19-1.覚悟を受け止める戦い
――昼間、アメントリ郊外『糸の森』
暖かい陽射しを浴びながら、頬を冷たい風が刺す。木々や枯れ草の擦れる音が聞こえると、呼応するように遠くで魔物の羽ばたきが鳴った。
「人魔の中には、人と変わらぬ姿を持つ種もいます。……オリバーさん、あなたがそうですよね?影人――『シャドウストーカー』」
オリバーは無言のまま、初めて確かな笑みを浮かべる。どこか諦めたような、感心するような、哀愁を漂わせる悲しい目。
「オリバーさん……なんで暗殺者なんかになったんですか?」
「……この生き方しかなかったからだ」
「??それってどういう――」
聞き返そうとした刹那――オリバーの目は鋭い殺気を放ち、切ない姿が雲隠れする。
背中の長い剣を手に取り、鞘を落とすように引き抜いた。
直後、どこからともなく五人の暗殺者が現れ、オリバーの周りに布陣を組む。
「――っ!!グラ!アン!ステラ!」
右手を伸ばしたハルトの呼び掛けに、三人の仲間が応え飛び出した。
「オリバー……やはりこうなってしまったんですね」
「誰が相手でも、ハルトは傷つけさせなイ」
「ガルルゥ!!」
ステラは無表情に翼を立てて構え、アンは口角を下げて眉間に皺を寄せた。グラの青白い瞳は強く輝き、燃えるように揺れる。
「……これがあなたが選ぶ道なんですね」
ハルトの声に、彼はもはや心の揺れは見せない。ただ鋭い殺気だけが森に漂う。そして、彼は呟くように言葉を置いた。
「暗殺ギルド『ウラヌシア』第三幹部『執行人――オリバー・グレイ』。……処刑を始める」
その名乗りは冷たい刃と共に、ハルトに向けて切先を光らせた。
対する相手から贈られたナイフを逆手に構え、力強く握り込む。胸の痛みをグッと堪えるように、歯を食いしばって軋ませた。
――迷いは終わった。あとは決着をつけるだけだ。
睨み合う二人の間に土煙が舞い、僅かな沈黙を風が濁す。二人を隔てる空気が張り詰め、森のざわめきすら遠のく。――次の瞬間、オリバーの気配が掻き消え、次には目前へと迫っていた。
「っ――!」
反射的に腕が動き、迫り来る剣閃をナイフで弾き上げた。鋼と鋼が噛み合い、甲高い金属音と共に火花が散る。腕に痺れる衝撃が突き抜けた。体が後方へ弾かれ、地面を滑りながら土を削る。
わずかな間に再び構えを取る。呼吸が荒くなるのも忘れ、獣じみた鋭さでオリバーの眼光が射抜いていた。
次に剣を地に滑らせ、個々に襲いかかる暗殺者たち。隙を与えず動き続ける姿に、只者ではないと直感が悟った。
グラの牙が刃に噛み付き、荒畑に向かって放り投げる。だが、暗殺者は空中で身体を捻り、柵の僅か手前で土煙を立てた。
直後、着地の勢いで飛び出すと、突進する頭蓋と剣の平がぶつかり、固く鈍い音を鳴らした。
後方では空から羽の矢が降り注ぎ、雑兵二人が散って躱す。
かと思うと、一人は僅かに胸を揺らし、跳躍で風を切りながら、アンの目の前に飛び出した。
「え?!」
突き出された槍を蹴り上げて、間一髪で鼻先を風圧が通り過ぎる。吹き出た冷や汗が宙を舞い、心臓が跳ねて耳に音を届かせた。
慌てて距離をとったアン。微かな音を立てて着地した女暗殺者は、顔の大半を隠す布の隙間から、鋭い視線を空に向けた。
「アン!大丈夫?!」
少し離れた場所から、母の心配する声が聞こえた。
飛んで近づくステラの足には、既に一人の雑兵が握られている。それを勢いよく地へ投げつけると、アンが対峙していたもう一人の雑兵に衝突し、悲鳴を響かせる間もなく動かなくなる。
「大丈夫!あの槍の人は私がやル!それよりハルトを!!」
アンの叫びにステラはハッと目を見開き、主に視線を移した。
鉄が弾かれる音が止めどなく響く。空気が震え、木々の枝葉が共鳴するように僅かに揺れる。
雑兵二人が交互にハルトを切りつけた。必死に捌くが、頬を、脇腹を、太ももを、何度も掠めて血が滲む。
そして、再び詰め寄ったオリバーの攻撃を見極め、顔を狙う突きをナイフの平で僅かに逸らした。
次の雑兵の攻撃に前蹴りを合わせ、押し飛ばしてから距離を取る。敵も負けじと地を手で弾き体制を立て直す。
まだ五分も経っていない攻防だが、肩で息をする度に傷が脈打ち痛む。肺が膨縮を繰り返し、口は痺れて塞がらない。
「はぁ、はぁ、はぁ――っ……はぁ、はぁ」
荒く呼吸をしながら睨むハルトを、汗一つかかず無表情に見つめるオリバー。しかしその手に握られた長い剣は、次の隙を狙い続けていた。
「ハルトさん!」
その時、頭上から呼ぶ声が聞こえる。彼女は青い羽衣のようなスカートを翻し、光を切り裂くように舞い降りた
「――ステラ!」
「大丈夫ですか?」
「何とか……来てくれてありがとう」
肩を並べ、敵から目を離さずに言葉を交わす。
睨み合う中で少しずつ呼吸を整えたハルトは、最後にふーっと息を吐き出し、新鮮な空気を肺の深くまで送り込んだ。
「……オリバー――シャドウストーカーの能力は隠密と高速移動。他の二人は人間だけど、連携が少し厄介。ステラ、いける?」
「おまかせください。私が貴方を守ります」
答えたステラは右翼を手のひらのように広げる。右肩の傍でそよ風を起こし、微かに髪を揺らした。
「……よし、やるよ」
ナイフを強く握りこみ、顔の前に構え、軽く腰を落とす。そして力強く地を蹴り――一気に敵の間合いに切り込んだ。
「っ――」
振られた腕が風を切る音を鳴らし、一人の暗殺者の脳天に迫る。咄嗟に躱すが避けきれず、左肩を縦に深く切り裂いた。
敵は顔を歪ませながら、尚も怯まず横一線の一撃を放つ。更にもう一人が距離を詰め、上から切り裂かんと振り下ろした。――その刹那。
「ウィンドバリア!」
後ろから聞こえる声と羽ばたきの音。砂埃を巻き上げた風がハルトの周りをぐるりと囲い、二つの剣は空高くに弾き飛ばされた。
一人の雑兵は咄嗟に地面を蹴り上げ距離をとる。しかし、腕を負傷した兵は弾かれた反動に耐えきれず、その場に倒れた。
この機を逃さない。瞬時に敵の身体の上をとり、迷いなくナイフを振り下ろす。陽の光を跳ね返した刃は――がつっと鈍い音を鳴らして眉間を深く貫いた。
鋭い呻きが森にこだました。引き抜かれた傷を手で抑えるが、辺りは見る見るうちに赤く染まっていく。
ハルトは一瞬だけ呼吸を荒げる。だが、その刹那に再び背筋を凍らせる気配が迫る。――オリバーだ。
「!!っ――」
血の滴るナイフで一撃を受け、耳を刺す金属音が鳴り響いた。力に押されて弾かれ、剣先が僅かに額に触れる。
ステラが受け止め転倒は免れるが、瞬きする間に、再び彼の姿が目前に迫る。そして心臓を貫かんと放たれた銀線。しかし――それは決して届かない。
背後で再び羽ばたきが聞こえ、二人の間に砂塵が舞う。切っ先は大きく逸らされて天を向く。一瞬の隙にステラはハルトを抱え、後ろに跳んで距離をとった。
足が地を踏むと同時に、彼女の冷ややかな声が落ちた。
「……私がいる限り、貴方の剣は彼の心臓に届きませんよ」
堂々たる風格でオリバーを鋭く睨むステラ。
この時、ハルトは彼女の全てを理解した。シャドウストーカーは戦闘に長けた人魔。本来、ハイハーピィが互角以上に渡り合うことはありえない。
これを感じ取ったのはオリバーも同じだった。そして、風を操るその姿に、彼の目がわずかに細められる。
「……ハーピィクイーン」
霊峰ペールドットの頂点に君臨する、ハーピィの長。風を操り民を護る女王。別名――『風の精霊』。
ディートリッヒ商会のシンボルである横顔が重なり、僅かに緊迫感が和らいだ。
ゆっくりと身体を起こし、彼女と再び立ち並ぶ。
「……ステラ、頼もしいよ」
「ふふっ、当然ですよ。さぁ……絶対勝ちますよ」
「――うん」
一瞬頬を緩めたステラは、口角を上げたまま敵を見据えた。
その隣でハルトもまた、高ぶる感情を抑えて、静かに武器を構えた。




