プロローグ
渡来 飛佐登は、大きな揺れが収まると同時に目を覚ました。ぼんやりとした頭の中で、自分が眠りについていた理由を探る。そうだ、俺は新作のゲームをプレイするためのバスに乗って・・・。
1カ月前、株式会社ホリガーが開発した新作ゲーム『アルカディア』のベータテストが始まった。
僅か5000人という狭き門を見事に勝ち取った俺は、一枚の招待状を受け取った。だが、その内容はあまりにも簡素だった。そこには「新たなフルダイブ技術の変革」という文言と、最寄り駅の名前だけが記されていた。
今時のMMOといえばヘッドギアを被って自宅で行うのが主流の時代に、直接現地に向かう必要がなぜあるのか疑問に思ったが、新作をいち早くプレイ出来るという高揚感を抑えられず当日を迎えた。
指定された駅につくと、出迎えたのは窓が遮られたマイクロバスの群れだった。他の参加者と共にバスへと乗り込み、長い時間をかけてようやく辿りついたのはどこかの巨大な地下施設のようだ。
眠い目を擦りながらバスを降り、案内にしたがって大きなドアを潜った。すると、そこには無機質な壁に囲まれた空間が広がっていた。それらは異様な静けさを湛えていて、中央に置かれた巨大な円形の装置が、青白い光を放ちながら低い稼働音を響かせている。
「これが、フルダイブの変革……?」
そのつぶやきに応える者はいない。参加者たちもそれぞれの思いを抱えながら、ただその場に立ち尽くしている様子だった。みなが不安げな表情を浮かべている中、係員らしき女性が次々と指示を出していく。彼女はこちらへ来て招待状を確認すると、指定した椅子へと案内した。
参加者が一通り椅子に座ったところで、装置の前に一人の男が立ち上がった。30代半ばにも見える細身の男は、濃いめの茶髪をセンターで分けていて、銀縁のメガネと紺のスーツを着ている。男は軽く一礼をすると、手に持ったマイクで演説をはじめる。
「皆さん、大変お待たせいたしました。私はホリガーの代表を務める堀内です。本日はアルカディアのテストに参加頂き、ありがとうございます。まずは招待状にも書いた通り、新たなフルダイブ技術についての説明をしたいと思います。この装置は名を『Re:Warp』と呼びます。Re:Warpは量子転送技術を用いて、人間を量子に分解し仮想空間へと送り込む装置です。これにより、従来のフルダイブ技術では避けられなかった問題・・・例えば、生理現象によるログアウトの必要性などを完全に解消することができます」
堀内は量子転送技術の説明を続けながら、巨大なスクリーンに映像を映し出した。そこには、装置を通じて仮想世界に入り、再び現実へ戻るまでの一連の流れが映し出されている。
その光景は圧巻にも思えたが、動画だけでは肉体ごとゲームの世界に入るという疑念を払拭するには至らない。しかし、その場の空気が一種の同調圧力を生み出していて、誰一人として異論を唱えられる空気ではなかった。
「では、これから皆さんにはアルカディアの世界に足を踏み入れていただきます。足元にある小型の端末でユーザー名と職業を選んでください。職業は途中で変更できないので慎重にお願いします。それから……」
堀内は場の空気を一切気にも止めず、ゲームについての説明をはじめた。4つの職業と、ゲームシステム、戦闘の基本などだ。これらについては、今までのMMORPGとそこまでの大差はないように思える。となると、やはり一番の疑念はRe:Warpと呼ばれる装置だろう。たしかにこの技術が本物なら、現実ではないもう1つの世界に住むことだって夢ではない。そうなった場合はもはやどちらが現実か区別のつけようもないが、こんなにも凄い技術を使ってまでなぜ彼がゲームに固執しているのかは常に疑問が絶えなかった。
全員が選択を終えたのを確認すると、いよいよ端の方から一人ずつ、巨大な装置「Re:Warp」の中へと入って行った。一人、また一人と装置の中に入って行き、明らかに装置の大きさを超える人数が入って行ったのにも関わらず、誰一人として出てくるものはいなかった。その事実が、残っている参加者たちの緊張感を高めていく。
会場の半数近くがいなくなり、ついに自分の番が来た。係員の女性に促され、端末を持って装置へと向かった。鉄製の階段を一歩、一歩と踏みしめる度に緊張感が高まるのを肌で感じる。足を踏み入れ、その場で辺りを見渡した。中には湾曲した壁面全体に電子回路が張り巡らされ、床の中心には青白い光を放つ円形の機械がはめ込まれている。
その光景に見惚れていると、大きな音を立てて後ろのドアが閉められた。それと同時に、反対側のドアから堀内が姿を現す。堀内は何も言わずに近づいてくると、手に持っていた端末を取り上げた。
「名前は・・・ラスタでいいのかな。職業は剣士だね。それじゃあ、中央に立って」
堀内は「動かないでね」と付け足すと、入ってきたドアから出ていった。
彼の指示に従い、円形の機械の上へと足を運んだ。すると、微かに空気が振動するのを感じる。まるで、見えないエネルギーの波が全身を通り抜けるかのようだ。
それから少しの間、静かな空間に一人佇んでいた。聞こえてくるのは機械の音と自分の息遣いだけだ。再び混みあがる焦燥を抑えようとするが、そう間もなくしてその時はやってきた。
「・・・・・・!」
瞬間、全身が青白い光に包まれる。かすかな振動が体を伝い、感覚が徐々に遠のいていく。分解される・・・そんな言葉が脳裏に浮かぶ。眩暈にも似た感覚が一瞬走り、視界が白く塗りつぶされ、すべてが静寂に沈んでいった。