3-1.出鱈目に回る世界
――翌朝、王都『中央通り』。
ハーピィの少女『アン』と契約したハルトは、彼女の傷を癒すため、夜通し森を駆け抜けて活動拠点である王都『サフィーア』へ最短で帰還した。
普段は商売でごった返す街も、早朝の今は人影がまばらだ。準備を始める屋台から、木箱がぶつかる音が聞こえ、背後に遠ざかる。
ハルトは乾いた喉を押さえつけながら、真っ直ぐな大通りをギルド本部へ駆け抜けていった――。
しばらく走り続けたハルトは、馴染みのある素朴な広間へ飛び込んだ。普段賑やかなその空間に他の冒険者の姿はなく、穏やかな静けさに包まれていた。ここが、王都南東にある木造の屋敷――冒険者ギルド『アーストラル』のギルド本部だ。
昨日の昼間とは打って変わり、肌寒さを感じる早朝に、息も絶え絶えに汗だくで現れたハルトの姿は、その場にいた職員達を一時騒然とさせた。
社員に呼ばれたマスターとシャルが心配して駆け寄ってきた為、状況を説明して急いで執務室に通してもらい、アンを見つけてから十五時間以上、ようやく、治療を受けさせることができた。
――ギルド本部、『執務室』
「身体の傷はヒールでなんとかなったけど、翼は私じゃ無理ね。このまま回復させたら、骨が歪になっちゃう」
シャルはそう話しながら、両手の間に淡い光を灯し、アンの身体へと降り注がせた。
光に包まれた傷口がすうっと塞がっていく。彼女は本職は受付嬢だが、それでも強力なヒーラーだ。その存在が、傷の絶えない冒険者にとってどれほど心強いか、ハルトは改めて思い知らされた。
「ワタシ、モウ、トベナイ?」
深い傷が癒え、呼吸も安定してきたアンが、不安を隠しきれない声で問いかける。ゆっくりと身を起こしたその瞳は、かすかに揺れていた。
「んー、人間の骨折と同じように、治療師のところに連れて行ければいいんだけど、人魔の治療をしてくれる人がいるかどうか……」
「治療してくれる人がいれば治せるんですか?」
「そうね。しっかりとした技術のある治療師なら可能なはずよ」
その言葉にハルトは胸を撫で下ろし「また飛べるってさ」と短く告げると、アンの張り詰めた肩がふっと緩み、安堵の笑みが零れた。ハーピィであるアンにとって、飛ぶことはきっと人間が歩くことと同じくらい、当たり前で重要な事なのだろう。
「ありがとうございます。治療師はなんとか探してみます。あと……胸布とズボンも」
「うん、さすがに胸は気にしちゃうよね。私のお下がりだけど許してね」
「コレ、ゴワゴワシテ、イヤ」
「我慢しなさい」
「ふふふっ」
胸布を引っ張りながらふくれるアンと、おかしな会話に笑うシャル。こはずかしい会話に顔が熱くなったが、それ以上に温もりを宿すこのひとときが、心に刺さり続けていた氷を溶かすようで心地よかった。
シャルにお礼を伝えたハルトは、アンをアビスに戻してから、ようやく一息ついて椅子に腰かけた。今頃になって足に力が入らなくなり、疲労が限界に達していたことに気づいた。昨日から一睡もせず、徒歩三時間の道程を二時間で走り抜けてきたのだ。動かそうとする度に軋んで動かない腕も、こうなって当然だ。
「あぁー、がんばったー」
「うん、お疲れ様。朝早くから血相変えて戻ってきたのはびっくりしたけど……無事で本当に良かったわ」
そう言いながら、シャルはハルトの身体にもヒールを施した。優しい光が全身に染み込んでいき、身体が軽くなるのを感じる。
「ありがとうございます」と再びお礼を伝えた直後、『ガチャ』と扉を開く音が聞こえ、二人はその方向に視線を向けた。そこにはガタイのいい大男が立っており、部屋の中を一瞥してから二人に話しかけてきた。
「終わったか?どうだった?」
彼がギルドマスターのアイゼンである。シャツ越しにもはっきりわかる圧倒的な体躯。組んだ腕はまるで積み上げられた丸太のよう。全身から威圧感が放たれていて、初めて声をかけられたときはゴロツキに絡まれたかと思い、思わず涙ぐんだほどだ。
「ハルトくんの応急処置が的確でしたので翼以外の傷は問題ありません」
「い、いえ、シャルさんおかげです」
「謙虚なのはいいことだ。……まぁ、翼の骨折で済んだのは幸いだろう。弾丸鳥に身体貫かれて死んだやつもいる」
ため息混じりの脅しに引きつった笑みを浮かべる。だが、マスターの言う通り、魔物の被害による死者は後を絶たない。例え魔物討伐を生業とする冒険者でも気を抜けば殺されてしまう。
(魔物を使役する僕も、同じ脅威の対象なんだろうな。ダリアさんのように、快く思っていない人はきっと、もっと大勢――)
『パンッ!』
ハルトが俯いていると、突然手を打つような大きな音が鳴る。ハッとして顔を上げるとマスターが真面目な顔で睨みつけていた。
「すぐ辛気臭い顔するな。そろそろアンの件も含めて、今回の依頼報告を聞かせてもらおう」
そう言いながらマスターは椅子に深く座って足を組み、じっと見つめながらハルトの言葉を待っていた――。
「――ですので、アンは一人のところをレッドホークに襲われ、僕の作戦に巻き込んでしまった形です。その後レッドホークを討伐してアンの処置を行い、本人の同意を得て、飛べるようになるまでの保護を目的に契約して今に至ります。討伐証明用の提出部位は嘴です」
ハルトは机の上に布で包まれた嘴を差し出した。中身を確認したマスターが頷くと、シャルは部屋の隅の金庫から硬貨を取り出し数え、判子、依頼書と共にマスターに渡した。マスターは手際よく依頼書にサインを書いて判子を押す。
「確かに。お疲れさん、報酬だ。報告も大分上手くなったな」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな笑顔のハルトに、二人も釣られて微笑む。だが、マスターは直ぐに神妙な面持ちになり、考えながら話始めた。
「……アンは母親が居なくなったと言ったんだな?」
「はい、確かに本人はそう言いました」
「……ハーピィという種は霊峰ペールドットの山頂でのみ暮らしていて、餌も山で捕れる小動物等を食べて生きている。相当な理由がなければ山を降りるとは考えづらい」
アンに話を聞いてから、ハルトも同じことを考えていた。
餌が少なくなった、もしくは強大な魔物が現れた、ということならアンも知らないはずはなく、『ママが居なくなった』と言っているということは他のハーピィは無事なのだろう。種族の危機というわけでは無いはずだ。
母親が居なくなった理由――思い当たる事はある。
「……考えたくは無いですが、素材目的の誘拐だと思います」
「あぁ、その可能性は高いだろうな」
「羽根は貴族に人気の高価な装飾品ですからね」
「それもだが、爪の毒は効能のいい鎮痛薬の材料で、希少性も高い。ハーピィ自体、商人が見れば金の成る木だな」
マスターはそう言いながら太い腕を組み、しばらく俯いて考えを巡らせていた。そして少しの静寂の後、徐ろに立ち上がると、離れた場所にある棚からひらりと一枚の紙を取りだした。
「ハルト、希少なハーピィの羽根や薬がどこから流通しているか知っているか?」
「い、いえ」
「実は、ほぼ全ての素材がこの国から出ている。ある人物がハーピィと友好関係を築いていて、そいつが全ての流通の根源だという噂がある」
「ある人物?それは誰ですか?」
「王家御用達商会――『ディートリッヒ商会』の副会長『クレア・ディートリッヒ』だ」
ディートリッヒ商会――誰もが知る大商会だ。国内外問わず販路を開いており、安価な素材から高級品まで幅広く取り扱い、国民の生活の要となっている。
「まぁ、さすがに副会長が何かしたとは思っていないが……何か情報は持っているかもしれん」
そう言いながら、スラスラと何かを記して判を押すと、シャルに何かを伝えるように目配せをして、その紙を渡した。
「シャルロッテ、ギルドから極秘の指名依頼を出す。ハーピィの失踪に関する調査。指名はハルト、期限は十四日、成功報酬は十七万ゴルド、失敗違約金は無し、条件として可能な限り毎日俺にここで報告してもらう」
「し、指名?!いいんですか?僕まだCランクですよ?!指名依頼はBランクからですよね?」
冒険者ギルドに存在するランク制度は、実力が伴わない人を危険な依頼に行かせないことが目的で、ランクに合わない依頼は受けることができない。
当然マスターはギルドルールを知っているはずだが、その質問に対して帰ってきたのは、大きなため息と呆れ顔だった。
「人魔絡みに他のやつ巻き込めんだろう。だから極秘なんだよ。ハーピィの調査は俺が必要と踏んだ。何か胸騒ぎがする。お人好しすぎるお前のことだ。アンの母親を探すんだろ?お前が無茶しないように抑える意味もあるんだ。その分報酬金は下げてるぞ」
こんな提案――やるかどうかなんて、考えるまでもなく決まっている。目の前に、アンの母親へつながるかもしれない道があるのなら、躊躇する理由なんてどこにもない。
「……今、アンを救えるのは僕しかいません。元々一人でも探すつもりだったんです。ギルドの後ろ盾が貰えるなら、断る理由なんてありません」
ただ蔑まれ、疎まれ、死んでいくだけだった人生。その軌跡を大きく変えた瞬間だった。
一人の少女の為に初めて踏み出した一歩。その勇気が、その決意が、ハルトの心に炎を宿した。
「わかりました!ありがとうございます。アンの為にも頑張ります」
「気負いすぎてしくじるなよ。吉報を期待している」
真剣な面持ちで頷いたハルトを見て、マスターは満足そうにニヤリと笑った――。