2-2.殺す覚悟と救う覚悟
――夜。
パチパチと何かが弾ける音と暖かい光を感じ、少女は目を覚ました。
左の翼が固定されて動かせない。仕方なく右翼をついて起き上がろうとしたが、全身に茨が巻きついているように、酷く痛んでだるい。それと……太ももに感じる硬いものは何だろう。
「目が覚めた?動かない方がいいよ。左の翼はボロボロでなんとか固定しただけだし、あちこち怪我してるから」
「……ニンゲン」
「うん、君はハーピィだね。話をするのは初めてだよ」
人間の声を聞いたからか、傍らに感じていた硬いものがモゾモゾ動き、カラッと音を立てた。犬の骨だと気づいたが、直後に人間の足元でまた眠り始めたのを見て、不思議と恐怖は感じなかった。
「……ワタシ、ジンマ、コロ、サナイ?」
「……僕にはできないかな」
その時、少女は突然顔を強ばらせ、右翼で壊れた左翼に触れた。左翼を貫き撃ち落とされた記憶、上空から鋭い爪を向けて飛来する紅色の鷲の姿が、脳内で鮮明に蘇る。
「……ナンデ、タスケタ?」
「まだ生きていたし、僕の爆弾に巻き込んじゃったから。申し訳なくて」
「アノトリ、タオシタ?」
「うん、今焼いてるこれ、レッドホークの肉だよ。後こっちはスープ。君も食べれるかな?」
「……」
残念ながら、見た目は美味しそうなお肉だが、起きた直後で鼻が利かず、食欲は湧かなかった。さっきまで自分を襲って食べようとしていたヤツが、今は食べられていて、ワタシは生きている。もちろんホッとしたというのが正直な気持ちだけど、『呆気ないな』という哀れみの感情が、心のどこかに違和感を与えていた。
ふいに聞き覚えのある声が脳裏をかすめる。
『私の可愛い子――』
そうだ、ワタシ……ママに――
「……ワタシ、ママ二、アイタイ」
「ママ?」
少女はそう言うと涙を流して鼻を啜った。なんとか動かせる右翼で涙を拭う。ハルトは腰掛けていた倒木から立ち上がり、静かに彼女の隣へ向かった。そこで胡座をかいて座りなおし、彼女の頭を優しく撫でた。グラもまた起きて軽く伸びをすると、少女の傍に寄り添うように伏せる。
「……ママはどこ?」
「ぐずっ……ワカラナイ、ママ、イナクナッタ。ワタシ、サガシニキタ。デモ、アノトリ二、ツカマッタ」
「……」
居なくなった母親を探してここまで……。少女の言葉はハルトの心を締め付ける。その痛みを掴むように、自然と右手が胸をぎゅっと掴んだ。
魔物だなんて言えない。この子の心は――人間と何も変わらない。
「……今の君の身体じゃママは探しに行けない。しばらく休んで翼を治さないと」
「……ワタシ、ドウシタラ、イイ?」
涙を拭った少女は、ハルトの顔を無気力に見上げた。
自分の無力さに打ちひしがれ、助けを乞うことしかできない感情――よく知っている。その叫びが届かない絶望感も。
目の前の彼女の姿に、王都に来たばかりの頃の弱い自分の姿が重なった――。
――半年前、王都南『住宅街』
その日は朝から肌寒く、風が当たらない建物の陰で、薄っぺらいマントにグラと包まれていた。
「……グラ、これからどうすればいいかな?」
「クゥン」
前を通り過ぎる人々は、僕を見れば目を逸らして距離を取る。連れている魔物を恐れ、関わることを拒んでいたのだ。
初めは辛かった空腹感が、今は当たり前になってしまった。痩せこけた身体を揺らす度になる腹の音が、通り過ぎる人の足音と同じ、雑音のひとつになるほどに。
「おっ。お前さんが依頼にあった孤児だな」
そのとき、鼓膜を揺さぶるような低い声が聞こえた。顔を上げた瞬間、被っていたフードがハラリと落ちて、冷たい空気が頬を刺した。
「……ほーう、ボーンハウンドか。アンデッド系の魔物の中では、珍しくない種類だな」
そう語る男の姿を見て、心拍は一気に跳ね上がった。隆々とした筋肉が服の上からでもわかる肉体、髭を生やした厳つい顔立ち――絶対悪い人だ。
「ぼ、ぼ、僕、何も持ってません。お願い……殺さないで」
涙目で命乞いをするその姿は、きっと無様に見えただろう。でも、彼が僕にかけた言葉は、恐れていたものとは違った。
「……辛かったな。もう大丈夫だ。うちに来い」
「……え?」
――
あの時、マスターが救いの手を差しのべてくれたから、今僕は生きている。シャルに出会って、前を見ることが出来ている。
彼女があの時の僕のように、救いを求めているのなら、僕はその手を握ってあげないと。
「……僕はモンスターテイマーなんだ。人魔と契約はしたことがないんだけど、君が応じてくれたらアビスに匿ってあげられる」
僕たちモンスターテイマーだけが使える力――『アビス』。魔物たちは普段そこに潜み、呼べば先程グラを召喚した時のように『アビスホール』を通ってやってくる。街中で魔物を歩かせるわけにはいかない故、モンスターテイマーにとって命綱と言っても過言じゃない。
「君と契約して王都に連れていく。僕の理解者がいるから、きっと君を治療してくれるよ。どうかな?」
「……ママモ、サガシテクレル?」
「うん。約束する」
少女は右翼で掛けられている布を掬いあげて見つめた。虚ろな瞳でしばらく考える。そして、ゆっくりハルトと目を合わせると、何かを決断したように頷いた。
「ニンゲンハ……コワイ。ケド、オマエヘン。ホカトチガウ。……ワタシ、シンジル」
少女の青い瞳に、焚き火の赤が揺れた。弱々しい声の裏に感じる確かな『意志』が、ハルトと少女を繋ぐ架け橋となる。
「……ありがとう。じっとしてて」
ハルトは静かに立ち上がり、左手を彼女に向けた。
「そういえば、名前は?」
「ジンマハ……ナマエ、ナイ」
「……わかった。グラ、離れてて」
寂しげに少女を見つめたハルトは、グラが移動するのを確認し、深く呼吸を整えて目を瞑った。
人生で二度目の契約。半年間使われなかったこの能力が、こんな形で日の目を見るとは、思ってもいなかった。
これまで魔物を殺すことしかできなかった僕が――今、救いの手を差し伸べる時がきた。
「我が名はハルト、汝に名を与え、新たな絆を結ぶ。力に導かれ、この名を心に刻め――『アン』」
言葉に反応するように、少女の身体が赤く輝く。その身体を闇が取り囲むと、光を喰らうように少女を包み込んだ。闇が徐々に薄くなり、ゆっくりと身体に溶け込んでいく。その瞬間、胸元には赤い紋章が刻まれた。
「契約成立、今日から君はアンだ。とりあえず、君が自由に飛べるようになるまで、よろしく」
「……ヘンナカンジ、ワタシトオマエ――ハルト、ツナガッテル」
「そうだね、これはアンが僕を信じてくれた証だよ」
「……ソッカ」
アンは胸の紋章を翼で撫で、小さく笑った――。