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終章、あなたと桜道を

 千明ちあきあおいは、柚海ゆずみを探し出して呼び止めた。瑠季るきはその間に身だしなみを整えた。

泣いた為に、少し目が赤い。必死に瞬きをして、赤みを無くした。

 合流した四人は図書室に移動した。人気ひとけは無く、ゆっくりと話せそうだ。

大きなテーブルにある横並びの椅子に、瑠季るき柚海ゆずみは並んで座った。

千明ちあきあおいは出て行こうとしたのだが、その時にあおいが言った。

穂紫ほしさ~ん! 来世では一緒に大学生やりましょうね~! 痛ったい!」

あおいの後頭部に、千明ちあきのゲンコツが飛んだ。そして二人は出て行った。

 廊下で千明ちあきが言った。

「アンタねぇ! 瑠季るきの恋人かもしれない男に、デレデレしてんじゃないよ!」

「あら? そう見えた?」

「…違うの?」

「私、そんなにバカじゃないよ。見たかったんだよ。あの穂紫ほしさんって人が他の女とイチャイチャしていたら、瑠季るきがどう思うのか。瑠季るきの表情を観察してたんだからね」

「…で、どうだったの?」

千明ちあきの質問をはぐらかすように、あおいは言った。

「さっ、私達はビッフェ行こうよ! お腹いっぱい食べるぞぉ~!」

並んで座る瑠季るき柚海ゆずみ柚海ゆずみ瑠季るきを見ているが、瑠季るきはソッポを向いていた。

柚海ゆずみがどう話そうかと困っていると、瑠季るきが言った。

「いい気なもんだね、女子大生をナンパしたりして。『決意』が聞いて呆れるよ」

「あれは、この大学の話を聞いていただけだよ。どんな場所なのかなって」

「そんなもん聞いてどうすんの? ただのナンパの手口じゃん」

「知りたかったんだよ」

「えっ?」

「大学時代の瑠季るきがどんな子だったのか。あの子は友達なんだろう? お願いして、話を聴かせてもらっていたんだ」

瑠季るき柚海ゆずみの方を振り向いて言った。

「そんな事、直接聞けばいいでしょう!」

「いや、もう会わないって感じだったろう? だからあの子に聞いたんだよ」

「あっ、そっか」

瑠季るき、頑張ったんだな。勉強が一位とか、難しい資格を取ったり。すごいじゃないか」

「あ…うん」

「良くやり遂げたね、偉いよ」

瑠季るきは、顔を赤くしてうつむいた。

「うん、ありがとう。…なんか久しぶりな感じがする」

「なにが?」

柚海ゆずみさんに褒められるの。中学校以来かも」

「そうだね。まあ、お前が褒められるような事をするからだよ」

「それは違うでしょ?」

「違うって?」

「試験に落ちたとしても、『挑戦した事が凄いよっ』とか言うに決まってるよ。

私の長所を探す名人なんだから、柚海ゆずみさんは」

「名人じゃなくて、趣味なんだよ。瑠季るきの良いトコロ探しが趣味なんだ」

「なによ、それ」

「アハハ。他にも面白い事を聞いたよ。男子の人気投票一位とかさ」

あおいめ…余計な事を!」

「いいじゃないか、美人って思われているんだから」

「思ってないよね?」

「ん?」

「私の事、美人だなんて思ってないでしょう?」

「そんな事ないよ! 身内びいきじゃなくて、瑠季るきは美人だと俺は思っている」

「今の私の髪、どう思うの? 私、高校までは腰まであったんだよ」

「そうだね。大学入学を機会に切ったの?」

「うん…ガッカリしたんじゃない?」

「しないよ。どうしてそう思うの?」

柚海ゆずみさん、子供の時に言ってたよ。私の髪のブローを手伝いながらさ、

『お前は長い髪が似合うな』って。覚えてる?」

「うん、覚えているよ。でもそれは、短い瑠季るきを知らないで言った事だからさ。ショートの瑠季るきを見たら、こっちも可愛いと思うよ」

「嘘だ」

「本当だよ。さっきの卒業式で、瑠季るきの答辞があったろう? あの時に初めて見たんだ。瑠季るきのショートヘアを。見た瞬間に思ったよ。『これはこれで可愛いじゃん!』って」

「プッ! 本当に変な人だよね、柚海ゆずみさんって」

「まあ否定はしないけどさ。それはともかく、児童相談所に勤めるんだって? 良い仕事を選んだよな」

「うん、色々悩んだんだけどね。やっぱり直接、子供に手を差し伸べる仕事がしたいなって思ったの。これから児童福祉司の資格を取ったりしなきゃだし、色々大変だけどね」

瑠季るきに合っていると思うよ。瑠季るきなら、辛い子供の気持ちが分かるだろう? 力になってやってくれ」

「うん、頑張るよ。私もまだまだ子供だから、しっかりしないとね。柚海ゆずみさんは、あれからどうしたの?」

「お店を辞めてから、一般企業に就職してさ、今も勤めてるよ。借金も完済したし、もう大丈夫だ」

「そっか、良かったね」

「それと、一応報告しとくよ。バツが悪いから。あの鞠子まりこさんにもらったお金は---」

「使ってないんでしょ? 鞠子まりこさんに返したのか、ドコかに寄付したのか知らないけど」

「どうして分かるんだ?」

「当たり前でしょう? 私、伊達に柚海ゆずみさんの幼馴染みをしていないよ。それに演技が下手過ぎるって。言っとくけど、里桜りおさんにも鞠子まりこさんにもバレてるんだからね」

「そうらしい。恥ずかしいな…」

「あれ? じゃあ、どうやって借金を返したの?」

「商店街に寄付したんだ。でも、その二年後くらいかな? 二百万が返ってきたんだよ。困っていたお店の経営が、思ったより早く軌道に乗ったらしくてね。それで共済金に余裕できたらしくて、一部を返してくれたんだ。突然振り込まれたよ」

「あれ? でも匿名で寄付したんでしょう? よく柚海ゆずみさんの元へ返ってきたね?」

「商店街の人に、入れ知恵したんだろうね。『誰か』がさ」

「あ…そうかもね。そういう人に心当たりあるよ、女神みたいな人をね」

「そういう事。おかげで、予定の半分くらいの期間で返済できた。なあ瑠季るき、大学の中を案内してくれないか? お前が四年間過ごした所を見てみたいんだ」

「うん、いいよ」

 二人は学内をゆっくりと歩いた。色々な教室。音楽堂や体育館。グラウンド。瑠季るきの説明を聞き、柚海ゆずみ瑠季るきの大学生活を思い浮かべた。

綺麗な中庭を歩きながら瑠季るきは言った。

「ねぇ、話してよ」

「何を?」

柚海ゆずみさんの話。あれからどうしてたの? もっと話して」

「話といってもなぁ、普通に働いていただけだし」

「そう」

「まぁ、あえて言うなら、保育士の資格を取ったぐらいかな」

「ふーん、あっそう。…え? えっー! 保育士ぃ!」

「声がでかいよ! 中庭じゅうに響いたぞ」

「だって、だってさ! 柚海ゆずみさんの生活から全然つながらないよ。どうして?」

「どうしてって…。全部、瑠季るきのせいだよ」

「どういう事?」

「ほら、俺は高校に行ってないだろう? だけど高卒認定試験の勉強は、少しづつしていたんだ。でも仕事が忙しいとか理由つけて、怠けていた。そんな時にシオンで瑠季るきと再会した。五年前の夏になるのかな? それで、すごい衝撃を受けたんだ」

「まぁ…脅迫するようなワルになってたもんね」

「そっちじゃない。勉強の方だよ」

「勉強?」

「高校の編入だよ。里桜りおさんが言ってたよ。秀優高校へ編入するには、『奇跡に近い努力が必要』だって。それで気持ちに火が点いたんだ。負けていられないなってさ。瑠季るきがシオンを辞めてから本腰を入れて勉強して。無事に合格できたから、短大へ進学したんだ」

「短大へ? そうなんだ。でも、授業料とか大変だったんじゃあ…」

「それは大丈夫。奨学生になれたから、授業料はかなり免除されたよ」

「奨学生!」

「うん、普通に学費を払うとなったら無理だからね。奨学生を目指すことにしたんだ。高認を合格してから二年間は、とにかく勉強したよ。それから奨学生を目指して短大を受験して、無事に入学できた。仕事は夕方から夜間のシフト専門にしてもらってね。おかげで通学ができたんだ。俺も子供と接する仕事がしたいと思ったんだ」

「そっか。小さな子供の世話する柚海ゆずみさんって、想像したら似合う感じがしてきたよ」

「フフッ、ありがとう。それに四年間待つ間、俺も何かに努力をしたかったんだ。

瑠季るきは大学で、『絶対にいろいろと頑張るんだろうな』って、想像がついていたからね。

でも、想像以上だった。やっぱり、瑠季るきはすごいよ」

「私達は、似ているんだよ。いや、似ちゃったと言うのが正確かな?

里桜りおさんいわく、私は『小さな柚海ゆずみ君』なんだってさ」

「それ、俺も聞いた事あるよ。なに言ってるんだか。アハハ」

「…柚海ゆずみさん、もう一回聞いていい?」

「何を?」

「四年間、どうして連絡くれなかったの?」

「うん…」

「四年前、柚海ゆずみさんは里桜りおさんか鞠子まりこさんと、結ばれると思っていた。だから私に連絡をくれる事は、もう無いと思ってたの。でも、『四年後に会う』って決めていたんなら、連絡くらいしてほしかったよ。どうしてなの?」

「連絡をしてしまったら、『瑠季るきの世界を狭くしてしまうんじゃないか』と思って、心配したんだよ。『四年後に会いに行く』なんて言ったら、他の男と知り合う機会を減らしてしまうかもしれない。それは瑠季るきの為にならないよ。色々な人を知った上で、俺を選んでほしいと思ったんだ」

「…結局、私が柚海ゆずみさんを選ばなかったらどうするの?」

「それは仕方ないさ。お前の人生の世界を広げる事には、代えられないから」

「『仕方ない』か…。まぁ、そんなもんだよね。私なんて」

「えっ?」

二人は歩きながら話していたが、立ち止まって向かい合った。

柚海ゆずみさんは、私の事を許してないんだよ。『世話してやったのに、迷惑ばかり掛けやがった』と思ってるんじゃない?」

「思ってないよ」

「さっき、私が『恋人がいる』って言ったけど、深く聞いてこないもんね。気にならないんだ。もうどうでもいいって思って---」

瑠季るきは話している最中に柚海ゆずみの目を見た。悲しそうな表情で、瑠季るきを見ていた。

「思ってるわけないだろう? そんな事…」

瑠季るきは驚いていた。柚海ゆずみとは、数え切れないくらいの喜怒哀楽を共にしていたが、こんなに悲しそうな柚海ゆずみを見たのは、これが初めてだった。

瑠季るきは俺の事をどう思っているのか知らないけれど、俺はまだまだ幼いし、嫉妬深いんだよ。男のクセにね」

「えっ? そんな事ないじゃない」

「それは体裁ていさいを取りつくろっているだけ。この四年間は、本当に苦しかった。街中で瑠季るきぐらいの年の女の子が、恋人と仲良く歩いているのを見かけるだろ? すると想像しちゃうんだ。瑠季るきは今、誰か若い男とデートでもしているのかなって。 ヒヤヒヤしたりイライラしたりしてさ。情けないし、恥ずかしかった」

柚海ゆずみさん…」

「俺はさ、瑠季るきが思っている百倍、お前の事が好きなんだから。許してくれよな」

「アハハ…、そうなんだ。照れちゃうな。でも、私にとってもそれで良かったと思う」

「良かったって?」

「四年間、会わなかった事。『四年後に会うって』決めていたら、連絡をしまっくていたと思う。何度も会おうとしたと思う。きっとたくさん甘えていたよ。そんな時間の使い方をしていたら、色々な資格も取れなかったかもね。今の私は無かったかもしれない」

「そっか、なら良かった。ところで、さっきのはどういう意味?」

「さっきって?」

「『私の事を許していない』って言ったよな? なんの事?」

「…もういいよ」

瑠季るき、もう最後だから言ってくれ。再会して脅迫まがいの態度をとった事か? それはお前のせいじゃない。俺の為を想うがあまり、暴走してしまったってトコロだろうから」

「それもあるけど、一番いけなかったのは---」

「非行に走った事か?」

「…うん。私さえしっかりしていたら、柚海ゆずみさんは婚約破棄もされなかった。鞠子まりこさんも柚海ゆずみさんと結婚できていた。本当にごめんなさい」

「それは違うよ。俺が目の前の恋愛に溺れて、瑠季るきの事をないがしろにしてしまった。

瑠季るきが孤独で悩んでいるのを知っていたくせにな。本当に最低だよ。瑠季るきに、悪い道を選ばせてしまったのは俺だ。本当に申し訳なかった。許してくれ」

「違うって! そんな事ないってば!」

瑠季るき、俺はお前に、『許さない』なんて感情を持った事は無い。これからも絶対に無い。これは信じてほしい。そして忘れないでほしい」

「私もだよっ! 私だって、柚海ゆずみさんには感謝しかないんだから!

今までも、これからもずっとだよっ!」

「ありがとうな、瑠季るき。お前は家族みたいな…いや、家族以上の存在だった」

「私もだよ。柚海ゆずみさんがお父さんをしてくれて、兄貴もしてくれた。嬉しくて楽しかった」

「そうか、それなら良かったよ」

少しの沈黙が流れた後、柚海ゆずみは言った。

「じゃあ、そろそろ俺は行くよ」

「えっ?」

「忙しい卒業式の日に、時間を取ってくれてありがとうな」

「…もう行っちゃうの?」

瑠季るきもこの後忙しいだろ? 色々な人と別れを惜しむだろうしさ。打ち上げとかもあるんだろ?」

「そんなのは…それよりも!」

「それに、今日は来ないのか?」

「誰が?」

「恋人さん。三歳上って事は、大学の人じゃないんだろう? 迎えに来るのかと思って」

「そっ、その---」

「俺さ、やっぱり見たくない。瑠季るきが恋人と一緒にいるトコロなんてさ。とても耐えきれそうにない。だから、早めに退散させてもらうとするよ」

「だっ、だから---」

「そうだ、最後にお礼を言わせてくれ」

「お礼?」

瑠季るきは、俺の夢を叶えてくれたんだよ。ありがとうな」

「夢?」

「知っての通り、俺は高校へは行っていない。小中学校は行ったけど、家が貧しいと学校でも色々あってさ。学校に対して良い思い出なんて、ほとんど無いんだ。でも、瑠季るきが学校の話をたくさんしてくれただろう? 今日の漢字テストがどうだったとか、友達と何して遊んだとか。他愛ない事を、楽しそうにいっぱい話してくれた。とても楽しかったよ」

「それが夢を叶えるって事なの?」

「そう、普通に学校生活を楽しむ。俺が叶わなかった夢だよ。例えるなら、プロ野球選手になれなかった人が、自分の子供がプロ野球選手になった感じかな。他人が聞いたら大袈裟だと言うだろうが、俺にとってはそうなんだよ」

柚海ゆずみさんにとって、私ってなんだったの? 小学生の頃から、不思議に思ってたの。柚海ゆずみさんは私にたくさんの愛情をくれていたけど、それがなんなのか、よく分からなかったの。お父さんやお兄ちゃん…とは違うし、恋人…も違うと思うの。説明ができない感じでさ。柚海ゆずみさんにとって、私ってどんな存在だったの?」

「夢だよ。俺にとって來々乃瑠季るきは、夢そのものなんだ。お前の成長こそが、俺の夢だ。夢を叶えてくれて、本当にありがとう」

「そんな…何もしていない。私は柚海ゆずみさんに、何もしてあげられていないよ」

「俺十代・二十代は、辛い事の連続だった。でも、瑠季るきの存在と成長する姿に支えられ・励まされた。それは瑠季るきにしかできなかった事だからさ。いくら感謝しても足りないよ」

「それは私だよ! 柚海ゆずみさんに支えられて、励まされてきたんだから。

大学生活だって、柚海ゆずみさんとの思い出があったから、頑張れたんだ!」

「そうか…なら良かったよ」

「あっ、あのさ! 私の話を---」

「そうだ瑠季るき、お前にプレゼントがある」

「プレゼント?」

柚海ゆずみはジャケットの内ポケットから、ある物を取り出した。

そして右手のひらに乗せて、瑠季るきに見せた。

「これに見覚えないか?」

「これ?」

瑠季るきはジーッと、それを見つめた。

「これって、ケータイ用のストラップだよね。ストラップ…? これって!」

「五年前、瑠季るきと一緒にケータイショップに行っただろう? その時の景品だよ。

『ラブ定額』って、覚えていないか?」

「アーッ! 懐かしいね、その言葉。恥ずかしかったけど嬉しかった。これがあの時の?」

「そう、連なった二つの内の一つなんだ。これを瑠季るきにやる」

柚海ゆずみはそう言うと、瑠季るきの右手首をそっとつかみ、自分の近くにゆっくりと引き寄せた。そして瑠季るきの右手のひらに、ストラップを置いて言った。

「これは、俺に会えるチケットだ」

「…チケット?」

瑠季るき。これからのお前の人生で、自分の力だけではどうしようもない、絶体絶命の窮地に立たされる時があると思う。そんな時は、このストラップを持って俺を訪ねてこい。絶対に俺が瑠季るきを助けてやる。どんな願いも、俺が一つだけ叶えてやる」

瑠季るきは胸の位置に右手のひらを上げて、ストラップをギユッと握りしめた。

そして柚海ゆずみの目を見て、嬉しそうに言った。

「どんな願いも叶う、魔法のストラップなんだね」

「どんな時でも・何があっても、俺は永遠にお前の味方だから。いつでも頼ってこいよ」

「うん。柚海ゆずみさん、ありがとう」

瑠季るきはジャケットのポケットにストラップを入れた。

柚海ゆずみはニッコリ笑って言った。

「じゃあ元気でな、瑠季るき

柚海ゆずみ瑠季るきの目を見て言ったが、返事はなかった。柚海ゆずみはクルリと振り返り、瑠季るきの元を歩いて離れて行った。その瞬間、柚海ゆずみの顔から笑顔は消えていた。泣きそうになるのを、歯を喰いしばって耐えていた。

せめて大学の校門を出るまでは耐えなければと思っていた。十メートくらい歩いた頃だろうか? 柚海ゆずみの背後から声が聞こえた。大声ではない。聞こえるか聞こえないか、

ギリギリの声量だった。


柚海ゆずみさん」


柚海ゆずみは自分を呼んだのかどうか、半信半疑だったが、後ろを振り返った。すると、ゆっくりとこちらへ歩いてくる瑠季るきの姿があった。しばらくして、瑠季るき柚海ゆずみの前に立った。

いや、かなり距離が近いので、目前に立ったと言うべきだろう。

なんとか涙をこらえた柚海ゆずみは言った。

「ん? どうした瑠季るき

柚海ゆずみさん、ちょっと付き合ってほしい所があるの」

大学を出て十分ほど歩くと、広い道に出た。

道の左右に、綺麗な桜の木がズラリと並んでいる。綺麗に咲いており、花びらも少し舞っていた。桜の美しさに、柚海ゆずみは思わずうなった。

「うわぁー! 綺麗だ! 綺麗な桜道だぁ!」

「綺麗でしょう? 毎年春になると、この桜道を歩くのが私の楽しみなんだ」

「うん、これは綺麗だよ!」

柚海ゆずみは辺りを見渡し、桜の美しさに見とれていた。

柚海ゆずみさん、この道はズーッと桜が続いているんだ。一緒に歩かない?」

「うん、いいね! 歩こう」

二人は話をせずに、桜を見ながらしばらく歩いた。

瑠季るきは立ち止まって柚海ゆずみに言った。

柚海ゆずみさん」

柚海ゆずみも立ち止まり、瑠季るきと向かい合った。

「なに?」

「大学の卒業式の日に、柚海ゆずみさんと桜道を歩けて良かった。柚海ゆずみさんは覚えていないと思うけど、小学生の頃---」

瑠季るきの話をさえぎって、柚海ゆずみは言った。

「小学校の卒業式の日、桜道で一緒に写真を撮ったな」

「えっ!」

瑠季るきは感激したが、表情には出さずにこらえた。柚海ゆずみは続けて言った。

「中学校も・高校の卒業式も、『一緒に桜道で写真を撮ろう』って約束していたのにな。

約束を守れなくて、すまなかった」

「おっ、覚えていてくれたんだ」

「もちろんだ。大学卒業の日に、桜道を一緒に歩けて良かった。俺もそう思うよ、瑠季るき

瑠季るきは潤んだ目で、柚海ゆずみを見ながら言った。

柚海ゆずみさん、あなたは…あなたって人は!」

瑠季るきはそう言い終えると、柚海ゆずみから視線を外して黙り込んだ。

心配そうに柚海ゆずみが言った。

瑠季るき?」

瑠季るきはしばらくすると、ジャケットのポケットに右手を入れた。ポケットから出てきた右手には、先程のストラップが握られていた。右手に持っていたストラップをギュッと強く握り、自分の胸元へ引き寄せた。

表情も一転した。まるで何かを決意したかのような力強い目つきになり、柚海ゆずみを見た。

「このストラップ、今使うよ」

「今? もう使うのか?」

「そうだよ。いけないの?」

「…いや、いいよ。大丈夫だ。瑠季るきの願いを言ってくれ」

瑠季るきは力強く言った。

「じゃあ言うね。私の願い…私の願いは! 『穂紫柚海ほし ゆずみを、私の恋人にしてほしい』」

「…え?」

「叶えてくれるよね?」

「いや、それは…。瑠季るき、それ本気で言っているのか?」

「そうだよ」

「…それはできないよ。」

「なぜ? どんな願いも叶えるって言ったじゃない!」

「お前には、結婚を約束した人がいるんだろ? だから無理だよ」

瑠季るきはあっさり言った。

「あれは嘘。柚海ゆずみさんを困らせたくて、駄々をこねただけ」

「えっ? えっ? それホントかよ?」

「そうだよ。私に恋人はいない。まして、婚約者なんて絶対にいないよ。分かった?」

「『分かった?』って言われても…。頭の整理が追いつかないんだけど」

瑠季るきは再び力強い口調に戻った。

「これで問題は無いよねっ! さあ、私の願いを叶えてよ!

柚海ゆずみさんを! 穂紫柚海ほし ゆずみを私の恋人にしてっ!」

柚海ゆずみ瑠季るきの目を見ながら話を聴いていた。瑠季るきの目は真剣そのものだった。

この目から語られる言葉に、返す返事は一つしかなかった。

瑠季るき

瑠季るきは体を少し、ピクリとさせた。

「はっ、はい!」

「その願いを叶えるよ。俺は瑠季るきの恋人になる。…いや、なりたい。

俺は來々乃瑠季ななの るきの恋人になりたい。瑠季るきと恋がしたい。…いいかな?」

柚海ゆずみが言い終えるとすぐ、瑠季るき柚海ゆずみに向かって飛び込んだ。そして腕ごと抱きしめた。

「もっちろん!」

あまりの勢いに、柚海ゆずみは二~三歩のけぞった。

「おっとっと! 危ないなぁ」

「へへっ!」

瑠季るき柚海ゆずみを抱きしめたまま、左の頬を柚海ゆずみの胸に当てて言った。

「私、心の何処かで思っていたのかもしれない。大学生活の毎日を懸命に頑張っていれば、また柚海ゆずみさんと一緒に過ごせる日が来るんじゃないかってさ」

「俺もだよ、瑠季るき。またお前と、楽しい日常が過ごしたいって、ずっと願っていたんだ」

「うん…。これからは、また昔みたいに楽しく過ごそうね」

瑠季るきは手をほどいた。すると、柚海ゆずみは笑顔で言った。

瑠季るき、成功だよ。大成功だよ。ありがとう」

「なんの話?」

「高校一年から、考えてくれていたんだろう? 俺を幸せにする為の『作戦』」

瑠季るきはバツが悪そうに視線を逸らした。

「ア、アハハ…。里桜りおさんから聞いた? そうだよ。『Y・R・ワイアールピー』って名付けてさ」

「成功したんだよ。俺は今日、人生で一番幸せだよ。瑠季るきの『作戦』は、本日をもって大成功で完了したんだ。ありがとう」

「本当に?」

「本当だよ。俺は幸せになれた」

「そっか、良かった。失敗ばかりのポンコツ作戦だったけど、上手くいったんだね。

あと、嬉しい誤算もあったかな」

「誤算?」

「うん。柚海ゆずみさんに幸せになってほしいと思って考えた作戦だった。でも結局、私まで幸せになっちゃった。これは嬉しい大誤算だったよ」

「それは誤算じゃないよ」

「えっ?」

「俺の幸せは、瑠季るきの幸せとイコールなんだからさ。やっぱり大成功だったんだよ」

「うん、そうだね。私も幸せだから、大成功だ!」

「…瑠季るき。名残惜しいが、これでいったん大笠府おおかさふに帰るよ。また会いに来るから」

「えっ? どうして?」

「さっきも言ったけど、今日は色々と忙しいだろ?」

「そんなのいいって! もっと話そうよ!」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、卒業式の日っていう、この日しかできない事があるんじゃないか? もう会う事が無い人もいるだろ? 別れを惜しんで来い。みんなで頑張った四年間をねぎらい合ってこいよ。俺達には、時間があるんだからさ」

「うん…そうだね。分かったよ」

「あと、あまりお酒を飲み過ぎないように気をつけてくれよな」

「えっ? 私、お酒は飲まないよ」

「いいじゃないか。今日くらい試してみたら? 二十二才だろ? 問題ないよ」

「あっ、そっか。未成年じゃないもんね。『法令順守』だ」

「そうそう! そういう事!」

「アハハッ!」

瑠季るき、もう少し歩こう。この桜道を」

「うん!」


二人は並んで歩きながら、話し始めた。

「俺さ、瑠季るきと恋愛するにあたって、とても楽しみにしている事があるんだ」

「へぇ~、なに?」

「お弁当作り。何年振りになるんだろう? 楽しみだなぁ。瑠季るきが好きなオカズをいっぱい入れるからな」

柚海ゆずみがそういうと、瑠季るきの表情が曇った。

「あれ? どうした?」

「私、お弁当はヒドイ事したから。食べずに返したりして、本当に悪い事をしたって---」

柚海ゆずみ瑠季るきの言葉をさえぎって言った。

「それはもういい。そういう事は、もういいんだよ、瑠季るき

「えっ?」

「それはもう済んだことだ。瑠季るきは反省しているし、俺も納得している。だからもういいんだ。俺の過ちも、瑠季るきも同じように想ってくれると嬉しいんだが。瑠季るきはどうかな?」

「私もだよ! 柚海ゆずみさんには柚海ゆずみさんの都合や考えがあったんだから、納得しているよ。今は何も思っていないから安心してほしいの」

「うん、ありがとう。じゃあお互いに、過去の事で気に病むのは止めにしないか?」

「うん、そうだね。もう言わないし、謝らないよ」

「人間はさ、失敗をするよ。それは避けて通れない。『失敗した事が無い』っていうのは、『何もしなかった』っていうのと同じだと思う。失敗を恐れていたら、何も始まらないし、何も得られないだろうからさ」

「そうだね。私、柚海ゆずみさんといると、こう思えるんだ。『後悔っていいな』って」

「後悔がいい? なぜ?」

「後悔しているのってさ、『明日からは良くしたい』って、考えている・もがいている事なんじゃないかな? でもそんなの、一人じゃ辛くてできない。心から信頼できる人が一緒じゃないとね。柚海ゆずみさんとだったら、それができる気がするの」

「そうだな、俺も瑠季るきとだったらできると思う」

「うん、一緒に乗り越えようね」

瑠季るき、俺たちはまだ若いんだぞ。初心者マークのルーキーなんだ。

だから失敗を恐れずに、大胆に頑張ろうな!」

「うん、分かったよ!」

瑠季るきがそう言い終えると、柚海ゆずみは足を止めて、しばらく瑠季るきの顔を眺めた。

「なっ、なに? どうしたの柚海ゆずみさん?」

瑠季るき・るき・ルキ・ルーキーか…」

「えっ?」

「いや、瑠季るきって良い名前していると思ってさ。そうか! 瑠季るきってルーキーなんだな」

「ちょっと! 無理にこじつけないでよ!」

「いいじゃないか。俺達は、この四月から新しい仕事に挑戦するんだぞ。仕事においても、人生においてもルーキーなんだから。良い名前だよ」

「まったく無茶を言うね。私の事をルーキーなんて呼ばないでよ! 瑠季るきだからね!」

「アハハ、分かった分かった」

二人は再び歩き始めた。

柚海ゆずみさん。次に会う時に、一緒にしたい事があるんだ」

「なに?」

柚海ゆずみさんもスマホ持ってないんでしょ? 一緒に契約しに行こうよ」

「なんだ、瑠季るきも持っていないのか。よし、そうしよう」

「それでさ、また『ラブ定額』を申し込もうね。五年前は偽りのカップルだったけど、今回は本当のカップルだよ」

「うん、そうだな。そして、またストラップをもらおうな」

「ううん、もうストラップは要らないよ。これでいい」

瑠季るきは右手に持っていたストラップを、柚海ゆずみに見せた。

柚海ゆずみさんが五年間、大事に取っておいてくれた、このストラップがいいんだ、私」

「分かったよ。俺もペアの一つを持っているからさ。大事にするよ」

柚海ゆずみがそう言った頃、桜道の終わりに到着した。

二人は歩みを止め、向かい合った。柚海ゆずみが深刻な表情に変わっていた。

瑠季るき。どうしても今日、言っておきたい事がある。お前もあえて触れてこないんだよな。でも俺達には、絶対に避けては通れない事がある。だから聞いてほしい」

「うん…」

「俺は六年前、瑠季るきを殴った。女を…お前を握り拳で殴ったんだ。

これだけは、『済んだ事』や『納得』なんて言葉では片づけられない」

「うん…」

瑠季るきが感じた恐怖や悲しみや痛みは、謝ったら済むなんてものじゃないのは分かっている。でも、謝らせてほしい。本当にごめんなさい」

柚海ゆずみは深々と、頭を下げた。

すると、瑠季るきは言った。

「殴ってないよ」

「えっ?」

柚海ゆずみは驚いて、頭を上げた。

柚海ゆずみさんは、私を殴っていない。右手の握り拳を振りかぶったけど、そのまま気絶しちゃったんだよ」

「…まさか。かばったりしなくていいよ」

「本当だって。この期に及んで、嘘ついても仕方ないじゃない。柚海ゆずみさんは、私を殴っていない。本当だよ」

「でも、それは気絶したからだろ? もし気絶しなかったら、瑠季るきを殴っていたんだ」

「殴らない。柚海ゆずみさんは、女を殴ったりしない。私を殴ったりしないって」

「しっ、しかし---」

「自分でどう思うの? 私を殴ると思う? 私を殴る自分の姿が目に浮かぶの?」

「…いや、それは無い。少なくとも、そんな事は絶対にしないと信じたい」

「じゃあ、それでいいよ。私も柚海ゆずみさんを信じてる。だから、もう気に病まないで」

「分かったよ。ありがとう、瑠季るき

「うんっ! でもまぁ、どうしてもペナルティが欲しいってんなら、してあげるけど?」

「ペナルティ? うん、お願いするよ。殴ってもいいし、怒鳴ってもいいよ」

「プッ、違うよ。今から私が言う言葉を、胸に刻んで生きてほしい。それでどうかな?」

「…よしっ、分かった! 言ってくれ」

「うん、じゃあ言うよ」

瑠季るきは左手で自分の腰をつかみ、右手を前に伸ばして柚海ゆずみの顔を指差した。

そして、学校の先生のような、ハキハキした口調で言った。

穂紫柚海ほし ゆずみくん!」

「はいっ!」

「女子高生を、グーで殴ってはいけません!」

「えっ…?」

「分かりましたかっ?」

「フフッ、はい! 分かりました! 瑠季るき先生!」

「アハハッ! ならよろしい」

柚海ゆずみ瑠季るきの体を引き寄せ、二人は抱き合った。

瑠季るきの耳元で、柚海ゆずみは言った。

瑠季るき、お前は本当に立派になった。もう『近所の小さな子供』じゃないんだな。

これからは俺も、お前から色々な事を学びたいんだ」

「へへっ、それは私もだよ。柚海ゆずみさんはこれからも、しっかり私の世話を焼いてよね」

「もちろんだ。瑠季るき、やはりお前は俺の夢だ。今までも、そしてこれからもな」


〈了〉

読んでくださった方、ありがとうございました。

心より感謝申し上げます。

作者より。

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