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【第一章完結】嫌われ者行進曲  作者: 田 電々
第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』
42/55

20-1.仲間と友の思いを乗せて

――アメントリ郊外『糸の森』


 背中に伝わる硬い地面が、戦いで上がった体温を容赦なく奪っていく。

 顔を照らす陽射しは眩しく、焼けつくような痛みと共に眉をひそめた。

 風は止み、森には不気味なほどの静寂が満ちている。


 まだ心臓は荒々しく脈打ち、全身に血がうねるのを感じる。荒い呼吸を整えようとしながら、大の字に倒れ込む。

 伸ばした左手には、虫の息のオリバーの身体が触れていた。その重みと熱が、確かに彼がまだ生きている証だった。


「……オリバーさん」


 彼からの返事はない。ただ、ヒューヒューという喉笛の音と、時折、口に溜まった血の濡れた音が鳴るだけだ。


「『人を簡単に信じるな』って、あなたは言いましたよね」

「……」

「凄く悩みました。……トニーさんに騙されて、バリサイで石を投げられて――」


 ハルトの脳裏に、忘れたい記憶がまた呼び起こされる。


『――モンスターテイマーを追い出せ!』

『いっそアイツも死んでくれたら――』

『――人間面してんじゃねーよ!』

『魔物を操る力が危険でないと?――』

『――モンスターテイマーは悪だ。常識だぜ?』

『追い出せー!!』『出ていけー!』


「……でも、思い出したんです。信じて、ちゃんと信じさせてくれた人もいたって」


 苦しい思い出は塗り替えられ、優しい言葉が耳に聞こえるようだ。


『――身体だけじゃなくてこっちも大切にしなさいね』

『――ワタシ、シンジル』

『……辛かったですな――助けてやれず、すまなかった』

『ハルトさん、ありがとう』

『お前は……強いな、ハルト』

『――ごめんね、気づいてあげられなくて。』


『――忘れないで――貴方が信じて繋がった絆を』


 そう――信じることで繋がった絆。どんなに苦しくても、辛くても、みんながいたから乗り越えられた。


 熱くなる胸。落ち着いていく呼吸と裏腹に、強く脈打つ血管。傷の痛みも僅かに増したが、それを気にしないほどに暖かい感情がハルトの身体をゆっくり起こした。


みんなが――支えてくれたから。


「……オリバーさんの気持ちも伝わってましたよ。苦しんでいりことも分かってました」

「…………」

「だから――僕はやっぱり、みんなを信じてみたいです。それで裏切られるんだとしても、それは信じてみないと分からないから」


 静寂に落とされた優しい言葉は、オリバーの弱々しい息遣いにふわりと消えていった。彼の顔を見ると、もう目は窪み、濁り始めている。

 口から溢れた青い血が頬を伝い、地面に流れ出していた。


「……カハッ」

「…………オリバーさん、じっとしていてください」


 ハルトはステラの手を借りて立ち上がり、ふらつく足を踏ん張ってオリバーを見下ろした。


「……せめて、最後は仲間として――」


 オリバーに向けて差し出された左手。その姿をぼやけた目で追っていた彼の口角が、少しだけ上がったように見えた。

 目を瞑り、深く呼吸を整えると、察したように森が風に揺れた。枝葉の擦れる優しい音が、二人を穏やかに包み込む。


「我が名はハルト、汝と真なる絆を結び、切れぬ誓いとする。力に導かれ、真名として心に刻め――『オリバー』」


 その瞬間、彼の身体が赤い輝きを纏った。視線が合うとほっとしたように目閉じて、一筋の涙が陽の光に輝く。

 やがて彼の輝きを飲み込むように、渦巻く闇がオリバーを包み込んだ。影と光が身体に染み込み、頬に赤い紋章が刻まれる。


 穏やかに大きく息を吐き出したオリバー。これを最後に、彼が目を開くことは無かった。


 隣で見ていたステラは、目を潤ませながら顔を逸らし、鼻を啜った。

 ハルトは胸に残った喪失感を右手で抑え込み、頬に温もりを伝わせる。


「…………オリバーさん、ありがとうございました」


 この言葉は彼に届いただろうか?……届いていたらいいな。


 長い黙祷を捧げたハルトは、彼の傍らに転がる長い剣を拾い上げた。


「……僕には重たいな」


 そう言うと木屋の傍まで歩いていき、落ちていた鞘に刃を納めた。


「ステラ、グラ、オリバーの墓を作りたいから、手伝ってくれないかな?」

「……わかりました」

「ワフ」


 アンをアビスに戻した後、木屋から持ってきた道具を使って、オリバーを森の中に埋葬した。最後に近くに芽吹いていた木の芽を植えただけの簡単な墓だったが、ハルトの精一杯の思いを込めた墓だった。


 新たな契約と、静かな旅立ち。僕は一生『シャドウストーカーのオリバー』という最高の友人を忘れない。


「……いこう。王都に」


 ゆっくりと歩みを進め出すハルト。フードを掴んで深く被り直し、下ろした手を強く握り込む。


 その拳の中で「プチリ」という音を響かせた。


――その日の深夜、王都サフィーア『ノーランド伯爵邸』


 普段ならば静かで、虫の鳴き声すら聞こえてくる屋敷の外。だが、今日耳に届いたのは、鎧の一部がぶつかる小さな音と、一人の男性の叫び声だった。


「フリオ・ノーランド!!悪事はすべてバレている!潔く投降しろ!」


 鋭い声が夜気を切り裂く。屋敷を包囲する兵士たちの松明の炎が、赤々と外壁を照らした。

 しかし返事はない。


「……仕方ない。突入する!」


 衛兵隊長の命令が飛ぶ。前列の兵士たちが盾で正面扉を打ち破り、激しい音と共に木片が四散した。中へなだれ込む兵士たちの足音が、広間に反響する。


 だが、彼らの目に映ったのは――剣を構えた兵士ではなく、蒼白な顔で怯える数人の女性と使用人たちだった。

 貴族夫人とまだ幼い娘が、しがみつくように震えている。


「なっ……伯爵はどこだ?!」


 衛兵の一人が声を荒げる。使用人を問い詰めても、返ってくるのは怯えて首を振る仕草だけ。


「ちっ……逃がすな!!屋敷内外をくまなく探せ!!」


 隊長の怒号に兵士たちが屋敷の奥を調べる。そして、書斎の床に隠された鉄格子の蓋が見つかった。外されたばかりなのか、土の匂いが強く立ち込めていた。


――同刻、王都地下『下水道』


 石造りの通路を、ひとりの太った男が身体を揺らし、駆けていた。豪奢な上着はすでに泥に汚れ、髪は乱れている。それでも、その瞳はぎらつき、笑みを浮かべていた。


「は、ははは……包囲だと?小僧どもめ、何を知った気になっている」


 足を止め、伯爵は懐から掌ほどの大きさの魔水晶を取り出す。

 歪んだ光が内部で脈打ち、彼の魔力を注ぎ込まれると、鈍く青白い輝きを放った。


「貴様らがどれほど追い詰めようと、証拠など残さぬ……!麻薬工場も、人身売買の拠点も、すべて灰だ!ふはははは!」


 次の瞬間、地上から轟音が響き渡った。

 重い地鳴りと共に、爆風が下水道の空気を震わせる。伯爵は狂気じみた笑いをあげ、両手を広げた。


「見たか!これで誰も余計なことは喋れん!すべて、すべて無駄に終わったのだ!必ず戻ってきて、復讐してやるぞ!!ふはははははははは!」


 彼の声は、湿った石壁にこだました。

 ――だが、彼は気づいていなかった。この杜撰な計画が、既に頓挫していることを。


 ――同じ頃。爆発が起きた貧民街の一角。


「ヒュー、危なかったねぇ」

「爆弾まで仕掛けてたなんて、用意周到」


 瓦礫と煙が立ちこめる麻薬工場の跡地。そこにいたのは、戦乙女――ヴァルキリーの二人だった。


 火の手が上がる直前に、彼女たちは内部の職員たちを拘束し、隠されていた帳簿や証拠の一部を押収していたのだ。

 瓦礫を背に、長髪を縛った女性は肩をすくめる。


「ふん、手際はいいつもりだったみたいだけど残念ね」


 長髪の女性は腰を落とし、手早く帳簿や隠されていた証拠の一部を革袋に押し込んだ。

 燃え盛る炎の向こう、瓦礫の隙間で乾燥した薬物が燃え、小規模な爆発を時折起こす。


 短髪の女性は口元を引き締め、炎に反射する自分たちの影を眺める。そして振り返り、唐突に剣の先を火事に向けると、ボソリと呟いた。


「……タイダルウェーブ」


 刹那、足元から左右一線に水が湧き出し、高く伸び、崩れるように倒れた。水の塊は巨大な波となり、勢いよく燃え盛る火を押し流す。瓦礫も、薬も、拘束された職員も水を被り、いくつかの悲鳴が聞こえた。


「……終わり。伯爵は自分の首を絞めただけ」


 二人は互いに頷き、貧民街の狭い路地へと歩みを進める。瓦礫の感触、焼け焦げた木材の匂いが、夜の空気に混ざる。


「……ふぅ。やれやれね」

「気を抜かない。まだ油断はできない。でも、少なくとも今回は、街と人々の未来を守った」


 互いに言葉少なに並び歩き、腕をぶつけてお互いを称えた。闇の中でも変わらぬ決意が宿る背中。二人のシルエットだけが、静かに夜へ溶け込んでいく。

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