4-1.真実はまだ闇の底
――午前半ば、王都サフィーア『中央区』
翌日、裏通りが少ない中央区で苦手な人混みの中を歩くハルトの姿があった。周囲は彼のおかしな風貌に距離をとるが、モンスターテイマーだと知られるよりは、マシなものだった。
白いレンガ造りの巨大な城が近づいてくる。その圧巻な立ち姿は、これから自分が挑む壁の高さを物語るようで、緊張と不安が心臓を加速させ、額に冷たい汗を滲ませた。
実のところ、ハルトにとってアンの母親を探す上で一番の課題は『情報収集』だった。この半年間、人との関わりを避けてきた彼は、他人と話すことに抵抗を感じてしまう。話しかけることができても、相手が受け入れてくれる保証もない。
今回話をしなければいけないのは、大商会の副会長だ。緊張と不安で今にも倒れてしまいそうだった。
「……あそこかな」
城のすぐ足元にある三階建ての大きな建物。無数にある窓の奥に数人の人影が見える。正面には巨大なガラス扉があり、その上には、風の精霊の横顔が刻まれた木彫りのエンブレムが飾られていた。
扉の前に立つと、清潔感のある真っ白な室内が目に飛び込み、思わず生唾を飲む。広さで言えばギルドの広間と同じくらいだが、こんなに整ってはいない。
(ここがディートリッヒ商会の本部……)
丁寧に敷かれた大理石の床を踏む勇気が湧かず、ハルトは目の前の扉に手をかけることを躊躇した。そのとき、受付に座っていた誠実そうな男性が気づき、ゆっくりと歩み寄ってきた。咄嗟に後ずさりしようとした足に力を入れ、なんとかその場に留まる。
「いらっしゃいませ、いかが致しましたか?」
「あ、あの、あえっと……そ、その」
「……?」
「あ、あの!く、クレアさんと話をさせていただきたくて来ました!ぼぼ冒険者ギルドの者です!え、えーっと、これ、マスターからの紹介状……です」
彼は緊張するハルトに微笑みながら、紹介状を両手で丁寧に受け取った。
「拝見いたします。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「は、ハルトです」
「……ハルト?」
紹介状を開きかけた彼の手が止まる。そして優しい顔つきが曇り、ハルトを見据えた。
「なるほど、貴方がモンスターテイマーの……お引き取りください」
「……え?で、でも紹介状が」
「いくら紹介状があっても、危険な人物を中にお通しするわけにはいきません」
「そ、そんな危険だなんて」
「魔物を操る力が危険でないと?お引き取りください」
喉の奥がきゅっと詰まる。過去に残る惨い記憶が、耳の裏で反芻する──
『――モンスターテイマーを追い出せ!』
『いっそアイツも死んでくれたら――』
『――人間面してんじゃねーよ!』
全身の力が抜け、視線は自然と足先に落ちた。やはり人はこうなのだ。モンスターテイマーというだけで危険人物扱いで、弁明の隙さえ与えられない。これがこの国の――当たり前の考え方なのだ。
「…………わかりました。失礼します」
連日の罵声と偏見の目に疲れたハルトが彼の言葉に感じるのは、もはや『失望』と『虚無感』だった。
無気力なハルトが離れようとしたとき、建物の中から別の男性の声が聞こえた。
「何事だ」
現れたのは眼鏡をかけた聡明で真面目そうな男だった。
「入口で何を話し込んでいる。他のお客様が入れないだろう」
「け、ケハン様、失礼致しました。しかしながら彼はモンスターテイマーでして」
「モンスターテイマー?」
ケハンは眼鏡越しにハルトを睨みつけた。その眼差しに籠った重圧に、首すら動かすことができない。
「……何の様で?」
「あ、あの、副会長のクレアさんと話をさせて欲しくて……そ、それがマスターからの紹介状です」
ケハンは男から紙を奪い取り、表情一つ変えずに中を読んだ。そして大袈裟にため息をつくと、次に鋭い視線が捉えたのはハルトではなく男性だった。
「正義感が強いのは結構だが、お前の美徳な価値観のせいで、せっかくのチャンスを逃すところだったぞ」
「は、はい?ケハン様、それはどういう――」
言い終わる前に、ケハンは再びハルトに視線を向け、左手の中指でクイッと眼鏡を持ち上げて位置を整えた。
「込み入った話になりますので、個室へご案内いたします」
「え?あ、ありがとうございます」
戸惑いながらも、ハルトは誘導に従い中に入る。フードを取ると、緊張がほんの少し緩み、周囲の様子が目に入った。飛び込んできた景色は圧倒的だった。窓から差し込む光が白い壁を照らし、三階まで吹き抜けの天井が空間を包む――あまりの広さに、緊張も手伝って目が回りそうだ。
必死に踏ん張って歩くと、視線の先に高級感あふれる一室が広がっていた。上品なラグ、整然と並ぶテーブル、高価な装飾品が無意識に目を引く。「こちらにお座りください」と案内された先には、一生手に入らないだろうフカフカのソファがあった。こんなもの、ギルドでも見たことがない。
恐る恐る腰を下ろすと、ふかりと沈む感覚に少し驚き、勢いよく尻もちをつきそうになる。こんなにも柔らかい座面に身を預けるのは初めてで、硬く寝苦しい自分のベッドが、今だけは恋しくてしかたがなかった。
「改めまして、私はディートリッヒ商会の財務長を務めるケハン・カイマンと申します。先程はうちの者が失礼いたしました」
「い、いえ、慣れていますので気にしないでください。冒険者ギルドのハルトです」
「彼には、危険人物はフロントで的確に対処し、おかえりいただくよう教育しております。ですが、差別意識での判断は我々の理念に反する恥ずべき行為です。厳しい処罰を与えます。それでどうか、今回はご容赦ください」
「あの、本当に気にしていませんので、その……程々にしてあげてください」
「寛大なお心、痛み入ります」
「……」
緊張とは違った重い空気に会話が途絶える。同情か、後ろめたさか、警戒心か、ハルトもケハンも次の一言を上手く出せないでいた。
数十秒の沈黙の後、ケハンは言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「……紹介状にはこう綴られていました。『ハーピィに関する調査協力の依頼』と。人魔ハーピィが関わるから、貴方がいらしたのですね」
「はい。でも……何故それで話を聞いてくださったのですか?それに『チャンス』とは?」
「ここからは他言無用でお願いします」
「わかりました」
「実は――クレア副会長は、現在行方不明なのです」
「え?」
心拍が一段跳ねる。アンの母親とクレア副会長が同時に――点と点が結び付く可能性。頭の中で様々な憶測、推理が飛び交う。この話、手がかりを逃してはいけない。
「……詳しく、聞かせてください」
ケハンの話によると、二週間ほど前に仕入れと商談に向かったクレアを含む四名が、依然戻っていないらしい。本来なら一週間もかからず帰ってくるはずだから何かあったに違いない、と。
彼女が向かったのは北東にある織り手の町『アメントリ』で、片道約一日の距離にある。糸の材料が豊富で様々な布を作っている町だそうだ。
アメントリに行って帰って来るのに二日、仕事で数日滞在したとしても追加で三日といったところ。それが二週間も一切連絡がないのは、確かにおかしい。
「真実は定かではないですが、彼女はハーピィと取引をしているという噂があります。そこに『ハーピィの調査』という話、人魔達に何かがあったのでしょう?関係ないとは思えません。どうか、クレア様を探していただけませんでしょうか?」
「なるほど、事情はわかりました。ただ……僕がやっているのはハーピィの調査です。クレアさんの捜索に全力を注ぐわけにはいきません。ですが……」
ハルトは自身の右の手のひらを見つめ、グラとアンの顔を思い浮かべた。
「えぇ、もし、彼女が本当にハーピィと繋がっていれば、下手に他の方にお願いするわけにはいかないのです」
「魔物に魅入られたと広まれば、僕のように……」
「……申し訳ありません」
ハルトは彼の謝罪を簡単に飲み込むことはできなかった。だが彼の切実な思いは、ハルトの心に響いていた。
きっと彼は葛藤している。モンスターテイマーを頼っていいのか?これが最善なのか?と。
「……僕は冒険者として、あなたの依頼を受けることはできません。ですが今はクレアさんだけが唯一の手がかりなんです。まずは彼女を追ってみます」
「……ありがとうございます」
ケハンは拳を固く握りしめ、モンスターテイマーに深々と頭を下げた――。