6-2.出会いは救い
――ペールドットの麓の村『ザバール』
霊峰から吹き下ろす風が、草木の青い香りとひんやりした冷気を運んでくる。切り出した岩を積み上げた家々が、斜面にびっしりと並び、その姿はまるで大地そのものが巨大な石段と化し、一段一段に街を刻んでいったかのようだ。陽を浴びた岩肌は白く輝き、遠目には城塞にも似て、近づく者に無言の圧を放っている。
「オリバーさん、ありがとうございました。これ、少ないですがラプトルの腹身です。よかったら食べてください」
「あぁ、気を使わせたな。後でいただく。またな」
「はい。また」
村に着くなり、オリバーはあっさりと姿を消してしまった。本当にマイペースで、周囲の流れに飲まれないその強さは、羨ましいような、真似できそうにないような気がした。
ここは王国最北端の村――辺境ゆえの静けさを想像していたが、意外にも通りは人の往来で賑わっていた。もちろん王都やアメントリと比べれば小規模だが、それでもこの規模の村にしては、人の熱気がある。
「旅人っぽい人が多いな……」
ずれ落ちそうなフードを深く被り直し、通りを見渡すと、妙な光景に気づく。
ただ立ち、行き交う人々を無言で眺める者たち――商人でも旅人でもあり得るが、その仕草はどこか芝居がかっていた。
(……やっぱり。彼らは見張りか、それとも何かを探しているのか)
胸に芽生えた疑惑は、確信へと変わっていく。
ハルトは村の中を慎重に歩いた。耳に届くのは住民の何気ない会話や、鉱石の取引をめぐる値段交渉。霊峰の鉱脈を糧に暮らしていることはすぐに分かったが――同時に、旅人や商人に紛れた“別の者たち”の存在も嫌でも目に入る。何気なく話しているふりをしながら、視線は絶えず周囲を探っている。数えただけでも八人。これは、ただの警戒では済まない。
「だとしたら……」
息を整え、ハルトは村で最も立派な家の前に立った。切り出した岩のブロックで積まれた壁はずっしりと重厚だが、その正面には分厚い木製の扉がはめ込まれていた。年季の入った木目に鉄の金具が打ち付けられ、素朴ながらも威厳を感じさせる。
ハルトは拳を握り、意を決して扉をノックした。心臓がドキドキと跳ねる――勇気という言葉に収まりきらない、不安混じりの鼓動だった。
「はーい!」
内側から若い女性の声が弾んだ。ほどなくして扉が開くと、茶色の髪を揺らすそばかす顔の女性が現れ、にこやかに出迎えた。
「こんにちはー!旅の方ですか?我が家に御用で?」
「あ、あのっ!突然すみません。僕は王都の冒険者です。こ、ここが村長さんの家かと思いまして」
「王都から!長旅ご苦労さまですー!確かにここが村長の家ですよ!ご要件は?」
「あの、村長さんにお聞きしたいことがありまして。その……多分今、この村で起こっていることについて」
「……。わかりました。おじい――じゃなくて、村長に少し確認してきますね」
「はい。お願いします」
彼女は少し考え込むような顔をしてから、そっと扉を閉めた。家の奥へと足音が消えていき、残されたハルトは落ち着かない気持ちで待つことになった。
――やがて、軋む音とともに再び扉が開き、ライラが顔を覗かせる。せかすように指先を小刻みに振り、早く早くと合図してきた。ハルトが中に足を踏み入れフードを取ると、すぐに扉が閉じられる。
「おまたせしました!村長はこっちです!」
さっきまでの警戒心を見せた態度が嘘のように、陽気に先導していく。そのあまりの変わり様は、ハルトに「やはり疑いは確信だった」と思わせるに十分だった。
通された暖炉が灯る部屋には、白い髭を蓄えた高齢の男性が座っていた。背筋は大きく曲がり、体を支えるために脇には一本の杖が立てかけられている。立ち上がるのも容易ではないだろう。
それでも、その目には澄んだ光が宿り、長い歳月を経てなお村を見守り続ける者の責任と温かみが感じられた。
「ようこそおいでくださいました、若い冒険者様……」
低く、掠れた声だが、言葉のひとつひとつには誠実さが込められている。
「この村の長を務めております、レフと申します。こちらは孫娘のライラです」
「ライラでーす!よろしくお願いします!」
「は、はじめまして。冒険者のハルトです」
「ハルトさん……よくこの時に来てくださいました」
「では、やはり奴らは」
「えぇ、二週間以上前から居座っております」
やっぱり――。心の中でハルトは小さく息を吐いた。クレアとアンの母親が姿を消した時期と、ぴたりと重なる。
「原因はご存知ですか?」
「えぇ……ライラが『彼』から聞いております」
「彼?」
首をかしげるハルトに、レフは逆に問い返した。
「はて。ダグラスという名を、耳にされたことは?」
その名は知らない。戸惑いを浮かべるハルトを見て、ライラが疑いも知らずに補足した。
「ダグラスはー、クレアちゃんの用心棒だよ!」
「……そうなんですか。すみません、僕の事情を先に話させてください」
ここで信頼を得なければ、求める情報にはたどり着けない。そのためには、アンのこと、そしてこのジョブについて語らなければならない。分かっていても、口が重い。心臓がひときわ大きく脈打ち、喉を塞いでいる。
――怖い。けれど、逃げてはいけない。
これまで幾度も自分で選び、積み重ねてきた覚悟を、決意を、こんなところで揺らがせるわけにはいかない。
「どうか……怯えずに聞いてください」
言葉を絞り出すと、レフは真剣な眼差しで小さくうなずいた。
「……わかりました」
ハルトは目を閉じ、心を静めるように深く息を吸う。そしてゆっくりと瞼を上げ、まっすぐにレフを見据えて告げた。
「僕は――モンスターテイマーです」
部屋は静まり返り、自分の心音だけが耳の奥で強く響く。
口を両手で覆い、ショックを隠せずにいるライラ、細い目を僅かに見開くレフ――当然の反応だ。
鼓動が落ち着いていくと共に、諦念が満ちていく。
老人はしばし、遠くを眺めるように目を細めていた。その沈黙に、ハルトは居心地の悪さを覚える。
やがて、レフは深く息を吐き出した。
「……辛かったですな」
「え?」
唐突な言葉に、ハルトは思わず顔を上げる。
「魔物を友とすることが許されぬ世界で……矢面に立つあなたが、如何に苦しい思いをしてきたか……想像に容易い」
老人の声は震えていた。若き日を思い返すかのように。
「おじいちゃんはね……ハーピィを護る為に、この村を作ったの。酷い人たちが、ハーピィを殺しちゃうから」
言葉にした途端、少女の目に涙がにじむ。レフはゆっくりと頷き、杖の先で床を軽く突いた。
「人は、魔物を殺し、利用する。共存を目指さぬのは……ただ『恐ろしい』からじゃ」
短い沈黙。火のはぜる音だけが部屋に満ちる。
「お主もまた、人々に恐れられるが故に、人という輪から外されておる。だがなぁ……」
その瞳が細く和らぎ、皺の奥に優しい光が宿る。
「わしは知っておる。テイマーでなくとも、魔物を友とする人はいるのじゃ。……わしらや、クレアのように」
老人の言葉は、慰めであると同時に、長い人生の重みを伴っていた。それがハルトの胸に、静かに沁み渡っていく。
「わしらがこれまで、この村で安心して暮らせていたのは、お主や他の恐れられる者たちの犠牲があったからじゃ。……助けてやれず、すまなかった」
「ハルトさん、ありがとう」
この瞬間、ハルトは救われた。耐えて生きたこの半年を、認めてくれたのが――心の底から嬉しかった。
「……僕こそ――ありがとうございます!」
ハルトはモンスターテイマーになってから初めて、溢れる嬉し涙が止まらなくなった。
すすり泣く声に引き寄せられるように、レフはゆっくりと立ち上がり、覚束無い足取りでハルトに近づき、肩にそっと手を置いた。