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【第一章完結】嫌われ者行進曲  作者: 田 電々
第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』
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18-2.覚悟の先に見えるもの

――同刻、王都サフィーア『ノーランド伯爵邸』


 横殴りの雨が窓に打ち付け、カタカタと音を鳴らす。不気味に揺れる照明の火が、座る男の分厚い頬を照らした。


「……それで、次はどう動くつもりだ?――オリバー」


 ノーランド伯爵がワインを片手に睨みつける。影に立つオリバーは一切の感情を見せず淡々と答えた。


「明日の夜中にここを発ち、仲間と共にターゲットを奇襲します」

「ふんっ、失敗は許されんぞ。早く終わらせんと尻尾を掴まれる……わしも、あやつも――お前もな!」


 伯爵の瞳が僅かに揺れる。冷静に話しているように見えたが、額にはいくつもの血管が浮き出て、鼻息荒く歯を食いしばっていた。


「……はい。必ず成功させます」

「次はない。さっさと失せろ!!」

「失礼いたします」


 オリバーは一礼すると、短く息を吐き、背筋を伸ばしたままゆっくりと振り返る。

 扉を開ける音が部屋に響き、軋む窓の音に混ざって消えた。


 廊下を音もなく歩く背中は無表情に見えた。だが、胸の奥では何かが固く締まっているのが伝わってくる。

 計画を遂行する覚悟と、何かしら拭い去れない影のようなものが張り付いていた。


 黒服の男によって開かれた玄関をくぐると、彼は一度だけ肩越しに短く息をつく。それから音もなく闇の中へ溶けていった――。


 直後、オリバーの背中を見送った黒服は扉を閉めると、一人静かに屋敷の中を歩き始めた。

 とある一室の前で立ち止まり、聞き耳を立てるように中の様子を伺う。


 やがて、無人と分かるとドアノブに手をかけ、慎重に押して中に足を踏み入れた。


「……」


 息を殺し、足音を立てないように進む。大きく高級感のある机の前に立つと、慣れた手つきで引き出しの鍵を解錠した。

 中にある書類や封筒の中身を流し見る。その刹那、一通の便箋の中身に目を止め、鋭い視線で読み込み始めた。その時――


『ガチャッ――』


 ドアノブが軋む音が響き、男は反射的に扉を見た。


「ったく、いつまでも時間をかけおって……」


 ノーランド伯爵が部屋に来て、机の前で立ち止まった。鍵を使って引き出しを開けると、新たに一枚の紙を入れて鍵をかけ直した。

 机の下で小さく身を潜める影。目の前の足を動きを観察しながら、額から汗を流した。

 直後、部屋を二度ノックする音が聞こえる。


「誰だ?」

「失礼いたします。ご食事の用意が整いましたので、お迎えにあがりました」

「……わかった。すぐにいく」


 扉越しの声に導かれ、伯爵は何も疑う事なく部屋を後にした。

 静寂の中で安堵の息を漏らす。そして静かに立ち上がると、窓を開けて屋根に立つ。少し離れた先で華麗に飛び降りると、雨風を凌げる路地裏まで走り抜けた。


 一度来た道を振り返える。目を強く閉じ、喉奥で詰まっていた息を吐き出した。直後――濡れた黒服の襟を乱暴に引き剥がすと、隠されていた赤髪が夜気にさらされた。


「ふぅ……少し危なかったかしら?でも、これで全ての糸口は掴めたわね」


 リオナの手に握られた手紙。その中に、この事件の深い闇の入口が綴られていた。


――更に同じ時、冒険者ギルド本部『執務室』


 大荒れの夜景を眺め、一人静かに思考を巡らせる大男がいた。飛ばされた枯葉が窓に張り付き、大粒の雨に撃たれる様を、一人の少年に重ねる。


 彼の後ろ姿を見つめる二つの影。その内の一人、山吹色の長い髪を左側で縛った少女が、沈黙に耐えかねたように口を開いた。


「ねぇマスター、そんなにモンスターテイマーの彼が心配なの?」

「……今回ハルトを危険に晒すつもりはなかった」


 マスターの言葉は重い空気の中に落とされ、後悔の念を滲みだす。

 すると次にもう一人、同じ山吹色で短く切りそろえられた髪の少女が、落ち着いた様子でマスターを見つめる。


「でもマスター、帰ってきた彼の顔、前に見た時よりかっこよかった」

「……あぁ。死線をくぐり抜けて、覚悟を決めたようだな。……だからこそ――」


 勇気という光の下に、いつでも命を捨てられる影が潜んでいる――マスターにはそう見えた。

 これはきっと、蔑まれて生きてきて、自尊心を削られ続けた結果なのだろう。

 勇気の裏にある傷ついた心。それを見逃さなかったマスターの心境は、穏やかではいられなかった。


「……せめて、麻薬工場のほうは俺たちで片付けないとな」

「その為にあたしたちを呼んだんでしょ?しかもこんな嵐の中」

「それは悪かった。今日は仮眠室で泊まってくれ」

「わかった。それで……私たちは何をすればいい?」


 短髪の少女の問いかけに、マスターは振り返り、彼女たちの姿を瞳に映した。


「明日の夜、全てが動く。その時、麻薬工場から証拠品の押収と職員の拘束を頼みたい。お前たちS級冒険者チーム『戦乙女――ヴァルキリー』に」


 眉間に深く皺を寄せ、交互に二人と視線を交わす。その思いに応えるように、ヴァルキリーの二人は頷いて、まっすぐにマスターの瞳を覗いた。


「……あたしたちに任せて」

「絶対に失敗しない」

「あぁ。頼りにしてる」


 二人の瞳に一瞬、鋼のような光が宿る。

 マスターは深く息をつき、重荷を少しだけ降ろした。


――二日後の昼、アメントリ郊外『糸の森』


 秋らしい澄んだ風が、一層鮮やかに色付いた木の葉を揺らす。一枚がひらりと地面に落ちると、その上から黒い足が踏みつけていった。

 口を固く閉ざし、真っ直ぐに進む先だけを見つめ、身に纏う黒い外套の裾を揺らす。


 オリバーは今まさに――依頼を成しに林道を歩いていたのだ。

 その胸裏に、一人の少年の寂しげな笑顔が浮かぶ。立場が違えば、ハルトと友になる未来もあったのだろうか……。

 一歩進むたびに、心の奥でかすかな痛みが広がる。


 だが、首を振る。そんな感傷は許されない。

 自分は暗殺ギルドの第三幹部。感情に流されず、冷徹に首を刎ねる執行人――その覚悟だけを握りしめる。


 やがて、木立の奥に舞台となる木屋の屋根が見えた。

 オリバーは一度だけ目を閉じ、深く息を吸う。胸に残る濁りを押し沈めるように。

 そして静かに目を開けると、音もなく前へと歩を進めた。


 木屋の目前まで近づき、悟られぬようゆっくり窓から中を覗く。その瞬間、オリバーの目が僅かな動揺の色を見せた。


「…………いない」


 そこに住むはずの二人の姿が見当たらない。それどころか、あの日入れた荷物ごと、綺麗さっぱりなくなっている。

 逃げられた――そう悟った途端、全身から力が抜け、感覚が鈍くなる。

 どこで気づかれた? 何がまずかった? 自問自答が際限なく巡り、思考が崩れていく。微かに震える指先で頭を押さえる。耳の奥で脈打つ音が爆ぜ、心臓の鼓動が胸を打ち破るように早まる。視界の端はじわりと暗く狭まり、世界が閉じていく。


 その時――


「二人はもうここにはいませんよ。……オリバーさん」

「?!!」


 背後から降る馴染みのある声に、全身の毛穴が逆立つ。反射的に振り向く。反射的に振り返ると、そこに立つ少年の悲しげな顔が目に映った。その一瞬が、鋭い刃よりも深くオリバーの胸を抉った。


「――ハルト…………。何故わかった」

「……」


 答えはない。ただ眉間に皺を寄せ、わずかに潤んだ瞳が彼を見返すだけ。


「何故わかったかと聞いている!!」


 冷静さの欠けらも無い、彼らしくもない怒声が響いた。


「……ずっと気づいてました。あなたと水晶洞窟の前で話をした時から」

「……なんだと?」


 二人の間に風が吹き、傍らの荒れた畑に伸びる枯れ草たちが、乾いた音を鳴らした。


「……あなたが背負うその剣。すごく丁寧に手入れしてましたよね。――ザバールのあの小屋の中でも」


 オリバーは思わず息を飲み、目を見開いた。胸の奥がギリッと嫌な音を立てる。


「剣先を地面に付けて研いだ跡が、あの小屋にもありました。『人を簡単に信じるな』。あなたの言葉は、自身のことも指していたんでしょう?」


 気がつくと彼は、情けなく地面を見つめていた。今まで犯してこなかった初歩的なミス。痕跡を残すなんて、暗殺者失格だ。心臓の鼓動が、今はただ痛みとして胸を突き破ろうとしている。


「今きっと……あなたは自分を責めていますよね」

「……当然だ」


 その返事にハルトは首を振った。


「違いますよ。あなたは僕に『見つけて欲しかった』んです。あなた自身も気づかない、心の奥深くで」


 その声は震えていたが、決して揺らぎはなかった。

 オリバーは僅かに指先を反応させ、ゆっくりと顔を持ち上げた。

 視線の先に映るのは、胸を掴んで訴えかけるように見つめる少年の姿。そして穏やかに笑いかけ、再び口が開かれた。


「不思議だったんです。ステラが探知であなたを見つけられなかったのが。蜘蛛の僅かな意識ですら、見つけられるのに」


 あぁ、そこまで見破られていたのか……。次に続く言葉を理解し、オリバーは背筋を伸ばし、堂々と受け止める覚悟を決めた。


「最初は研鑽によるものだと思ったんです。でも、あなたはずっと、足音がしなかった」

「……あぁ」

「そして何より、暗殺者であるはずのあなたが、僕に同情してくれた」

「…………あぁ」

「モンスターテイマーは、魔物の好意に敏感です。契約する意思はなくても、それに近い信頼には気づけます」

「……そうなのか」


 オリバーの視線とハルトの視線が静かに交わる。陽に透けた紅葉が、二人の間を揺らめき落ちた


「人魔の中には、人と変わらぬ姿を持つ種もいます。……オリバーさん、あなたがそうですよね?影人――『シャドウストーカー』」


 オリバーは無言のまま、鋭くハルトを睨みつけた。そして初めて、確かな笑みを向けた。

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