21-1.さよならではなくて
――爆発騒動から三日後の朝、王都サフィーア南『住宅街』
小鳥が窓の外で鳴いている。眩しい日差しはレースを通して、穏やかに室内を照らしていた。
贅沢にもフカフカなベッド、天井には小さなシャンデリア。ところどころに感じられる控えめな豪華さが、ハルトには僅かに居心地が悪かった。
だが、そうもいっていられない。
先日、貧民街で起きた爆発により、薬物が辺りに散らばった。よって現在、貧民街と商業区の一部は立ち入り禁止。
さらに工場の場所も悪く、爆発の衝撃でハルトの住んでいたボロ屋は半壊。今の彼はホームレスなのだった。
そんな彼が今こんなに綺麗な家にいる理由。それは――
『コンッコンッ』
不意に扉が音を鳴らし、聞き慣れた元気な声が届いた。
「ハルトくーん!起きてる?」
その声に導かれるように扉を開ける。そこには、身なりを綺麗に整えたクレアが笑顔で立っていた。
「おはようございます。クレアさん」
「おはよう。ご飯できてるから、着替えたら降りてきて」
「……わかりました」
左手を腰につけてうれしそうに口角を上げるクレア。モデルのように長い足を鳴らし、階段を下っていった。
今、ハルトはクレアの家に厄介になっている。旅の途中で話をしたお礼――家をプレゼントするという話は本気だったらしい。
彼女の人脈で良さそうな家を探してくれていて、見つかるまでの間、部屋を貸してくれているのだ。
着替えを済ませ、全身鏡で軽く髪を整える。
ゆっくりと広い廊下を歩きはじめ、静かに螺旋階段を下った。
「ワン!」
「グラ、まだ食べちゃだメ」
「クレア、お皿もう一枚ある?」
「あっ、ごめーん!これお願い」
真下にあるリビングから賑やかな話声が聞こえ、思わず立ち止まり聞き耳を立てた。
数週間前まで、グラと静かにボロ家で暮らしていたのに、まるで別の世界に来たみたいだ。胸の内側にじわじわと広がる温かさを感じながら、また少し階段を下り顔を覗かせる。
「クレア、果実水飲みた――あ、ハルト、おはよウ」
「おはよう、アン」
「ワンワン!」
「グラもおはよう」
一階に降りてアンとグラの頭を撫でる。その様子を微笑ましく見つめるステラに、ハルトは笑顔を返した。
「さて!暖かい内に食べましょ」
クレアの呼びかけに各々が席につく。全員の顔を一瞥した後、ハルトはそっと手を合わせた。
「いただきます」
それを皮切りにグラはガツガツと音を立てて食べ始める。苦笑いするハルトと対照に、クレアとステラは穏やかに口角を上げ、嬉しそうに振り回される白い尾を見つめた。
――
「そうだ、ハルトくん」
食事も程々に食べ終えた頃、おもむろにクレアが声をかけた。
「事件があれからどうなったか、色々聞いてる?」
「い、いえ。あの日以来何も」
クレアさんを狙った暗殺未遂事件。僕はケハンを拘束し、詰所に引渡してからは影に身を潜め、目立たないようにしてギルドに帰った。
僕が表に立つと在らぬ疑いをかけられる気がしたのだ。
「……あなたは知っておくべきだから、説明しておくわ」
「…………お願いします」
――クレアの話は、ある程度予想通り。
ケハンはあの後投獄され、今は檻の中で裁定が下るのを待っている。もし彼に罪を償う機会が与えられたなら、今度は妹と共に、小さな幸せを大切にして生きて欲しい。
妹のダリアは事件以来、仕事を休んで引きこもっている。兄が重犯罪者になってしまったショックは、想像に容易い。
僕を罵倒し、卑下していた彼女が、今は可哀想だと思うのは、お人好しすぎるだろうか。
トニーと共に裏切り者となった商会員は、王都の自宅で死んでいるのが見つかった。死後時間が経っていたことから、口封じに殺された可能性があるそうだ。
そして、唯一の想定外――今回の事件で一番の被害を出した、フリオ・ノーランド。彼は下水道を通り王都を抜け、未だ逃走を続けている。現在は爵位を剥奪され、指名手配中の罪人だ。
「商会内にケハンの仲間が残ってる可能性もあるし、私もダグラスも気が抜けないけど、今は仕事を再開してるわ」
「良かったです。なんとか一件落着ですね」
「えぇ。本当にありがとう」
首を軽く傾け、目尻を下げて笑う表情が、窓から差し込む光に眩く照らされる。
その隣で仲睦まじくじゃれ合うステラとアンの姿が視界に映る。
そうだ――僕はこの笑顔を守れたんだ。今はこの感情、達成感が心地よく、思わず深く息を漏らした。
「それでね、ハルトくん」
不意にはクレアは頬杖をつき、顔を少しだけハルトに近づけた。
「な、なんですか?」
「ふふん……新しい家なんだけど、いい場所を抑えられたの。この後時間ある?すぐ近くだから、よかったら見に行かない?」
「本当ですか?!是非お願いします」
「オッケー。じゃあ片付けたら行きましょうか」
そう言って立ち上がったクレアは、テキパキと皿を重ね始めた。隣で手伝い始めるステラとアン。それに続いて、ハルトは床に置かれたグラの皿を拾い上げる。暖かい光景にまた少し微笑みながら、それを流し台に運んだ。
――数十分後
「それじゃあ、行きましょうか!着いてきて」
「よろしくお願いします」
グラ、アン、ステラをアビスへ戻した後、家を出たハルトとクレアは胸を弾ませながら歩き始めた。
クレアが選んでくれた家だ。タダで貰えるとはいえ、期待してしまう。
一体どんな場所にあるのだろうか?僕らの環境を気にしてくれていたし、外れにある隠れ家みたいな場所だろうか?
そんな妄想に浸りながら、陽射しを浴びて歩みを進める。しかし、クレアが突然立ち止まったそこは、ハルトの予想の斜め上をいく場所だった。
「ついたわよ」
「こ、ここって……本当に?」
「あら?嫌だったかしら?」
「いえ!とんでもない!……ただ、驚いて。近くとは聞いていましたが――」
そこはクレアの家の玄関から徒歩十五秒。つまり――お隣だ。それもクレアの家と瓜二つのそこそこ大きな家。二世帯でも住めそうな綺麗な二階建てだった。
「前の住人がつい最近引越していったのを思い出して、確認したらまだ空いてたの。私が隣に住んでれば、何かあっても頼って貰いやすいと思って。とにかく、中に入りましょう」
有無を言わさず手を引っ張られ、ハルトは開かれた扉を抜けた。壁紙がシンプルなこと以外、クレアの家との差は感じない。
少しだけ長い廊下が通り、その先にはリビングとキッチン、螺旋階段。お風呂にトイレまでついている豪華な家だ。
「……どうかしら?」
「すごく――いいです」
「ふふっ、良かった」
正直、自分には不相応な家だと思った。あのボロ屋での暮らしに慣れていたのもある。
だが、それ以上に、差別や卑下の対象である僕が、これ程立派な場所に住むことをよく思わない人もいるだろうと思ったのだ。
だけど――シャルとマスターだけが味方だったこの半年間から、手を差し伸べてくれる人が隣にいることが嬉しくて……ハルトは目を潤ませてクレアと視線を交わした。
「……ここに住まわせてください」
「うん!これからもよろしくね」
この日、ハルトとクレア、合流したダグラスは、ハルトの新たな家に必要な物を買い揃えるべく街中を歩き回った。
帰る頃にはヘトヘトになり、なんとか組み立てたベッドに倒れ込む。信頼できる真新しい天井を見上げ、脳裏にあの旅の思い出を映した。
「でも……そろそろ――」
不意に表情を曇らせて漏れ出た言葉。寂しさを纏い、静寂に霧散したそれは、ハルトの決意で始まった物語の、終わりを意味するものだった。
その日の夜、クレアの家で引越しを祝い、賑やかな時はあっという間に過ぎ去った。
クレアとアン、グラが楽しそうに触れ合ったり、酔ったダグラスがステラに腕相撲を挑んで惨敗したり――この日の思い出を、ハルトはしっかりと瞳に焼き付けた。




