、シンシアとヒロユキは、どこかへ出かけていたのではないか。
きっと、近くのレストランでワインを飲みながら、何気ない会話に華を咲かせていたかもしれない。
そんなことを考えて、気が滅入っていると、ワイバーンが肩の上に乗っかってくる。
ラナリースが落ち込んでる理由を知ってか知らないでか、悲しそうな目をしている。
そんな気が、ラナリースにはした。
別にワイバーンを責めている訳ではなく、でも、何だか落ち込んでしまうだけだ。
だから気分転換に、ワイバーンの散歩も兼ねて、その日も薬草採取に出かけた。
そして、特に何事もなく無事に依頼完了の量を採取し、シーゲートに戻って、ギルド会館のドアを開けようとした時、ワイバーンが小さく鳴いた。
あまり鳴かないため、何か会館の中であったのかとドアを開いたら。
ラナリースの目に、シンシアと談笑する、見知った人物が飛び込んできた。
「ところで、ワインは飲んた?」
「まだよ、だから終わったら付き合って」
「お前ら、帰ってからいちゃつけ!」
先輩冒険者のアイザックがたまらずと言った具合にツッコミ、周囲も生暖かい目で見守っている。
その中心にいる人物を見て、ラナリースは声を出さずにはいられなかった。
「ヒロユキさん?!」
「あ、ラナリースさん、お疲れ様です。ご無沙汰しております」
駆け寄ると、ヒロユキは慇懃に挨拶をしてきたが、ラナリースはそれどころではなかった。
「どうして、だって」
時間が来たら、波止場の冒険者は彼らの世界へ帰ってしまう。
そして、再び現れることはない。
そのはずなのに。
言葉が上手く出ないラナリース。
しかし、周囲はそれぞれ思い思いの反応をしていた。
苦笑するシンシアとヒロユキ、「あー言ってなかったな」と頭をかくアイザック、生暖かい視線を向けてくる職員や冒険者たち。
誰か説明をと言外に叫ぶラナリースを助けたのは、シンシアだった。
「実は、五年くらい前からですね、再度顕現される波止場の冒険者さんたちが現れまして」
「え?」
「ヒロユキさんは、二年前に現れてから、顕現後、二週間ごとに再顕現されるんです」
「そ、そんな話、聞いたことありません!」
「まぁ、ギルド本部があまり話を広めないようにしているので、知らない方も多いんですが、シーゲートや隣国の一部では、そういう方がいらっしゃって……」
そんな馬鹿な、とラナリースは愕然とした。
我ながら世間知らずではあるものの、波止場の冒険者に関する情報はかなり気を使って収集していた。
いくら本部が広めないようにしていたとは言え、実際に何度も同じ波止場の冒険者が現れれば、何かと噂になっているはずだ。
それこそ、自分の出身上、何か話が……と考えてラナリースは核心に至った。
これは、ギルドの最高責任者であるエルフの女王、グランドマスターが何かしていると。
「じゃあ、以前、別れ際の会話は……」
「えっ、聞いていらしたんですか?」
顔を赤らめたシンシアにラナリースは頷いた。
シンシアとヒロユキは顔を見合わせ、それから照れたように笑った。
「その、しばらく会えないので、彼女に次に行く予定の店から取り寄せたワインの味見を頼んでいたんです」
「でも、一人でも飲んでも味気ないじゃない」
「ごめんて」
「だからお前ら帰ってからいちゃつけ!」
アイザックの野次にヒロユキが「わりぃ」と軽く返していた。
その姿は、物語に出てくる勇者よりも、自分と変わらない、人間そのものだった。
「ふっ」
そう考えたら、ラナリースの気持ちは軽やかになった。
それに、ヒロユキとシンシアも再会できた。
これがハッピーエンドでなければ、何だというのか。
「わかりました。でも、また会えて嬉しいです」
「ぐるぅ」
ラナリースに続いて、ワイバーンもヒロユキに挨拶するように鳴いた。
こうして、ラナリースのシーゲートでの初依頼は、本当の意味で完了したのかもしれない。
だが、それを知るのは、当のラナリースと、それを見守る私だけだ。
「グランドマスター、準備が整いました」
「うん、わかった。お疲れ様」
さて、じゃあ私も始めようか。
あのワイバーンが何故、シーゲート付近に現れたのか。
その本格的な調査を。
✩
「とまあ、こんな感じだったそうです」
「そうだったんですね。お話いただき、ありがとうございます」
「ですが、同じ魔法体系や魔物が存在する世界が他にもあるなんて、未だに信じられなくて」
「俺も、知らない世界の話が聞けて、大変参考になりました。ちなみに、ヒロユキさんは、シンシアさんとは」
「このとおりです。さて、新刊が出たら買いますね、晴樹さん」
「えぇ、それでは、また」
お読みいただきありがとうございます。
二年前の3月に書いてたものを発見したので、短編として投稿してみました。
ちょっとでも楽しんでいただければ幸いです。
それでは、また。




