第4話
「自分の居場所を求めてるやつに、お前のようなガキの声を届かねーよ」
金髪の男が最後に吐き捨てた言葉が、頭から離れなかった。
嵐が過ぎ去った後のように、静まり返ったその場所にどれだけの時間立ち尽くしただろう。気付けば日は沈み、空は夜の闇に染まっていた。
胸いっぱいに深呼吸をすると、冷えた夜風が喉を冷やし、吐いた息と共に気持ちが少しずつ落ち着いていくのを感じる。
「……帰るか」
頬を叩き、もう一度深呼吸をして気持ちを切り替える。まずは荒野地帯を抜ける事だけを考えよう。橋まで戻れば、大きな危険はないはずだ。
来た道をまっすぐと走る間、イオリとの短い旅路が頭をよぎる。特別な感情があった訳でも、そうした意図があった訳でもない。
ただ……俺は彼女が心の底からゲームを楽しめていないことに不満だった。
MMOはゲームでありながら、そこには人と人のコミュニケーションがあり、時には遊び以上の関係が生まれる事もある。しかし、その関係が崩れる場面を何度か見た事があるし、自分自身も体験したことがある。
それでも彼らがゲームを続ける理由は「楽しいから」ではないのか。
楽しむ気持ちに蓋をして、自分を偽ってきたものの末路を知っている。だからこそ、彼女にはそうなってほしくなかった。
それでも彼女が振り向かなかったのは、俺に彼女を楽しませるだけの力が足りなかったからだ。
モヤモヤとした気持ちを抱えながら、立ち塞がるウルフを捌きつつ橋の辺りまで辿り着いた。時刻は22時を過ぎ、辺りは静まり返っている。
「一旦、街まで戻るか……アイテムの整理もしたいし」
右手に握った剣を見ると、刃がボロボロになっている。装備ウィンドウを開くと、すでに耐久値が限界まで近づいている。どうやら急いで修理をした方が良さそうだ。
幸いにも、夜の草原地帯はコウモリ型のモンスターが出現するだけで、他にこれといった脅威が現れることはなかった。
ようやくファルカに辿り着くと、街灯の明かりが街をオレンジ色に染め、昼間とはまるで異った街並みが広がっている。その光景は、どこか異国の風景を思わせる。
街の中を進むと、屋外に設置されたベンチやシートのところどころにプレイヤー達が集まっている。中央の噴水付近には人だかりが出来ていて、どうやら掲示板に書き込まれてる情報を確認しているようだ。今日だけでも有益な情報が公開されているかもしれないが、流行る気持ちを抑え、まずは北西の道具屋へと足を向けた。
道具屋の前に来ると、入口には木製の吊り下げ看板が掛けられていて、表面にはフラスコマークと「Item」の文字が彫り込まれている。古びた木の階段を三段上がり、金属の装飾が施された重厚な木製のドアを押し開けた。
店内に足を踏み入れると、壁沿いの棚にはポーション瓶や見慣れないアイテムがずらりと並んでいる。カウンターの上に置かれた小さなランタンは柔らかな光を灯し、その奥には小型の炉が静かに煙を上げている。
「らっしゃい!」
威勢のいい声が店内に響き、カウンターの奥には髭面の大男『ザラバン』が腕を組んで立っていた。
ザラバンの方へ向かいながら辺りを見渡すと、店内には大きな斧を背負ったちょび髭の男が一人いた。頭上のカーソルが緑色ということは、プレイヤーであることは間違いないようだが、ほんの一瞬目が合うと、彼はすぐに棚に視線を戻した。
店内は思ったよりも静かで、落ち着いた雰囲気が妙に心地よさを感じさせる。ゆっくりしたいのは山々だが、装備の修理や新調などやりたい事は残っている。
「らっしゃい。アイテムの購入、素材の売却、何でもやってるよ」
「えっと、素材の売却をお願いします」
売却の言葉にザラバンが頷くと、目の前に半透明の枠が現れた。ここにアイテムをスワイプしていくのだろう。アイテムリストを開き、狩りで手に入れた素材を枠内へと移していく。すると、枠の中に素材の名称と個数が表示された。右側の数字は恐らく売却後の金額だろう。ルッピやファウムが落とした素材は安価だが、ウルフの毛皮や牙はそれらに比べると値が張るようだ。
全ての素材を移し終え、売却後の金額を確認する。この金額なら、武器屋で何段階か上の装備を購入できそうだ。
「ちょいと待ちな。あんた、随分と素材を集めたようだが、街のクエストはもうやったのか?」
「なっ……え?」
いつの間にか隣に来ていたちょび髭の男が俺の指を掴み、表示されている素材に指を合わせた。
「クエストがまだなら、コレとコレは取って置いた方がいい。それから……これはそのまま売るにはちと勿体ないな。なんなら俺が買い取ってやろう」
「ま、待ってくれ。あんた誰だ?」
動揺しつつも男の手を振りほどき、一歩後ずさる。すると、売却途中の素材がアイテムストレージへと戻っていった。
「おっと、つい商売っ気が出ちまった。悪かったな」
ちょび髭の男はバツが悪そうに頭の後ろを掻き、右手を差し出してきた。どこか馴れ馴れしくもニコやかに笑う彼の表情に、不思議と嫌な感じはしなかった。
「オレはカルって言うんだ。お前さんは?」
「……ラスタ」
「ラスタか、よろしくな!」
◇ ◇ ◇ ◇
カルは親切にも、会ったばかりの俺にクエストで必要なアイテムや情報を次々と教えてくれた。その量は相当なもので、メモ欄があっという間に埋まってしまうほどだった。いったい彼は今日一日だけで、どれだけ街やフィールドを周り歩いたのだろうか。
「それにしても、たった1日でよくこんなに集めたな……ひょっとして掲示板の情報とか?」
「おいおいラスタさんよ。俺がそんな当たり前の情報をクドクド説明すると思うか?掲示板にはコトネサービスを利用すればわかるような事しか書いてねーよ」
「そう、なのか……じゃあ、どうして俺に教えたんだ?」
直球の質問に、カルは顎のヒゲを指で撫でながら答えた。
「あー、それはだな。お前さんがいい取引相手になりそうだと思ったのさ。まぁ、商売人の勘ってやつだ」
「か、勘だって?」
「あぁ、そうだ。お前さん、アルカディアの前は何のMMOをやってた?」
「……HdOだよ」
「だと思ったぜ。それに、その素材の量を見ればだいたいの腕はわかる」
素材の量……という事は、恐らくルッピやファウムなどではないだろう。となると……。
「……ウルフの事か?ってことは、あんたもHdO経験者なのか?」
「まぁな。といっても俺はさっきも言った通り商売がメインだったけどな」
「なるほどね。それで、商売人のプライドが無知な俺に口出ししたくなったって訳か」
「そういう事。そんで、お前さんは情報に見合った対価を払ってくれりゃいい。この場合は、そうだな。これでいいぞ」
親指と人差し指を合わせたジェスチャーをしながら、カルはにやりと笑った。
「……いくらだ?」
「そうだな、3000リープでどうだ?」
「さんぜ……?!今日稼いだ分の半分じゃないか!ぼったくりだ!」
俺は人差し指を突き出し、大声で反発した。しかし、この態度が逆鱗に触れたらしく、彼は鼻息を荒くして反論してきた。
「あ!?なんつー言い草だおめぇ!この情報の中には余裕でお釣りがくるもんだってあるんだぞ!?……ったく、これだから素人は交渉のし甲斐がねえ!いいか、情報っていうのはゲームに置いて一番重要だ。掲示板に書いても一文にもならねーものを誰が毎回書く?簡単に仕入れられるものだって、これから先の街や村に掲示板やコトネのメイドどもがいるとは限らねぇ。毎回戻るっつーならそれでも構わんが、そんな事している間に遅れていくぞ。お前もMMO経験者ならこの意味をわかるよな?」
カルは指を叩き落とすと、商売人の何たるかをクドクドと語り始めた。最後には説教を延々と聞かされる羽目になり、結局俺は3000リープを払うことで彼の機嫌を取り戻すことに成功した。
「ず、ずみまぜんでした」
「わかりゃあいいのよ。それじゃあ俺はいくぜ。またいい情報があったら、高く売るぜ!」
……高く売るぜって、やっぱりぼったくりなのでは……。いや、あいつの前でその話題は二度としないようにしよう……。
去っていくカルの背中を見送りながら、俺は残りの必要なアイテムを揃えるためにザラバンの元へと歩いて行った。