1-1.拒絶が世界の当然
僕は十五歳の春、人間である権利を奪われた。
モンスターテイマー――それは、世界から嫌われた者の称号。今の僕に与えられた呪いだ。
生きる道はただ一つ、拒絶され、疎まれても、この運命を背負って進むしかない。
それでも僕は――僕自身が救われる未来を、願ってやまなかった。
――
「なぁ、来たぜ……アイツ」
「あぁ、相変わらず気色悪いよな……」
「同じ空気吸ってるだけで吐き気がするぜ」
「……」
傍らに武器を置き、酒をあおる荒くれ者達は、ガタイに似合わずヒソヒソとそう口にした。目線の先にいるのはボロボロのマントに身を包み、何かでパンパンの薄汚れたバックパックを重そうに揺らし、フードを深く被った少年である。
「……すみません、この依頼を受けます」
「あ、はーい……ってアンタか」
少年が声をかけた受付嬢は、その姿を見るなり露骨に声色を変え、汚物を見るような目で悪態をついた。
「忙しい時に話しかけんじゃないわよ。他の受付に行きな」
「……はい。すみません」
「ちっ」
目つきを鋭くしたその受付嬢は、「シッシッ」と野良猫を追い払うように手を降った。
あまりにも酷い扱いだが、これは彼にとって日常の一コマに過ぎない。何故なら彼は――
「ほんと最悪……。なんで『モンスターテイマー』がうちのギルドにいるのよ……」
そう。彼――ハルトのジョブがモンスターテイマーだからである。
『ジョブ』とは、この世界で誰もが十代半ばに授かる神秘の力のこと。その中でも、授かると人権を奪われる存在――それが僕に与えられた呪い『モンスターテイマー』だ。
「アイツの魔物殺して素材売りに出せば、小遣いくらい稼げるんじゃねーか?」
荒くれ者の一人がそう話すのがハルトの耳にも届いた。
無理もない。僕が使役するのは『魔物』と呼ばれる獣たち。人に危害を加えることもある恐ろしい生物であり、人類の敵だ。
「いっそアイツも死んでくれたら最高だな」
「だな!昔はモンスターテイマーなんて見つけ次第斬首刑だったらしいぜ!ギャハハハハ!」
きっとそうなのだろう。魔物を従える――そんな力を持つ人間なんて、もはや人間ではなく魔物そのものだ。所詮僕も、彼の言う歴史の延長線にいるのだから。
心無い彼らや受付嬢の言葉に胸が詰まる。しかしそれですら、僕にとっては『よくあること』だ。こんな呪いを身に宿して半年。心が休まる日々など、もう期待すらしていない。
だが、人間全てが彼らのような考えを持つわけではない。
「あっ!ハルトくん、こっち!」
少し離れたカウンターから身体を乗り出した女性の呼ぶ声が響く。ハルトはゆっくりと歩み寄り、背中のバックパックを丁寧に床に下ろした。
「もー、ダリアに頼むのはやめなよー。また嫌な思いするだけなのに」
「ありがとうございます、シャルさん。たまたま空いていたので……それに受理してくれる時もありますから」
彼女の名は『シャルロッテ』。皆からシャルと呼ばれており、愛らしい容姿と人懐っこい笑顔で、ギルドでは人気の受付嬢だ。そして何より、ギルドでは数少ない僕の理解者だと言える。
「そうは言うけど嫌々よ?彼女の受付が空いてるのだってあんな性格だからなのに……全く、身体だけじゃなくてこっちも大切にしなさいね」
シャルは胸に手を置きながらそう言った。ハルトが頷くとシャルも心配そうな目で頷く。
シャルと話をしている間も、多方面から向けられる視線を感じている。先程の彼らのように言葉にする人間は少なくても、僕に対する人々の感情は、語らずとも分かるだろう。
僕と関わることを拒み、腫れ物扱いする人がほとんどであるこの国で、僕の境遇を理解し、労い、怪我をすれば擦り傷でも心配してくれる。僕にとってのシャルは――まさに癒しだ。
「それでシャルさん、この依頼を受けたいんです」
「うん、どれどれ……。あっ、レッドホークね。あなたは受けると思ってたわ。はいっ!受理完了よ。頑張って!」
「ありがとうございます」
シャルの応援の言葉一言に、ついときめく感情を抑え込むハルト。膨らんだバックパックを静かに背負い直し、『今日も頑張ろう』という意気込みを胸に、ギルドを後にした――。
――
「目撃情報があった場所はこの辺りか……」
ハルトがやって来たのは静寂が辺りを支配する薄暗い森の中だった。風が草木を揺らす音が鮮明に聴こえ、生き物の気配は感じることができない。
ハルトは重いバックパックを地面に下ろし、右手を差し出して優しく相棒の名前を呼んだ。
「『グラ』出番だよ」
その声に呼応するように、足元に闇が渦を巻き不気味に揺れた。その漆黒の渦からズプズプと白骨が浮かび上がり、『カラッ』と乾いた音を鳴らす。全身が見えてくると彼はグググッと伸びをしてから、眼球のない瞳に青白い光を灯し、薄暗い森に幽かな青を揺らめかせた。
「ワン!」
グラは皮も肉のない尻尾を振り、興奮と期待を示す。その仕草に、ハルトは静かに微笑んだ。
「グラ、今日の相手はレッドホークだよ。君の鼻で居場所を探してほしいんだ」
「ワン!」
グラは自信満々と言わんばかりに答えると、森の空気を見えない肺に潜らせた。鼻先をクンと動かす度に、顕な肋骨が小刻みに揺れる。
風が吹き、揺れる木の葉の音が耳に届いたとき、グラの視線が森の北側に向けられた。その先は薄暗く静寂に包まれているが、奥には微かな生命の気配がある。
「こっちだね。わかった」
白い頭に優しく触れたハルト。グラはワンと短く鳴き、僅かな香りに導かれるように歩き始めた。
骨が擦れ合う音が乾いたリズムを刻み、風と混ざる。ハルトは後ろを歩きながら、目の前の小さな白骨の姿を見守った。
グラは『骸狼――ボーンハウンド』と呼ばれる魔物で、犬や狼の白骨化した死体に魔力が宿り生まれた存在だ。かつては生きていた犬だが、今は魔物となり、そしてハルトの戦う力となった。だがその存在は単なる武器ではない。半年間、苦楽を共にした仲間であり、紛れもなく、ハルトの『相棒』なのだ。
――
風が草木を揺らす音、枝がわずかに触れ合う音、遠くで小動物が草を踏む音……。一つ一つに注意を向けながら、森の奥に進む。奥に行けば行くほど、生き物の痕跡は顕著に現れるようになっていった。気付かれぬよう、静かに、慎重に歩いていく。
今回の依頼内容は『森に住み着いたレッドホークが人を襲い、流通に支障がでている。討伐せよ』というものだが、ハルトには別の目論見がある。
レッドホークは空を飛ぶ鷲に似た魔物で、体内で圧縮した空気を一気に放出することで、空中での高速移動を可能とする。
レッドホークが味方になれば空中戦にも対応でき、空からの索敵、情報収集も可能になる。今後の可能性を広げる為にも、空で動ける戦力をハルトはずっと欲していた。
だが、魔物との契約は決して簡単ではない。テイマーが契約を結ぶには、相手の契約する意志が必要になる。餌か敵としか相手を判断しない魔物に、『味方になる意志』を持ってもらう。これがどれだけ難しいか、僕は何度も思い知らされた。
「探索できるのはあと一時間くらいかな。夜の森は危ないし」
既に探索を始めてから、三時間程が経過していた。日はまだ高いがかなり東に傾いている。
夜行性の魔物や動物と違い、人間は夜目が利かない。不意打ちされるリスクが高くなる夜間の行動は、ギルドからも控えるように言われている。
この辺りに来てから、森の空気が湿気を帯び始めていた。草の匂いが濃くなり、全身にまとわりつくような錯覚に陥る。
「川か池が近いのかな。グラ、大丈夫?休憩する?」
「……」
「……グラ?」
そのとき、グラが突然立ち止まり、鼻先を低くして地面を嗅ぎ始めた。ハルトも歩みを止めると、グラの鼻先にあったある物に目を落とした。
それは、木漏れ日に輝く紅色の羽根。間違いない。レッドホークのものだ。
ハルトは静かに息を整え、目を閉じて心を落ち着けた。
焦らずに集中するんだ。この近くにレッドホークが潜んでいる可能性がある。もっと痕跡を探すんだ。
ハルトは頭の中で一度自分を律し、再び目を開いた。
グラはグラにしか見えない嗅覚の世界で、痕跡を追いながら時折低く唸った。耳を澄ませば、遠くで風に乗って羽ばたく音がする。微かだが、間違いなくあの獰猛な鳥のものだ。
「……ワフ」
その時、グラが小さく鳴き、木々の隙間に見える日が差す場所を見つめた。薄暗い森に似つかわしくない、キラキラと輝く水面。そこに天国が落ちてきたかのような、神秘的で小さな泉だった。
そして、水際で緋色の翼が水面に揺れ、淡い光と溶け合っていた。
「あれが弾丸鳥――『レッドホーク』」
ハルトは神々しいその姿から目を離せなかった。鼓動が高鳴り、胸の奥がざわつくのを感じる。
まだこの美しい絵を見ていたい。そう思う気持ちを抑え、この景色を瞳に焼き付ける。ほんの少しだけ余韻に浸り、覚悟を拳に握り込み一歩を踏み出した。
ハルトが泉のほとりに近づいた時、水面に映る影に気づいたレッドホークがピクリと首を動かす。物音一つしない静かな空間で、はっとしたように羽を鳴らし、勢いよく顔を上げた。
「綺麗な場所だね。初めまして、レッドホーク」
「ピギョーーー!」
突然現れたハルトに驚き、後ずさりしながら大きな翼を広げて叫ぶ。
「怖がらせてごめん!君と話が――」
「ピギョーーーー!!」
「……」
これが現実だ。魔物は犬猫のように、言葉や仕草で信頼を得ることができない。絶対の拒絶を何度も経験してきたハルトだが、この苦しみにはまだ慣れない。
次の瞬間、レッドホークは空高く舞い上がり、ハルトから大きく距離をとった。
「はっ!」
咄嗟に近くの木陰に飛び込むと、元いた場所は突然爆発し、轟音をならして大きなクレーターを築いた。その中心で嘴の泥を振るい落としたレッドホークは、一度ハルトを睨みつけると再び巨大な翼を唸らせ、北の空へ飛んで行った。
奴が『弾丸鳥』と呼ばれる所以、それが今見た空からの奇襲。存在を知らぬ間に襲われた生き物は、死んだことにすら気づかないだろう。
「……仕方ない。グラ、今日は戻ろう」
「……ワフ」
交渉の邪魔をしないよう、茂みに身を隠していたグラが出てきて応え、この日は帰路についた。
――ハルトが森を出た後、夕刻。
『バサッバサッ』
遥か北の空から夕日に照らされ、一つの小さな影が森に降り立った。
「……ぐずっ……ママ――」
すすり泣く小さな声が、一層暗くなった森の闇に吸い込まれた。