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【第一章完結】嫌われ者行進曲  作者: 田 電々
第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』
45/55

21-2.さよならではなくて

――さらに三日後、フォルト王国最北端『霊峰ペールドット』


 険しい山道に霧がかかり、冷たい空気が肌に突き刺す。向かい風が吹き付けて霧が晴れると、陽射しが凍る頬をほんのり温めた。


「こんなに厳しい環境で暮らしてたんだね……」

「えぇ。でも、この環境だから魔物が住み着かなくて、山頂の住処で平和に暮らせているの」


 アンと翼を繋いで前を歩くステラは、静かな口調でそう答えた。隣のアンは俯いたまま、引っ張られるように歩みを進めている。


「……クゥン」

「グラ、今はそっとしてあげて」


 ハルトの傍で尻尾を下げるグラに、ハルトは優しく声をかけた。

 僅かに足取りが重たいのは、向かい風のせいだけではないだろう。心が先に進むのを拒絶している。そう分かるほどに、疲労の溜まった足とは裏腹に、心臓は静かに脈打っていた。


 アン、ステラとの契約は一時的なもの。事件が解決し、脅威が過ぎ去った今、二人は元の生活に戻るのだ。


「せっかくの大きな家が寂しくなるな」


 後ろを歩くダグラスの声が静寂に響いた。

ほんの少し無神経だと感じもしたが……まぁ、彼らしい真っ直ぐな言葉だ。


「ハルトくんがBランクになったら、ここに来る時に指名依頼を出すわ」

「ありがとうございます。いい目標になります」


 クレアとの会話で僅かに感じた暖かい空気。それを再び湿った山の冷風がかき消した。心に氷柱を突き刺すような冷たさが痛い。


 それでも――別れの時は刻一刻と近づいていた。


「……見えてきたわ」


 ステラが翼で示した先に、捻れたツタが絡まりあったような木が群生する場所が見えた。

 幹の一部が膨らみ、人が入れるほどの隙間がある。あれがハーピィの巣だ。


「この樹……もしかして――世界樹?」

「さすがハルトくん。気づいた?正確には、世界樹になれなかった木――『祈願樹』。世界樹に祈りを捧げ、平穏を願う象徴の木なの」

「祈願樹……いい木ですね」


 世界樹はここから遥か南東にある大森林の中心にそびえる大樹。その大きさはこの霊峰の高さと大差ないほどだ。

 祈願樹が『世界樹になれなかった』というのが、近い種という意味なのか、突然変異的なものなのかは分からない。だが、祈願樹に住まうハーピィは、さながら世界樹の精霊のようだと感じた。


 雲に隠された霊峰の山頂に、こんな景色があるとは思わなかった。


 祈願樹が立ち並ぶ中を歩いていくと、巣から一人のハイハーピィが出てきて、ステラとアンに気づき飛び立つ。羽音を響かせ近づいてくると、着地と共に膝をつき、頭を垂れてステラに敬意を表した。


「ハーピィクイーン、お嬢様、無事のご帰還、信じておりました」

「……ん、ただいマ」

「心配をかけました。皆を遺跡の前に集めてください」

「はい。すぐに呼んで参ります」


 いつも見てきたアンの母親とは違う、堂々たる風格を漂わせる女王ステラ。気づいていたとはいえ、いざその存在感を目の当たりにすると、つい頭を下げそうになる。


 クレアは知っていたのだろうか?と視線を移すと、目を見開いたまま大きく口を開き固まっていた。隣に立つダグラスが冷静さを保っているのは、流石というところだ。


「ふぅ……あら?驚かせちゃったかしら?皆さんはいつも通りで大丈夫ですよ。行きましょう」


 いたずらに笑うあの顔は……策士の顔だ。


 ――ステラに続き歩いた先に、霊峰特有の白い岩で組まれた遺跡が見えた。苔やツタの緑がキャンバスに描かれた絵のように、長い年月そこにあり続けたことを語っている。


 集まったハーピィ、ハイハーピィ、そしてハルピュイア達が皆、ステラの前に跪き頭を下げる。

 ついて歩くしかないハルト達が、居心地の悪さを感じたのは、言うまでもない。


「皆さん、長らく住処を離れることとなり、心配をかけました。留守中にも色々あったかと思いますが、今は皆が無事であったことを嬉しく思います」


 神秘的で静かな空間に、ステラの声だけがはっきりと響く。傅く民が鼻をすする音が、彼女が信頼されている長であることを示していた。


「……今回、私たちが生きて帰ることができたのは、ここにいる人間たちのおかげです。何人かの者は知っているでしょうが……クレア、ダグラスさん。この二人が私を長く守ってくれていました。ありがとうございます」


 頭を下げられたダグラスは、照れたように宙を見た。クレアは胸を抑え、困ったように首をふる。

 ステラもまた眉を僅かに下げて、謝るように頷く。


「そして、私たちを助けるばかりか、私と娘に名をくださった――ハルトさん。彼がいなければ私たちは今もなお、暗い地下室に身を潜めていたでしょう」


 そう言うと、おもむろに長い髪を左翼で持ち上げ、首筋の紋章を晒した。民のどよめきが聞こえると、一喝するように声を張り上げる。


「これは私たちが絆で結ばれた証です!決して隷属を強いるものではありません!」

「ステラ……」


 風にかき消されそうなほど微かに漏れ出た声に、ステラはいつもの穏やかな笑顔で応えた。胸の奥が熱くなり、潤んだ目がつやりと光る。


「これから私のことはステラ、娘はアンと呼んでください。そしてこの三人と、ハルトさんの仲間であるボーンハウンドのグラちゃんは、恩人として丁重に迎えてください。よいですか?」

「はっ!ハーピィクイーン・ステラ様」


 まるで練習していたかのように呼吸を合わせ、民はステラの言葉に意を示した。圧巻の光景に思わず身震いをおこす。

 人間には疎まれる力が、ステラの言霊で絆の象徴だと示され、民がそれを是としたのだ。


 モンスターテイマーへの見方が変わった瞬間――その中心に自分がいることが、現実味を帯びて魂を揺さぶった。


 ――それから、ハルトたちはハーピィの住処を見て周り、自然と共存する姿に何度も胸を打たれた。

 原始的といえば確かにそうなのだが、幸せそうに暮らすハーピィたちを見ていると、それも悪くないと思えてくる。


 そして、時間はあっという間に過ぎ去り――惜しくも別れの時がやってきた。


「ステラ、短い間だったけど……一緒に旅ができて嬉しかった。僕の仲間になってくれてありがとう」

「えぇ。私もここを出なければ知れないことを、たくさん学べました。……娘を助けてくれたこと、私を助けてくれたこと、改めて、お礼をさせてください」


 そう言うと、近くに立っていたハルピュイアに目配せをする。一本前へ歩み出た彼の手から、大きな葉の包みを渡された。


「あ、ありがと重っ!」

「ふふふ、これは霊峰で取れた『ルミナアイト』という鉱石です」

「ルミアナイト鉱石?!」


 葉を開いていくと現れたのは、夜空を切り抜いたような深い青の光沢。魔力を吸い蓄積する魔鉄の一種であり、希少価値がとんでもないほど高い鉱石だ。


「こ、こんなに大きいルミアナイト、初めて見た」

「ステラ!こんないい物隠し持ってたの?!ねぇ!もっとないの?!!」

「あら、貴方には散々渡してきてるじゃない。ハーピィクイーンの毒と羽……ね?」

「んあぁぁぁぁ!市場価値見誤ったーーー!!」


 若干引き気味のダグラスの横で、構わず頭を掻きむしりながら空に吠えるクレア。こんな姿を晒すなんて、本当に悔しかったのだろう。まったく、この二人は本当に仲がいい。

 いたずらが成功して嬉しそうなステラだったが、フッと穏やかな微笑みに戻り、改めてハルトの瞳を見つめる。


「……ハルトさん。ここまで連れてきていただき、ありがとうございました。どうか、お元気で」

「…………うん。ステラも」


 人の手と青い翼が強く握り合う。交わす視線の端で、彼女の首筋の紋章が一瞬煌めいたように見えた。

 少しだけ目を瞑り、ステラとの繋がりを強く感じる。彼女が永遠に友であり、仲間であること。その思いを、ぽっかりと空いたもう一人の人魔の友の隣に並べた。


 やがて、手を解いて膝をつき、長らく口を閉ざしていた少女に目線を合わせる。


「アン……君と出会えて、僕は前よりうんと強くなれた。ありがとう」

「…………」


 アンから言葉は帰ってこない。その代わり、母の翼を握る右翼に、ぐっと力が込められた。俯いたままの瞳から、ぽたぽたと地面に雫を跳ねさせる。


「……アン」


 強く唇を噛みしめた。胸の奥が熱く、喉の奥で何かがせり上がる。声を出そうとしても、息が詰まり、ただ震える吐息しか漏れない。

 頭の中でアンとの思い出が呼び起こされ、こらえたはずの涙が、視界を歪ませて頬を伝った。


 ボロボロだった彼女と契約を交わした夜。


 崩れそうな屋根の下で食事をした和やかな昼下がり。


 ランスホーン狩りで戸惑った表情。


 アゲート湖の畔で見せた寂しそうな面影。


 そして――母と再開した感動と温かさ。


 たった数週間の旅の中で、僕らは確かに――絆を強く結んでいた。


 ハルトの目からもまた、一雫が頬を伝った時。ステラが彼女の隣にしゃがみ、両翼をとって彼女を見つめた。

 持ち上げられたくしゃくしゃな泣き顔に、母は優しく語りかける。


「アン……あなたはどうしたいの?」

「えっ?」


 その言葉に口を開き、ピタリと涙の流れが止まる。それを言っていいのか分からず、喉の奥につっかえているようだった。


「……私の愛しい子、あなたは戦う力を持っている。誰かを守る為に使うことも覚えた。――今、あなたが守りたりのは誰?」


 刹那――再び少女の瞳から大粒の涙が零れ始める。嗚咽が混じる呼吸の合間に、彼女は心の声を精一杯に絞り出した。


「わだじ――ハルト、と、いっじょがいイ。ハルト、をっ……守りだい!!」

「うん、いってらっしゃい、アン。……私はここで、あなたの帰りを待ってる。――たくさん冒険してらっしゃい!」

「ママぁぁぁぁ!!!」


 アンの泣きじゃくる声は、雲ひとつ無い空の向こうまで響き、夕焼けを連れてきた。

 抱き合う母娘の横顔を照らす橙色、瞼から零れる光の粒。


 この日、ハルトの正式な仲間が一人加わった。

 仲間を守る為に力を振るえる、強く、優しい『翼の少女』が。


――数日が過ぎ、王都サフィーア中央区『ディートリッヒ商会本部』


 眩しい光が窓から差し込み、肌寒い風が部屋を駆け巡った。ペン先が紙の上を走る音だけが響く静かな室内。その音が止まると、うんと身体を伸ばす女性の声が漏れ、隣に立つ男に語りかけた。


「ねぇダグラス?ハルトくん、Bランク冒険者になったんだって」

「そうか」

「もうすぐ遠征があるじゃない?ハルトくんを指名しようと思うんだけど、どうかしら?」

「いいと思うぞ」

「……ハルトくん、すごいわよね。どんなに嫌われても立って前を見て、少しずつ認められてる」

「あぁ」

「ふふっ、オリバーみたいになってるわよ?」

「……あぁ」

「……羨ましいわよね。あなたが求めた生き方に、彼は近づいてるんだもの」

「…………あぁ」


 ダグラスは胸の奥に燻る煙を吐き出すように、長く息を漏らした。表情は柔らかく、そして穏やかに。


「さっ、そろそろトワイライト家のご令嬢がいらっしゃるわ!客室の準備をお願い」

「わかった」


 頷き足早に部屋を出る彼の背中を、クレアはため息混じりに見送った。頑固な彼の性格に呆れつつ、真面目な心根を案ずるように。


――同刻、王都サフィーア『西門』


 秋らしい風が吹き付ける大門を、一台の上等な馬車が通過した。

 それは真っ直ぐと大通りを抜けていき、大商会の建物前で車輪を停める。

 そして、馬車の扉が開かれると、一人の黄色いワンピースを着た少女が降り立った。


「ここがディートリッヒ商会!すごい!大きいわぁ!」


第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』――完結。

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