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【第一章完結】嫌われ者行進曲  作者: 田 電々
第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』
29/55

13-2.少年の心は揺れる

――夕刻、トルマン大平原『南の丘』


 陽は傾き、柔らかなオレンジ色が草原を染め上げる。レンガで舗装された坂道を登り、丘の上で馬車は停車する。疲れた体を伸ばすハルトの肩を、クレアが軽く叩いた。


「さぁ、今日はここまでだ。荷物を下ろして野営の準備をしよう」

「わかった、お疲れ様」


 ダグラスの一声に皆が続々と動き出した。ハルトは馬から降り、荷物を整理する。グラは荷台から飛び降り、嬉しそうに辺りを駆け回った。クレアとステラ、アンもテントの設営に取りかかる。


「ハルト、飯の準備は任せていいか?」

「うん。じゃあ誰か、火を起こしておいてくれない?」

「俺がやろう」

「オリバー、助かる」


 慣れた手つきで薪を積むオリバーを横目に、ハルトはマンドラゴラの下処理を始めた。同時に、保存処理をしたホーンラビットを持ってきて、食べやすいサイズにカットしておく。


「手際がいいわね」

「クレアさんは料理とかしないんですか?」

「ほとんどやらないわ。お菓子はたまに焼くけど」

「意外ですね。上手そうなのに」

「うちには専属シェフがいるから」

「あ……」


 思わず苦笑いすると、クレアは吹き出すように小さく笑った。お金持ちはすごいなぁ、と心の中で呟く。


「でも、ハルトくんの料理はシェフ顔負けよ!魔物料理だけでも店が持てそうなくらい!」

「そんな大したものじゃないですよ」

「謙遜しなくていいのよ。あなたがBランクになったら、晩御飯作るって依頼出しちゃおうかしら」

「……そんなことしなくても、たまには作りに行きますよ」

「……そう、ありがとう」


 オリバーが火をつけ終え、辺りが明るさを取り戻した。バツが悪そうに離れていく彼の背中を、クレアは申し訳なさそうに笑って見送った。


「よしっ、じゃあすぐに作るので、少し待っててください」

「はーい、楽しみにしてるね」


 嬉しそうに鼻歌を歌いながら歩いていくクレア。命を狙われていても、楽しく未来を語れる彼女が、ただただ眩しく、そして羨ましかった。


 ハルトは手際よく食材を整え、様々な料理を仕上げていった。最後に香ばしいスープの匂いが漂い始める頃には、皆が自然と火の周りに集まってくる。

 温かい夕餉を終えた一行は、満ち足りた静けさの中でそれぞれの時間を過ごしていた。


 火の揺らめきが夜を照らす中、ハルトの隣に腰を下ろしたダグラスが、静かに口を開いた。


「少し話さないか?」

「……うん」


 二人の影が長く伸び、草原の上で静かに揺れる。風は止み、草の匂いと火の香りだけが漂っていた。


「その……昼間はすまなかった」

「え?」

「オリバーの件だ。俺はまだ受け入れられないが、お前が恩人と呼んだ人に向ける態度じゃなかった」


 低く落とされた懺悔の声は、炎の爆ぜる音にかき消されそうに弱々しく響く。ダグラスは視線を落とし、握り込んだ拳がわずかに震えていた。


 冷たい夜風を浴びながら、焚き火の熱が胸の氷を溶かす。ハルトは炎を見つめ、心の奥に沈めてきた感情を、ひとつひとつ掬い上げるように言葉にした。


「……僕も、今はよく分からないんだ。オリバーから、人を簡単に信じるなって言われて」

「……」


「でも……トニーさんに裏切られて、信じることが怖くなった時、オリバーさんはモンスターテイマーである僕を励ましてくれた。嫌われ者として罵声を浴びることはあっても、励まされたことなんて一度もなかったから……それが、すごく嬉しかった」


 言葉を重ねるたび、焚き火が小さくはぜて夜空に火の粉を散らす。


「……そうか」

「うん。だから僕は信じたい。モンスターテイマーを恐れて蔑まない彼を――今は、信じていたい」


 ダグラスはしばし黙し、炎の奥に視線を落とした。分厚い掌が膝の上で静かにほどけ、深い吐息が夜に溶けていく。


「お前は……強いな、ハルト」

「え?」

「信じることを恐れずに、なお信じようとする。その強さを……俺は羨ましいと思う」


 照れ隠しのように低く笑い、ダグラスはわずかに首を振った。炎に照らされた横顔は厳つさを残しながらも、不思議と柔らかかった。


 ハルトは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。黙って二人、揺れる炎を見つめる。火の粉が夜空に吸い込まれ、やがて星々と混じり合っていった。


「――そういえば」

「うん?」


 不意にダグラスが声音を上げ、腕と背中伸ばしながら口を開いた。


「お前の魔物の知識といい、料理といい……どう考えても普通の冒険者の域を超えてるだろ」

「あー、そうだね。僕はモンスターテイマーだから、魔物にはある程度詳しくないと、仲間になってくれたときに困るから」

「なるほどな。でも、それでなんで料理まで?」


 その問いに、ハルトはふっと夜空を仰いだ。思い出されるのは、アゲート湖でアンと交わした夜の会話。見上げた月は、残念ながらまた満月を逃してしまったみたいだ。


「……僕の魔物料理は、いわば供養なんだ」

「供養?」

「うん。形が違えば、仲間になっていたかもしれない魔物たちを……道具にして、料理にして、僕の力に変えていく。たぶん、それは僕のエゴで……罪悪感の穴埋めなんだと思う」


 火の揺らめきに視線を落とすハルト。その言葉をしばらく黙って聞いていたダグラスは、やがて短く息を吐き出す。


「……やっぱり、お前らしいな」

「え?」

「筋は変わってても、そうやって全部に理由を見つけて背負い込む。――まったく、お前ってやつは」


 穏やかに言い切ったあと、彼は肩をすくめて口元を緩めた。


「ただの飯がそんな話になるんだな。哲学者かと思った」

「なっ……ちょっと!」

「はは、悪かったよ。でも、そういうとこ嫌いじゃないぞ」


 焚き火の傍らでダグラスは大きく息を吐き、腰を落ち着けた。火の光に照らされる影が、夜の草原にゆらりと揺れる。


「俺が先に見張りをする。交代まで寝てろ」

「え、でも――」

「いいから。今は休め」


 ハルトは小さく頷き、素直にテントへ戻って寝袋に身を沈めた。まだ残る会話の余韻に心を預けながら、わずかに外から差し込む焚き火の揺らめきが影を作る。ダグラスの見守る気配が、テントの中まで静かに届いていた。


――翌朝、トルマン大平原の南『山の中』


 見張りを終え、早朝の光に目を覚ましたダグラス、ステラ、オリバーと共に旅支度を整える。クレアとアン、そしてグラを起こしてテントをたたみ、眠そうな二人と一匹を馬車に乗せると、南へ向けて再び車輪が回り出した。


 山道を進む中、突然、木々に囲まれた一帯で、先導していたオリバーが馬車を止めた。辺りには鳥の声すら届かず、静寂が重くのしかかる。

 続いて停車したダグラスと共に馬車を降り、そっと彼の元へ確認に向かった。


「オリバー、どうした?」


 返事はない。代わりに、彼の視線が林の奥のわずかな隙間に吸い寄せられていた。

 ハルトもその視線を追った瞬間、心臓が跳ねた。


「死ん……でる」


 木々の陰に、三人の『人間だったもの』が無造作に転がっていた。体は無惨に引き裂かれ、血の匂いが仄かに漂う。言葉にならない異様さが辺りの静けさをいっそう際立たせた。思わず息を飲み込み、唇がわずかに震んだ。

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