終章、あなたと桜道を
千明と葵は、柚海を探し出して呼び止めた。瑠季はその間に身だしなみを整えた。
泣いた為に、少し目が赤い。必死に瞬きをして、赤みを無くした。
●
合流した四人は図書室に移動した。人気は無く、ゆっくりと話せそうだ。
大きなテーブルにある横並びの椅子に、瑠季と柚海は並んで座った。
千明と葵は出て行こうとしたのだが、その時に葵が言った。
「穂紫さ~ん! 来世では一緒に大学生やりましょうね~! 痛ったい!」
葵の後頭部に、千明のゲンコツが飛んだ。そして二人は出て行った。
●
廊下で千明が言った。
「アンタねぇ! 瑠季の恋人かもしれない男に、デレデレしてんじゃないよ!」
「あら? そう見えた?」
「…違うの?」
「私、そんなにバカじゃないよ。見たかったんだよ。あの穂紫さんって人が他の女とイチャイチャしていたら、瑠季がどう思うのか。瑠季の表情を観察してたんだからね」
「…で、どうだったの?」
千明の質問をはぐらかすように、葵は言った。
「さっ、私達はビッフェ行こうよ! お腹いっぱい食べるぞぉ~!」
●
並んで座る瑠季と柚海。柚海は瑠季を見ているが、瑠季はソッポを向いていた。
柚海がどう話そうかと困っていると、瑠季が言った。
「いい気なもんだね、女子大生をナンパしたりして。『決意』が聞いて呆れるよ」
「あれは、この大学の話を聞いていただけだよ。どんな場所なのかなって」
「そんなもん聞いてどうすんの? ただのナンパの手口じゃん」
「知りたかったんだよ」
「えっ?」
「大学時代の瑠季がどんな子だったのか。あの子は友達なんだろう? お願いして、話を聴かせてもらっていたんだ」
瑠季は柚海の方を振り向いて言った。
「そんな事、直接聞けばいいでしょう!」
「いや、もう会わないって感じだったろう? だからあの子に聞いたんだよ」
「あっ、そっか」
「瑠季、頑張ったんだな。勉強が一位とか、難しい資格を取ったり。すごいじゃないか」
「あ…うん」
「良くやり遂げたね、偉いよ」
瑠季は、顔を赤くしてうつむいた。
「うん、ありがとう。…なんか久しぶりな感じがする」
「なにが?」
「柚海さんに褒められるの。中学校以来かも」
「そうだね。まあ、お前が褒められるような事をするからだよ」
「それは違うでしょ?」
「違うって?」
「試験に落ちたとしても、『挑戦した事が凄いよっ』とか言うに決まってるよ。
私の長所を探す名人なんだから、柚海さんは」
「名人じゃなくて、趣味なんだよ。瑠季の良いトコロ探しが趣味なんだ」
「なによ、それ」
「アハハ。他にも面白い事を聞いたよ。男子の人気投票一位とかさ」
「葵め…余計な事を!」
「いいじゃないか、美人って思われているんだから」
「思ってないよね?」
「ん?」
「私の事、美人だなんて思ってないでしょう?」
「そんな事ないよ! 身内びいきじゃなくて、瑠季は美人だと俺は思っている」
「今の私の髪、どう思うの? 私、高校までは腰まであったんだよ」
「そうだね。大学入学を機会に切ったの?」
「うん…ガッカリしたんじゃない?」
「しないよ。どうしてそう思うの?」
「柚海さん、子供の時に言ってたよ。私の髪のブローを手伝いながらさ、
『お前は長い髪が似合うな』って。覚えてる?」
「うん、覚えているよ。でもそれは、短い瑠季を知らないで言った事だからさ。ショートの瑠季を見たら、こっちも可愛いと思うよ」
「嘘だ」
「本当だよ。さっきの卒業式で、瑠季の答辞があったろう? あの時に初めて見たんだ。瑠季のショートヘアを。見た瞬間に思ったよ。『これはこれで可愛いじゃん!』って」
「プッ! 本当に変な人だよね、柚海さんって」
「まあ否定はしないけどさ。それはともかく、児童相談所に勤めるんだって? 良い仕事を選んだよな」
「うん、色々悩んだんだけどね。やっぱり直接、子供に手を差し伸べる仕事がしたいなって思ったの。これから児童福祉司の資格を取ったりしなきゃだし、色々大変だけどね」
「瑠季に合っていると思うよ。瑠季なら、辛い子供の気持ちが分かるだろう? 力になってやってくれ」
「うん、頑張るよ。私もまだまだ子供だから、しっかりしないとね。柚海さんは、あれからどうしたの?」
「お店を辞めてから、一般企業に就職してさ、今も勤めてるよ。借金も完済したし、もう大丈夫だ」
「そっか、良かったね」
「それと、一応報告しとくよ。バツが悪いから。あの鞠子さんに貰ったお金は---」
「使ってないんでしょ? 鞠子さんに返したのか、ドコかに寄付したのか知らないけど」
「どうして分かるんだ?」
「当たり前でしょう? 私、伊達に柚海さんの幼馴染みをしていないよ。それに演技が下手過ぎるって。言っとくけど、里桜さんにも鞠子さんにもバレてるんだからね」
「そうらしい。恥ずかしいな…」
「あれ? じゃあ、どうやって借金を返したの?」
「商店街に寄付したんだ。でも、その二年後くらいかな? 二百万が返ってきたんだよ。困っていたお店の経営が、思ったより早く軌道に乗ったらしくてね。それで共済金に余裕できたらしくて、一部を返してくれたんだ。突然振り込まれたよ」
「あれ? でも匿名で寄付したんでしょう? よく柚海さんの元へ返ってきたね?」
「商店街の人に、入れ知恵したんだろうね。『誰か』がさ」
「あ…そうかもね。そういう人に心当たりあるよ、女神みたいな人をね」
「そういう事。おかげで、予定の半分くらいの期間で返済できた。なあ瑠季、大学の中を案内してくれないか? お前が四年間過ごした所を見てみたいんだ」
「うん、いいよ」
●
二人は学内をゆっくりと歩いた。色々な教室。音楽堂や体育館。グラウンド。瑠季の説明を聞き、柚海は瑠季の大学生活を思い浮かべた。
綺麗な中庭を歩きながら瑠季は言った。
「ねぇ、話してよ」
「何を?」
「柚海さんの話。あれからどうしてたの? もっと話して」
「話といってもなぁ、普通に働いていただけだし」
「そう」
「まぁ、あえて言うなら、保育士の資格を取ったぐらいかな」
「ふーん、あっそう。…え? えっー! 保育士ぃ!」
「声がでかいよ! 中庭じゅうに響いたぞ」
「だって、だってさ! 柚海さんの生活から全然つながらないよ。どうして?」
「どうしてって…。全部、瑠季のせいだよ」
「どういう事?」
「ほら、俺は高校に行ってないだろう? だけど高卒認定試験の勉強は、少しづつしていたんだ。でも仕事が忙しいとか理由つけて、怠けていた。そんな時にシオンで瑠季と再会した。五年前の夏になるのかな? それで、すごい衝撃を受けたんだ」
「まぁ…脅迫するようなワルになってたもんね」
「そっちじゃない。勉強の方だよ」
「勉強?」
「高校の編入だよ。里桜さんが言ってたよ。秀優高校へ編入するには、『奇跡に近い努力が必要』だって。それで気持ちに火が点いたんだ。負けていられないなってさ。瑠季がシオンを辞めてから本腰を入れて勉強して。無事に合格できたから、短大へ進学したんだ」
「短大へ? そうなんだ。でも、授業料とか大変だったんじゃあ…」
「それは大丈夫。奨学生になれたから、授業料はかなり免除されたよ」
「奨学生!」
「うん、普通に学費を払うとなったら無理だからね。奨学生を目指すことにしたんだ。高認を合格してから二年間は、とにかく勉強したよ。それから奨学生を目指して短大を受験して、無事に入学できた。仕事は夕方から夜間のシフト専門にしてもらってね。おかげで通学ができたんだ。俺も子供と接する仕事がしたいと思ったんだ」
「そっか。小さな子供の世話する柚海さんって、想像したら似合う感じがしてきたよ」
「フフッ、ありがとう。それに四年間待つ間、俺も何かに努力をしたかったんだ。
瑠季は大学で、『絶対にいろいろと頑張るんだろうな』って、想像がついていたからね。
でも、想像以上だった。やっぱり、瑠季はすごいよ」
「私達は、似ているんだよ。いや、似ちゃったと言うのが正確かな?
里桜さんいわく、私は『小さな柚海君』なんだってさ」
「それ、俺も聞いた事あるよ。なに言ってるんだか。アハハ」
「…柚海さん、もう一回聞いていい?」
「何を?」
「四年間、どうして連絡くれなかったの?」
「うん…」
「四年前、柚海さんは里桜さんか鞠子さんと、結ばれると思っていた。だから私に連絡をくれる事は、もう無いと思ってたの。でも、『四年後に会う』って決めていたんなら、連絡くらいしてほしかったよ。どうしてなの?」
「連絡をしてしまったら、『瑠季の世界を狭くしてしまうんじゃないか』と思って、心配したんだよ。『四年後に会いに行く』なんて言ったら、他の男と知り合う機会を減らしてしまうかもしれない。それは瑠季の為にならないよ。色々な人を知った上で、俺を選んでほしいと思ったんだ」
「…結局、私が柚海さんを選ばなかったらどうするの?」
「それは仕方ないさ。お前の人生の世界を広げる事には、代えられないから」
「『仕方ない』か…。まぁ、そんなもんだよね。私なんて」
「えっ?」
二人は歩きながら話していたが、立ち止まって向かい合った。
「柚海さんは、私の事を許してないんだよ。『世話してやったのに、迷惑ばかり掛けやがった』と思ってるんじゃない?」
「思ってないよ」
「さっき、私が『恋人がいる』って言ったけど、深く聞いてこないもんね。気にならないんだ。もうどうでもいいって思って---」
瑠季は話している最中に柚海の目を見た。悲しそうな表情で、瑠季を見ていた。
「思ってるわけないだろう? そんな事…」
瑠季は驚いていた。柚海とは、数え切れないくらいの喜怒哀楽を共にしていたが、こんなに悲しそうな柚海を見たのは、これが初めてだった。
「瑠季は俺の事をどう思っているのか知らないけれど、俺はまだまだ幼いし、嫉妬深いんだよ。男のクセにね」
「えっ? そんな事ないじゃない」
「それは体裁を取り繕っているだけ。この四年間は、本当に苦しかった。街中で瑠季ぐらいの年の女の子が、恋人と仲良く歩いているのを見かけるだろ? すると想像しちゃうんだ。瑠季は今、誰か若い男とデートでもしているのかなって。 ヒヤヒヤしたりイライラしたりしてさ。情けないし、恥ずかしかった」
「柚海さん…」
「俺はさ、瑠季が思っている百倍、お前の事が好きなんだから。許してくれよな」
「アハハ…、そうなんだ。照れちゃうな。でも、私にとってもそれで良かったと思う」
「良かったって?」
「四年間、会わなかった事。『四年後に会うって』決めていたら、連絡をしまっくていたと思う。何度も会おうとしたと思う。きっとたくさん甘えていたよ。そんな時間の使い方をしていたら、色々な資格も取れなかったかもね。今の私は無かったかもしれない」
「そっか、なら良かった。ところで、さっきのはどういう意味?」
「さっきって?」
「『私の事を許していない』って言ったよな? なんの事?」
「…もういいよ」
「瑠季、もう最後だから言ってくれ。再会して脅迫まがいの態度をとった事か? それはお前のせいじゃない。俺の為を想うがあまり、暴走してしまったってトコロだろうから」
「それもあるけど、一番いけなかったのは---」
「非行に走った事か?」
「…うん。私さえしっかりしていたら、柚海さんは婚約破棄もされなかった。鞠子さんも柚海さんと結婚できていた。本当にごめんなさい」
「それは違うよ。俺が目の前の恋愛に溺れて、瑠季の事をないがしろにしてしまった。
瑠季が孤独で悩んでいるのを知っていたくせにな。本当に最低だよ。瑠季に、悪い道を選ばせてしまったのは俺だ。本当に申し訳なかった。許してくれ」
「違うって! そんな事ないってば!」
「瑠季、俺はお前に、『許さない』なんて感情を持った事は無い。これからも絶対に無い。これは信じてほしい。そして忘れないでほしい」
「私もだよっ! 私だって、柚海さんには感謝しかないんだから!
今までも、これからもずっとだよっ!」
「ありがとうな、瑠季。お前は家族みたいな…いや、家族以上の存在だった」
「私もだよ。柚海さんがお父さんをしてくれて、兄貴もしてくれた。嬉しくて楽しかった」
「そうか、それなら良かったよ」
少しの沈黙が流れた後、柚海は言った。
「じゃあ、そろそろ俺は行くよ」
「えっ?」
「忙しい卒業式の日に、時間を取ってくれてありがとうな」
「…もう行っちゃうの?」
「瑠季もこの後忙しいだろ? 色々な人と別れを惜しむだろうしさ。打ち上げとかもあるんだろ?」
「そんなのは…それよりも!」
「それに、今日は来ないのか?」
「誰が?」
「恋人さん。三歳上って事は、大学の人じゃないんだろう? 迎えに来るのかと思って」
「そっ、その---」
「俺さ、やっぱり見たくない。瑠季が恋人と一緒にいるトコロなんてさ。とても耐えきれそうにない。だから、早めに退散させてもらうとするよ」
「だっ、だから---」
「そうだ、最後にお礼を言わせてくれ」
「お礼?」
「瑠季は、俺の夢を叶えてくれたんだよ。ありがとうな」
「夢?」
「知っての通り、俺は高校へは行っていない。小中学校は行ったけど、家が貧しいと学校でも色々あってさ。学校に対して良い思い出なんて、ほとんど無いんだ。でも、瑠季が学校の話をたくさんしてくれただろう? 今日の漢字テストがどうだったとか、友達と何して遊んだとか。他愛ない事を、楽しそうにいっぱい話してくれた。とても楽しかったよ」
「それが夢を叶えるって事なの?」
「そう、普通に学校生活を楽しむ。俺が叶わなかった夢だよ。例えるなら、プロ野球選手になれなかった人が、自分の子供がプロ野球選手になった感じかな。他人が聞いたら大袈裟だと言うだろうが、俺にとってはそうなんだよ」
「柚海さんにとって、私ってなんだったの? 小学生の頃から、不思議に思ってたの。柚海さんは私にたくさんの愛情をくれていたけど、それがなんなのか、よく分からなかったの。お父さんやお兄ちゃん…とは違うし、恋人…も違うと思うの。説明ができない感じでさ。柚海さんにとって、私ってどんな存在だったの?」
「夢だよ。俺にとって來々乃瑠季は、夢そのものなんだ。お前の成長こそが、俺の夢だ。夢を叶えてくれて、本当にありがとう」
「そんな…何もしていない。私は柚海さんに、何もしてあげられていないよ」
「俺十代・二十代は、辛い事の連続だった。でも、瑠季の存在と成長する姿に支えられ・励まされた。それは瑠季にしかできなかった事だからさ。いくら感謝しても足りないよ」
「それは私だよ! 柚海さんに支えられて、励まされてきたんだから。
大学生活だって、柚海さんとの思い出があったから、頑張れたんだ!」
「そうか…なら良かったよ」
「あっ、あのさ! 私の話を---」
「そうだ瑠季、お前にプレゼントがある」
「プレゼント?」
柚海はジャケットの内ポケットから、ある物を取り出した。
そして右手のひらに乗せて、瑠季に見せた。
「これに見覚えないか?」
「これ?」
瑠季はジーッと、それを見つめた。
「これって、ケータイ用のストラップだよね。ストラップ…? これって!」
「五年前、瑠季と一緒にケータイショップに行っただろう? その時の景品だよ。
『ラブ定額』って、覚えていないか?」
「アーッ! 懐かしいね、その言葉。恥ずかしかったけど嬉しかった。これがあの時の?」
「そう、連なった二つの内の一つなんだ。これを瑠季にやる」
柚海はそう言うと、瑠季の右手首をそっとつかみ、自分の近くにゆっくりと引き寄せた。そして瑠季の右手のひらに、ストラップを置いて言った。
「これは、俺に会えるチケットだ」
「…チケット?」
「瑠季。これからのお前の人生で、自分の力だけではどうしようもない、絶体絶命の窮地に立たされる時があると思う。そんな時は、このストラップを持って俺を訪ねてこい。絶対に俺が瑠季を助けてやる。どんな願いも、俺が一つだけ叶えてやる」
瑠季は胸の位置に右手のひらを上げて、ストラップをギユッと握りしめた。
そして柚海の目を見て、嬉しそうに言った。
「どんな願いも叶う、魔法のストラップなんだね」
「どんな時でも・何があっても、俺は永遠にお前の味方だから。いつでも頼ってこいよ」
「うん。柚海さん、ありがとう」
瑠季はジャケットのポケットにストラップを入れた。
柚海はニッコリ笑って言った。
「じゃあ元気でな、瑠季」
柚海は瑠季の目を見て言ったが、返事はなかった。柚海はクルリと振り返り、瑠季の元を歩いて離れて行った。その瞬間、柚海の顔から笑顔は消えていた。泣きそうになるのを、歯を喰いしばって耐えていた。
せめて大学の校門を出るまでは耐えなければと思っていた。十メートくらい歩いた頃だろうか? 柚海の背後から声が聞こえた。大声ではない。聞こえるか聞こえないか、
ギリギリの声量だった。
「柚海さん」
柚海は自分を呼んだのかどうか、半信半疑だったが、後ろを振り返った。すると、ゆっくりとこちらへ歩いてくる瑠季の姿があった。しばらくして、瑠季は柚海の前に立った。
いや、かなり距離が近いので、目前に立ったと言うべきだろう。
なんとか涙をこらえた柚海は言った。
「ん? どうした瑠季」
「柚海さん、ちょっと付き合ってほしい所があるの」
●
大学を出て十分ほど歩くと、広い道に出た。
道の左右に、綺麗な桜の木がズラリと並んでいる。綺麗に咲いており、花びらも少し舞っていた。桜の美しさに、柚海は思わずうなった。
「うわぁー! 綺麗だ! 綺麗な桜道だぁ!」
「綺麗でしょう? 毎年春になると、この桜道を歩くのが私の楽しみなんだ」
「うん、これは綺麗だよ!」
柚海は辺りを見渡し、桜の美しさに見とれていた。
「柚海さん、この道はズーッと桜が続いているんだ。一緒に歩かない?」
「うん、いいね! 歩こう」
二人は話をせずに、桜を見ながらしばらく歩いた。
瑠季は立ち止まって柚海に言った。
「柚海さん」
柚海も立ち止まり、瑠季と向かい合った。
「なに?」
「大学の卒業式の日に、柚海さんと桜道を歩けて良かった。柚海さんは覚えていないと思うけど、小学生の頃---」
瑠季の話をさえぎって、柚海は言った。
「小学校の卒業式の日、桜道で一緒に写真を撮ったな」
「えっ!」
瑠季は感激したが、表情には出さずにこらえた。柚海は続けて言った。
「中学校も・高校の卒業式も、『一緒に桜道で写真を撮ろう』って約束していたのにな。
約束を守れなくて、すまなかった」
「おっ、覚えていてくれたんだ」
「もちろんだ。大学卒業の日に、桜道を一緒に歩けて良かった。俺もそう思うよ、瑠季」
瑠季は潤んだ目で、柚海を見ながら言った。
「柚海さん、あなたは…あなたって人は!」
瑠季はそう言い終えると、柚海から視線を外して黙り込んだ。
心配そうに柚海が言った。
「瑠季?」
瑠季はしばらくすると、ジャケットのポケットに右手を入れた。ポケットから出てきた右手には、先程のストラップが握られていた。右手に持っていたストラップをギュッと強く握り、自分の胸元へ引き寄せた。
表情も一転した。まるで何かを決意したかのような力強い目つきになり、柚海を見た。
「このストラップ、今使うよ」
「今? もう使うのか?」
「そうだよ。いけないの?」
「…いや、いいよ。大丈夫だ。瑠季の願いを言ってくれ」
瑠季は力強く言った。
「じゃあ言うね。私の願い…私の願いは! 『穂紫柚海を、私の恋人にしてほしい』」
「…え?」
「叶えてくれるよね?」
「いや、それは…。瑠季、それ本気で言っているのか?」
「そうだよ」
「…それはできないよ。」
「なぜ? どんな願いも叶えるって言ったじゃない!」
「お前には、結婚を約束した人がいるんだろ? だから無理だよ」
瑠季はあっさり言った。
「あれは嘘。柚海さんを困らせたくて、駄々をこねただけ」
「えっ? えっ? それホントかよ?」
「そうだよ。私に恋人はいない。まして、婚約者なんて絶対にいないよ。分かった?」
「『分かった?』って言われても…。頭の整理が追いつかないんだけど」
瑠季は再び力強い口調に戻った。
「これで問題は無いよねっ! さあ、私の願いを叶えてよ!
柚海さんを! 穂紫柚海を私の恋人にしてっ!」
柚海は瑠季の目を見ながら話を聴いていた。瑠季の目は真剣そのものだった。
この目から語られる言葉に、返す返事は一つしかなかった。
「瑠季」
瑠季は体を少し、ピクリとさせた。
「はっ、はい!」
「その願いを叶えるよ。俺は瑠季の恋人になる。…いや、なりたい。
俺は來々乃瑠季の恋人になりたい。瑠季と恋がしたい。…いいかな?」
柚海が言い終えるとすぐ、瑠季は柚海に向かって飛び込んだ。そして腕ごと抱きしめた。
「もっちろん!」
あまりの勢いに、柚海は二~三歩のけぞった。
「おっとっと! 危ないなぁ」
「へへっ!」
瑠季は柚海を抱きしめたまま、左の頬を柚海の胸に当てて言った。
「私、心の何処かで思っていたのかもしれない。大学生活の毎日を懸命に頑張っていれば、また柚海さんと一緒に過ごせる日が来るんじゃないかってさ」
「俺もだよ、瑠季。またお前と、楽しい日常が過ごしたいって、ずっと願っていたんだ」
「うん…。これからは、また昔みたいに楽しく過ごそうね」
瑠季は手をほどいた。すると、柚海は笑顔で言った。
「瑠季、成功だよ。大成功だよ。ありがとう」
「なんの話?」
「高校一年から、考えてくれていたんだろう? 俺を幸せにする為の『作戦』」
瑠季はバツが悪そうに視線を逸らした。
「ア、アハハ…。里桜さんから聞いた? そうだよ。『Y・R・P』って名付けてさ」
「成功したんだよ。俺は今日、人生で一番幸せだよ。瑠季の『作戦』は、本日をもって大成功で完了したんだ。ありがとう」
「本当に?」
「本当だよ。俺は幸せになれた」
「そっか、良かった。失敗ばかりのポンコツ作戦だったけど、上手くいったんだね。
あと、嬉しい誤算もあったかな」
「誤算?」
「うん。柚海さんに幸せになってほしいと思って考えた作戦だった。でも結局、私まで幸せになっちゃった。これは嬉しい大誤算だったよ」
「それは誤算じゃないよ」
「えっ?」
「俺の幸せは、瑠季の幸せとイコールなんだからさ。やっぱり大成功だったんだよ」
「うん、そうだね。私も幸せだから、大成功だ!」
「…瑠季。名残惜しいが、これでいったん大笠府に帰るよ。また会いに来るから」
「えっ? どうして?」
「さっきも言ったけど、今日は色々と忙しいだろ?」
「そんなのいいって! もっと話そうよ!」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、卒業式の日っていう、この日しかできない事があるんじゃないか? もう会う事が無い人もいるだろ? 別れを惜しんで来い。みんなで頑張った四年間をねぎらい合ってこいよ。俺達には、時間があるんだからさ」
「うん…そうだね。分かったよ」
「あと、あまりお酒を飲み過ぎないように気をつけてくれよな」
「えっ? 私、お酒は飲まないよ」
「いいじゃないか。今日くらい試してみたら? 二十二才だろ? 問題ないよ」
「あっ、そっか。未成年じゃないもんね。『法令順守』だ」
「そうそう! そういう事!」
「アハハッ!」
「瑠季、もう少し歩こう。この桜道を」
「うん!」
二人は並んで歩きながら、話し始めた。
「俺さ、瑠季と恋愛するにあたって、とても楽しみにしている事があるんだ」
「へぇ~、なに?」
「お弁当作り。何年振りになるんだろう? 楽しみだなぁ。瑠季が好きなオカズをいっぱい入れるからな」
柚海がそういうと、瑠季の表情が曇った。
「あれ? どうした?」
「私、お弁当はヒドイ事したから。食べずに返したりして、本当に悪い事をしたって---」
柚海は瑠季の言葉をさえぎって言った。
「それはもういい。そういう事は、もういいんだよ、瑠季」
「えっ?」
「それはもう済んだことだ。瑠季は反省しているし、俺も納得している。だからもういいんだ。俺の過ちも、瑠季も同じように想ってくれると嬉しいんだが。瑠季はどうかな?」
「私もだよ! 柚海さんには柚海さんの都合や考えがあったんだから、納得しているよ。今は何も思っていないから安心してほしいの」
「うん、ありがとう。じゃあお互いに、過去の事で気に病むのは止めにしないか?」
「うん、そうだね。もう言わないし、謝らないよ」
「人間はさ、失敗をするよ。それは避けて通れない。『失敗した事が無い』っていうのは、『何もしなかった』っていうのと同じだと思う。失敗を恐れていたら、何も始まらないし、何も得られないだろうからさ」
「そうだね。私、柚海さんといると、こう思えるんだ。『後悔っていいな』って」
「後悔がいい? なぜ?」
「後悔しているのってさ、『明日からは良くしたい』って、考えている・もがいている事なんじゃないかな? でもそんなの、一人じゃ辛くてできない。心から信頼できる人が一緒じゃないとね。柚海さんとだったら、それができる気がするの」
「そうだな、俺も瑠季とだったらできると思う」
「うん、一緒に乗り越えようね」
「瑠季、俺たちはまだ若いんだぞ。初心者マークのルーキーなんだ。
だから失敗を恐れずに、大胆に頑張ろうな!」
「うん、分かったよ!」
瑠季がそう言い終えると、柚海は足を止めて、しばらく瑠季の顔を眺めた。
「なっ、なに? どうしたの柚海さん?」
「瑠季・るき・ルキ・ルーキーか…」
「えっ?」
「いや、瑠季って良い名前していると思ってさ。そうか! 瑠季ってルーキーなんだな」
「ちょっと! 無理にこじつけないでよ!」
「いいじゃないか。俺達は、この四月から新しい仕事に挑戦するんだぞ。仕事においても、人生においてもルーキーなんだから。良い名前だよ」
「まったく無茶を言うね。私の事をルーキーなんて呼ばないでよ! 瑠季だからね!」
「アハハ、分かった分かった」
二人は再び歩き始めた。
「柚海さん。次に会う時に、一緒にしたい事があるんだ」
「なに?」
「柚海さんもスマホ持ってないんでしょ? 一緒に契約しに行こうよ」
「なんだ、瑠季も持っていないのか。よし、そうしよう」
「それでさ、また『ラブ定額』を申し込もうね。五年前は偽りのカップルだったけど、今回は本当のカップルだよ」
「うん、そうだな。そして、またストラップをもらおうな」
「ううん、もうストラップは要らないよ。これでいい」
瑠季は右手に持っていたストラップを、柚海に見せた。
「柚海さんが五年間、大事に取っておいてくれた、このストラップがいいんだ、私」
「分かったよ。俺もペアの一つを持っているからさ。大事にするよ」
柚海がそう言った頃、桜道の終わりに到着した。
二人は歩みを止め、向かい合った。柚海が深刻な表情に変わっていた。
「瑠季。どうしても今日、言っておきたい事がある。お前もあえて触れてこないんだよな。でも俺達には、絶対に避けては通れない事がある。だから聞いてほしい」
「うん…」
「俺は六年前、瑠季を殴った。女を…お前を握り拳で殴ったんだ。
これだけは、『済んだ事』や『納得』なんて言葉では片づけられない」
「うん…」
「瑠季が感じた恐怖や悲しみや痛みは、謝ったら済むなんてものじゃないのは分かっている。でも、謝らせてほしい。本当にごめんなさい」
柚海は深々と、頭を下げた。
すると、瑠季は言った。
「殴ってないよ」
「えっ?」
柚海は驚いて、頭を上げた。
「柚海さんは、私を殴っていない。右手の握り拳を振りかぶったけど、そのまま気絶しちゃったんだよ」
「…まさか。かばったりしなくていいよ」
「本当だって。この期に及んで、嘘ついても仕方ないじゃない。柚海さんは、私を殴っていない。本当だよ」
「でも、それは気絶したからだろ? もし気絶しなかったら、瑠季を殴っていたんだ」
「殴らない。柚海さんは、女を殴ったりしない。私を殴ったりしないって」
「しっ、しかし---」
「自分でどう思うの? 私を殴ると思う? 私を殴る自分の姿が目に浮かぶの?」
「…いや、それは無い。少なくとも、そんな事は絶対にしないと信じたい」
「じゃあ、それでいいよ。私も柚海さんを信じてる。だから、もう気に病まないで」
「分かったよ。ありがとう、瑠季」
「うんっ! でもまぁ、どうしてもペナルティが欲しいってんなら、してあげるけど?」
「ペナルティ? うん、お願いするよ。殴ってもいいし、怒鳴ってもいいよ」
「プッ、違うよ。今から私が言う言葉を、胸に刻んで生きてほしい。それでどうかな?」
「…よしっ、分かった! 言ってくれ」
「うん、じゃあ言うよ」
瑠季は左手で自分の腰をつかみ、右手を前に伸ばして柚海の顔を指差した。
そして、学校の先生のような、ハキハキした口調で言った。
「穂紫柚海くん!」
「はいっ!」
「女子高生を、グーで殴ってはいけません!」
「えっ…?」
「分かりましたかっ?」
「フフッ、はい! 分かりました! 瑠季先生!」
「アハハッ! ならよろしい」
柚海は瑠季の体を引き寄せ、二人は抱き合った。
瑠季の耳元で、柚海は言った。
「瑠季、お前は本当に立派になった。もう『近所の小さな子供』じゃないんだな。
これからは俺も、お前から色々な事を学びたいんだ」
「へへっ、それは私もだよ。柚海さんはこれからも、しっかり私の世話を焼いてよね」
「もちろんだ。瑠季、やはりお前は俺の夢だ。今までも、そしてこれからもな」
〈了〉
読んでくださった方、ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
作者より。




