15、22歳の春
二〇二四年三月。あれから四年が経ち、春が訪れた。入学・卒業の季節である。
來々乃瑠季は、この春で二十二歳になっていた。穂紫柚海とは未だに再会していない。
ここは東教都にある海東大学。瑠季は海東大学の卒業式を終えた。
瑠季は教室にいた。紺のスーツ姿、下半身はスカート。
机の近くにある椅子に座っていと、その前に袴姿の女性がやってきた。
瑠季の大学の親友、古閑千明だ。四角い黒縁メガネが印象的な、知的な雰囲気を漂わせる女性だ。瑠季と四年間を共にした仲だ。
「いやぁ~、卒業式ダルかったね。せっかく張り切って袴をレンタルしてきたのに、だいぶ居眠りしちゃったよ。あっ、でも! 瑠季の答辞はちゃんと聞いていたからね」
「あれって、どうして私がやらされるの? 変な仕事を増やさないでほしいよ」
「いや、『どうして』って! 瑠季以外に適任者いないよ。四年間ずっと成績は首席! 司法試験合格! 国家公務員試験合格! 中学校教師の免許取得! 男子学生からの人気投票・四年連続一位! モデル事務所のスカウトもあり! 男子からの告白&お断り一位! 三冠王なんてもんじゃない。七冠王だよっ!」
「最後の三つはどうでもいいっての! 特に人気投票は、あんたが勝手に応募したんでしょうが! おかげで苦労したんだからね」
「ごめ~ん。でも親友としては、瑠季のポテンシャルの凄さを知りたかったの」
「あのね! あれから三ヶ月くらい、私は学内をマスクとサングラスを付けて移動していたんだから。『ラインのアカウントを教えてくれ』って、毎日四~五人来るし。
『スマホ持ってない』って言っても信じないしさ。持ってないんだっての!」
「スマホの事は驚いたよ、一回生の時にそう聞いてさ。だから瑠季に興味を持ったんだ」
「無かったら無いで困らないよ。現にスマホがなくても、千明や葵と友達になれたからね」
「言ってたね、勉強の邪魔だって」
「うん、やっぱり集中力を欠いちゃうからさ。どうしても触ってしまうし」
「うん! 分かるよ。ラインとか、ゲームだよね」
「あっ、私は写真だよ。昔の写真を見ちゃうんだ」
「写真か~。でも、あれって一瞬じゃない? そんなに時間取るの?」
「…見ちゃうんだよね。一枚の写真から、色々な事を連想して思い出しちゃうんだ。運動会や卒業式の写真なんか、特にさ。時間があっという間に過ぎるんだよね。だからもう、解約して実家にしまってあるの」
「昔の瑠季の写真、見てみたいなぁ。瑠季ってさ、高校時代はどんな髪型してたの? 今みたいなショートボブ?」
「違うよ。ロング。腰の上まであった」
「えーっ! そうなんだ。見てみたかったなー。大学入学がキッカケで切ったの?」
「そうだね。勉強に専念しようっていう区切りみたいなもんだよ。例えるなら、甲子園を目指す高校球児の丸坊主みたいなものかな」
「アハハッ! なるほどね。でも、もう卒業なんだから、また伸ばしてみたら?」
「うーん、髪の毛はもう伸ばさないかな。伸ばす意味も無いしね…」
「意味って?」
「フフッ、ごめんごめん! なんでもないよ」
「へんなの。あのさぁ、もう一度聞いておきたいんだけど、瑠季の進路の理由って、やっぱり内緒なの?」
「ん? 内緒ってなにが?」
「ほら、児童相談所で働くって話だよ」
「ぜんぜん内緒じゃないよ。私って子供好きのイメージがないだろうから、みんな不思議がってるのかな? 高校まではハッキリ言って苦手だったけど、三年生の時に小学生の勉強をみる機会が数回あってさ。それ以来、だんだん好きになってきた感じなの」
「一番の疑問は、瑠季なら色々選べるじゃない? 世界的に有名な企業だっていけたよ。弁護士や官僚にだってなれたかもしれない。そんな選択肢を差し置いて、どうして児童相談所なのかなと思って。もちろんそれはそれで、素晴らしい職業だと思ってるよ」
「普通の理由だよ。単純に、困っている子供の力になりたいって思ったから。資格を色々取ったのは、仕事で役立つかもしれないと思ったんだよ。特に司法試験は、法律関係で子供を守れる事態があるかもしれないしね。教員免許は子供に勉強を教えたくてさ。普通に学校へ行くのが難しい子もいるだろうからね。学校の先生になるか、最後の最後まで迷ったけどね。『先生』って呼ばれるのに憧れもあったから」
「本当にそれだけ?」
「本当って?」
「何度か聞いたけど、必ずその答えだよね。でも、それだけの理由でそんなに頑張れるかなと思って。司法試験とか公務員試験とか難関だもん。瑠季をそこまで奮い立たせるような、何か大きな理由があるのかと思ってさ。親友としては、どうしても気になるの」
「…うーん。まぁ、千明や葵なら話してもいいか。別にもったいぶる程の理由じゃないしね。簡単な話だよ。お世話になった人に、恩返しがしたいの」
「へーえ、恩返し?」
「私、昔は悪い時期があったって話したじゃない? その時に、すごいお世話になった人がいるんだ。その人がいなかったら、今の私はいないってぐらいね。でも事情があって、もうその人に会う事はないんだ。だから、その人が私にしてくれたように、今度は私が辛い環境にある子供を支えようって決めたの」
「もしかして、その人は亡くなっているの?」
「へっ…? うっ、うん。そうだね。亡くなったよ。登山中、クマに頭をもぎ取られてさ。気の毒な最期だったらしいよ」
「なっ、なんか、本当に気の毒な最期だね」
千明はチラリと壁の時計を見た。間もなく十三時になる。
千明は少しウキウキした口調で言った。
「さてと、お腹空いたな。そろそろ行こう、講堂へさ。ちゃんとお腹空かせておいた?」
「なんの話しているの?」
「何って、ビッフェだよ、食べ放題だよ! 有名シェフ監修の料理が食べ放題っていう、卒業生のお楽しみの件に決まってるじゃん! さあ、行こう!」
「あーそうだったね。ごめん! 先に行っておいて。私お弁当を食べてから行くね」
「…瑠季、私の聞き間違いかな? お弁当を食べるって言ったの?」
「そうだよ」
「しょっ、正気なの? 『大学に来る日は、絶対に自作のお弁当を食べる』って言い続けて実行していたけど、卒業式の日まで?」
「もちろん! 今日まで大学生なんだから」
「感心を通り越して、怖い…! それに、瑠季の料理の腕前って、この私よりヒド---」
「なんか言った?」
「いえ! すんまんせんしたー」
「嘘だよ、冗談。料理は本当に苦手。四年間頑張ったけど、結局あまり上達しなかったな」
「瑠季を見ていると、料理好きな感じがしないんだよね。お弁当作りが好きなの?」
「う~ん、別に好きじゃないかな。料理をするのも、あんまり好きになれない。作りたいんじゃなくて、作る人の気持ちを知りたかったんだよね」
「気持ち?」
「うん。私は中学校から高一の途中まで、ずっと作ってもらってさ。感謝してるんだ。
でも、途中で拒否したりして…。反省してる。だから、毎日お弁当を作り続けるって事が、どういう事なのか知りたいと思ったの」
「そっか、色々あったんだね。で、どう? なにか分かった?」
「作る大変さは分かったよ。私は冷凍食品ばっかりだけど、それでも朝の時間は減っちゃうからね。私の好きなオカズや、味付けの濃さの好みまで考えて作ってくれてたから、もっと大変だったと思う。今は本当に感謝してるの」
「そっか、いいお母さんだね」
「えっ?」
「お母さんが作ってくれたんじゃないの? お父さんって事?」
「うん、えーっと…、そう! 親が作ってくれてたよ」
瑠季と千明が話していると、
もう一人の親友、真野壁 葵が入ってきた。こちらも袴姿だ。
のんびりした口調で話す、穏やかな女性だ。
「二人ともお疲れ~。特に瑠季は、答辞お疲れ様だったね」
「うん、ありがとう」
「千明は寝ていて聞いてないだろうけど」
「失礼な! 聞いてたよ!」
「答辞の最中に、ちょっとした騒動があったね。起きていたんなら知ってるよね?」
「いえ! すんませんしたー」
「おーいっ」
瑠季は聞いた。
「騒動って、なにかあったの?」
「私達の近くに保護者席があったの。で、その中に瑠季の答辞が始まった途端に大号泣しだした人がいてさ。おかしくって、みんなクスクス笑ってたよ。泣きすぎだって」
千明は聞いた。
「誰かの親かな。男? 女?」
「男。でも親じゃないよ。若かったもん。三十前後ってところかな? カッコ良かったよ。背もスラっと高くて細身だし、顔はホスト風の美形。でも髪は短かくて真っ黒で、チャラくない。紺のスーツも似合っているし。ニッコリ笑った顔が可愛くて、良い男だった~」
「笑顔の評価付きの報告かよ。なんか、えらく具体的な感想を言うね?」
「卒業式の後、話しかけられたもん。『來々乃瑠季さんにお会いしたいのですが』って」
瑠季は驚いた。
「えっ?」
「まあ、私に聞いたのは偶然だろうけどね。何人かに聞いた内の一人なんだろうけど」
千明は葵に聞いた。
「名前は聞いたの?」
「聞いてないよ。瑠季、心当たりある?」
「いや…まさかね。そんなハズはない。ここに来るハズがないよ」
「心当たりあるんだ」
「あるけど…」
「ともかく、会ってみたらいいんじゃない?」
「その人は、今どこにいるの?」
「教室の外で待たせているよ」
瑠季と千明は絶叫した。
「えーっ!」
葵は言った。
「声が大きいよ! 耳がジンジンする。ともかく呼ぶよ。お兄さん、どうぞ~!」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
瑠季は立ち上がり、廊下に向かって叫ぶ葵を大慌てで止めたが遅かった。
ゆっくりと入ってきたのは、スーツ姿の穂紫柚海だった。年齢は三十二歳になっていた。柚海と瑠季のただならぬ雰囲気を感じた千明と葵は、二人から離れて一緒に見守った。
柚海は言った。
「久しぶり、瑠季」
「柚海さん…」
瑠季は懐かしんだ顔で返事をしたが、あっと言う間に怖い表情に変わった。
「…何しに来たの?」
「お前に会いに来たんだ」
「意味が分かんない。あんたと私が会う必要ってあるの? 里桜さんと鞠子さんは? 四年前、二人ともあんたに会いに来なかったの?」
「里桜さんが来てくれたよ。お前がシオンを退職した一ヶ月後に」
そう言った瞬間、瑠季から怖い表情が消えた。そして内心思った。
「(里桜さんが! 里桜さんが駆け付けてくれたんだ! 良かった…)」
「里桜さんのお陰で、お前に会いに行く決心ができたんだ。鞠子さんの願いでもあるが」
「…は?」
「あの二人のお陰で、決意が固まったんだよ。俺一人でもそうなったと思うが、もっと悩んだ上に、さらなる時間が必要になったと思う」
「いや、何言ってんの? 里桜さんとはどうなったのよ? それに『決意』ってのが、よく分からないんだけど」
「お前に『好きだ』って言う決意だよ」
「…は?」
瑠季はそう言われた瞬間、体中の血の流れが速くなるのを感じた。心臓の鼓動も早まった。
瑠季は、焦ったような表情で言った。
「へっ、変な事を急に言うな! …だっ、だから! 里桜さんはどうしたのよ?」
「里桜さんと鞠子さんには、とても感謝している。けど、女性として好きとは違うんだ」
「えっ? えっ? えっ? だから! 里桜さんが会いに来てくれたんでしょう?」
「そうだよ。だからこうして、お前に会いにきたんだよ」
「それがおかしいんだよ! 里桜さんに会ったら、どうして私のトコロに来るってなるんだよ! そのまま二人が結ばれるべきなの!」
「お前、何言ってんの?」
「それは私が言いたいの! …それに、一つ聞きたいんだけど。『決意』ってやつ」
「いいよ。なに?」
「その『決意』ってのは、四年前にできたんでしょ?」
「そうだ」
「じゃあ、その四年前から今日まで、何してたの?」
「四年間が過ぎるのを待っていた」
「どういう意味?」
「お前に真っ白な世界を過ごしてほしかったんだ」
「真っ白?」
「お前はさ、道を踏み外してからは、暗い世界で過ごしていたんだと思う。そして俺が失踪してからは、俺の事でかかりっきりだった。お前の人生を…十代の多感な時期を、小さな箱の中に閉じ込めていたのと同じだ。すまなかった」
「…」
「だから、大学に入ったら、俺がいない世界で過ごしてほしかった。
なんのしがらみも無い、普通の女の子として、青春を楽しんでほしかったんだ」
「せ…青春を…楽しむだって?」
「四年前の春に告白しても、当時のお前は外の世界を知らない子供だ。そんな状態で再会しても、お互いに良くなかったと思う」
瑠季は右手の拳を、力いっぱいに握りしめた。
その手は震え、小さな声で言った。
「私は怒ったぞ…」
「えっ?」
瑠季は大声で怒鳴った。
「私は怒ったぞ! 穂紫柚海ぃー!」
瑠季は左手で柚海の胸元をつかんだ。そして右手の拳を振りかぶると、柚海の左頬へ振り抜いた。瑠季は柚海より背が低いので、突き上げるようなパンチになった。
非力な瑠季だが、体重を乗せた渾身のパンチだ。柚海は二~三歩、後ろへのけぞった。
左頬にはしっかりと痛みが残り、左手でさすった。
「いてて…。六年前に俺が言った事を言い返されたな」
「ふざけるな…ふざけるなぁ! 何が青春を楽しむだ!
私がどんな想いでこの四年間を過ごしていたか、知りもしないくせに!
あんたはいつだってそうだ! 自分では私の為だと想ってるんだろうが、
それは私の望む事とは違うんだよ!
怒りたいなら怒ればいいじゃない! 抱きしめたいなら抱きしめてよ!
抱きしめもしないくせに、偉そうな事を言ってんじゃないよっ! はぁ、はぁ…」
瑠季は極度の興奮状態になったのか、肩で息をし始めた。
「そうだな、その通りだ。すまなかった…」
柚海は、瑠季の息が整うのを待った。そして言った。
「瑠季。お前に『好きだ』と言う前に、一つだけ聞いていいか?」
「…なによ?」
「お前は今、恋人はいるのか?」
「えっ? ………いるよ」
「なんだって?」
「いるって言ったんだよっ! すっごい素敵な恋人がね! あんたみたいな優柔不断じゃない、決断力のある頼れる人だよ! 年も若いよ! 三つ上! 付き合ってもうすぐ四年経つからね。もうじき結婚するよ! 文句あるの!」
「そうか」
柚海がそう返事すると、目から涙が流れた。
それを見た瑠季は、怒りの表情から心配そうな表情に変わった。
「えっ…?」
「その人は、お前に良くしてくれるのか?」
「うっ、うん…」
「この四年間、心配でならなかった。俺という呪縛のせいで、自由に生きれなくなっていないかって。恋愛をためらうようになっていないかって。でも、お前はちゃんと新しい世界で生きていたんだな。恋愛ができていたんだな。本当に良かった」
「えっと、その---」
「じゃあ、俺は行くよ。お前が幸せだって分かれば、もうそれでいい。せっかくの卒業式に邪魔しちゃったな」
「あ---」
柚海は手で涙を拭うと、笑顔で言った。
「じゃあな、瑠季。元気でやれよ」
クルリと振り返り、廊下へと向かった。その最中、葵に言った。
「あなた、案内してくれてありがとうね」
「あ…いえっ!」
柚海はそう言うと、廊下に消えて行った。それを見た瑠季は力が抜け、椅子にペタンと座り込んだ。葵は廊下へ行き柚海の後を追った。千明は小走りで瑠季の元へ駆けつけた。
そして瑠季に言った。
「いいの? イケメンが行っちゃったよ?」
「え…? ああ、いいんじゃない? もう話は終わったし」
「そう。まあ本人がいいんなら、私が口を挟む事じゃないけど。でも、すごい驚いたよ、今の瑠季を見ててさ」
「驚く? 何が?」
「瑠季ってさ、あんまり感情を表に出すタイプじゃないでしょう? よく言えば冷静。
でも、ハッキリ言わしてもらうと、無感動なんだよね。世の中全体に冷めてる…みたいに感じる時があって。ちょっと心配だったんだ」
「そうかな? でも、男をグーで殴るところを見たら、驚くのも当たり前か。アハハ」
「いや、驚いたのは、そっちじゃないよ」
「えっ?」
「あのイケメンが部屋に入ってきて、瑠季に『久しぶり』って言った時だよ。あの時の瑠季は、すごい嬉しそう…いや、幸せそうな顔をしていたよ。瑠季とは四年間一緒に過ごしたけど、あんな瑠季の顔は見た事がないもん。あの人は瑠季にとって、本当に特別な人なんだね」
「違う…違うよ」
「行こうよ。一緒に行ってあげるから、話しておいで」
「いいって! 本当に!」
「私だって親友とはいっても、人の事情に口を出したりしない。でも、瑠季は心の中で『ここに戻ってきて!』って泣き叫んでるのが分かるんだよ。だから行こうよ」
「勝手な想像しないで! 行かないってば!」
「瑠季、『意地を張る』と『何もしない』は違うよ。意地を張り通したら、何か得るモノがある場合もあると思うの。でも、今の瑠季の状態は『何もしない』だよ。そんなの、ただ後悔が残るだけだと思う。後味が最悪だよ。それなら、何かをした方がいいよ。もう最後なら、それでいいじゃん。決裂したとしても『何もしない』とは違って、納得ができるからさ。『あーっ、サッパリしたっ』ってね。だから一緒に行こう」
「フーッ。私は子供の時から、周囲の人に心配ばかりさせてる。分かった、行くよ」
●
二人は部屋を出て、廊下を見渡しながら歩いた。数分歩いて探したが、見つからない。
千明は言った。
「確か葵が追いかけてたよ。電話してみよう」
千明はスマートフォンで、葵に電話をかけた。
「あっ、葵? 今どこ? えっ、食堂?」
葵は通話を切り、瑠季に言った。
「食堂にいるってよ。イケメンも一緒だってさ」
●
二人はしばらく歩き、食堂へ到着した。まばらだが、学生と保護者が数人いる。食堂の四人用テーブルの一つに、柚海と葵が向かい合わせで座っていた。テーブルに近づいていくと、葵と柚海の声が聞こえてきた。
葵は、のんびりとした能天気な雰囲気で言った。
「大学生活は、めっちゃ楽しかったんですよ~。もう一回やり直したい!」
「へぇ~、そうなんですね」
「はい! その時はお兄さんも一緒だったらいいなぁ。お名前聞いていいですか?」
「穂紫です」
「いい名前ですねぇ。穂紫さん、連絡先交換しません?」
「すみません、僕ケータイ持っていないんです」
「おぉっ! すごいレアなイケメン! 逆に、そういうの好きかもです~!」
千明と瑠季は、二人の様子を遠目で見ていた。
千明が、やや怒り気味に言った。
「葵のバカ…。何をしてんだよっ!」
瑠季は右目の横を、ピクピクさせながら言った。
「私…、あの人と話す事なんて、何も無い!」
瑠季はクルリと振り返ると、速足で廊下に出た。千明は慌てて瑠季を捕まえた。
「ちょっと瑠季! 戻ろうよ!」
「いやだっ!」
そんな押し問答が三分ほど続いた。なんとか瑠季を説得し、二人は食堂に再び入った。
テーブルを見ると、柚海はいない。葵だけが座っている。
瑠季と千明は葵に近づき、千明が声をかけた。
「あれ? イケメンは?」
「逃げられた~、帰るって。良い男だったのに。瑠季が要らないんなら、私が欲しい!」
瑠季と千明はため息をついた。その時、千明はテーブルに置いてあるプリンに気が付いた。
「葵、それなに?」
「これ? プリンだよ」
「いや、分かってるけど。あんた、それビッフェ会場から持ってきたの?」
「違うよ。さっきのイケメン…穂紫さんがくれたの。持参した保冷バッグから取り出してさ。『もう要らなくなったから、良かったら食べてもらえませんか』って」
瑠季が反応した。
「柚海さんが?」
今度は千明が言った。
「まさかそのプリン、あのイケメンの手作りって事ないよね? あの風貌でお菓子作りが趣味だなんて言われたら…。私、もう世の中を信用できなくなるよ」
葵は少し呆れ顔で言った。
「何を意味不明な事を言ってんの? まぁいいや。いっただっきま~す!」
葵は、柚海が用意してくれた使い捨てスプーンを右手で持った。左手でプリンの入ったプラスチックの器を取ろうとした瞬間、プリンが目前から消えた。
「あら?」
瑠季が取り上げたのだ。両手でプリンを持ち、まじまじと見つめた。
「これは、柚海さんが作ったプリンなのかな…?」
瑠季が持ち上げたプリンを、葵は下から見上げていた。すると、大笑いを始めた。
「アハハッ! なに? このプリン! おかしいよ、底にカラメルがあるよ!」
千明は不思議そうに言った。
「いや、何言ってんの? プリンなんだから、カラメルがあっても普通でしょ?」
「違うよ! 上にもあるんだよ。上にも底にもカラメルがあるなんてマヌケじゃない?」
瑠季は驚いた声で言った。
「えっ?」
そしてプリンの底を覗き込んだ。そう、底にもカラメルがある。
「おバカプリンだ…!」
瑠季は葵の右手から、スプーンをサッと奪い取った。
プリンを一口、また一口と食べすすめていく。
「この味は、柚海さんの味だ…」
瑠季はそう言い、スプーンを持つ手が止まった。瞳から涙が溢れ始めて止まらなくなった。
千明と葵は心配して言った。
「瑠季?」 「大丈夫?」
瑠季は嗚咽しながら言った。
「おっ…思い出したよ。わっ、私の胃袋は、柚海さんにつかまれていたんだ。
この味には…柚海さんの料理からは、離れられないよぉ…」
瑠季はゆっくりと、プリンとスプーンをテーブルに置き、うなだれた。
そんな瑠季を見た千明が言った。
「私達には詳しい事は分からない。でも、ちゃんと話をするっていう決意はできたんだね?」
瑠季はコクリとうなずいた。
「よし、分かった! 瑠季はここで待っててね。葵、イケメンを呼び戻しに行こう」
「はーい! また穂紫さんに会える~。 痛ったい!」
千明のキックが、葵の足に直撃した。




