20-2.仲間と友の思いを乗せて
――爆発後、王都中央通りの先『城下の広場』
城にある西側の塔から、けたたましい鐘の音が三回ずつ鳴る。これは貧民街、及び商業区の端に向けて、避難を呼びかける音だった。
深夜に響く不快な音に、あちこちから人が出てきて、野次馬のように立ち上る煙を見つめる。
同じように、ディートリッヒ商会の本部から、広場まで出てきて煙を見つめるケハンの姿があった。
何があったのか正確に分析するように目を細め、眼鏡を中指で持ち上げる。
「……まさか、ノーランドの仕業か?」
眉間に皺を寄せ、握る右手を固く結ぶ。額に浮き上がる血管が、彼の怒りの具合を顕にしていた。
「広場を空けてください!避難する人をここにまとめます!家が安全な方は、速やかに戻ってください!」
群がる国民に衛兵が呼びかける。散り散りになっていく人々と共に、ケハンもまたその場を離れ始めた。
しかし、向かったのは商会本部ではなく、閉ざされた城壁の東門。その傍らにある細い裏道を通り、防壁の上に続く階段を登った。
「……やはり」
頂上から西を見つめ、鎮火されて煙が登るだけの爆破地点を見つめる。
ノーランドが経営していた麻薬工場。そこが爆破されたということは、奴はもう追い詰められたのだろう。
「馬鹿な男だ」
呟いた刹那だった。星々が輝く空の奥から、大きな鳥の羽ばたきが聞こえる。それは徐々に近づいてきている。
魔物か?……そう考えたケハンの瞳は、飛来する影がただの魔物ではないと認めた瞬間、僅かに見開いた。――ハーピィだ、と口元が震れた。
長いスカートが月光に透け、脚の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。その脚に持たれた板に座る少年の姿も映し出され、ケハンの鼓動が慌ただしく動き出した。
「君は……何故ここに?」
板から降りたハルトは、フードの影を払ってゆっくり素顔をさらした。血と土に汚れた顔だが、瞳だけは冷たく光っている。重く閉ざしていた口をわずかに開き、言葉を紡いだ。
「……全てを、終わらせに」
「なん……だと?」
「全て分かってますよ、ケハンさん」
ハルトの声は低く、夜気に沈んで響いた。
「ノーランド伯爵邸に出入りしていたことも、伯爵が復讐をするように唆したことも」
ケハンの見開いた瞳が揺れる。その場に立ち尽くし、何が起きているのか分からない様子だ。
「……伯爵邸に、あなたが送った手紙が残されていました。『モーデン・ディートリッヒを苦しめてやりたくないか?』とね」
「…………」
「ディートリッヒ商会会長『モーデン・ディートリッヒ』クレアさんのお父さんです。クレアさんを殺して、彼を精神的に地獄に落とす。……そういう計画で伯爵に手紙を送った」
「……くっ」
ケハンは顔を逸らし、悔しさを噛み締める。
「でも……あなたの計画は違いましたね?」
「……なんの話しだ」
眼鏡の奥から鋭い視線だけがこちらを向く。
「わざわざダグラスさんという用心棒がいるクレアさんを狙うのは、明らかに愚策です。ならば、会長本人を狙ったほうが早かった」
「出鱈目だ!」
「……いえ、あなたのことは調べあげられています。ディートリッヒ商会が経営する孤児院で育ち、商会で働き始めた。若くして財務長の座についたが、それに満足できなかった。なぜなら――『商神の巫女』がいたから」
「?!何故それを!!」
動揺に息が荒れはじめ、冷静ではなくなっている。普段の聡明なケハンは――もういない。
「優秀な諜報員を雇いました。クレアさんを守るために」
「そうか……それで手紙まで……クソっ!!」
「あなたは伯爵を利用してクレアさんを殺し、副会長――次期会長の座を狙っていた。違いますか?」
その瞬間、ふらりとよろけたケハンの顔が正面を向く。不吉な笑みを浮かべた愚かな罪人の顔が、淡い月の光に照らされた。
「……だからどうした?モンスターテイマーの戯言を、誰が信じると?お前がどれだけ叫んでも、地を這う虫に誰も耳を貸さない!」
「その虫を一番信じていたのはあなたじゃないか!インセクトテイマー!!妹に蝶を送るように、何故クレアさんに接することができなかったんですか?!」
彼の顔が一瞬にして強ばった。息を飲み、呼吸を忘れ、喉から絞るような音が鳴る。
「な、なぜ……お、お前が!――妹のこと知っているんだ!!」
指をさして吠えるが、その手は震え、額に冷や汗が滲んでいる。動揺の色を隠せていない。
「気づいたのは……偶然でした。親しそうに蝶と話すダリアさんを見てしまって。それからあなたの調査結果に妹がいることを知って、そういうことか――って」
その答えにさす指をだらりと下ろし、俯いて黙り込む。冷たい夜風が彼の乱れた髪を撫でた。
「……ケハンさん、ダリアさんが大切なのであれば、こんなことやめて、自首してください。彼女があなたの今の姿を見て、喜ぶとは思えません」
「……うるさい」
「ケハンさん!」
「うるさい……うるさい!」
その瞬間、右手が空高々に上げられ、防壁が微かに揺れる。ザワザワと何かが這い上がってくるような気持ち悪い音が鳴り響く。
「?!やめてください!!」
「だーーまーーれーー!!!」
ハルトに向けて振り下ろされた手。刹那――壁を這い上がってきた何千何万もの虫が――一斉に襲いかかった。
「喰え!喰えぇぇ!!肉を、血を、骨まで残さず啜れぇぇ!!」
虫を焚きつけるように叫ぶ。だが――虫の軍勢がハルトに届くことはありえない。
「――ウィンドバリア」
風に舞い、吹き飛ばされたり、バラバラになる虫たち。ケハンの表情がみるみる青ざめていく。握られていた手が解け、空いた口が塞がらない。飛んだ一匹の蜘蛛が彼の頬にぶつかり、潰れて緑色の体液が飛び散る。
「な……な、な、何故だーーーー!」
「仲間がいるからだ!!」
纏う風の奥から鋭く睨みつける。瞳の奥に燃える決意に、ケハンは尻もちをついて倒れた。
「あなたの攻撃は、乗ってるものが軽い!!オリバーさんとの戦いは、こんなに軽くなかった!」
「くっ――」
地を這うように逃げ出したケハン。階段を駆け下り始めたが、その肩に鋭い爪がくい込み、足が地を離れる。
「ぐっ……なっ、は?なんだ!!」
見上げた先にいたのは、青い翼を羽ばたかせる一人の少女。
「ママとクレア、ハルトを泣かせタ。――それ、絶対許さなイ」
「は、ハーピィ……ど、毒が!どくがあぁぁぁぁぁ!!」
「うるさイ。暴れないデ」
持ち上げられ取り乱すケハンの身体は放り投げられ、再び防壁の上に転がった。落ちた衝撃で腕から異質な音が鳴り、眼鏡は割れ、苦しそうに呻き声を漏らす。
静かになった夜の帳に、二つの足音と一つの羽音が響き、醜く汚れたケハンに近づいた。力強い鳥の足が彼の手足を押さえつける。
「……ケハンさん、もう終わりです」
「だ、頼む……助げでぐれ――じにだぐない!!」
「……解毒薬はクレアさんからもらっています。あなたを拘束してから、命は助けます。――生きて、罪を償ってください」
騒乱の余波を飲み込むように、夜はただ静まり返っていた。煙だけが空へと細く伸び、世界の終わりを示す代わりに――静かな始まりを告げているようだった。
全てを裏で操っていた黒幕ケハンによる『クレア・ディートリッヒ暗殺計画』。この事件はこうして全て潰え、終わりを迎えた。




