17-2.無数の点を繋ぐ線
「こんにちは、……モンスターテイマーくん」
その呼び方に一瞬ズキリと胸が痛む。だが彼女の顔を見て、敵意が無いのはすぐにわかった。
「……初めまして、ハルトといいます」
「初めまして、リオナよ」
そう自己紹介をしながら近づいてきたリオナは、零れそうな胸を持ち上げるように腕を組んだ。
「マスターアイゼンの紹介ね。頼ってくれて嬉しいわ」
「はい。お願いしたいことがあります」
「オーケー。ちょっと待ってね」
そう言うとリオナは靴を鳴らして歩き、部屋の隅のポットをトレーに乗せる。魔道具から産み落とされた氷が、二つのグラスに涼し気な音をたてて入る。
「ウェルカムドリンクよ。そこに座って」
振り向いてソファを指差す。座ってみると少し硬い感触が身体に馴染み、ほっと息が漏れ出た。
テーブルに置かれたグラスに紅茶が注がれ、氷の弾ける音が静寂を僅かに彩った。
「さっ、二人の出会いにカンパーイ」
「か、カンパーイ」
誘惑するように顔を近づけるリオナに頬を赤らめる。グラスが軽やかに鳴り響いた。まさにその瞬間――僅かに身体を何かが通り抜けたような、不思議な感覚を覚えた。
「??」
「ふふっ、気づいた?アナタ、結構敏感なのね」
悪戯な笑みを浮かべて見つめてきたリオナにぎこちない笑顔を返すと、途端に優しい微笑みになり、反対側に腰を下ろした。
「今のは?」
「このグラスはね、音を外に漏らさないようにする魔道具なの。部外者に聞かれたら困るでしょ?」
「……なるほど」
「うんうん、ウブでいい子ね。……改めて、情報屋のリオナよ。お願いって何かしら?」
足を組んで頬杖をついたリオナ。
ハルトは目を閉じてゆっくりと呼吸を整えると、膝に乗せた拳を再び握り込み、瞼を持ち上げて彼女を見つめた。
「マスターからノーランド伯爵について調べていただいていると聞きました。そこにもう一つ調査をお願いしたいんです」
言葉に合わせて背筋を伸ばし、ハルトの声音はいつになく固い。
「……相手は?」
リオナは片眉を上げ、頬杖を外さず視線だけを動かす。
「ディートリッヒ商会の職員で、トニーという男。彼自身は先日僕たちの目の前で殺されました」
そこまで聞くと、リオナはソファに深く身を預け、唇に人差し指を添えたまま思案に沈む。
「……その男は何者?」
「商会の裏切り者です。もう一人仲間がいることも分かっていますが、その人は行方不明です」
ハルトの声が低く落ちると、リオナは小さく鼻を鳴らした。
「ふぅん……調べる内容は?」
「彼と繋がっている人物を知りたいです。商会内に他に仲間がいるかもしれないので」
「……オーケー」
軽く指を弾き、リオナの目が愉快そうに細められる。
「確かに、ノーランド伯爵側に一人不透明な人がいるから、そいつを探す手がかりにもなるかも」
「不透明?」
ハルトが眉をひそめる。
「えぇ。アイツらも音を遮断してて会話が聞こえないんだけど、伯爵の屋敷によく来てる人物がいてね。アナタみたいにフードを被ってるんだけど、それが顔を認識できない魔道具みたいで、まだ正体がわからないの」
「そう……なんですね」
その言葉に一つの仮説が立った。旅を見張っていたあの蜘蛛、相手は蜘蛛を操るようなジョブか魔道具を使っているはずだ。
不透明な人物がその犯人だとすると、伯爵に報告しに行っていたんだと理解ができる。
「……分かりました。よろしくお願いします」
そう言うと、ハルトはバックパックの前ポケットから布袋を取り出し、机の上にジャラッと音を立てて置いた。
それを手に取り重さを確認したリオナは、一度頷いて口角を上げた。
「……確かに。まかせてちょうだい。私はお金さえくれればしっかり働くから」
「ありがとうございます」
喉奥につかえていた息がこぼれる。張りつめていた心が少しほどけ、思わず頭を垂れる。深くお辞儀する彼を、リオナは母性を滲ませた笑顔で見つめていた。
やがて彼女は指先で袋を軽く転がし、楽しげに口角を上げる。
「ところでアナタ……その荷物の中に、面白いもの隠してない?例えば――さっきこの袋を出したポケットとか」
「え?」
小さく息を呑み、再びポケットを探る。指先に硬い感触が触れ、ゆっくりとそれを引き出した。
「この指輪……ラプトルの――」
「見せてもらえる?」
「はい」
白く綺麗なその手に指輪を差し出す。彼女は表情を変えず、指先で遊ぶように摘んで回し眺めた。
「……やっぱり。これアーティファクトね」
「え?!その指輪がですか??」
「そうよ。気づいてなかった?」
さらりと放たれた言葉に、ハルトは思わず身を乗り出す。自分が今まで気にも留めていなかったものが、途端に別世界の価値を帯びて見えた。
「は、はい。それはラプトルのしっぽに付いてただけなので」
「あら、そうなの?じゃあちゃんと鑑定するべきね」
「鑑定……ですか?」
言葉を反芻しながら、ハルトは首を傾げた。その言葉に聞き覚えはあるが、アーティファクトなんて手にしたことは無く、自分には縁が無いものだと思っていた。
対するリオナは、当然のことを告げるように軽く肩をすくめ、視線を指輪に落とす。
「アーティファクトはどんな能力が備わってるかわからないでしょ?危険なものなら国で保管してもらう必要があるわ」
「そうなんですね。鑑定士かぁ……どう探そう」
思案する彼をよそに、リオナはくすりと微笑む。そして、摘んだままの指輪を見せながら、彼女の視線がこちらを向いた。
「これ、私に預けてくれないかしら?知り合いがいるから、見てもらうわ。お金は初回サービスってことで」
「え?いいんですか?」
不安と安堵が入り混じった声が自然と漏れる。
リオナは目を細め、わずかに唇を弓なりに上げた。
「これからもうちをご贔屓にしてくれるなら――ねっ」
「ありがとうございます!助かります」
「オーケー。じゃあ、次は明日の夜にこれる?」
「大丈夫です」
返事を聞いた彼女は満足そうに頷いた。紅茶の入ったグラスを指先で押して、ハルトに促す。
ハルトはそれを一気に飲み干し、立ち上がって深々と頭を下げた。
頷き手を振るリオナに微笑みを送り、ハルトはこの場を後にした。
胸の奥に小さな不安を残しつつも、前進しているその感覚が、ハルトの背中を強く押していた。
――数刻後、冒険者ギルド『中庭』
白兎を後にしてギルドに戻ったハルトは、気持ちを切り替えるために中庭へ足を運んだ。剣を振って汗を流そうとしたのだ。
雲を割って射す陽光が、中央にある木の傍に降り注ぐ。
その光の中心で、一人の女性が地べたに座り込んでいるのが見えた。
「……!!!」
思わず壁の影に身を滑り込ませる。――ダリアだ。
彼女は普段見せない、儚げな微笑を浮かべていた。指先をじっと見つめ、誰かと語らうように唇を動かしている。
ハルトを罵倒し蔑むばかりだった人と、同一人物とは思えない美しさだ。
ハルトの目が、その“相手”を捉えた。
「……蝶?」
細い指先に止まった蝶が、羽ばたきに合わせてかすかに震える。その姿は、まるで意思を持ち、彼女に応じているように見えた。
息を呑み、ハルトは気づかれぬように後ずさる。しかし胸の奥はざわめき、額に冷や汗がにじんでいた。
――まさか、彼女が……。
嫌な予感が背筋を這い上がる。
今見た光景は、決して無視できるものではなかった。




