8-3.紡がれる再起の光
――一方、クレア&ダグラスサイド
無事に次の裏道へ進んだクレアとダグラスは、また暗闇の中で塀を伝い歩き、出口まで歩みを進めていた。
一瞬見えたグラの姿が、クレアの脳裏に強く焼き付いている。表情を動かす筋肉はないのに、立ち姿やオーラだけで、強者たる風格を見せつけた。あれはまるで『山の化身』だ。
「……ダグラス、あのグラちゃんを見て、どう思った?」
「……迫力はあったな」
「あなたは、あの子に勝てる?」
「五分五分だ。ヘルハウンドに進化したら、もう手がつけられそうにない」
「そう……よね」
今まで何度も魔物に襲われてきたが、同時に何度とハーピィと交流を深めてきた。ダグラスもいるから、危険な目に合うことは少なかったし、怪我をしても、彼なら倒してくれる自信があった。
でも――今日初めて『魔物が怖い』という感覚が、脳に刻まれた気がした。
決して、グラが恐ろしいとか、モンスターテイマーが恐ろしいというわけではない。ただ、『魔物は怖いもの』という事実が、精神に大きく揺さぶりをかけたのだった。
まだ、背筋を凍らせたあの感覚が残っている。
「あれは魔物の強さじゃない」
「え?」
不意にダグラスがそう口にした。
「ボーンハウンド一匹が、あの強さを手に入れるのは、まず不可能だ。あれは魔物の強さじゃない。主と使い魔……絆や友情が培った『意志ある強さ』だ。それを恐ろしいと思ったのなら、それはアイツらの努力の賜物だな」
「……」
そっか、とんでもない勘違いだ。グラは魔物である以前に、ハルトくんの相棒だ。あれが彼らの強さなんだ……。それなのに、魔物が怖いだなんて、私――。
「……気にするな。後でハルトとグラの頭、めいっぱい撫でてやれ」
「……うん」
彼の声には、尊敬すら感じる優しさがあった。
恐怖心が消えた代わりに、残った罪悪感。私はこれを抱えたまま、彼らとの合流を待つしかなかった。
「さぁ、そろそろ出口だ」
再び柔らかい光に到達する――その時、近くで人の声が聞こえ、ダグラスとクレアは慌てて歩みを止めた。
「いたか?」
「いや、本当なのか?」
「あぁ。東でクレアを見たって」
「もしかしてさっきの遠吠えも陽動か?」
「だとしたら、完全にしてやられてるぞ……」
「…………」
予想より早く、敵が冷静になっている。ここまでもう話が回ってきてるなんて。
敵がすぐ近くにいる。その緊張が、心臓にナイフを突きつけられたような焦りを生んだ。真っ暗な闇の中で動けず、冷えた空気が背筋をなぞる。
「うっ……」
「ん?なんだ?」
漏れ出た声に気づかれた。心臓にナイフが触れるような感覚――鼓動する度に張り裂けそうに痛い。
目の前の景色がゆっくりと流れた。ダグラスが咄嗟に右腕を広げ、庇うように表を睨みつける。そして、家の外壁の角を四本の指が掴んだ。
「いたぞー!!」
そう遠くから叫ぶ声が聞こえ、もう……無理だ。そう悟った――その時。
「北だー!」
(え?!)
目の前に見えていた指は姿を消し、足音が山の方向に向かって消えていく。奴らの声は一切聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれた。
「……ハルトくん、ステラ」
恐怖から解放された途端、一筋の涙が頬を伝う。
「今だ。急げ」
その言葉がクレアの勇気を呼び戻し、グッと目に力を入れ、零れた雫を散らして飛び出した。
作戦開始から約十五分、クレア・ダグラスサイド――脱出成功。
――数分後、ハルトサイド
「なんとかなったね」
「えぇ、クレアとダグラスさんも、無事に脱出しましたわ」
ステラが探知をしてハルトに伝えた。二人は薄暗い影の中で身を屈めている。出口周辺に集まる敵を、最後にこちらに陽動すること。それがあの場面を切り抜ける最善策だった。
こちらも無事に追っ手を振り切り、出口近くで身を隠している。
「さぁ、二人のところに行こう。……ありがとう、ステラ」
「私こそ、クレアを救ってくれて、アンを助けてくれて、ありがとうございます」
役目を終えたステラは、安堵した表情で微笑んだ。ハルトも口元に小さな笑みを浮かべ頷くと、静かに左手を差し出し、ステラの足元に闇の渦を広げた。
染められた金色の髪が飲み込まれた後、白く染まった息を、夜空に向かって吐き出した。
「……よし」
ハルトは立ち上がった。静かにマントの留め具へ手を伸ばし、風を切る音と共に布が解き放たれる。長く影に隠されていた素顔が、月光に照らされた。
表に出て、準備していた馬車の荷台にマントを放り込む。道端に潜む暗殺者たちの視線が少年をかすめたが、誰ひとり、この素顔の少年と、先ほど自分たちを翻弄した『あのマントの影』を結びつけはしない。
ハルトは御者台に上がり、手綱を握る。合図とともに馬が走り出し、石畳に蹄音が響いた。
風に舞うマントの残り香だけが、後方の闇に消えていった。
作戦開始から約二十分、ハルトサイド――脱出成功。