4、ファーストミッション
翌日。時刻は十八時五分。瑠季はテーブルやカウンターの空きグラス・お皿を回収している。里桜は伝票を片手に、レジを操作していた。柚海はいない。
里桜は手を止めて言った。
「お疲れ、ナナちゃん。初日はどうだった? 緊張したんじゃない?」
「ふーっ、あっという間に終わっちゃった気がします」
里桜はカウンター席に、お冷のコップを一つ置いた。
「ナナちゃん、ちょっと休憩しよう。座りなよ」
「えっ? でも…」
「五分くらい大丈夫だよ。初めての立ち仕事だったんじゃない? 疲れたでしょう? 一息ついてよ。この後、お皿洗いやらお店の掃除やらしてもらうんだからさ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
瑠季はカウンターに座ると、水を一口飲んだ後に言った。
「このお仕事って、『動線』が大事なんですね」
「そうだね。お店の奥へ行く道・戻る道を決めておいて、移動中に他のお客さんのテーブルの状態を確認する。これを決めておくだけで、だいぶ仕事がはかどるからね。でも、最初の内は、そんなに意識しないでいいから。目の前の事だけ頑張っていればいいよ」
「はい、了解ですぅ」
「でもナナちゃんてさ、ずっとユズミンを見ていたよね?」
瑠季は体を少しピクリとさせた。
「えっ?」
「私さ、心配だからなるべくナナちゃんの様子を見るようにしていたの。
そしたらずっとユズミンを見ているから、ちょっとビックリした」
「えっ、あのっ、その---」
「お手本にしていたんでしょう?」
「えっ?」
「仕事のお手本だよ。ユズミンの動きを見て、動線とか、グラスやお皿の置き方や、回収の仕方を覚えようとしていたんだね」
「そっ、そうです! そうなんですよ!」
「私には仕事内容を習って、ユズミンには仕事の実技を見習う。効率いいよね」
「はい! まさに『見習って』いました。参考になりましたよ。
ところで、その穂紫さんなんですけど、まだ帰ってきませんね」
「明日の買い出しに行っているからね。だいたい一時間くらいはかかるかな?
ほとんど近所の商店街で買っているんだけどさ」
「近くにある、長ーい商店街ですか?」
「そうだよ。皆さん良い人達ばかりでさ、自然と仲良くなったの。そしたら格安で食材とか売ってくれるようになって。だから、コーヒー一杯三百九十円とかできるんだよ」
「安いですよね。トーストとかケーキとかも安いです」
「でも、こだわりは捨ててないんだ。コーヒーは店内で焙煎しているし、トーストも添加物無しのを使っているんだよ。ペーパーフィルターのような備品や、コーヒー豆・ケーキ・野菜なんかの食品系も、全部商店街のお店から仕入れているんだよ。原価に近い値段にしてくれる店もあって、助かってるの」
「もしかして、それって里桜さん効果で安く?」
「アハハ、そういう事。店主がおじさんやお爺さんだと、さらに負けてくれたりするの。
でも、今日はトーストも買わないといけなかったから、ユズミンが行っているんだよ」
「え? トーストだと、なにかあるんですか?」
「手作りパン屋さんの店員のお姉さんがさ、すごいユズミンを気に入っているんだよ。
食パンを安く卸してもらえないかユズミンが頼んだら、マスターに掛け合ってくれてさ」
瑠季は『女性店員がユズミンを気に入っている』と聞いて、気の抜けた返事をした。
「へー…」
「まあ、パン屋さんだけじゃないけど。他のお店にもいっぱいいるよ、ユズミンのファンって。まあ、あのビジュアルだし、愛想も良いし。お店としては助かってるよ」
「へー…」
「あれ? ねぇ、ナナちゃん」
「へー…じゃなくて! なんでしょう?」
「なんか右目の横あたりがピクピクしているように見えるけど、大丈夫?」
「えっ、なんでもありませんよ! 大丈夫です!」
「ふーん、ならいいけど。まあルックスが原因で、
ちょっとした『事件』も起こしたりもするけど」
「事件?」
「そう、通称『穂紫くんホスト事件』って言ってさ、商店街では語り草だよ。
まあ、ユズミンは完全に被害者なんだけど」
「ちょっと怖そう…。何があったんですか?」
「ユズミンがウチで働き始めて二~三日ぐらいの頃、商店街のオバサンが冗談を言ったんだ。『新しくシオンに入ったウエイターさん、カッコイイね! ホストみたいっ!』って。
それが少しづつ噂になって、気が付いたら、『シオンに、本物のホストがいるぞ! 夜はホストクラブでバイトしてるんだ』っていう話になっちゃってたんだよね。
それを聞いた時、私もユズミンも笑ってたんだけどさ」
「噂話のパワーって恐ろしいですね」
「お店の窓越しにユズミンを一目見ようとする人だかりが出来たり、お客さんもユズミン目当てで、一時的だけど大幅に増えた。まあ、そこまでなら笑い話で済んだんだけど」
「違うんですか?」
「噂話が行き過ぎて、『あの喫茶店は、ホストを使ってボッタクリをしている!』って話に変わっていってさ。さすがにマズイから、ユズミンが商店街のお店を一軒一軒、全部に釈明に行ったんだよ」
「あの長い商店街を全部? ひぇ~!」
「私も『一緒に行く』って言ったんだけど、『一人で行かせてください』って聞かなくてね。『僕はホストではありません。お店は、普通の喫茶店です』って、言って回ってくれたの。結局、ユズミンの誠実さが伝わって、ますます彼は人気がでたけどね。お店も常連さんがグッと増えた。『雨降ってなんとやら…』だね」
「それは良かったです」
「まあそんな感じで、ウチは商店街の皆さんのおかげで助かっているよ。で、ウチのお店は、商店街の人やお客さん達の憩いの場になってる。持ちつ持たれつって感じ」
ここで、瑠季は思っていた。
『上手い具合にお店の話ができた。
この調子なら、自然な流れで柚海の話が聞き出せそうだ』と。
「ところで、穂紫さんなんですけど」
「ん?」
「あの人、どの辺りに住んでいるんですかね?」
「えっ…とね、言っていいのかな? まあユズミンの性格からして、隠しそうもないからいいか。ナナちゃん、『簡易宿泊所』って知ってる?」
「エヘヘ…。なんですか、それ?」
「プッ、お嬢様だなぁ、ナナちゃんって。格安の宿泊施設の事だよ。安く日本を旅行しようとする外国人観光客とか、ホームレスの人とかが、よく利用するやつ。アパート借りるのがキツイらしくてさ、そこで寝泊まりしているんだって」
「それって、いくらぐらいなんですか?」
「えっと…、一日、千五百円くらいかな?」
「じゃあ、三十日で四万五千円か。それくらいだったら、
あと少し出したらアパート借りれないですかね?」
「それが違うんだよ。簡易宿泊所に泊まるのは、二日に一回くらい」
「じゃあ、もう一日は?」
「二十四時間営業のファーストフードでコーヒー一杯頼んで、朝まで座ったまま寝るんだ。で、銭湯でお風呂入ってウチに出勤してくるわけ。たぶん、全部で六百円くらいだと思うから、月間で計算すると、全然違ってくるよね」
「なんか、そんな風に感じませんね。清潔感あるし」
「そこは、気付かっているんだろうね。飲食店だから。で、私聞いたんだよね。『借金でもあるの?』って。そしたら『はい』だって。利子を抑える為に早く返し終えたいらしくて、無茶な返済プランを組んでるんだろうね。住居費を極限まで削るぐらいだから」
「そうですか…」
「スマホも持っていないらしいよ。費用が惜しいらしくてね。
どうやって生活してんだろうと思うけど」
「うーん、それはかなり深刻ですね。」
「まあ、借りている先は闇金とかじゃななくって、普通の金融機関だから問題ないらしいけど。見かねてさ、『ウチの店のソファで寝たら?』って言っているんだけど、聞かないんだよ。『一人暮らしの女性の住居になんて泊まれません!』とか言ってさ。
『二階に行くドアは鍵がかかるから大丈夫』って言っているのに。すんごいカタブツ」
「アハハッ」
「すごい真面目だよね。借金の話をする時も、普通に話すんだよね。辛そうな顔をしないの。そういうトコロがさ---」
「キュンとくると?」
「えっ? 違う! 違う!」
「あら、当たってました?」
「ええいっ! 高校生が大人をからかうな!」
「すんませーん。でも里桜さん、何故ですか?」
「なにが?」
「何故、その話を私にしたのですか?」
「いや、そっちが聞いたクセに!」
「穂紫さんが住んでる所を聞いたんですよ。でもほとんどが穂紫さんのお人柄のお話でした。しかも嬉しそうだったし」
「もうそれはイイっての!」
「アハハッ」
「なんでだろう? ナナちゃんって話しやすいんだよ。ついつい余計に喋ってしまう。なんか親近感を感じるんだ」
「フフッ、それは嬉しいですよ。どんなトコロがですか?」
「そうだね…。例えば、趣味が同じだったりしたら、話しやすかったりするじゃない?
私とナナちゃんって、共通項があるのかな? なにか同じ物が好きとか?」
「さっ、さあどうでしょう?」
そうこう話をしていると、お店のドアにつけてあるベルがカランカランと鳴った。
柚海が帰ってきた。
「ただいま戻りましたー」
里桜は柚海を見て言った。
「噂をすればなんとやらだね、お帰り」
「噂って何ですか?」
「何でもないよ、ねぇナナちゃん」
「えっ? えっと、はい」
柚海は怪訝そうに瑠季をチラリと見たが、瑠季は視線を逸らした。
柚海は両手に持っていた買い物袋を、カウンターの中にある机にドンっと置いた。
「さてと…」
柚海は食材を冷蔵庫に入れようとしていたら、里桜が言った。
「ねぇ、ユズミン。ちょっとこっち向いてみて」
「えっ?」
里桜は背伸びをして、柚海に顔を近づけた。そして顔をジーッと見ている。
「うーん…」
「なっ、なんですか?」
「コンシーラーが落ちてるね」
不思議に思った瑠季が、里桜に聞いた。
「コンシーラーって?」
「ユズミンってさ、二日に一回くらいは、目の下にクマができちゃうんだよね。寝不足が原因なんだろうけど。今日もあったから、今朝、私が塗ったんだよ。お客さんの印象を良くしたくてね」
「へぇ…」
里桜は柚海に言った。
「よし、塗りなおしてあげるよ。こっちおいで」
柚海の右手をつかんで引っ張り、カウンターを出た。
そしてテーブル席に柚海を座らせた。
「西臣さん、もういいですよ。お店は終わりだし、俺はもう帰るだけですから」
「あのね、ユズミン。そんな不健康そうな顔して外を歩かれたら、私が困るんだよ。
君はお店の宣伝マンも兼ねているんだから。帰りにスーパーに寄ったりするでしょう?」
「はぁ」
里桜はカウンターの下にある棚から化粧ポーチを取ってくると、柚海の前に立った。
そしてポーチの中から、小さなパレットを取り出した。
「ユズミン、ちょっと上向いてね」
里桜は筆とパレットを持ち、中腰で柚海の目の下にコンシーラーを塗りだした。
二人の顔の距離は、かなり近い。里桜は平然とコンシーラーを塗っているが、柚海は恥ずかしそうにして、斜め上を見ていた。
筆であらかた塗り終えると、里桜は右手の薬指で、目の下に塗ったコンシーラーを馴染ませ始めた。気が付けば、里桜の左手は柚海の右肩をつかんでいた。
里桜の顔は、さらに接近していく。すると…
バキッ!
何かが折れる音が聞こえた。
里桜は中腰を止めて背を伸ばし、音の原因を探す為に辺りを見渡した。
柚海も辺りを見渡した。
しかし、瑠季だけは動きが無い。
里桜は店内を見ながら、柚海に聞いた。
「ねぇ今、何かが折れた音しなかった?」
柚海も店内を見ながら答えた。
「しましたね、何だろう?」
里桜は瑠季にも聞いた。
「ねぇ、ナナちゃんも聞いたよね?」
「えっ? したかなぁ。分かんないでーす」
その後、閉店作業が終わり、柚海と瑠季は帰った。
里桜は自宅である二階に上がろうとした時、店のスミに異物を発見した。
拾い上げると、真っ二つに折れたボールペンだった。
「なにこれ?」
里桜は頭をひねったが、答えは見つからなかった。
☆瑠季の日記☆
今日は初日だった。緊張するかなと思ったけど、それどころじゃない。
失敗ばかりで、とても大変だった。
里桜さんは、とにかく優しい。すごい丁寧に教えてくれるし、失敗しても怒らない。
むしろ褒めてくれる。そしてフォローしてくれる。いい人だな。
柚海さんは、すごい仕事ができる。『背中に目があるの?』 ってぐらい、いつもお店全体を見ているし、動きも完璧。何より愛想が良い。私達だけの時は普通だけど、お客さんが入ってきた瞬間にスイッチが入る。すごいな。私も笑顔で接客しているつもりだけど、柚海さん程はできていない気がする。見習おう。
柚海さんの笑顔はいいよね。昔は、私にそうやって笑ってくれていたな…。
予想通り、柚海さんは借金があった。柚海さんのお父さんが、借金をしていたっていう
噂は本当だったんだ。お姉さんが結婚して子供が産まれるって事を考えると、たぶん柚海さんが一手に引き受けてるんじゃないかな? そうじゃないと、ホームレスに近い生活してまで、倹約しないだろうし。
柚海さんがシオンで働いているまでは調べられたけど、住所まではたどり着けなかった。そっか、そういう事情だったんだ。
そんな睡眠をちゃんと取れない生活していたら、体壊しちゃうよ。
里桜さんが『お店で寝て良い』って言ってくれているんだから、そうすればいいのに。
でも…、それは嫌かな。
それにしても…それにしてもさ! あの二人なんなの?
ななななななっ…なんでコンシーラーなんか塗っちゃってるの?
あんなに顔を近づける必要なくない?
指で直接顔を触る必要なくない?
あんな事、しょっちゅうやってるの?
あーっ、もうムカつくっ!
ボールペン折っちゃったじゃない!
ふーっ、もういいや。まだまだ『Y・R・P』(ワイアールピー)は序盤だ。冷静に行こう。
とにかく、柚海さんの不健康そうな理由は分かった。住居が問題なんだね。
そこを解決しよう。さて、どうしたものか。
今日はもう寝よう。おやすみ、柚海さん。また明日…。
●
それから三日後。時刻は十六時を過ぎた。
外は強めの雨。ティータイムが過ぎた上に雨も加わり、客足は途絶えた。
里桜は出かけており、店内は瑠季と柚海の二人きり。会話も無くしずかだった。
柚海がカウンターの中で洗い物をしていると、窓際に立っていた瑠季が言った。
「おい」
柚海が瑠季の方を見た瞬間、何か小さい物が柚海に飛んできた。
柚海は何もできず、それがおでこに直撃した。床に飛んできた物が落ちた。
「いてて…、危ないじゃないか!」
瑠季は嫌味な口調で言った。
「たいした運動神経だこと」
柚海は足元に落ちた物を、右手で拾い上げて見た。
「これは…鍵?」
「そうだよ、鍵だ。駅前に白いマンションがあるだろう? そこの一室の鍵だ」
「これをどうしろと?」
「その部屋は私の物置きだ。ビッチリとダンボールが積み上げてある」
「荷物置き専用にマンション借りるのかよ。相変わらずスゲェな、お前の家。…で?」
「お前、毎日そこに通って換気をしろ」
「なんだよそれ? どういう意味だ?」
「意味? 言ったままだよ。換気しないと、この暑さと湿度で荷物が痛むんだよ。
部屋の掃除もしておけよ」
「お前---」
瑠季は右手でポケットからスマーフォンを取り出した。そしてヒラヒラと左右に振った。
「何か言った?」
「いっ、いや、何でもない。分かったよ。換気すればいいんだな」
「いい返事だ。一日二回しろよ。時間は好きにしたらいいが、十時間は間隔を空けろ」
「一日二回ぃ?」
「一回じゃあ効果がないだろう? 二回で不服なら、三回にしてやってもいいぞ」
「…分かったよ。二回だな、二回やればいいんだろ」
「そうそう、素直でいいな。よろしく」
柚海はガックリ肩を落とした。そんな柚海を見て、瑠季は思った。
「(そうだよ、あなたは今日からそのマンションに通うんだ。
一日二回も通っていられないよね? 十時間後に、また来るなんて面倒だよね?
だとすれば、そこに泊まるのが最善策だよね? 気付いてよね!)」
しばらくすると、柚海の洗い物が終わった。
瑠季はカウンターの椅子に座り、柚海と向かい合う形となった。
瑠季は言った。
「水」
柚海は不満気にお冷をコップに注ぎ、瑠季の前に置いた。
「どーぞ」
「スマホを出せ」
「はっ?」
「スマートフォンを出せと言っている。今後は指示を出すのに必要だ。出せよ」
「…いやだ」
「はぁ? お前に選択肢なんて無いんだよ。さっさとしろ」
「無いんだよ」
「なんだって?」
「スマホ持ってないんだよ」
「本当は持っているんだろう? 嘘をつくな」
「嘘じゃない。お前に嘘ついてどうすんだよ」
「…理由は?」
「料金を払う余裕がないから」
瑠季はため息をついて呆れた。
「あのなぁ、大手のスマホだったら月額一万円なんてザラだが、格安メーカーだったら、千五百円程度だぞ。それぐらい知らないのか?」
「知ってるよ! 年間にしたら、一万八千円だぞ? 払えないんだよ!」
力いっぱいに言われて、瑠季は圧倒された。
「おっ、おう」
瑠季は腕を組んで言った。
「仕事が終わったら、駅前のケータイショップに行ってこいよ」
「なぜ?」
「スマホを契約するんだよ」
「誰が?」
「お前だよっ! 今日中に済ませてこいよ」
「契約してもいいけど、連絡をするのは三日ぐらい待ってほしい」
「どうしてだよ?」
「操作できるか自信が無い。勉強する時間をくれ」
「自信って…。何年ぐらいブランクがあるんだよ?」
「ブランクじゃない。スマホ初めてなんだ。
二年前にガラケー解約して以来、携帯は持っていない」
瑠季は右手で頭を抱え、カウンターのテーブルの上にふさぎ込んだ。
「まっ、マジか…」
●
二人は駅前のケータイショップの店内にいた。待合のソファに二人並んで座っている。
周りに聞こえないように、小声でヒソヒソと話し始めた。
お互いに頭を寄せ合っているが、顔は合わせておらず、前を向いている。
柚海が瑠季に聞いた。
「どうしてお前まで来るんだよ?」
「放っておいたら、どんな契約してくるか分かったもんじゃない。
ところで番号札は取った?」
「俺は子供かっ! しかし、どうしてだ?」
「何が?」
「なんでこのスマホ会社なんだよ? 格安スマホなら、他にもあるだろう?」
「どうでもいい質問。単に私が使っているスマホが、この会社なんだよ。それだけ」
柚海は顔を瑠季に向け、ジーッと見た。
「何だよ、気持ち悪いな」
二人は再び、前を向いて話し始めた。
「お前、格安スマホなの?」
「悪いのかよ?」
「格安スマホは安いけど、大手に比べたら制限があるだろう? いいのか?」
「友達や親とメッセージが出来たら、それでいいんだよ。
他には地図を見たり、ネットで買い物するぐらいだから、大手なんて必要ない」
「高校生なのに、スマホに興味ないのか?」
「ないね。友達にも朝から晩まで触っている子いるけど、ああはなりたくないって思う。部屋の掃除でもしていたほうが、よっぽど有意義だっつーの」
「そうだ、お前ってそうだったよな。そういうトコロ、良いよな」
瑠季は驚いて、柚海の方を見た。
柚海の横顔を見ながら、瑠季は思った。
「(えっ…? 今、『良い』って言った?)」
次の瞬間、店員の言葉でカウンター席に呼ばれた。
「二十五番札をお持ちの方、こちらへど~ぞ~!」
柚海はスマートフォンの契約を進めていった。細かなやり取りは瑠季が行い、重要な事項の返事・書類の記入は柚海が行う。契約の話も終盤に差し掛かり、店員の女性が言った。
「…以上となります。これでお客様は、月額千四百八十円のプランを、今からお使い頂けます。ところで…」
店員は、瑠季を見て言った。
「こちらの女性は、お客様の恋人さんですか?」
瑠季は、上ずった声で言った。
「わ、わわわ、私が恋人? 私? それ、私の事ですか?」
「はぁ、違いました?」
大慌ての瑠季と違い、柚海は冷静に店員に聞いた。
「どうしてですか?」
「はい、弊社のユーザーさん同士で連絡をする場合、通話料が無料になったり・パケットが減らないっていうプランがあるんです。登録して頂く必要があるのですが、お二人限定で適用されます。いかがされますか?」
柚海は、チラリと瑠季を見た。それを見た瑠季は、少し緊張した声で店員に言った。
「はっ、はい。そのプランを申し込みます」
「かしこまりました」
店員は、二人の前に書類を出した。
「では、『LOVE定額』にお申込みという事で。
お二人共、この書類にご記入ください」
「(らっ、ラブ定額~? なんてプラン名してんのよっ!)」
瑠季はラブ定額の書類を赤面しながら記入した。記入を終えると柚海に手渡した。
柚海も記入を終え、書類を店員に返した。
「はい、ではラブ定額のお申込み、ありがとうございます。
こちらはラブ定額の粗品でございます」
店員は、ストラップを柚海に手渡した。
二人が去ろうとすると、店員は笑顔で手を振りながら言った。
「今後もラブ定額をご活用ください~」
瑠季は内心で思った。
「(何回『ラブ定額』を連呼すんのよっ!)」
二人は店を出て、駅の改札前に来た。時刻は二十一時近くで真っ暗だ。
柚海は先程のストラップを紙袋から取り出し、瑠季に見せた。ストラップが二本入っており、それぞれに割れたハートが付いている。二つをくっつけて並べると、一つのハートになるという品だ。
「どうする? 要るか?」
瑠季は恥ずかしそうな顔で、顔を逸らした。
「いっ、要らない! そんな物!」
「だよな」
柚海は、ストラップを紙袋の中にポトリと落として入れた。
それを見た瑠季は思った。
「(あっ…)」
瑠季はその紙袋を、物欲し気に見つめていた。
そんな事に気付かない柚海は言った。
「じゃあ行こうか」
「何処へ?」
「お前のマンションだよ」
「はぁ? どうして? 何考えてんの?」
「何って、こんな夜更けだぞ? 送らないと危ないだろ?」
瑠季は体をピクリとさせた後、右手で柚海を指差して言った。
「お前に心配される必要はないっ! さっさと帰れっ!」
瑠季は怒鳴り終えると、クルリと背を向けて歩いて行った。
☆瑠季の日記☆
『マンションンの荷物番』という名目で、柚海さんの住居は確保できた。ファーストフード店で座ったまま寝るなんて、させてられないよ。これで健康状態はマシになるよね。でも、食事が気になる。二年前に比べると、かなり痩せてるよ。
ちゃんと食べているのかな? 心配だ。
しかしまぁ、スマホを持っていないどころか、初めてというのは驚いたな。二年前にガラケーを解約したとか言ってたっけ? 二年前に解約って事は、会社を辞めた時に解約したのかな。それってつまり、私を『殴って』、街を出て行ったタイミングで…。
そういえばお店で、柚海さんは『そういうトコロ、良いよな』って言ってくれた。
昔も、同じような事言われたな。中学生の頃だっけ?
「スマホに興味ないのか?」
…って聞かれて、
「無いよ~」
…って返事したら、褒められた記憶がある。
ある日、たまたま部屋で掃除機をかけていたら、その姿を見て
「瑠季は有意義な時間の使い方をしているな」
…って褒められた。数年前の、他愛のない会話。覚えていてくれたのかな?
それ以来、何故か掃除していると楽しく感じるんだよね。
それにしても…それにしてもさ! あの店員何なの?
ななななななっ…なんで私に『彼女ですか?』なんて聞くの?
リアクションに困るんだよ! 嬉しがっているのバレたらどうしてくれるのよ!
『ラブ定額』なんていう恥ずかしいプラン名を、何回も言うなっ!
あの店員、絶対楽しんでたよ!
あーっ、もうムカつくっ!
…でも、でもさ。あのラブ定額の書類を二人で書いた時は、ちょっとドキドキしたな。
だって、男女二人で共同で書く書類って、婚姻届ぐらいしか思い浮かばないよ。
たった二~三分の事だったけど、嬉しかった。
あの瞬間だけ、私達はカップルだったよね。
あのストラップ、柚海さんはどうするんだろ? 捨てちゃうのかな?
何か適当な事を言って、取り上げたらよかった。お揃いにできるストラップ…。
帰り際、まさか送っていくなんて言うとは思わなかった。今の私とはヒドイ関係なのに、送ろうとするんだね。柚海さんらしいよ。
でも、それは嫌だった。柚海さんと夜道を歩いたりしたら、思い出しちゃうからさ。
昔のイヤな思い出を…。
さて、明日からは忙しぞ。柚海さんにスマホの使い方を教えないとね。スマホを買った事は、里桜さん内緒にしなくていいと言っておいた。
人前で使えないんじゃあ、私が困るからね。
スマホの支払いで月々の負担は増すけど、住居はタダになったんだから、大丈夫だよね?
それに食生活のチェック。絶対栄養が足りてないよ。どんな食生活をしているのかな?
それを調べて、対策を考えよう。
さっ、もう寝ようかな。おやすみ、柚海さん。
明日は一緒に、スマホの勉強しようね。




