4-2.真実はまだ闇の底
――数十分後、冒険者ギルド『執務室』
「なるほどな」
一度ギルドに戻ったハルトはマスターに商会での話を報告していた。マスターはいつになく難しい顔で唸っている。
「ママ、イナクナッテカラ、ジュウイッカイ、ヨルガキタ」
「今日で十二日目か。時期は合うね」
「だがここからアメントリは南東に一日の距離、対して霊峰ペールドットは北北東に一日半。アメントリからペールドットに向かったとしたら最低でも二日はかかるぞ」
「最短でもトータル三日ですね。直接ペールドットに向かったとしたら辻褄は合いますが……」
「だが、それだとアメントリでの取引ができずに商会内で疑念が深まる。計算高いクレア副会長がそんな簡単なボロを出すとは思えんな」
「うーん……」
また二人で唸り沈黙する。この静けさの中で、アンはシャルに髪を梳かしてもらいながら、右翼の先を器用に使ってクッキーを食べている。ぽりっぽりっという咀嚼音とシャルの鼻歌が、真面目な話に水を差していたのは、言うまでもない。
「……これ以上は考えても出そうにありませんね。一先ず、ケハンさんの言葉を信じてアメントリへ向かいます」
「あぁ、わかった。そのままペールドットまで行く可能性もあるだろう。山は寒いから対策は怠るなよ」
「はい。ありがとうございます。アン、帰ろうか」
「ン、シャル、アリガトウ。クッキー、オイシカッタ」
「うん!また作っておくね♡」
すっかりアンにメロメロのシャルは、アビスに沈む姿が見えなくなるまで、彼女に手を振り続けていた。やれやれ、といった顔でシャルを見ているマスターは、まるでお父さんのようだ。
「すみません。マスター、実はもう一つご報告したいことが」
「ん?なんだ?言ってみろ」
アンに聞かせるのは気が引けて、タイミングを見計らっていたハルトは、昨日見てしまった奇妙な黒服の人攫いについて話を始めた。思い出して気持ち悪くなるのを堪えながら、状況を細かく伝えていく。
狂ったように笑う男女、そこに現れた黒服の男達、その後起こった出来事まで。続く話に比例するように、部屋の空気が張り詰めていく。聞いていたシャルは昨日の自分のように、口を抑えて肩を震わせていた。
「……そうか、そっちも根が深そうな話だな」
「はい。おそらく連れ去られた二人はもう……」
「そんな……」
シャルの目は驚きと恐怖に瞳孔を縮ませ、マスターは腕を組んだまま俯いている。語り終え立ち尽くすハルトは、鼻歌も聞こえない無音の重圧に耐えるほかない。
「……わかった。報告ご苦労。災難だったな」
「すみませんが、この件はよろしくお願いします。僕は――」
「あぁ、分かってる。今は全力でアンを助けてやれ」
「……はい。ありがとうございます」
短くも重みのあるその言葉が、肩の荷を持っていってくれたのを感じた。ようやくアンのことに集中できる。
安心の吐息を残し、深々と頭を下げてから執務室を離れるハルト。閉めた扉の向こうでは、二人が慌ただしく、調査依頼の準備を始めたようだった。
行きより少しだけ軽い足取りで家に帰っていくハルト。だが、この事件の結末に――自身が大きく関わることになるとは、知る由もなかった。
――翌日、王都より東の郊外路
普段より日の温もりを感じる早朝。ハルトは昨日予約しておいた馬車の手綱を握り、王都を発ってアメントリを目指した。御者を雇うことも考えたが、嫌われ者が多くを求めることは叶わず、断念することになった。結果としては荷台でグラとアンが景色を楽しめているようなので良しとする。
「ハルト、アノオオキイ、マワッテルノ、ナニ?」
「あれは風車だね。風を色んな物を動かす力に変えているんだよ。魔力を使わずにね」
「フウシャ、ニンゲン、スゴイ」
「ワン!」
「人間冥利に尽きるよ。旅の間に色々教えてあげるね」
「ン、タノシミ」
鼻息を荒くして興奮した様子のアンは見た目以上に子供のようだった。新しい世界の刺激に目を輝かせる小さな子供。アンのはしゃぐ姿を見ると、思わず頬が緩んでしまう。
最初は舗装されて快適だった道が、土を固めただけの悪路に変わり、小石に乗り上げてはガタンと揺れる。そんな中でも、アンは外の景色を見つめながら、様々なものに目を輝かせていた。グラもしばらくはアンに付き合っていたが、気がついたら隅で丸くなり、揺れにも動じず眠っていた。
平原を通って山を迂回し、森の目前まで距離を進めたところで太陽が天頂に達し、ハルト達は昼の休憩をとることにした。
近くを流れる川の傍で、木陰を見つけて馬車を止め、馬に水を飲ませて餌の野菜を与える。ハルト達も水分補給を手早く済ませると、待ち焦がれた昼食の準備を始めた。
「ハルト、ニク、アル?」
「塩漬けの干し肉ならあるけど、食べれる?」
「……ヤワラカイノガイイ」
「ハハハ、そんな気がした。現地調達しようか。この辺の川沿いでよくランスホーンっていうボア種の魔物が水を飲んでるらしいんだ。ちょっと危ないけど、倒し方があるから試してみよう」
「ン、ワカッタ。ケド、イイノ?」
アンは眉を下げて心配するようにハルトを見つめた。意味を一瞬考えたが、すぐに理解してハッとした。
直後、穏やかな目でアンを見つめ微笑む。
「……うん、生きるために必要な狩りは、割り切れてるよ。ただ、無駄にはしない。ちゃんと美味しく食べてあげよう」
「……ウン」
ハルトはアンの頭の上に手を乗せて、優しく撫でた。
――槍猪ランスホーンは、頭から生える太く鋭い角が特徴の中級の魔物だ。主な攻撃手段は突進での突き刺しで、ハルトのような軽装備では間違いなく貫かれる。だが、賭けに出れば通る手がひとつだけある。
「……いた」
少し川を下った先、河原の水辺から少し離れた場所で、水を飲み終えたであろうランスホーンが、砂利の地面に横たわり、ガシャガシャと身体を擦り付けていた。寄生虫や汚れを落としているのだろう。魔物に限らず野生生物にはよく見られる習性だ。
息を潜めながら周囲を見渡す。近くに見えるのは大きな流木。その先の川がカーブしている場所は恐らく淵ができている。そこから右に目をやると少し太めの木が生えているが……いや、ランスホーンのサイズが思ったより大きい。あの木は少し頼りない。
ハルトは更に右に視線を動かすと、最適解を見つけてニヤリと笑った。
「いい大岩だ。グラ、念の為アンと一緒にいて」
カラッという小さな音で返事をしたグラを横目に、再びランスホーンを直視すると、ちょうど擦り付けるのを終えて立ち上がろうとしてる。それを見たハルトは、一目散に大岩の方向へ走り出した。
「うおぉぉぉぉお!!来い!」
ハルトの叫びに驚いたランスホーンは、ビクリと身体を跳ねさせて、頭の槍をしならせた。
「ブォーーーー!」
ランスホーンは雄叫びを上げながら、角を空高く突き上げ、風を裂く音と共に、それをハルトに向けて突進してきた。
「来ると思ったよ!でも、君は走り出した時点で負けだ!」
心臓は爆発しそうなほど跳ねていたが、それでも口元には笑みを浮かべた。
切先が迫る中、ハルトは大岩の目の前で立ち止まり、ランスホーンの動きに集中した。砂利を蹴って走る音が徐々に近づいてきて、焦りと緊張感が心拍をあげていく。そして、十分に引き付けたギリギリのタイミング、その瞬間――右足を一気に踏み込み、地面を蹴って攻撃を躱した。
『バキン!!』
次の瞬間、ランスホーンは的を失い、大岩に角を突き立てた。岩の破片が飛び散り、硬いものが割れる痛々しい音を響かせる。直後、崩れ落ちるように地面に倒れ込む。そして痙攣して泡を吹き、そのまま息絶えた。
額の角は先端が欠けている程度だが、ある場所を見た時、ハルトとアンは酷い罪悪感に駆られてしまった。……顔だ。
「……ナンカ、カワイソウ」
「う、うん。聞いてたよりグロテスク……だね」
「……ホントウニ、ヤリカタ、アッテタノ?」
「うん……マスターから教わった常套手段なんだけどな」
角の根元から額が陥没し、目玉は眼窩から零れ落ちそうなほど腫れあがっている。
こうなる原因は固く鋭い角と脚力に対して、頭蓋骨は耐えれるほど強くないからで――
「セツメイシチャ、ダメ……ミンナハ、ソウゾウシチャ、ダメダヨ」
「ん?何の話?」
「コッチノハナシ」
「?……。とりあえず、解体しちゃうね。味付けて焼いて出すから待ってて」
「ン」
ランスホーンは食用としても比較的流通している魔物だが、その味は期待を裏切らない美味なものだった。獣臭さはほとんどなく、甘みのある脂が口一杯に拡がった瞬間には、アンも思わず「オイシイ!」と声が出るほど感動していた。
休憩を終え、馬を繋いだ綱を解きながら、ハルトは進路を確かめた。
道は森の際を避けるように緩やかに曲がり、その先には草原が広がっている。森に踏み入らない道筋は、人々の知恵と警戒の証でもあった。
「よし、そろそろ行こうか」
先に馬車でのんびりしていた、グラとアンに声をかけて、ハルトは再び先頭に座った。パシンと手網を弾く合図に呼応し、高らかな馬の鳴き声が響いた。