【第一章完結】嫌われ者行進曲

第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』

19-2.覚悟を受け止める戦い

――

　ハルトとステラが激戦を繰り広げる一方、少し前方でも地を揺らすような戦いが続いていた。

　硬い頭蓋が斬撃を弾き、僅かに削れて宙を舞う。そこへ空から槍が落ち、グラは咄嗟に身を引いて躱した。

　落下点で土煙を纏い、槍を振ったそれを払う女。その頭上から、羽の矢が雨のように降り注ぎ、彼女もまた地を蹴り距離をとった。

「ガルルル……」

　低い唸り声を上げるグラの横に、アンが空から降り立つ。

「大丈夫？」

「バウ！！」

「……ん、二人で――やろウ」

　眼光を鋭く光らせ、二人は自然と互いの動きに呼応して構えた。

　直後、剣士が前に踏み出し、振りかぶった刃がグラの肩をかすめる。骨が軋む音が響き、衝撃が全身に走った。

　瞬間、グラは前肢で強く踏み込み、牙をむき出しに突撃する。噛み砕くことは叶わなかったが、勢いのままに激突し、剣士の側面を弾き飛ばした。

　剣士は跳躍で距離をとり、再び鋭く斬りかかる。

　しかし今度はアンが空から急降下。一瞬で雑兵の剣士の肩を掴み、後ろに向かって投げやった。

　その先にいる槍使いは、飛んでくる彼をひらりと躱す。その体は木屋の壁にぶつかり止まるが、彼の首は九十度に折れ曲がって動かなかった。

　味方の死を理解しても尚――女の瞳は揺るがない。

　一気に距離を詰めて突きを放つが、アンは跳躍で身を翻した。

　しかし、女は体勢を低くし、先端を前に突き出してきた。空中で羽ばたくアンの影を追い、鋭く突き刺さんとする。

　反射的に身体を横にひねり、かろうじて槍先を躱すが、鋼の尖端が胸布をかすめ、風を切る音が耳を刺した。

　そして矛先が左翼に触れ、痛みが走り顔を歪ませる。

「バウ！」

　痛みを抱えて飛び退き、グラの後ろで一度足を下ろす。

「大丈夫。掠っただけ」

　しかしグラはその声に耳を傾けることなく、低く唸りながら前肢で地を蹴った。乾いた骨の擦れる音を響かせて、蹴り上げた砂塵が舞い上がる。

　勢いよく槍使いの足元に突進し、正面から食いつこうとする牙を槍の柄で受け止める。突き当たる衝撃で槍使いは僅かにふらついたが、すぐに体勢を立て直し槍を振い、グラを投げ飛ばした。

　その身体は太い木の幹に叩きつけられ、僅かに散った葉と共に根元に落ちる。

「ギャウ！」

「グラ！！」

　グラの痛ましい悲鳴に助けに向かう。しかし、それを良しとしない槍使いは、すぐさまアンに詰め寄った。

　飛び込んでくる一突きにアンは空中で一回転し、鋭い爪先で槍の手元を蹴り上げる。女の腕が大きく逸れ、攻撃は高く空を切った。

　刹那――女は身体を捻り、跳んで僅かに身体を浮かせる。そのまま繰り出された回し蹴りが、アンの肋にくい込んだ。

「カハッ――」

　しかし彼女の目は死んでいない。決して叫び声を上げず、そのまま身を翻す。そして女の頬に一筋、毒爪を食い込ませて割いた。

　痛みにようやく揺らいだ瞳。鼻口を覆っていた布がはらりと落ち、ぶら下がり風に揺れる。

「……可愛いのに、可哀想」

　口から垂れた血を拭ったアン一言。それに女は唇を噛み締めた。それは自分が既に毒に犯されていると知っての反応だ。

　僅かな沈黙のうち、グラがフラフラと立ち上がり、女に再び唸り声を上げる。

　睨み合うアンと槍使い。重たい沈黙の中、風は枯れ草を撫でて雑音を鳴らす。

　――わずか一瞬、辺りの音が消えた。

　その瞬間、槍使いは歯をむき出しにアンに飛びかかり、上から高速の一撃を放った。

　咄嗟に半身を切ったが、矛先は深く右翼を裂く。

「っ――あぁぁぁぁぁぁ！！」

　耳を割く絶叫と共に溢れる血。中ほどで折れてぶら下がる翼。アンはその場に落ち、激痛に悶えて涙を流した。

　その姿にニヤリと笑い見下ろす女。だが直後――身体が押し倒され、何かが脇腹に食い込む衝撃を感じ、その顔は驚きに変わり目を見開いた。

　落とした視線の先には、食らいつく骨狼の姿。そしてグラは深く牙を突き立て、腹を大きく抉りとった。

「ぐっ――ガハッ！」

　内臓もろとも喰われた腹から血がとめどなく流れ出す。だがそれでも女は膝をつかない。

　顔を歪ませ、歯を食いしばり、歯茎からも血が溢れる。足を踏ん張った槍使いは、最後の力で高々と跳び上がり、槍を突き立てアンを狙う。

「バウ！バウ！」

「うっ……ぐっ……」

　動けないアンに必死に吠えるグラだが、その間にも女と槍が真上から迫っていた。

「バウ！ワン！！ワン！！」

　空気を割く音が迫りくる。間に合わない――！！

　グラは思わず目を逸らした。

『――ボスン……カラン…………』

　恐る恐る視線を戻す。そして見えたのは――アンの隣に横たわり事切れた女と、傍に転がる槍だった。

　グラはゆっくりアンに近づき、顔を覗き込む。

「……クゥン」

「……勝、った……？」

「…………ワフ」

「よ……かっ……た……」

　荒い呼吸で絞り出すように言葉を紡いだアン。

　緊張の糸が切れ、彼女は目に雫を乗せたまま気を失った。グラはその傍に座り、先に見える相棒の戦いを見つめた。

――

　戦う仲間の悲痛な叫びは、ハルト、そして母であるステラの耳にも届いた。

「？！！アン！！っ――」

　最悪の状況が頭をよぎるステラ。だが、オリバーの並々ならぬ素早い斬撃は衰えを見せない。

　ハルトが横なぎにナイフを振るう。それをいとも容易く受け止めたオリバーは、勢いのままに首を狙った。

　ステラが間一髪で風の盾を作り上げ、音もなく弾き飛ばす。そこにもう一人の暗殺者が切先を向け、腹をめがけて突き出した。

「ぐっ――」

　無理やり身体を捻り、倒れ込むようにそれを避ける。すかさず起き上がろうとするハルトの面前に、オリバーの一撃が振り落とされた。

「ウィンドバリア！」

　ステラの羽ばたきで大きな風のうねりが生まれ、オリバーは身体ごと後ろに飛ばされる。

　立ち上がったハルトだが、息遣いは荒く激しく、心臓が破裂しそうなほど脈打っていた。

　戦いが始まってからずっと、この繰り返しだ。オリバーはステラのバリアを突破できない。だが自分たちもオリバーの動きについていくのがやっと。このままでは先に僕の体力が底を尽きる。

　喉は焼けつき、手は汗で滑りそうだ。足は重く、土の上に根を張ったように動かない。

　静寂の中、僅かに冷たい風が頬を撫でた。

　次の瞬間――暗殺者が音もなく迫り、鋭い突きが喉元を狙う。

　しかし、ステラの羽ばたきが聞こえ、風の盾がわずかに軌道を逸らした。

　その隙に、ハルトは腰を落とし、逆手に握った短剣を突き上げる。

「っ――！！」

　骨を削る確かな手応え。刃は暗殺者の顎から突き抜け、脳を貫いた。

　眼が大きく見開かれ、声もなく崩れ落ちる。赤黒い雫が散り乱れ、頬を濡らした。

「はぁ……はぁ……っ……！」

　荒い息を吐きながらも、振り返る。残るはただ一人――オリバー。その瞳はなお鋭く、息ひとつ乱さぬまま、次の刃を振り上げていた。

「くっ――」

　ステラが翼を広げた瞬間、周囲の空気がうねり、突風が巻き起こった。

　この瞬間――彼女は僅かに口角を上げた。風の流れを真下に変える。

「？！！」

　斬撃の軌道は逸れ、剣先は地面に深々と突き刺さる。砂塵が舞い上がり、混ざった小石がナイフに当たり弾かれた。

「ハルトさん！今です！」

　ステラの声が届いた刹那、障壁が一瞬だけ薄く消える。

　それは無防備に見せかけた、わずかな誘い。強引に引き抜かれた剣は勢いに天を指した。露わになった胸元。わずかに空いた死角。

　ハルトの全身が熱に突き動かされる。

　吠えるように踏み込み、全力で短剣を突き立てた。

　刃はオリバーの胸を浅く裂き、衝撃で彼を吹き飛ばす。切先が離れぬよう握り続け、彼を追って共に倒れ込む。

「はあぁぁぁぁぁぁッ！！」

　硬い肋骨に全体重を乗せる。ガリガリと骨の削れる嫌な感覚が手に響く。オリバーはハルトの肩を掴み押し返そうと雄叫びを上げる。

「うおおおおおッ！！」

　そして――

『バキッ――』

「……カハッ」

　左の肺を貫き、オリバーは口から青い血を吹き出した。抵抗していた力は一瞬で抜けて、力なく土の上に落ちる。

　沈黙が森を支配する。

　息を荒くしたハルトはナイフを胸に残し、オリバーの上から崩れるように転がり落ちた。

　まだ彼の瞳には光がある。とはいえ、もう長くはないだろう。

「アン！！」

　ステラが娘を呼ぶ声が聞こえる。そうだ……アンのところへいかなければ。

　そう頭ではわかっているが、手足は痺れ、全身に力が入らない。

「ワン！！」

　横たわるハルトに近づいたグラ。顔を覗き込んだかと思うと、心配するように頬擦りをしてきた。

「……グラ、アンは……大丈夫？」

「ワン！！」

「そうか……」

　ゆっくりと歩み寄るステラの姿が視界に入る。ホッとした笑顔の彼女の腕には、疲れて眠るようなアンが抱かれていた。