8-2.紡がれる再起の光
――夜
西の丘から顔を出した月が、夕日に代わって夜を告げた。南に広がる分厚い雲が、命運を見極めるように見下ろしている。
積まれた木箱に腰を下ろし、気だるそうに周りを見ていた男は、執行人から伝えられた、要注意のボロマントの少年が、外套に身を包んだ女性と歩く姿を見つけた。
目だけで追うように監視すると、ダグラスの家に入っていくのを確認した。
「……ふん、あの歳で女遊びたぁ、お盛んだねぇ」
そう呟いた彼だが、執行人が隠れ家を使えなくなった上、「しばらく離れる」とだけ告げて去ったため、仕方なく持ち場を離れ、こちらに回ってきた。やる気は時間と共に削がれ、「早く帰って酒が飲みたい」とぼやくばかりだ。
十分ほど経ち、家から再び、あの少年と女性が出てきた。やけに早い移動に不信感を覚える。
じっくりと観察していた時、女性が被るフードから、見覚えのある金髪が、ハラリと垂れ下がった。
「!!!……マジかよ」
思いがけない光景に息を飲んだ。まさか今日がこの日だったなんて。笑みを浮かべながら、血の気が少し騒ぐ。アイツらを捕まえれば、ギルドでの自分の価値が跳ね上がる……。
「……ニヒヒヒヒ」
男はゆっくり立ち上がり、軒下の影を進み始めた。それに気づいた少年達は、慌てた様子で裏路地に入っていく。
隠れる意味がないと分かり、男も裏路地へ走りだした。少年と女の足が、硬い地面を蹴る度に音を鳴らす。入り組んだ迷路を追いかけ、もうすぐ届く。
最後の角を曲がった瞬間――『バサッ!』という羽音と共に、二人の姿が消えた。
「な、なんだ?いったいどうなって……」
「どうした?」
足音を聞きつけた仲間が数人駆けつけた。なにやら話をしていたようたが、しばらくすると四方に散って行ったのが聞こえる。
「ふぅ……ありがとう、ステラ」
「上手くいったようで、良かったですわ」
小声で話すステラの髪は、クレアと同じ金色に輝いていた。これはアメントリで押し売りされた染色剤だったが、思わぬところで役にたった。
「まさかこの高い塀を、飛び越えたとは思わないよね」
「えぇ。山を登るのが精一杯のクレアなら――」
悪戯な笑顔は、このスリルが楽しいと語っており、思わず苦笑いを浮かべた。
「それじゃあ、アビスに戻って。クレアと合流したらすぐ呼ぶね」
嬉しそうに頷いたステラは、母の優しい笑顔を見せながら、沈んでいった。
「あっちは上手く出れたかな?……僕も次の場所に行こう」
二人の安否を気にしつつ、凍えるような寒さを肌で感じながら、ハルトは月光を避けるように建物の影へ潜り込んだ。
――クレア&ダグラスサイド
何も見えない暗闇の中、『バサッ!』と羽音が聞こえた後、その静けさがハルトたちの成功を知らせた。先を歩くダグラスから安堵のため息が聞こえる。
「うまくやってくれたみたいね」
「あぁ」
淡白な返事だけど、いつもより嬉しそう。まだ始まったばかりなのに、にやけ面だろうか。
でも、分からなくはない。ハルトくんはまるで、私たちの前に現れた、冒険譚の英雄なのだ。強いわけじゃないけど、彼のやること、成すことは、全てが勇気ある行動で、私たちにも、勇気をくれた。
だから――私は彼に希望を抱いた。
「……彼にはお礼をしっかり準備しなくちゃ」
「あぁ、まずはここを抜けてからだがな」
「というかあなた……足音、響いてない?」
「気にするな。お前の靴音よりは静かだ」
「ひどい。女の子に言うことじゃないでしょ」
「技術の問題だ。体重の話じゃない」
「なんで体重の話が出てくるのよ」
「悪かった。無駄口を叩く時間は終わりだ」
入った時は遠く感じた光が、すぐそこまで迫っている。これ以上は見張りに聞こえてしまいそうだ。
「後でおぼえてなさいよ……」
このボヤキを最後に、二人の表情に再び緊張が戻った。
――数分後、静かで平和な村の中に、犬の遠吠えが響いた。数名の慌てた声が届くと、次には鉄を弾く音が鳴った。
「今だ」
合図と共に走り出しダグラス。その背中を追い、クレアも月明かりに飛び出した――。
――数分前、ハルトサイド
民家の隙間を縫いながら、影から影へと慎重に進んでいく。普段人が通る場所では無いのだろう。古い蜘蛛の巣が顔にまとわりつく度に、苛立ちを覚えながら払い除ける。
時間にしてわずか数分。低い塀を飛び越えてたどり着いたのは、この村唯一の教会の敷地だった。門の外は広く明るい通りがあり、角に植えられた木の辺りからは、ダグラスとクレアが控えているはずの、難所の交差点が見える。
見張り二人も目視で確認したが、動きはない。二人はまだ大丈夫なようで、ホッとした。
木陰で姿勢を低くし、周囲に気を配る。誰もいないと確信すると、ゆっくり左手を差し出した。
「グラ、頼んだよ」
闇の渦が開くと、グラは勢いよく、そして音を立てずに飛び出した。白い身体が月の光を纏い、神々しく輝く。
「……作戦通りに」
ハルトの一言に、見つめる青白い瞳が揺れた。そして、まっすぐに表へ飛び出していく――。
「アオーーーーン!!」
狼のごときその遠吠えは、静寂に包まれた街に響き渡り、煌めく夜空へ吸い込まれた。
「なんだ?!魔物か!」
「どこからだ!」
「お、おい!見ろ!あれ!!」
満月照らす人無き上り路、山を背に立つ不気味な白骨。乾いた音が一つ、二つと鳴ったとき、怪しく光るその目が揺れ――それはむき出しの牙で襲いかかった。
「うわぁぁ!」
『ガキン!!』と鉄を弾く音が響く。咄嗟に抜いたナイフが辛うじて直撃を逸らし、喰らい損ねた牙は腕を掠めて閉じた。
「くっ、ボーンハウンドだ!」
「応戦しろ!一匹だ!蹴散らすぞ!」
「ガルゥアァ!!」
グラは常に山を背にし、暗殺者の視線を奪っている。教会の片隅でそれを見ていたハルトは、相棒の勇姿に胸が熱くなった。
ボーンハウンドは中級の魔物。暗殺者たちの腕なら、普通は苦戦する敵ではない。
だが、グラは『普通のボーンハウンド』ではない。半年という短くも長い間、たった一匹でハルトを支え続け、共に研鑽を積んできたのだ。今のグラの実力は――『上級』に匹敵する。
「ぐはぁっ!」
「な、なんだコイツ、なんて速さしてんだよ!!」
「鉄弾く骨なんて聞いたことねぇぞ!!」
グラの好戦の裏で、ダグラスとクレアが飛び出し、次の裏道に入ったのを確認した。気づいてる人は――いない。
「よし」
ハルトは自分が敵の死角になったのを確認し、教会の裏へ静かに移動した。そして、目の前にある墓に短く手を合わせると、建物の影に身を潜めて、相棒の帰還を待つ――。
『……ガキン!』
「逃げるぞ!」
「教会に入った!追え!」
駆ける足音が近づいてくる。――今だ!
ハルトは物陰で左手を伸ばし、墓の上に闇の渦を開いた。夜闇に黒く光る闇……そこに骨だけの犬が乗り、沈んでいけば、誰もがこう思うだろう。
「お、お、おい……なんだよあれ」
「墓に――吸い込まれて……」
「有り得ねぇ、信じねぇぞ!」
「バカ待て!深追いするな!」
『――カラン』
乾いた音に合わせて閉じた闇は、彼らに恐怖心を与えるには十分な演出だった。
凍てつく空気に沈黙だけを残し、ハルトは反対側から表に戻った。そして誰にも見られることなく、難所を通過した。