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【第一章完結】嫌われ者行進曲  作者: 田 電々
第一章『嫌われ者の少年と翼の少女』
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12-2.信用と疑惑の狭間

「人を簡単に信じるな」

「……え?」


 柔らかな風に揺れる草の香りも、遠くに広がる地平線ほど遠く感じられた。その声の冷たさに思わず肩の力が抜け、息が詰まる。その言葉の意味が、うまく飲み込めなかった。


 直後、ダグラスが起きてきて洞窟から顔を出し、その眩しさに目を細めた。しかし、景色とは裏腹に暗く重い空気を感じ取り、ゆっくりと近づいてくる。


「ハルト、オリバー、何かあったか?」

「……ううん、大丈夫」


 引き攣るように無理やり笑みを作るが、彼にはお見通しなのだろう。オリバーに視線を向けたダグラスは、深くため息をついて話しかけた。


「次にどう動くか考えたい。オリバー、席を外してくれ」

「……わかった。平原でウサギを狩ってくる」


 研ぎたての剣が擦れる音をたてて、鞘に戻される。そのまま立ち上がり、地平線に向かって歩き始めたオリバーは、風に髪を撫でられながら、静かに離れていった。


「……大丈夫か?」

「……うん」

「……そうか。まだ辛かったら休むんだぞ」

「ありがとう。体調はいいよ。先の話をしよう」


 ハルトの迷いのある目が、ダグラスは気がかりで仕方がなかった。傍らに干された全員の服。刻まれた傷や薄ら残る血の痕が生々しい。それは風がハルトの心情を察するように、優しく揺れた。


 何もしてやれない自分の不器用さに悲観しながら、ダグラスは小さく頷く。そしてハルトの隣に座ると、気持ちを切り替えて話を始めた。


「今、懸念しているのは、あの蜘蛛に情報が筒抜けだったことだ」

「うん、ここで休むこともバレてるから、長居はできないね」

「少し遅いが、昼食を取ったら立とう。次はどこを目指す?」

「ステラの感知がある限り、もう蜘蛛に怯える心配はないから、誰も知らない、クレアさんとダグラスが隠れておける場所がいいと思う。僕は二人を送ってから、王都に戻って報告と調査を続けたい」


 強い眼差しで先を見据えるハルトに、ダグラスは少し驚いた、そして、しっかり問題と感情を切り分けていることに安心する。


 ハルトの提案に思考した。腕を組んで目を瞑り、考えられる場所の景色を思い浮かべる。

 少しの静寂の後、ダグラスが記憶の中に見つけたのは、森にポツンと佇むログハウスだった。


「そうなると……アメントリだな」

「え?あそこってトニーが……」

「あぁ、あの取引先の近くや町中だと厳しいが、実は郊外の森の奥に、二人で始めた綿畑と小屋があるんだ。世話の手が足りなくて枯らしてから少し経つが――食料さえ何とかなれば、数日は耐えられる」

「分かった。じゃあそこに行こう。ちょっと地図取ってくるね」


 ハルトはすっと立ち上がると、陽の光を浴びながら暗闇に消えていった。それを見送るダグラスは、無意識に拳を握りしめていた。


――『トルマン大平原』北側


 壮大な草地に立ち、爽やかな青い風を感じながら剣を握る。飛び出した長い耳を見つけると、気配を消して忍び寄り、首を一突きして刺し殺した。

 青い血が傷口から溢れ、乾いた大地に染み込んでいく。今朝の真っ赤に染まった戦場を思い出し、オリバーは剣を勢いよく引き抜いた。


 仲間が死んだことは仕方がない。暗殺業をやっていれば、いつ訪れてもおかしくない死だ。ネニネもそれは理解して、受け入れたのだろう。


 だが、自分の行動はどうだっただろうか。ネニネが命を賭して作ったチャンスを生かすどころか、ターゲットを助けて匿った。あの少年と関わってから、全てがおかしくなってしまった。


 ――だが実際、相手の懐に潜り込む判断は間違えではなかった。ステラとかいうあのハイハーピィ、ただの人魔にしては強さが異常だ。

 あの場で一人戦っても、勝てたかどうかわからない。隣にただ座って、小鳥のさえずりを聞いていただけに見えたあの時も、常に行動や思考を探られていた。


 ハルトが彼女を下げている今ならやれるか?……いや、ダグラスという大剣使い、それにハルト自身も戦える。今襲撃しても防がれるだろう。


 ハルトに信頼されているこの立場を利用しない手はない。だとしたら――何故、俺は彼に信じるなと言ってしまったのだろう。


 再び見つけたホーンラビットは、こちらに気づいて逃げてしまった。剣を握る手を微かに緩め、呆然と青い空を眺めた。


 ――しばらくして、三匹のホーンラビットを狩って戻ったオリバーは、先程まで座っていた場所に置かれた巨大な寸胴鍋を見て、思わず立ち止まった。

 他にも、しっかりとした木の器やスプーンが切り株の上に並べられており、準備の良さに関心する。


 さすがディートリッヒ商会……と思ったが、隣に見覚えのあるしぼんだバックパックがあるのを見て、再び時が止まった。深呼吸をして考えないようにしてから、いつもの無表情でウサギの下処理を始めた。


「あ、オリバーさん。お肉ありがとうございます」

「あぁ」

「下処理できるんですね。助かります」

「……あぁ」

「終わったら、部位ごとに分けておいてもらえますか?やりづらかったら、そこの使ってください」


 示された先には、箱にズラリと並んだ様々な形の包丁があった。


「…………あぁ」


 風が草木を囁かせる。オリバーはやはり、何も考えないようにした。


 やがて日が幾分か傾き、洞窟に差す陽は弱くなってしまった頃、料理が仕上がり、一同は小さなランタンの灯に集って、湯気の立つ食卓を囲んだ。


 今日はオリバーが取ってきたホーンラビットを、無難にシチューにした。器から立つ湯気が、ひんやりとした洞窟に温もりを運ぶ。


 一口食べたオリバーの眉がぴくりと動いた。続けてダグラスも口に運ぶと、口角を上げて唸る。


「お、うまいな」

「うん!ホーンラビットってもっと硬いイメージだったのに!」

「住処ではこれほど美味しいものは食べられませんわ」

「ありがとうございます。最近は人に振る舞う機会が多くてうれしいです」


 ハルトは、これまでで一番賑やかな食卓に胸を弾ませ、頬を緩めながら木の器を手に取る。しかし、アンはハルトの隣に置かれた、存在感のある鍋を睨みつけ、ぼそっと呟いた。


「ハルト、やっぱりへン」

「え?」

「ワン!」

「あぁ」

「え……オリバーさんまで?」


 肩を落とすハルトの膝に、グラが手を置いてなぐさめた。

 小さな笑いが一巡し、場が静けさを取り戻す。

 その空気を待っていたように、ダグラスが木の器を置き、真剣な声音で皆に視線を向けた。


「さて……今後のことだが。俺たちはこれから二泊三日でアメントリに向かう」

「二泊三日……結構かかりますのね」


 ステラが眉を寄せ、少し心配そうに問いかける。続いてクレアは足を組み、器を爪で鳴らしながら、悩むように質問した。


「中継地点はどこにするの?」

「まず今夜は、トルマン平原の南側にある丘で野営になる。そして明日、アメントリの手前にあるバリサイ村に立ち寄る予定だ」

「バリサイ村……そっか」


 クレアが小さく反芻するように呟く。その声に不安を感じ取ったハルトは、すかさず口を開いた。


「そこなら大丈夫です。僕、アメントリに行く時に世話になったんですけど、宿はないですがテントを立てさせて貰えました。村長さんも優しいので、きっと安心できると思います」


 小さなランタンの灯に照らされた食卓で、和やかな空気は残っていたが、皆の意識は確かに旅路の方へと向けられていった。その時――


「ダグラス」


 その名前を呼んだのは、ずっと口を閉ざしていたオリバーだった。


「……なんだ?」

「ここから南下するルートだと思うが、道中の山に、山賊の目撃情報がある」

「……どこだ?」


 疑い探るようなダグラスの言葉に、オリバーは無言で地図を指し示した。そこは迂回ルートのない一本道。避けようと思うと、一度大きく逸れることになる。時間にすると、約半日ほどの回り道だ。


「……ふぅ、参ったな」

「強行突破は難しいかな?」


 ダグラスはハルトの問に首を横に振った。

 重い沈黙が落ちる。ランタンの灯に、皆の影が壁へ揺れ動いた。


「……ひとつ相談したい」


 眉ひとつ動かさず、無表情なオリバー。ダグラスの視線と交わり、一瞬、場の空気が凍りついた。


「俺をアメントリまで同行させてくれないか?」

「何?」


 鋭い目つきで睨むダグラス。眉間によった皺が懐疑心を顕にする。


「……俺は傭兵以外にも、賞金稼ぎで生計を立てている。そいつらにもし賞金がかかっていたら、俺としては捕まえたい。代わりに、無償で護衛をする」


 いつになく流暢に喋るオリバー。それが更に怪しいとも、金を稼ぐのに必死だともとれる。

 二人の間で不穏な空気が流れ、場は静まり返った。ランタンの火が僅かに揺れ、近くの水晶の煌めきが明滅する。


「まぁ、いいんじゃない?」

「クレア?」


 冷たく重い静寂を、軽々と破るクレア。食べ切った木の器を置いて、うーんと腕や背中を伸ばした。


「護衛が一人増えるならラッキーじゃない。それに、そんなに自信満々なら山賊くらい楽勝でしょ?」

「あぁ」

「うん。じゃああとの問題は馬車ね。山賊を乗せるのはさすがに別にして欲しいわ。馬は二匹いるから……馬車だけどこかで借りれないかしら?」

「お、おい、クレア……」

「ダグラス、気持ちはわかるけど、ハルトくんの立場も分かってあげて。今の彼の顔を見て、まだ反対する?」

「……」


 ハルト自身、クレアに言われて気づいた。

 信じたい。でも、それを許されない――胸の奥が締め付けられる。

 僕はいま、どんな顔をしているんだろう……。


「……悪かった。オリバー、アメントリまで――よろしく頼む」

「あぁ。必ず連れていく」


 半ば妥協的ではあるが、二人の手は固く握られた。満足そうなクレアはハルトの視線に気がつくと、可愛らしいウィンクをした。


 こうして、ハルト、クレア、ダグラス、グラ、アン、ステラ、そしてオリバーという大所帯での短い旅が、幕を開けた。

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