12-1.信用と疑惑の狭間
――昼過ぎ、フォルト王国『トルマン大平原』小水晶洞窟
色とりどりの結晶に光が差し込み、壁面や床に反射する。薄暗い洞窟とは思えないほど、揺らめく虹色の煌めきは、昨晩から続いた戦いの疲れを包み、取り除いてくれるようだった。
あれからハルトたちは、オリバーに馬車の操縦を任せ、荷台でクレアに治療を受けながら移動した。
ダグラスはまだオリバーを受け入れていないようで、移動中は監視役に徹していた。
グラとアンは治療後、アビスに戻り身体を休めた。グラの割れた顔も元に戻ったので、一安心だ。
そして、役目を終えたクレアはステラの肩を借り、二人揃って眠りについていた。そんな中、ステラの膝枕で眠り通したハルトが目覚めたのは、冷たく薄暗い水晶洞窟の中だった。
「……ごめん、寝すぎた」
「ハルトくん、おはよう。まだ辛かったら休んでいいのよ?」
「クレアさん、おはようございます。身体の疲れは取れたので、大丈夫です。」
「そう。無理はしないでね」
「はい。ダグラスは?」
クレアは口を閉じて微笑むと、『こっち』と指で示した。
そこには胡座をかいて腕を組み、壁を背もたれにして眠る彼がいた。俯いたまま眠る姿に疲れが滲み出ている。
「馬車ではずっと起きてたみたいなの。今はステラがオリバーを見張っているわ」
「そう……なんですね」
湿った冷たい空気と視界の暗さが、先程までいた戦場を思い出させる。トニーに騙された事実、オリバーを信じたい自分、疑っている仲間たち。自分だけが輪から乖離しているようで、どうすればいいかは分からなかった。
「……確かに、オリバーは分からないことが多くて、信用できるか、と言われたら、難しいわ」
「……」
「でもね、彼のお陰で助かったことは、確かなの。ハルトくんを立ち上がらせてくれた。蜘蛛の存在に気づいてくれた。私たちをここまで運んでくれた」
「……はい」
クレアは変わらず微笑んだままで、淡々とハルトに言葉を届ける。その一つ一つが周囲に映された水晶の煌めきと重なり、ハルトの心にも映し出されていく。
「だから、彼が敵じゃないって分かるまで、時間が必要なだけなのよ。特に今は、危険な時だから」
「そう……ですね」
そうだ。今は慎重になるべき時なのに、自分は何を言っているのだろう。狙われているのはクレアさんなのに、僕は彼女に励まされている。ちゃんと彼と話をしなければ。
「クレアさん、ありがとうございます。二人は今どこですか?」
「ふふっ、外に出てみて、多分見張りをしてるわ」
「分かりました」
ハルトはゆっくり歩いていき、出口の先に見える強い日差しに目を眩ませながら外に出た。青々と茂る草原が目に優しく広がり、そよぐ風が頬を撫でる。草の香りにかすかに鼻をくすぐられ、奥に見える地平線が、ハルトの悩む心をそっと受け入れるように、静かに広がっていた。
一歩草地に足を踏み入れた時、すぐ左に切り出された丸太に座る二人の姿を見つけた。オリバーは黒いシャツにゆとりのあるズボンを履いていて、長細い剣の手入れをしていた。ステラはマントで身体を隠し、小鳥を腕に乗せて会話している?みたいだ。
「ステラ、オリバーさん、おはようございます」
「おはようございます。よく眠れました?」
「うん、ありがとう。疲れは取れたよ」
「そう、安心しましたわ」
ステラも元気そうで安心したところで、ハルトはオリバーに向き直った。
「オリバーさん、ありがとうございました」
「あぁ」
「……」
「…………」
あぁ、やっぱり無口だ。朝はは無理して喋ってくれたのだろう。出会ったのは最近だが、なんだかもう懐かしい。
「……ステラ、そろそろ戻って、アンと一緒にいてあげて」
「そうですわね。ありがとうございます」
右手をかざしてアビスゲートを開く。明るく照らされた大地で一層黒く見える渦の揺らめきに、ステラ微笑みながら沈んでいった。
無表情で一部始終を見ていたオリバーだが、すぐに武器の手入れを再開する。自然豊かで静かな大地に、金属が擦れる音と枝葉の触れ合う音だけが聞こえる。
「……驚かないんですね」
「いや、驚いた」
「え?」
「実際に見たのは初めてだ」
「そうなんですね」
「……」
「…………」
やはり顔色は変わらない。だが、それが寧ろハルトには嬉しかった。やっぱり彼はそういう人なんだと実感できた。信じていいかは分からないが、やっぱり信じてみたい。
「オリバーさん、昨晩のこと、お話しします」
「……わかった」
一瞬、彼の眉がわずかに揺れた。そして、布で剣を磨きながら、ハルトの声に耳を傾けた――。
――同刻、王都サフィーア『ノーランド伯爵邸』
「勢力の半数がやられただと?!」
伯爵の耳に届いた報告は、想像以上に重く、怒号となって吐き出された。クレアには逃げられ、追った暗殺者たちはほぼ全滅。危惧していた最悪の状況が、容赦なく目の前に積み重なっていく。
「ふ、ふぅふふふふざけるなぁ!!!オリバーとネニネを呼べ!!」
「その……ネニネが殺られたようです」
「な……んだとぉ?!この肩書きだけの能無しがぁぁぁぁぁ!!!」
怒りに任せ、伯爵は勢いよく立ち上がり、報告に来た兵にグラスを投げつける。中のウィスキーは絨毯に広がり、癖のあるアルコールの香りが室内に立ち込めた。怒りと混乱が混ざった空気に、部屋の重厚な家具も圧迫感を増して迫るようだった。
「……まぁ落ち着いてください伯爵。私にも面白い情報が届いております」
隣に控える男が新しいグラスに氷を入れながら、含みのある笑みを浮かべた。
「あ゛ぁ゛?!なんだ!」
「今朝方、オリバーがクレアと接触したようです」
「……何?」
予想外の話に、伯爵の憤怒は一瞬にして沈静化し、時が止まったかのように固まった。新たに注がれた酒を前に置かれ、伯爵は深く息を吸い込む。それから何事もなかったかのように座り直し、グラスを手に取った。
「そうかオリバーが……いいだろう。お前の私兵に奴から目を離すなと伝えろ。次に失敗したら、首をへし折ってやる」
「……仰せのままに」
――『トルマン大平原』小水晶洞窟の外
「……そうか。よく持ちこたえた」
「はい。でも、彼を信用していた自分が、あんなに酷いことされても、どうすればいいかまだ分かっていないんです。僕の場合、みんながあなたのように理解してくれるわけでもないので……」
全てを話したハルトは、気がつくと自分の悩みも彼に打ち明けていた。彼の変わらぬ無表情な姿に、少しだけ安心を覚える。
「ハルト」
「はい?」
しかし、次に彼が放った言葉は、ハルトの胸に深く突き刺さった。
「人を簡単に信じるな」
「……え?」
柔らかな風に揺れる草の香りも、遠くに広がる地平線ほど遠く感じられた。その声の冷たさに思わず肩の力が抜け、息が詰まる。その言葉の意味が、うまく飲み込めなかった。




