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【第一章完結】嫌われ者行進曲  作者: 田 電々
第二章『幼なじみと剣士の男』
53/55

25-2.再来の悪夢

――日没直後、農村『モアサナ』


 空は黒く染まり、尚も雲が一切の光を通さない。凍えるほど冷たい風が頬を刺す中、遂に小さな一粒の水が鼻先に落ちた。


 村の入口に建てられた木製の簡素なアーチを通り、村の中心から少し先で馬車を停めた。

 荷台から降り、多くの窓から灯りを零す建物を見上げる。暗闇に灯るその光は、疲れや寒さに強ばった肩を僅かにほぐした気がした。


「んーっ、あぁ。やっと着いたな」

「お疲れ様、ダグラス」

「ん、ありがとうよ」


 全身で伸びをして、首を鳴らしたダグラス。少し老けたように見える顔を両手で叩き気合いを入れると、後ろに着いたクレア、カーラが乗る馬車へ歩き始めた。


「荷物から必要なものだけ下ろしといてくれ。馬小屋は裏なんだ」

「わかった」


 すれ違いざまに短い会話を済ませた彼は、御者台を降りたキオとカーラ、クレアに歩み寄っていく。

 その後ろ姿を眺めてから、ハルトは荷台の幕を再び開いて中へ乗り込み、ランタンを灯して荷物の選定を始めた。


「こっちはクレアの日用品、これは商品……こっちはダグラスの――あっ」


 その時――ハルトの視線の先にはある疑惑の品があった。乱雑に荷台に横たわる大きな剣。刃渡りだけでハルトの身長ほどはあり、平の太さも両手を広げて足りないほど。


「……ダグラスの剣」


 伸ばす指先が罪悪感に揺れる。


 真実を知る必要があるのか?このまま知らないほうがいいことも……。

 だが――ダグラスとの関係が疑惑の上にあって欲しくない。知るんだ、彼を。そして話をしよう。


 勘違いであって欲しい。そう願いながら柄を掴み、僅かに鞘から重たい刃を抜く。柔らかな光に照らされたのは、黒く煌めく刀身――


「帝国の砕骨剣――『ブレイカー』、素材は……帝国騎士軍の象徴『黒合金』」


 頭の中の霧が薄れ、胸には小さな針が刺さるような痛みが走る。自ら知ること選びならが、知ったことを少し後悔する。

 自分勝手な感情すら氷柱のように刺さり、心を凍らせていく。その刹那だった――


『バッ……』


 背後で荒々しく幕開く音がし、冷たい空気が一気に流れ込んだ。

 慌てて振り向いた先にいたのはダグラス――ではない。


 綺麗に作られたローブを身にまとい、フードの下に見える鋭い眼差しにランタンの灯りが映る。


「……だ、ダリア……さん」


 無言の睨み。そして一気に迫る眼光。彼女の手に握られた一振りのナイフが、ハルトの心臓を捉える。


 耳から音が遠ざかり、彼女のフードが飛び、裂けるほどに上がった口角と乱れる橙色の髪が光を浴びた。

 長く引き伸ばされた一瞬。跳ねる心臓が再び強く動いた時――金属がぶつかる甲高い音が鳴り響いた。


「っ――!」

「うっ――!」


 衝撃に体制を崩したダリアの手から、ナイフが宙を舞い、荷台の床に突き刺さる。手首で着地した彼女の顔は歪み、流されるように身体が転がった。


「……ありがとう、オリバー」


 ハルトの手に握られていたのは、布を被ったままの長剣だった。ナイフで裂かれた場所から覗く銀の鞘が煌めく。

 死んだ仲間の剣に助けられたという事実が、凍りついた胸にかすかな温度を戻した。


「っ……クソっ、モンスターテイマーの癖に……モンスターテイマーの癖に……」


 呪いのように繰り返される言葉。食いしばる唇からは血が溢れ、目尻に溜まった涙が頬を伝い始める。


「ダリアさん……なんでこんなこ――」

「うるさい!!アンタには分からない!モンスターテイマーは悪だ!!」

「……何故そこまで憎むんですか?」

「アンタらが……パパとママを殺したんじゃないか!!」

「――えっ?」


 ようやく彼女が語った言葉の隅に、後悔や恨みが混ざりあう。復讐心に狩られ、潤む瞳の奥にはまだ炎が燃えている。


「ど……どういうことですか?!まさか、モンスターテイマーに襲われた?!」

「うるさい!アタシの記憶に入り込むな!お前たちモンスターテイマーがいなければ……パパとママとお兄ちゃんとアタシは――まだ幸せに暮らしていたんだっ!!」


 切望する願いのような悔い。


「返してよ……パパも、ママも、お兄ちゃんも……アタシを一人にしないでよ……ううぅー、あ゙あ゙ぁ゙ぁぁぁぁぁ!!!」


 祈るように指を組み、胸に抱え、地面に額を擦り付ける。馬車から溢れたその叫び声は、村中に響いた。


「ダリアさん……すみません」

「何?!謝ったら許されると思うわけ?!復讐に囚われた私をバカにしてる?!ふざけんな!!」


 鋭い視線が闘志を纏い、胸を貫いて消えていく。

 その痛みをグッとこらえ、再び彼女に語りかけた。


「いえ……謝ったのは、あなたの苦しみに気づけなかったことにです」

「気づいたら消えてくれたわけ?それとも同情するつもり?……モンスターテイマーが――私の未来を壊したアンタらが!」

「違います!!間違ってます!!」

「……はぁ?」


 胸に滾る思いを言葉にすると、今までの彼女との記憶が蘇る。

 受付では煙たがられ、罵声を浴びせられ、何度涙を流したかなんて覚えてもいない。


 それほどまでに怖かった彼女に今、ようやく信じる気持ちが芽生えた。


「僕はあなたを……ダリアさんを救いたいんです!」

「……はぁ?」


 ダリアの肩の力が抜け落ちる。赤く晴れた目尻から流れる涙が止まった。

 雨音が強くなり、天幕をポツポツと鳴らす。静寂に響くその音が、彼女の揺れる瞳孔と重なった。

 真っ直ぐと見つめることを拒む瞳の奥に、ひとつの小さな光が見えた。


 心に寄り添おうと手を伸ばし、微笑んだ。その刹那――。


「きゃあぁぁぁ!!」

「クレアさん?!」


 後方の馬車から聞こえた悲鳴。カーラがクレアを呼ぶ声が続き、あちらでも何かが起きていると悟る。


「くっ……ダリアさん、ここに隠れていてください!」

「えっ……ちょ、ちょっと!」


 頭が追いついていない彼女に水と綺麗な布を投げ渡す。右手を出口側に差し出した時、一瞬の迷いに指先が強ばった。


「くっ……グラ!アン!」


 目の前に現れる闇の渦。飛び出した二つの影。


「グラ、先行して奥の馬車へ!アン、空から警戒!」

「ワン!」

「わかっタ!」


 先に出ていく仲間を追って、ハルトも幕を突き破るように飛び出した。


「なんなのよ……」


 すきま風が音を鳴らし、離れていく足音より強く聞こえる。雨音にかき消されていく仇の姿は、恨むばかりだった頭の中を掻き乱し、埋もれていた『迷い』の感情を掘り起こした。孤児院に連れてこられた頃の記憶と共に――。


――十四年前、王都南の端『ギンロイ孤児院』


 子供たちが走り周り、明るい日差しを一身に受ける芝生の広場。木の枝に留まる小鳥のさえずりは耳に届かないほど、楽しげな声が響く場所。

 だがこの子たちは皆、親に会うことを許されない『孤児』だ。


 幼いながらに理解する。もう、パパとママは死んでしまったんだと。私もこの子たちと同じ『不幸な子供』の一人なんだと。


 建物の影で兄と並び、膝を抱えて明るい広場をぼんやり眺める。

 これから先どうなるのか、そんなことは分かるはずもなかった。


「……ダリア」


 隣にいる兄は、ポツリと私の名前を呼んだ。

 横目に見えた彼の顔は、今でも忘れない。決意と覚悟に口を強く結んだ顔。そして――恨みに満ちた鋭い眼差しを。


「ダリア、モンスターテイマーを許すな」

「……モンスターテイマー?」

「父さんと母さんを殺した仇だ」

「……でも、モンスターテイマーってジョブだよね?あの人以外にもいるんじゃ――」

「違う!許すな!モンスターテイマーは悪なんだ!!」

「……モンスターテイマーは……悪?」


 よく分からなかった。あの犯人を恨むことはあっても、他のモンスターテイマーを憎む理由が。


 それから兄は、取り憑かれたように変わった。

 運動が苦手な彼はより強い権力を求めて勉強し、高い地位を手に入れることにこだわった。


 十六歳でインセクトテイマーのジョブを手に入れた時から、夜な夜な施設を抜け出してテイムを繰り返した。そのジョブを如何に有効活用するか、どうすれば偉くなれるか、どうすれば……モンスターテイマーを根絶やしにできるか。


 彼がディートリッヒ商会の財務長に成り上がる姿が、妹としては誇らしく、どこか寂しかった。


「……モンスターテイマーは――悪。許さない」


 いつの間にか根付いていた恨みの感情。もう、それを疑うことはなくなっていた。

 ただ、残された兄と二人で生きる。もう誰にも壊させない。そう誓っていたのに……。


――


 兄はクレア・ディートリッヒ暗殺を首謀した罪で投獄された。兄を捕まえたのは――あのモンスターテイマーのガキだった。

 だから、アタシはここまできた。パパ、ママ、兄の仇を討つ為に。


『――ダリアさんを救いたいんです!』


 なのに、アイツは私を受け入れようとしている。何度も罵倒し、蔑み、泣かせてきたアタシを?意味がわからない。

 アイツは確かにモンスターテイマーだけど。パパとママを殺したのはアイツじゃない。ずっと分かっていたことじゃない。

 でも……モンスターテイマーは悪。人を殺す魔物の仲間。


「パパ、ママ……アタシ、間違ってたの?お兄ちゃんは……間違いを……」


 その瞬間、ランタンの火が消えて視界が暗くなる。体勢を整えようとして動かした左手が痛み、僅かに顔を引き攣らせた。


 もう、どうすればいいか分からない。


 硬い木の床の上で身体を倒し、目の前に見える水筒と布、そして長剣の柄を見つめる。やがて雨音に誘われるように、痛みを忘れるように、目を瞑った。


――少し時を遡り、カーラの馬車付近


 冷たい雨が体温を一気に奪っていく。濡れたフードが張り付き、視界が遮られる。

 半ば強引に引っ張り脱いだマントを地面に落とし、先を走る相棒の白い背中を追った。


 馬車の横を通り過ぎ、死角となっていた現状が視界に映る。

 そこで起こっていたのは――予見していた最悪だった。


「……キオさん、何をしているんですか?」

「……」


 睨むとも異なる重い眼光を尖らせ、濡れた前髪を右手でかきあげるキオ。左肩には――意識を失ったクレアが担がれていた。


「キオ、やめて。今すぐ彼女を離して」


 主であるカーラの声にも反応を示さず、斜め上の空を見つめる。


「あなたの目的はなんですか?」


 この言葉にも無表情を貫く。が、やがてギロリと瞳がこちらを捉えた。

 足元のグラが飛び出さんと構える。空から見ていたアンが急降下し、退路を断つように彼の後方を陣取った。


「……全ては――」


 初めて彼の口から発せられた声。青年のようでありながら、落ち着き、心の淀みを知らない声。

 この感覚は、ハルト、ダグラス、そしてグラとアンも知っていた。


「……まさか」


 僅かに上がるキオの口角。


「全ては――依頼を遂行する為」


 ダグラスの顔が強ばる。拳を震わせながら歯を剥き出しに食いしばる。彼の口から出たその名は、あの悪夢の再来を意味していた。


「暗殺……ギルド!」


 刹那――キオの鋭い瞳に光が乗った。

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