13-2.少年の心は揺れる
――夕刻、トルマン大平原『南の丘』
陽は傾き、柔らかなオレンジ色が草原を染め上げる。レンガで舗装された坂道を登り、丘の上で馬車は停車する。疲れた体を伸ばすハルトの肩を、クレアが軽く叩いた。
「さぁ、今日はここまでだ。荷物を下ろして野営の準備をしよう」
「わかった、お疲れ様」
ダグラスの一声に皆が続々と動き出した。ハルトは馬から降り、荷物を整理する。グラは荷台から飛び降り、嬉しそうに辺りを駆け回った。クレアとステラ、アンもテントの設営に取りかかる。
「ハルト、飯の準備は任せていいか?」
「うん。じゃあ誰か、火を起こしておいてくれない?」
「俺がやろう」
「オリバー、助かる」
慣れた手つきで薪を積むオリバーを横目に、ハルトはマンドラゴラの下処理を始めた。同時に、保存処理をしたホーンラビットを持ってきて、食べやすいサイズにカットしておく。
「手際がいいわね」
「クレアさんは料理とかしないんですか?」
「ほとんどやらないわ。お菓子はたまに焼くけど」
「意外ですね。上手そうなのに」
「うちには専属シェフがいるから」
「あ……」
思わず苦笑いすると、クレアは吹き出すように小さく笑った。お金持ちはすごいなぁ、と心の中で呟く。
「でも、ハルトくんの料理はシェフ顔負けよ!魔物料理だけでも店が持てそうなくらい!」
「そんな大したものじゃないですよ」
「謙遜しなくていいのよ。あなたがBランクになったら、晩御飯作るって依頼出しちゃおうかしら」
「……そんなことしなくても、たまには作りに行きますよ」
「……そう、ありがとう」
オリバーが火をつけ終え、辺りが明るさを取り戻した。バツが悪そうに離れていく彼の背中を、クレアは申し訳なさそうに笑って見送った。
「よしっ、じゃあすぐに作るので、少し待っててください」
「はーい、楽しみにしてるね」
嬉しそうに鼻歌を歌いながら歩いていくクレア。命を狙われていても、楽しく未来を語れる彼女が、ただただ眩しく、そして羨ましかった。
ハルトは手際よく食材を整え、様々な料理を仕上げていった。最後に香ばしいスープの匂いが漂い始める頃には、皆が自然と火の周りに集まってくる。
温かい夕餉を終えた一行は、満ち足りた静けさの中でそれぞれの時間を過ごしていた。
火の揺らめきが夜を照らす中、ハルトの隣に腰を下ろしたダグラスが、静かに口を開いた。
「少し話さないか?」
「……うん」
二人の影が長く伸び、草原の上で静かに揺れる。風は止み、草の匂いと火の香りだけが漂っていた。
「その……昼間はすまなかった」
「え?」
「オリバーの件だ。俺はまだ受け入れられないが、お前が恩人と呼んだ人に向ける態度じゃなかった」
低く落とされた懺悔の声は、炎の爆ぜる音にかき消されそうに弱々しく響く。ダグラスは視線を落とし、握り込んだ拳がわずかに震えていた。
冷たい夜風を浴びながら、焚き火の熱が胸の氷を溶かす。ハルトは炎を見つめ、心の奥に沈めてきた感情を、ひとつひとつ掬い上げるように言葉にした。
「……僕も、今はよく分からないんだ。オリバーから、人を簡単に信じるなって言われて」
「……」
「でも……トニーさんに裏切られて、信じることが怖くなった時、オリバーさんはモンスターテイマーである僕を励ましてくれた。嫌われ者として罵声を浴びることはあっても、励まされたことなんて一度もなかったから……それが、すごく嬉しかった」
言葉を重ねるたび、焚き火が小さくはぜて夜空に火の粉を散らす。
「……そうか」
「うん。だから僕は信じたい。モンスターテイマーを恐れて蔑まない彼を――今は、信じていたい」
ダグラスはしばし黙し、炎の奥に視線を落とした。分厚い掌が膝の上で静かにほどけ、深い吐息が夜に溶けていく。
「お前は……強いな、ハルト」
「え?」
「信じることを恐れずに、なお信じようとする。その強さを……俺は羨ましいと思う」
照れ隠しのように低く笑い、ダグラスはわずかに首を振った。炎に照らされた横顔は厳つさを残しながらも、不思議と柔らかかった。
ハルトは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。黙って二人、揺れる炎を見つめる。火の粉が夜空に吸い込まれ、やがて星々と混じり合っていった。
「――そういえば」
「うん?」
不意にダグラスが声音を上げ、腕と背中伸ばしながら口を開いた。
「お前の魔物の知識といい、料理といい……どう考えても普通の冒険者の域を超えてるだろ」
「あー、そうだね。僕はモンスターテイマーだから、魔物にはある程度詳しくないと、仲間になってくれたときに困るから」
「なるほどな。でも、それでなんで料理まで?」
その問いに、ハルトはふっと夜空を仰いだ。思い出されるのは、アゲート湖でアンと交わした夜の会話。見上げた月は、残念ながらまた満月を逃してしまったみたいだ。
「……僕の魔物料理は、いわば供養なんだ」
「供養?」
「うん。形が違えば、仲間になっていたかもしれない魔物たちを……道具にして、料理にして、僕の力に変えていく。たぶん、それは僕のエゴで……罪悪感の穴埋めなんだと思う」
火の揺らめきに視線を落とすハルト。その言葉をしばらく黙って聞いていたダグラスは、やがて短く息を吐き出す。
「……やっぱり、お前らしいな」
「え?」
「筋は変わってても、そうやって全部に理由を見つけて背負い込む。――まったく、お前ってやつは」
穏やかに言い切ったあと、彼は肩をすくめて口元を緩めた。
「ただの飯がそんな話になるんだな。哲学者かと思った」
「なっ……ちょっと!」
「はは、悪かったよ。でも、そういうとこ嫌いじゃないぞ」
焚き火の傍らでダグラスは大きく息を吐き、腰を落ち着けた。火の光に照らされる影が、夜の草原にゆらりと揺れる。
「俺が先に見張りをする。交代まで寝てろ」
「え、でも――」
「いいから。今は休め」
ハルトは小さく頷き、素直にテントへ戻って寝袋に身を沈めた。まだ残る会話の余韻に心を預けながら、わずかに外から差し込む焚き火の揺らめきが影を作る。ダグラスの見守る気配が、テントの中まで静かに届いていた。
――翌朝、トルマン大平原の南『山の中』
見張りを終え、早朝の光に目を覚ましたダグラス、ステラ、オリバーと共に旅支度を整える。クレアとアン、そしてグラを起こしてテントをたたみ、眠そうな二人と一匹を馬車に乗せると、南へ向けて再び車輪が回り出した。
山道を進む中、突然、木々に囲まれた一帯で、先導していたオリバーが馬車を止めた。辺りには鳥の声すら届かず、静寂が重くのしかかる。
続いて停車したダグラスと共に馬車を降り、そっと彼の元へ確認に向かった。
「オリバー、どうした?」
返事はない。代わりに、彼の視線が林の奥のわずかな隙間に吸い寄せられていた。
ハルトもその視線を追った瞬間、心臓が跳ねた。
「死ん……でる」
木々の陰に、三人の『人間だったもの』が無造作に転がっていた。体は無惨に引き裂かれ、血の匂いが仄かに漂う。言葉にならない異様さが辺りの静けさをいっそう際立たせた。思わず息を飲み込み、唇がわずかに震んだ。




